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第三章 階級昇格編
78話『決意/一か八かの大魔術』
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ヴェヘイアの周囲で、黒炎が燃え盛る。
地獄にて、死者の霊魂を焼却する異界の炎。
人にただ恐れられ、信頼関係を築く事ではなく「豊穣による支配」によって信仰を得た魔神モレクの断片。
禍々しい魔力を纏う男は、口角を上げてクロノに語りかける。
「なんだ、知ってるのか。現在でもモレクに関する伝承は多くない筈だが」
「生憎ですが、冥界に纏わる神について大抵把握しています。その業火は冥界の一つたるゲヘナの炎……かつて火の池と呼ばれた地獄のモノですね」
「そこまで看破してるとは天晴れだ。──だが、それを見抜いたところでどうなる? 反撃の糸口でも見つけたつもりか?」
ヴェヘイアはクロノを殺す為、同胞の仇討ちをするために慢心や油断などの一切を排除した。
最高位の魔術師の弟子。司教を単独で討伐する人物に師事していたとなれば、司教代理であれば単騎で討ち取ってみせるだろう。
司教は知る由も無いが、事実、クロノは魔術の秘奥──神の御業を再演する神言魔術を体得している。
だが、彼女には依然として形勢を逆転させる手段はない。
人の世で振るわれる魔神の異能に、如何にして渡り合うのか。
ヴェヘイアの手繰る炎の色が変色したのは、魔神モレクの神性が表出したことの証拠。
今の司教は、人でありながら神の力を振るう存在だ。
人間の魔術師が相対するには、あまりにも相手が悪い。
「マナが枯渇した今、さっきみたいなルーン魔術の乱発はできない。少なくともこの辺り一帯じゃ、マナを用いた魔術自体は使えない。詰んでるんだよ、お前は」
(モレクは豊穣と冥府の神。そして、冥界は大地の産出力の源泉。即ち大地の化身。周囲一帯のマナを含んだ「自然そのもの」は思うが儘ってワケですね……)
魔人が事実を言い連ねるのに対し、クロノは冷静に分析を続ける。
この状況に陥っても尚、彼女はヴェヘイアを出し抜く為の手段を考え続けていた。
理由は単純。心の中にある「悔い」を解消する為だ。
聖都エクレシアでは、クロノはアウラやカレン、使徒たちのように最前線で戦った訳ではなかった。
彼女が戦地に到着したのは、アウラが激戦を終えた後。既にバチカル派の掃討を済ませ、主導していた第一位と、負傷した彼を助けに来た第八位──メラム・ミトレウスが現れた時だった。
仲間が異端派と交戦している中、彼女は負傷した民間人の手当や救助に駆け回っていたのだ。
クロノは己にできることを最大限やっていたとはいえ、身を粉にして戦っていたアウラ達に対して負い目を感じていた。
それ故──、
(──死んでも司教を仕留めないと、合わせる顔がありません……何より私が納得できない)
魔術師の少女は、己の矜持の為に、立ち塞がる司教を退けることを心に誓っていた。
決意を示すように、クロノの表情に恐怖や畏れというものはない。
最高位の魔術師の弟子としてのプライド。
共に戦う仲間たちに報いる為、彼女は青銅のような心を以て、異端の信徒と相まみえる。
「……私、言いましたよね。全霊を以て、貴方の傲慢を打ち砕くと」
「ああ」
「実は、自分で言ったことを曲げるのは嫌いなんです。なので──たとえここで命を散らすことになっても、私は貴方を殺し切ってみせます」
「吠えるじゃないの。そこまで言うんだったら……」
ゆっくりと、手を挙げる。
一呼吸置き、ヴェヘイアは焼却する対象を絞り込んで────、
「やってみろよ、異教の魔術師!」
声を荒げ、第二ランドの口火を切った。
対するクロノは即座に自らの足に「強化」の効能を持つルーン文字を刻み、瞬発力を底上げする。
掌から放たれる爆炎。
火力は先程までの数段上を行き、規模も拡大している。
ヴェヘイアの手繰る異能に、射程距離の上限は殆どない。その気になれば、街一つを丸々飲み込むほどの炎すら顕現してみせるだろう。
人の域を超えた力。
冥界という一つの世界を支配する魔神の領域に、彼女は人の身で追い縋る。
「っ、────!!」
横に飛び退いて初撃を回避し、速度を維持したまま地を蹴る。
マナを禁じられた今、彼女は体内で生成される魔力──オドのみで、バチカル派の魔人と相対する。
より限界が近付くのが早まったということになるのだが、クロノの速度が緩むことはない。
続いて、動きながら指を鳴らし、ヴェヘイアの頭上から無数の氷柱を顕現させる。
だが、所詮は人の域の魔術。
出力そのものでは司教の権能の足元にも及ばず、瞬く間に蒸発していく。
「足掻けるだけ足掻くってワケかい、そういうことなら乗ってやるよ。……ん?」
「別に、負けたなんて一欠片も思っていませんが。こちらのカードが劣悪なのであれば────残された手札で、貴方を出し抜くだけです」
蒸発し霧散した氷柱の中から、幾つかのルーン文字が浮かび上がる。
予め仕込んでいたルーンはヴェヘイアを取り囲むように結界を展開し、抵抗する時間すら与えずに閉じ込めた。
