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第1章 王のいない城

影無

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 結界都市アダマス、北門付近。

 神獣は南門を襲ってきたが、北門では普段どおりの生活が続いていた。



「なんだ? 南門の方が騒がしいぞ?」



 市場で買い物をしていた旅人が、警鐘に気づいた。

「神獣だろ? どうせ結界の中には入ってこれないよ」

「だな。そんなことより、もっと安くしろよ」

 旅人はリンゴを手に取ると、値切りを始める。

「お客さん。そりゃ無理だよ」

 果物市場の商人は、首と手を同時に振った。


 旅人の後ろを、黒い布を顔に巻いた男が、通りすぎていく。

「……ふふ」

 男は自然と笑っていた。


 黒い布の男は、都市城壁近くまでやってきた。

 北門には兵士が、一人だけいた。

 皆出払ってしまっているようだ。

 男は城壁の壁からその様子を眺めている。

「さて、行くか」

 男が足を一歩前にだそうとしたとき、急に背中に悪寒を感じた。



「ヤッホー。こんにちわ」



 明るい女の声。

 慌てて振りむくと、獣人らしき女の子が立っている。


 ――剣士? ハンターか?


 つい腰に装着している剣に、目がいく。

 顔を見ても、見覚えがない。

 見知らぬ女だ。

 人違いだろうと思い、そばを通りすぎてみた。


「待ってよ。おじさん」


 呼び止められた。やはり、自分のことを、相手は知っているようだ。

「何か御用でしょうか……」

 首にチリチリとした風圧。

 銀に光る何かが首筋にむかってくる。

 剣だと気づき、転がるようにかわした。

「くっ!」

 一つ間違えば、確実に首が飛んでいた。

 男は怒りで、アゲハを睨む。

「いきなり何をする!」

「すごいね。おじさん。あの距離で剣をかわす?」

「おっ、おじさん」まだ若い男は、心外そうな顔つきになった。



「――普通の人間じゃないよね?」



 剣を自分の顔に引き寄せると、アゲハは楽しそうに笑った。

 細く、鏡のように磨かれた剣身に、男の姿が映る。


 ――なんだ? 気味の悪い笑顔だ。


 ゾクリと背筋に、冷たいものが這っていく。

 男は自分を落ち着かせるために、服を整えた。

「……昔大道芸をやっていてね。こういうのは得意なんだ。それよりも」


「その両目、とっても赤いね。人にしては」


 責任を追及しようとする男の言葉をさえぎって、アゲハは男の両目を覗く。

 ――こいつ、まさか。

 汗が、男の首筋を伝っていく。

「これは生まれつきですよ。変な誤解があるようですが、私はただの人です。その証拠にあの結界から入ってこれましたから」



「そこなんだよねぇ。どうして結界の中に入れたんだろ?」



 男の口調に動揺はない。

 しかしアゲハは聞く耳をたてない。

「私をエコーズだと決めつけてますね。困った人だ。失礼ではないですか?」

「まああなたを、あの結界に連れていけばわかることだけど、例えば」

 アゲハは人差し指を立てると、突きだした。


「この都市を建てるときに、建設労働者を地方から人貸屋をとおして連れてきたみたいだけど、その中に入っていたとしたら」


「…………」

 一瞬、男の目がピクリと動いた。

 次にアゲハは、二本の指を突きだす。


「まだこの都市に吸収式神脈装置を据え付ける前に、ここにやって来たとしたら」


「ありえないですね。たとえ下手な人貸屋でも、エコーズは怖い。神脈結界によるチェックは受けるはずだ」


「そのチェックを受けた後、何かトラブルを起こして、労働者と入れ替わっていたとしたら」


 今度は三つめの指を男に突きだした。

「……では、なぜ人貸屋がわからないんです? 都市建設が終われば、労働者は賃金もらって地方へ帰るか、この都市に住むはずだ。人貸屋には名簿だってある。賃金をもらいに来ない労働者はわかる」


「その人には身内がおらず、誰も人貸屋に来ないとしたら」


 さらに四本めの指を立てると、アゲハは手を下げた。

「ジョンド・ロウ。二十五歳。瞳の色は生まれたときから赤。この都市を建設時、労働者として働いていたはずなんだけどね。この都市近くで、死体として発見されたんだよね。おかしなことに死体がでたってのにさ、本人はこの都市で働いてるわけよ」

 アゲハの目と男の目が合う。

「それは……おかしなことですね」

 男は、目を逸らした。

「人貸屋は取引先を失うのが怖くて、この事実を公表していない。そこでもう一人のジョンド・ロウの調査を進めてたんだけど、まったく経歴がわからない。もし彼がエコーズなら、それこそ信頼にかかわる。だから何もせず黙っていた」

「なるほどね。それではなぜ今更動いた?」

 男の目が、ギラリとナイフのように鋭くなる。

「理由は簡単。身内が人貸屋に訴えてきたから。しかも実は貴族の家出息子でしたって、驚愕の事実つき。ここに調査が入る前に探しだしてほしいというのが、依頼内容」

 アゲハは人貸屋に依頼を受け、この都市に来たのだ。

「それともし相手がエコーズであれば、殺して責任を負わせろとも言われたか?」

 男は苦々しく、吐き捨てる。



「さあ、それはな・い・しょ」



 アゲハは指を口に当てた。

「くくっ、そうか。奴を殺す前、庶民の生活を知りたいだの、妙な事を言っていたが……そういうことか。なるほど。騙しやすいわけだ」

 男が正体をあらわした。もう誤魔化しは通用しないと判断したのだ。

「それにしても、わからないことがある。あなたはなぜこの都市で、何年もすごしていたの?」

「復讐のためだ。この日を待っていた」

 男の影が、ゆらりと揺らめく。


「俺の名前は影無。もとは『蝦蟇』に所属していた」


「あっ、知ってる。排外主義をかかげてたテロ組織の一つ。リンドブルムの精鋭部隊に殲滅させられたんでしょ?」

 影無の目が、驚きで丸くなった。


 蝦蟇とは、エコーズで構成されていた組織である。

 主に人間を襲い、コスタリア大陸より人を排斥することを主張していた。

 エコーズの中にも支持する者が多かった。


 しかし、そのあまりに残虐な行為に、同じ種族であるエコーズによって、組織は壊滅。

 組織の幹部だったエコーズは、人間の目の前で処刑された。毒をもって毒を制された。


「その若さでよく知ってるな? そうだ。俺達は仲間に、同じ種族に裏切られた」


 殺気だった顔つきになる。全身から怒りの色が見える。

「だからこの日を復讐の日と決めた。この都市が出来上がり、強豪なハンターが集まったうえで、結界都市を壊滅させる。神脈結界を張ったとしても、我らエコーズにはつうじぬということを、奴等に見せつける!」

 声を荒だて主張する。

 手は自然と、握りしめられていた。

「そうすれば、結界の中にいる人達は、脅えて眠れない日々をすごす。リンドブルムと各帝国諸国との平和条約も決裂。うまくいけば、また仲間が集まってくれるかもしれない。大アピールになるね」

 ズバリ、アゲハは影無の本音を言い当てた。

「……ふん。頭は悪くない女だ」

「そりゃど~も。まっ、とにかく」

 剣先を影無にむける。



「ここで私があなたをしとめる。力試しにはちょうどいい」

「やってみろ。お前のような、獣人には殺されはしないがな」



 影無は不適な笑みを浮かべていた。
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