間髪入れず、クロノは結界にルーン文字を刻み込んで、
「ケナズ……!!」
唱え、ヴェヘイアを結界ごと「爆破」する。
二段構えの魔術。異端の司教を出し抜く為には、常に頭を回し続けなければならない。
当然、クロノはこれで仕留められたなどとは微塵も思っていない。
数秒の静寂の後、煙が晴れる。そこに立っていた司教の姿はというと、
「──少し、ヒヤッとしたか」
「……っ!」
平然とした顔で、その場に佇んでいた。
魔術の質が彼の想定よりも高かったのか、それとも油断していたのか。ヴェヘイアの左腕は跡形もなく吹き飛んでおり、地面に赤黒い染みを作り出していた。
片腕を無くしても、余裕を崩さない。
何故なら────、
「だが、ダメージを与えたところで、所詮人の域の魔術ならどうとでもなる」
「再生してる、それもモレクの権能ですね」
「まぁ、そんなところだ。そもそもオレや他の司教殿のような魔人は、いくら傷を負おうが「核」が意地でも身体を再生させる。それに豊穣の神であるモレクの性質が加われば……ほら、この通り」
見る見るうちに、失われた左腕が修復されていく。
骨が作られ、それを覆う筋肉と皮膚が自然と形成され、瞬く間に完治していた。
口角を上げて、ヴェヘイアは元通りになった腕を見せつける。
「……で、自分が不死身の存在だとでも言いたいんですか?」
「あ? 別にそうは言ってねぇだろ。お前には限界があるが、オレにはない。その状態でどう戦うのか気になったもんでな」
「別に、私の考えは変わりませんよ。この世に死なないモノはない。たとえ貴方が限りなくそれに近しいものだとしても、その命に手が届く域にまで引き摺り下ろすだけです」
クロノは敵意を込めて言い放つ。
依然として、彼女の瞳から戦意が失われてはいなかった。たとえ相手が超常の異能を振るったとしても、己の魔術と研鑽を信じていた。
傲慢でも、自信過剰でもない。
ただ、己の持ちうる全てを用いて、眼前の敵を退ける。
彼女の思考、行動はその目的に集約される。
その言葉を聞いた司教は、くくく、と少し笑った後、答える。
「成る程ね。混ざり物風情が、魔神を殺してみせると」
「さっきからなんなんですか? 人のことを混ざり物って。私は純粋な人間ですよ────」
ヴェヘイアはクロノについて、何かを見抜いている様子だった。
しかし、今の彼女にとってはどうでも良い情報だ。仮にクロノという「存在そのもの」に関わるものだとしても、それは誰かから教えられる物ではなく──彼女自身で辿り着かねばならないモノだ。
やや腹立たし気に答えた彼女は、そのまま言葉を紡いでいく。
「英雄でも、人を救う救世主でもない。ずっと誰かの後ろを眺めて来た、ただの魔術師だ……!!」
鎌を一層強く握り締め、ヴェヘイアに告げる。
無辜の人々を護ることを責務と自覚しているカレン。師として己を導いてくれた魔術師ラグナ。そして──代償を顧みずに強大な敵と戦うアウラ。
彼らの背を見るだけではない。
自分もそこに並び立つ為に、クロノ・レザーラは死神の鎌を振るう。
※※※※
ルーン魔術と冥界の業火の応酬。
古城ごと一帯を更地にしかねないスケールにまで、クロノとヴェヘイアの戦いは発展していた。
片方は圧倒的な出力で、もう片方は戦闘の最中の試行錯誤により「拮抗」という結果を叩き出していた。
マナが尽きている状態での、凡そ十数分の戦闘。
クロノを除く第二階級──『天位』の階級の人間であれば、魔力はとうに底を付きているだろう。
彼女自身、これほどの時間渡り合えていることに違和感は感じてはいない。魔力量についても「他の人より多いからだろう」と自分の中で完結させていた。
だが、その仕組みについて、ヴェヘイアは戦いの中で推測を立てていた。
(……成る程、あの鎌が魔力の貯蔵庫としても機能してるワケか。加えて混ざり物といっても、オレと同類ときた。なら、マナを枯らすだけじゃ不十分か────」
低姿勢のまま、ニヤリと口角を上げる。
これだけの規模の戦闘。アウラやカレン、ミズハといった他の面々が気付かない筈がない。
いくら司教と言えど、魔剣使いに偽神、極東の剣神の残滓を宿す者、さらには教会屈指の異端狩りを一度に相手取るとなれば、五体満足でいられる保証はない。
故に、これは両者にとっても時間との戦いだった。
ヴェヘイアは、勢力が終結する前にクロノを仕留め、続けて偽神──インドラの化身であるアウラを殺す。
クロノは、仲間が到着するまでの時間を稼ぎ、可能であれば魔人を討つ。仮に死ぬとしても、ヴェヘイアを負傷させてバトンを渡すのが最低条件だ。
これより先、敗走するのは──先にカードを切り尽くした者だ。
「そろそろ、仕上げと行こうじゃないの。魔術師……!!」
「────ッ!!」
掌を前に出すヴェヘイアと、初撃を回避するべく低姿勢を取るクロノ。
二人の周囲に、青々とした木々はない。隠れる場所も、足場となるものもない。
僅か数手の応酬で勝負は決まる、両者ともに確信していた。
(遠距離からの一発目。魔術で強化した動体視力なら見切れる……!!)
放たれる爆炎に備える。
しかし、
(来ない────?)
コンマ数秒で放たれていた筈の業火が、クロノを襲うことはなかった。
感覚の狂い。ここに来て先に手札を切ったのは、ヴェヘイアの方だった。
「コイツを使うのは久方ぶりだが、冥土の土産に見せてやるよ」
終盤に差し掛かっても、その余裕の表情が崩れることはない。
寧ろ、何処か楽しんでいるようにすら見える面持ちで、文言を紡ぐ。
「オレは何も、ただゲヘナの業火を手繰るだけじゃない。あくまでもこれは副産物。業火があるなら、それに相応しい場所を引っ張り出すことだってできる」
「相応しい場所、っ。まさか、本気ですか────!?」
気付いた時には、既に遅かった。
クロノの鼻腔を、形容し難い異臭がつんざいた。腐敗臭、人の髪が焼ける臭い、あらゆるゴミを煮詰めたような、人の世にあらざるものだった。
そして、今見ている更地の風景に、異なる光景が重なり合う。
一面を染め上げる赤。
燃え盛る炎と、それによって身体を焼かれ続ける人間の姿が、クロノの瞳に移った。
「屍の谷、燃え盛る硫黄の火。此処に在るは生者に非ず、その地は遍く魂を灼き尽くす。汝が喰らうは全地の命、陰府を統括せし豊穣の王よ──」
紡がれる詠唱。
そして、言祝ぐように告げる。
「──『冥神御供・魔王火葬……!』
クロノが幻視したのは、かつて存在した冥界の光景だった。
脳内に流し込まれた単なるイメージではなく、それは現実をも侵食していく。
クロノが感じた異臭こそ、その証拠。
完全なる再現とまではいかないが、ヴェヘイアの権能は神の存在しない地上に、冥界を僅かながら顕現させた。
(……これが、冥界……っ!!??)
周囲を見渡す。
一面に広がる業火は、実際にクロノの身体を焼くものではない。
あくまでも、ヴェヘイアによって再演された冥府──ゲヘナのイメージ。
堕とされた罪人、あるいは魔神モレクに捧げられた生贄の泣き叫ぶ声が、彼女の鼓膜を叩いた。
この世のものとは思えない、文字通りの地獄絵図。
奈落の底タルタロス、原初の冥界クルに並び称された、一切の慈悲なき魂の牢獄。
その断片は、死の世界に足を踏み入れた生者に牙を剥く。
「……っぐ……ッ!!」
幾度かの呼吸。
平静を保とうとしたクロノの眼と口元から、血が伝った。
「食物であれ、空気であれ、死者の国の物を口にすることは「死者の国の一員」になることを意味する。……なんでも、ハデスの妻や、極東の女神に似たような逸話があるらしいな」
勝利を確信したのか、ヴェヘイアは歩きつつ語り掛ける。
一方、クロノは両手両膝を付いて吐血を繰り返す。
永劫の苦痛をもたらす異界。死者のみが存在する世界に、生者が存在する資格はない。──古来より冥府に定められた法則を強制させたのだ。
一時的に再現された冥界がある限り、世界はクロノの身体を絶え間なく蝕み続ける。
外部から与える裂傷ではなく、内側から侵食していき、魂を掠め取る。
「チェックメイト。オレがただ火力で押し切るだけだと最後まで思い込んだのが敗因だ」
「がは……っ!! っあ……!!」
精一杯の抵抗か、クロノはとめどなく血を吐き出しながらも、ヴェヘイアを睨みつける。
異端の司教が彼女の目の前まで迫った辺りで、周囲の光景は既に現実の更地に戻っていた。
魔神の権能を振るうとはいえ、冥界を長時間存在させることは叶わない。あくまで、その一端を顕現させただけだ。
生きたまま冥界に引きずり込まれ、死者の世界の気に触れた。
異界の常識を短時間で叩き込まれた状態で、息をしていること自体が奇跡とも言える。
「満足にオドを操作することすらできないみたいだな。冥界の主の許可なしに生者が踏み込めばどうなるか、よく分かったみたいろ」
勝敗は喫した。
ヴェヘイアが最初からゲヘナの火を使い、牽制としてマナを枯渇させたことすらブラフに過ぎなかった。
主な攻撃手段の火炎。そして、豊穣の神たるモレクの権能の行使。
三つ目の手段がない──クロノにそう刷り込ませたのだ。
「ハデスにエレシュキガル、ヘルにヤマ。どの冥界の主も甘すぎる。冥界下りなんてとんでもない、死の世界にあるのは、絶望と苦痛だけであるべきだ……故に、俺の世界は、一切の命を拒絶する」
ヴェヘイアが語るのは、モレクという神の在り方だった。
異端とされた邪神の冥界は、あらゆる命を否定し、己が糧に変える為の場所。
豊穣という名の対価と引き換えに、生者の命と死者の魂を喰らう神──それが、魔神モレクの本質だ。
鎌を支えに、辛うじて立つクロノ。
己の手で殺すべく、司教は彼女に近付いて、
「じゃあな、魔術師の女」
ヴェヘイアの右腕が、クロノの身体を貫く。
止めの一撃。冥界の気によって死に近付いた身体を、完全に死に至らしめる。
「────っ」
抵抗はない。
一言も発することなく、腕を引き抜かれたクロノの身体は前に倒れ込む。
絶命を確認したのか、ヴェヘイアは踵を返して歩き出した。
「……ちっ。流石に少し強引だったか」
腹立たし気に呟きながら、手の甲で口元から垂れた血を拭い取る。
立て続けに行った魔神モレクの権能行使と、身一つでの冥界の顕現。魔神の力を宿る「魔人」として優れた才覚を持つ彼でさえ、やや無理を押し通す必要があった。
とはいえ、結果で言えば終始圧倒していた。
マナの枯渇に異常な再生力。相性が悪い中で食い下がり、クロノは切り札を使わせた。
その事実が意味するのは、即ち─────、
「……?」
「───っ……告げ……る……っ」
か細くも力強い声が、響く。
声の主は、言うまでもない。
大量の血を流しながらも、鎌の柄を突き立て、片膝を付いた状態で言葉を紡いでいた。
命尽きるまで抗う。
何もせずに死ねるものかと、片手を胸に当てて治療していた。
僅かでも良い。眼前の敵に傷を負わせる為だけに、魔術師は生に縋り付く。
「死に損ないが────っ!!」
すかさずヴェヘイアは手を翳し、生きようと足掻くクロノを焼き尽くそうとするが、
(んな……権能が、振るえない……!?)
驚愕し、僅かに焦りを見せる。
己の意のままに操れた筈の権能が、魂を焼却する業火が放たれる事は無かった。
ヴェヘイア自身が制限をかけている訳でも無し。
即ち、外部からの干渉により、権能の行使そのものに制御をかけられていたのだ。
急な異変に意識を向けた瞬間、クロノは畳み掛けるように詠唱を開始する。
「──汝……境界を統べる者。その御力は三界を制し、月に在りて顕現す。我らを清めし不死の冥神、黄泉路へ至る簒奪者なり……」
紡がれるのは、通常の魔術詠唱ではない。
かつて人々が信仰し、その庇護を求めた「神」へと捧げる詠唱。
大魔術を成立させるため、クロノは更なる聖句を紡いでいく。
「来たれ、霊魂を先導せし死の女神。御身は天にて特権を授かり、大神の威光を代行せん……!」
(神に対する祈祷……コイツ、まだ手札を隠してやがったのか……!!)
詠唱が進むと同時に、ヴェヘイアの左胸辺りからバチバチと黒い雷が散る。
それは連鎖するように、異端の司教の周囲にも広がっていく。
クロノの言葉は力強く、魔術式を成立させていく。
「ヒントをくれたのはそっちです……血と魂は魔力源だって……っ。加えて、冥界の残滓まであれば、材料は十分……っ」
「オレの冥界すら利用するつもりか……!」
「上等です……っ。冥界の神なら、同じ力をぶつければ良いだけのこと……!!」
再び、かつてヴェヘイアが顕現させた冥界が蘇る。
しかし、それはあくまでも空間だけ。クロノによって再演された冥界は、冷たい空気と静寂に満ちていた。
文字通り、命懸けの大魔術。
自分のそのものを魔力のリソースとして、彼女は一か八か、魔術を結実させる。
「その叡智と神威を以て、我が魔術を言祝ぎ給え。……神言魔術、『光葬る』────」
告げる。
夜と魔術を司る冥界の神──ヘカテーの権能を再演する魔術。
かつて、蛇竜ナーガに対して振るったモノとは、もう一段階出力は上。
権能を一時的に封じ込められたヴェヘイアは、異変の根源に辿り着いていた。
(西の冥神……コイツ、ヘカテーの権能を再現しやがった……!!)
己に宿るモレクの核が反応したのか、ヴェヘイアはクロノの魔術の源流を言い当てる。
かつて、西方の冥界はハデス、そしてその妻ペルセポネによって支配されていた。
しかし、彼らに次ぐ地位を誇ったのが、女神ヘカテー。曰く、この女神は狩猟の女神アルテミスであり、同時に月の女神セレネー──そして、時に冥界の女王たるペルセポネの三つの相を持つとされた。
豊穣、魔術、贖罪。
あらゆる点で人と共にあった神の断片が今、孤高の魔神に牙を剥く。
「────『冥府の大獄』────!!』
魔術名の宣言。
結実の証明として、ヴェヘイアの足元に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がった。
先に切り札を切ったのは、異端の司教。
自分が冥界の気を受けても耐えられるか否か。神言魔術が成功する可能性。彼女はその二つの賭けを乗り越え、最後まで取っておいたカードを切った。
己の全てを使って、眼前の魔人を討つ。
形勢を盛り返さんとするクロノは僅かに口角を上げ、小生意気な笑みを浮かべていた。
地獄にて、死者の霊魂を焼却する異界の炎。
人にただ恐れられ、信頼関係を築く事ではなく「豊穣による支配」によって信仰を得た魔神モレクの断片。
禍々しい魔力を纏う男は、口角を上げてクロノに語りかける。
「なんだ、知ってるのか。現在でもモレクに関する伝承は多くない筈だが」
「生憎ですが、冥界に纏わる神について大抵把握しています。その業火は冥界の一つたるゲヘナの炎……かつて火の池と呼ばれた地獄のモノですね」
「そこまで看破してるとは天晴れだ。──だが、それを見抜いたところでどうなる? 反撃の糸口でも見つけたつもりか?」
ヴェヘイアはクロノを殺す為、同胞の仇討ちをするために慢心や油断などの一切を排除した。
最高位の魔術師の弟子。司教を単独で討伐する人物に師事していたとなれば、司教代理であれば単騎で討ち取ってみせるだろう。
司教は知る由も無いが、事実、クロノは魔術の秘奥──神の御業を再演する神言魔術を体得している。
だが、彼女には依然として形勢を逆転させる手段はない。
人の世で振るわれる魔神の異能に、如何にして渡り合うのか。
ヴェヘイアの手繰る炎の色が変色したのは、魔神モレクの神性が表出したことの証拠。
今の司教は、人でありながら神の力を振るう存在だ。
人間の魔術師が相対するには、あまりにも相手が悪い。
「マナが枯渇した今、さっきみたいなルーン魔術の乱発はできない。少なくともこの辺り一帯じゃ、マナを用いた魔術自体は使えない。詰んでるんだよ、お前は」
(モレクは豊穣と冥府の神。そして、冥界は大地の産出力の源泉。即ち大地の化身。周囲一帯のマナを含んだ「自然そのもの」は思うが儘ってワケですね……)
魔人が事実を言い連ねるのに対し、クロノは冷静に分析を続ける。
この状況に陥っても尚、彼女はヴェヘイアを出し抜く為の手段を考え続けていた。
理由は単純。心の中にある「悔い」を解消する為だ。
聖都エクレシアでは、クロノはアウラやカレン、使徒たちのように最前線で戦った訳ではなかった。
彼女が戦地に到着したのは、アウラが激戦を終えた後。既にバチカル派の掃討を済ませ、主導していた第一位と、負傷した彼を助けに来た第八位──メラム・ミトレウスが現れた時だった。
仲間が異端派と交戦している中、彼女は負傷した民間人の手当や救助に駆け回っていたのだ。
クロノは己にできることを最大限やっていたとはいえ、身を粉にして戦っていたアウラ達に対して負い目を感じていた。
それ故──、
(──死んでも司教を仕留めないと、合わせる顔がありません……何より私が納得できない)
魔術師の少女は、己の矜持の為に、立ち塞がる司教を退けることを心に誓っていた。
決意を示すように、クロノの表情に恐怖や畏れというものはない。
最高位の魔術師の弟子としてのプライド。
共に戦う仲間たちに報いる為、彼女は青銅のような心を以て、異端の信徒と相まみえる。
「……私、言いましたよね。全霊を以て、貴方の傲慢を打ち砕くと」
「ああ」
「実は、自分で言ったことを曲げるのは嫌いなんです。なので──たとえここで命を散らすことになっても、私は貴方を殺し切ってみせます」
「吠えるじゃないの。そこまで言うんだったら……」
ゆっくりと、手を挙げる。
一呼吸置き、ヴェヘイアは焼却する対象を絞り込んで────、
「やってみろよ、異教の魔術師!」
声を荒げ、第二ランドの口火を切った。
対するクロノは即座に自らの足に「強化」の効能を持つルーン文字を刻み、瞬発力を底上げする。
掌から放たれる爆炎。
火力は先程までの数段上を行き、規模も拡大している。
ヴェヘイアの手繰る異能に、射程距離の上限は殆どない。その気になれば、街一つを丸々飲み込むほどの炎すら顕現してみせるだろう。
人の域を超えた力。
冥界という一つの世界を支配する魔神の領域に、彼女は人の身で追い縋る。
「っ、────!!」
横に飛び退いて初撃を回避し、速度を維持したまま地を蹴る。
マナを禁じられた今、彼女は体内で生成される魔力──オドのみで、バチカル派の魔人と相対する。
より限界が近付くのが早まったということになるのだが、クロノの速度が緩むことはない。
続いて、動きながら指を鳴らし、ヴェヘイアの頭上から無数の氷柱を顕現させる。
だが、所詮は人の域の魔術。
出力そのものでは司教の権能の足元にも及ばず、瞬く間に蒸発していく。
「足掻けるだけ足掻くってワケかい、そういうことなら乗ってやるよ。……ん?」
「別に、負けたなんて一欠片も思っていませんが。こちらのカードが劣悪なのであれば────残された手札で、貴方を出し抜くだけです」
蒸発し霧散した氷柱の中から、幾つかのルーン文字が浮かび上がる。
予め仕込んでいたルーンはヴェヘイアを取り囲むように結界を展開し、抵抗する時間すら与えずに閉じ込めた。
間髪入れず、クロノは結界にルーン文字を刻み込んで、
「ケナズ……!!」
唱え、ヴェヘイアを結界ごと「爆破」する。
二段構えの魔術。異端の司教を出し抜く為には、常に頭を回し続けなければならない。
当然、クロノはこれで仕留められたなどとは微塵も思っていない。
数秒の静寂の後、煙が晴れる。そこに立っていた司教の姿はというと、
「──少し、ヒヤッとしたか」
「……っ!」
平然とした顔で、その場に佇んでいた。
魔術の質が彼の想定よりも高かったのか、それとも油断していたのか。ヴェヘイアの左腕は跡形もなく吹き飛んでおり、地面に赤黒い染みを作り出していた。
片腕を無くしても、余裕を崩さない。
何故なら────、
「だが、ダメージを与えたところで、所詮人の域の魔術ならどうとでもなる」
「再生してる、それもモレクの権能ですね」
「まぁ、そんなところだ。そもそもオレや他の司教殿のような魔人は、いくら傷を負おうが「核」が意地でも身体を再生させる。それに豊穣の神であるモレクの性質が加われば……ほら、この通り」
見る見るうちに、失われた左腕が修復されていく。
骨が作られ、それを覆う筋肉と皮膚が自然と形成され、瞬く間に完治していた。
口角を上げて、ヴェヘイアは元通りになった腕を見せつける。
「……で、自分が不死身の存在だとでも言いたいんですか?」
「あ? 別にそうは言ってねぇだろ。お前には限界があるが、オレにはない。その状態でどう戦うのか気になったもんでな」
「別に、私の考えは変わりませんよ。この世に死なないモノはない。たとえ貴方が限りなくそれに近しいものだとしても、その命に手が届く域にまで引き摺り下ろすだけです」
クロノは敵意を込めて言い放つ。
依然として、彼女の瞳から戦意が失われてはいなかった。たとえ相手が超常の異能を振るったとしても、己の魔術と研鑽を信じていた。
傲慢でも、自信過剰でもない。
ただ、己の持ちうる全てを用いて、眼前の敵を退ける。
彼女の思考、行動はその目的に集約される。
その言葉を聞いた司教は、くくく、と少し笑った後、答える。
「成る程ね。混ざり物風情が、魔神を殺してみせると」
「さっきからなんなんですか? 人のことを混ざり物って。私は純粋な人間ですよ────」
ヴェヘイアはクロノについて、何かを見抜いている様子だった。
しかし、今の彼女にとってはどうでも良い情報だ。仮にクロノという「存在そのもの」に関わるものだとしても、それは誰かから教えられる物ではなく──彼女自身で辿り着かねばならないモノだ。
やや腹立たし気に答えた彼女は、そのまま言葉を紡いでいく。
「英雄でも、人を救う救世主でもない。ずっと誰かの後ろを眺めて来た、ただの魔術師だ……!!」
鎌を一層強く握り締め、ヴェヘイアに告げる。
無辜の人々を護ることを責務と自覚しているカレン。師として己を導いてくれた魔術師ラグナ。そして──代償を顧みずに強大な敵と戦うアウラ。
彼らの背を見るだけではない。
自分もそこに並び立つ為に、クロノ・レザーラは死神の鎌を振るう。
※※※※
ルーン魔術と冥界の業火の応酬。
古城ごと一帯を更地にしかねないスケールにまで、クロノとヴェヘイアの戦いは発展していた。
片方は圧倒的な出力で、もう片方は戦闘の最中の試行錯誤により「拮抗」という結果を叩き出していた。
マナが尽きている状態での、凡そ十数分の戦闘。
クロノを除く第二階級──『天位』の階級の人間であれば、魔力はとうに底を付きているだろう。
彼女自身、これほどの時間渡り合えていることに違和感は感じてはいない。魔力量についても「他の人より多いからだろう」と自分の中で完結させていた。
だが、その仕組みについて、ヴェヘイアは戦いの中で推測を立てていた。
(……成る程、あの鎌が魔力の貯蔵庫としても機能してるワケか。加えて混ざり物といっても、オレと同類ときた。なら、マナを枯らすだけじゃ不十分か────」
低姿勢のまま、ニヤリと口角を上げる。
これだけの規模の戦闘。アウラやカレン、ミズハといった他の面々が気付かない筈がない。
いくら司教と言えど、魔剣使いに偽神、極東の剣神の残滓を宿す者、さらには教会屈指の異端狩りを一度に相手取るとなれば、五体満足でいられる保証はない。
故に、これは両者にとっても時間との戦いだった。
ヴェヘイアは、勢力が終結する前にクロノを仕留め、続けて偽神──インドラの化身であるアウラを殺す。
クロノは、仲間が到着するまでの時間を稼ぎ、可能であれば魔人を討つ。仮に死ぬとしても、ヴェヘイアを負傷させてバトンを渡すのが最低条件だ。
これより先、敗走するのは──先にカードを切り尽くした者だ。
「そろそろ、仕上げと行こうじゃないの。魔術師……!!」
「────ッ!!」
掌を前に出すヴェヘイアと、初撃を回避するべく低姿勢を取るクロノ。
二人の周囲に、青々とした木々はない。隠れる場所も、足場となるものもない。
僅か数手の応酬で勝負は決まる、両者ともに確信していた。
(遠距離からの一発目。魔術で強化した動体視力なら見切れる……!!)
放たれる爆炎に備える。
しかし、
(来ない────?)
コンマ数秒で放たれていた筈の業火が、クロノを襲うことはなかった。
感覚の狂い。ここに来て先に手札を切ったのは、ヴェヘイアの方だった。
「コイツを使うのは久方ぶりだが、冥土の土産に見せてやるよ」
終盤に差し掛かっても、その余裕の表情が崩れることはない。
寧ろ、何処か楽しんでいるようにすら見える面持ちで、文言を紡ぐ。
「オレは何も、ただゲヘナの業火を手繰るだけじゃない。あくまでもこれは副産物。業火があるなら、それに相応しい場所を引っ張り出すことだってできる」
「相応しい場所、っ。まさか、本気ですか────!?」
気付いた時には、既に遅かった。
クロノの鼻腔を、形容し難い異臭がつんざいた。腐敗臭、人の髪が焼ける臭い、あらゆるゴミを煮詰めたような、人の世にあらざるものだった。
そして、今見ている更地の風景に、異なる光景が重なり合う。
一面を染め上げる赤。
燃え盛る炎と、それによって身体を焼かれ続ける人間の姿が、クロノの瞳に移った。
「屍の谷、燃え盛る硫黄の火。此処に在るは生者に非ず、その地は遍く魂を灼き尽くす。汝が喰らうは全地の命、陰府を統括せし豊穣の王よ──」
紡がれる詠唱。
そして、言祝ぐように告げる。
「──『冥神御供・魔王火葬……!』
クロノが幻視したのは、かつて存在した冥界の光景だった。
脳内に流し込まれた単なるイメージではなく、それは現実をも侵食していく。
クロノが感じた異臭こそ、その証拠。
完全なる再現とまではいかないが、ヴェヘイアの権能は神の存在しない地上に、冥界を僅かながら顕現させた。
(……これが、冥界……っ!!??)
周囲を見渡す。
一面に広がる業火は、実際にクロノの身体を焼くものではない。
あくまでも、ヴェヘイアによって再演された冥府──ゲヘナのイメージ。
堕とされた罪人、あるいは魔神モレクに捧げられた生贄の泣き叫ぶ声が、彼女の鼓膜を叩いた。
この世のものとは思えない、文字通りの地獄絵図。
奈落の底タルタロス、原初の冥界クルに並び称された、一切の慈悲なき魂の牢獄。
その断片は、死の世界に足を踏み入れた生者に牙を剥く。
「……っぐ……ッ!!」
幾度かの呼吸。
平静を保とうとしたクロノの眼と口元から、血が伝った。
「食物であれ、空気であれ、死者の国の物を口にすることは「死者の国の一員」になることを意味する。……なんでも、ハデスの妻や、極東の女神に似たような逸話があるらしいな」
勝利を確信したのか、ヴェヘイアは歩きつつ語り掛ける。
一方、クロノは両手両膝を付いて吐血を繰り返す。
永劫の苦痛をもたらす異界。死者のみが存在する世界に、生者が存在する資格はない。──古来より冥府に定められた法則を強制させたのだ。
一時的に再現された冥界がある限り、世界はクロノの身体を絶え間なく蝕み続ける。
外部から与える裂傷ではなく、内側から侵食していき、魂を掠め取る。
「チェックメイト。オレがただ火力で押し切るだけだと最後まで思い込んだのが敗因だ」
「がは……っ!! っあ……!!」
精一杯の抵抗か、クロノはとめどなく血を吐き出しながらも、ヴェヘイアを睨みつける。
異端の司教が彼女の目の前まで迫った辺りで、周囲の光景は既に現実の更地に戻っていた。
魔神の権能を振るうとはいえ、冥界を長時間存在させることは叶わない。あくまで、その一端を顕現させただけだ。
生きたまま冥界に引きずり込まれ、死者の世界の気に触れた。
異界の常識を短時間で叩き込まれた状態で、息をしていること自体が奇跡とも言える。
「満足にオドを操作することすらできないみたいだな。冥界の主の許可なしに生者が踏み込めばどうなるか、よく分かったみたいろ」
勝敗は喫した。
ヴェヘイアが最初からゲヘナの火を使い、牽制としてマナを枯渇させたことすらブラフに過ぎなかった。
主な攻撃手段の火炎。そして、豊穣の神たるモレクの権能の行使。
三つ目の手段がない──クロノにそう刷り込ませたのだ。
「ハデスにエレシュキガル、ヘルにヤマ。どの冥界の主も甘すぎる。冥界下りなんてとんでもない、死の世界にあるのは、絶望と苦痛だけであるべきだ……故に、俺の世界は、一切の命を拒絶する」
ヴェヘイアが語るのは、モレクという神の在り方だった。
異端とされた邪神の冥界は、あらゆる命を否定し、己が糧に変える為の場所。
豊穣という名の対価と引き換えに、生者の命と死者の魂を喰らう神──それが、魔神モレクの本質だ。
鎌を支えに、辛うじて立つクロノ。
己の手で殺すべく、司教は彼女に近付いて、
「じゃあな、魔術師の女」
ヴェヘイアの右腕が、クロノの身体を貫く。
止めの一撃。冥界の気によって死に近付いた身体を、完全に死に至らしめる。
「────っ」
抵抗はない。
一言も発することなく、腕を引き抜かれたクロノの身体は前に倒れ込む。
絶命を確認したのか、ヴェヘイアは踵を返して歩き出した。
「……ちっ。流石に少し強引だったか」
腹立たし気に呟きながら、手の甲で口元から垂れた血を拭い取る。
立て続けに行った魔神モレクの権能行使と、身一つでの冥界の顕現。魔神の力を宿る「魔人」として優れた才覚を持つ彼でさえ、やや無理を押し通す必要があった。
とはいえ、結果で言えば終始圧倒していた。
マナの枯渇に異常な再生力。相性が悪い中で食い下がり、クロノは切り札を使わせた。
その事実が意味するのは、即ち─────、
「……?」
「───っ……告げ……る……っ」
か細くも力強い声が、響く。
声の主は、言うまでもない。
大量の血を流しながらも、鎌の柄を突き立て、片膝を付いた状態で言葉を紡いでいた。
命尽きるまで抗う。
何もせずに死ねるものかと、片手を胸に当てて治療していた。
僅かでも良い。眼前の敵に傷を負わせる為だけに、魔術師は生に縋り付く。
「死に損ないが────っ!!」
すかさずヴェヘイアは手を翳し、生きようと足掻くクロノを焼き尽くそうとするが、
(んな……権能が、振るえない……!?)
驚愕し、僅かに焦りを見せる。
己の意のままに操れた筈の権能が、魂を焼却する業火が放たれる事は無かった。
ヴェヘイア自身が制限をかけている訳でも無し。
即ち、外部からの干渉により、権能の行使そのものに制御をかけられていたのだ。
急な異変に意識を向けた瞬間、クロノは畳み掛けるように詠唱を開始する。
「──汝……境界を統べる者。その御力は三界を制し、月に在りて顕現す。我らを清めし不死の冥神、黄泉路へ至る簒奪者なり……」
紡がれるのは、通常の魔術詠唱ではない。
かつて人々が信仰し、その庇護を求めた「神」へと捧げる詠唱。
大魔術を成立させるため、クロノは更なる聖句を紡いでいく。
「来たれ、霊魂を先導せし死の女神。御身は天にて特権を授かり、大神の威光を代行せん……!」
(神に対する祈祷……コイツ、まだ手札を隠してやがったのか……!!)
詠唱が進むと同時に、ヴェヘイアの左胸辺りからバチバチと黒い雷が散る。
それは連鎖するように、異端の司教の周囲にも広がっていく。
クロノの言葉は力強く、魔術式を成立させていく。
「ヒントをくれたのはそっちです……血と魂は魔力源だって……っ。加えて、冥界の残滓まであれば、材料は十分……っ」
「オレの冥界すら利用するつもりか……!」
「上等です……っ。冥界の神なら、同じ力をぶつければ良いだけのこと……!!」
再び、かつてヴェヘイアが顕現させた冥界が蘇る。
しかし、それはあくまでも空間だけ。クロノによって再演された冥界は、冷たい空気と静寂に満ちていた。
文字通り、命懸けの大魔術。
自分のそのものを魔力のリソースとして、彼女は一か八か、魔術を結実させる。
「その叡智と神威を以て、我が魔術を言祝ぎ給え。……神言魔術、『光葬る』────」
告げる。
夜と魔術を司る冥界の神──ヘカテーの権能を再演する魔術。
かつて、蛇竜ナーガに対して振るったモノとは、もう一段階出力は上。
権能を一時的に封じ込められたヴェヘイアは、異変の根源に辿り着いていた。
(西の冥神……コイツ、ヘカテーの権能を再現しやがった……!!)
己に宿るモレクの核が反応したのか、ヴェヘイアはクロノの魔術の源流を言い当てる。
かつて、西方の冥界はハデス、そしてその妻ペルセポネによって支配されていた。
しかし、彼らに次ぐ地位を誇ったのが、女神ヘカテー。曰く、この女神は狩猟の女神アルテミスであり、同時に月の女神セレネー──そして、時に冥界の女王たるペルセポネの三つの相を持つとされた。
豊穣、魔術、贖罪。
あらゆる点で人と共にあった神の断片が今、孤高の魔神に牙を剥く。
「────『冥府の大獄』────!!』
魔術名の宣言。
結実の証明として、ヴェヘイアの足元に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がった。
先に切り札を切ったのは、異端の司教。
自分が冥界の気を受けても耐えられるか否か。神言魔術が成功する可能性。彼女はその二つの賭けを乗り越え、最後まで取っておいたカードを切った。
己の全てを使って、眼前の魔人を討つ。
形勢を盛り返さんとするクロノは僅かに口角を上げ、小生意気な笑みを浮かべていた。
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