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第三章 階級昇格編

77話『神の断片を振るうモノと、魔神の力を手繰るモノ』

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 冥府の大火が、緑に満ちた自然を蹂躙していく。
 外付けの魔力器官である魔神の「核」は、適応した人間の基礎的な身体能力、そして権能の出力を底上げする。──即ち、バチカル派の司教に名を連ねる者は、適応者の中でも特に優れた才覚の持ち主である。

 加えて、クロノが交戦しているヴェヘイアは先代の司教を倒して「成り代わった司教」。
 故に、序列の数字はアテにはならない。
 本人が最低位として他の司教を崇敬しているだけで、実力自体は上位の司教と遜色ない域に至っているのだから。

「くっ、────!」

 迫り来る爆炎を、魔力を纏わせた大鎌で斬り払う。
 戦闘開始から数分が経過し、現状では司教を打倒する為の手段、情報を探っている状態だ。
 ルーン魔術の効力は十分だが、それ以上にヴェヘイアの権能の出力が勝っている。

(相手の権能がシンプルなのが厄介ですね……純粋な破壊に特化してるから、突破口になりうる「穴」が無い)

 表情にこそ出していないが、クロノはその部分に苦悩していた。
 異能に何らかの仕組みがあるのなら、弱点を見出して状況を好転させることはできる。しかし、ヴェヘイアの手繰る権能は単純な高火力だ。

 ルーン魔術によって相殺こそできるが、凌駕する事はない。
 仮に真っ向から打ち破る手段があるとすれば、ただ一つ。

(私の神言魔術なら、あるいは────)

 クロノが体得している魔術の中でも最高難易度の魔術。
 詠唱に神への祈禱を含ませ、想起する神の権能の一端を振るう大魔術である。

 ヴェヘイアが魔神の権能を人の身で振るう存在であるのなら、クロノは神の断片を振るう者。
 無論、捨て身の行使になるが──ヴェヘイアの権能を凌駕できるとすれば、それしかない。

 覚悟を決めるクロノに対し、ヴェヘイアは余裕の表情を浮かべている。

「なるほど、外から取り入れたマナを片っ端から魔力に変換してるワケか。体内のオドも同時に消費しながらとは、よくやるよ」

 灰と化していく木々の間をゆっくりと歩きながら、異端の司教は語る。
 数分の攻防の中で、彼女が高度な魔術を行使している理屈を見抜いていた。
 多くの魔術師は体外からマナを取り込み、自らの魔力に変換する。取り込めるマナの量には個人差があり、アウラのようにそもそも孔が閉じている例外も少なくない。 

 マナの吸収を意識的に行うか、無意識下で行うか。
 魔術師としての力量を判断する目安でもあるその作業をクロノは無意識化で行い、即座に魔力に変換し続けていた。

「普通の魔術師が神の時代のルーンを扱っている時点でも不思議だが……何者なんだよ、女。その感じじゃ、オレみたいな魔人を相手にするのも初めてじゃないだろ」

「いえ、司教は初めてですよ。司教代理であれば、半年以上前に何度か相手取った程度です。ただ、師匠が最高位の魔術師で、多少スパルタだっただけですので」

「最高位の魔術師、だと?」

 平静を保ったままクロノが答えると、ヴェヘイアはやや苛立ったように片眉を上げた。
 そして全てを察したのか、先程までの口調の軽さはどこへやら。
 明確に敵意を込めた声色で、

「……あぁ、そうか。お前、この間十二位殿を殺したヤツの弟子なのか。──こんなところで同胞の仇討ちが出来るなんて、今日は運が良い」

 異端の司教でも、殺された同胞を想う感情は持ち合わせていた。
 これまでの飄々とした雰囲気とは一変、明確にクロノを敵だと認識した。

「宿した悪魔の核に自我を飲み込まれながらも、ヴァレンタイン殿は最後まで教団の理想のために命を捧げた御仁だ」

 同胞にして、心より敬愛する上位の司教の死を嘆く。
 司教序列十二位──ルーファウス・ヴァレンタイン。人間としての心を自身が宿した悪魔に喰われ、半ば暴走状態で殺戮を繰り返していた災害の化身。
 たったの一夜で千人弱を鏖殺し、小国を滅亡に追い込んだほどの怪物。

 幾つもの都市を地獄に変えた魔人は、クロノの師である魔術師によって討ち取られた。
 序列自体は下から数えた方が早いとはいえ、異端派を率いる司教の一人。及ぼす被害は尋常ではない。

 魔術とは異なる神秘。
 悪魔や魔神の定義──かつて、神話に「そうあれ」と語られたカタチを、神無き時代であろうと強引に、かつ限りなく原型に近い状態で顕現させる。
 神よりバトンを渡された人の時代に落ちた、世界を侵食する「影」。
 それが、悪魔や魔神の力を宿す魔人だった。

「その損失をお前一人の命で取り返せるとは思っちゃいないが、仲間への見せしめ程度にはなるだろう。──気が変わった。手加減抜きで、本気で殺してやるよ」

(来る!)

 ヴェヘイアの纏う魔力の変化を感じ取る。
 周囲のマナが、男に向かって一斉に集束していく感覚。
 大地そのものが魔人に味方しているという訳ではない。クロノの目には寧ろ、ヴェヘイアが地の底から魔力を吸い上げているように見えていた。

 傲慢にも、母なる大地を支配下に置いているかのように。
 自分こそが全地の王だと豪語するが如く、残った周囲の木々を急速に枯らしながら魔力を充填していく。
 続けて、ヴェヘイアは両手を広げて空を仰ぎ、口にする。

「──其は一切を焼却せし冥府の主。否定されし豊穣、排斥された禁忌なり。遍く魂は汝の糧、遍く肉は汝が供物……血と叫喚に塗れた祭壇に座し、人の世に地獄を築き上げよ」

 己を魔人たらしめる、呪われた文言を。

(詠唱……!)

 詠唱開始と同じタイミングで、クロノも魔力を練り上げる。
 言い終えられれば、さらに状況は不利になる。
 周囲のマナを搔き集めて変換し、今一度ルーン魔術を行使しようとするが────、

(マナが、枯渇してる……!?)

 異変を感じ取り、目を剥く。
 周囲に存在していた筈のマナはヴェヘイアに取り込まれただけでなく、丸ごと消失していた。
 クロノの武器であった継戦能力を、完全に封殺する異能。体外からの魔力の補充方法を断たれた彼女は、残された自前の魔力でのみ戦わなければならない。

「災禍の具現、殺戮の邪神。人の歴史から葬られた大神の威容を、此処に示せ」

 ヴェヘイアのうちに宿る魔神の残滓が、人界を侵食する。
 神と人に仇なすモノ。世界を維持する神々の権能と対を為す、秩序を掻き乱す魔神の力が蘇る。

(不味い、詠唱が終わる────!)

 吹き荒れる強風に吹き飛ばされぬよう、クロノはその場で踏ん張り続ける。
 司教の詠唱に呼応するように、風が吹き荒れ、草木は次々と枯れていく。
 魔術による詠唱の妨害は失敗。それに気付いたヴェヘイアは口角を上げながら、最後の一言を紡ぎ出した。

「──ゴエーティア・ゲヘナメレフ……!!」

 言い終える。
 魔神の権能が、完全に表出する。

 詠唱が意味するのは、地獄ゲヘナの王。 
 太古の時代、西方のハデスやヘカテーよりも畏れられ──東の大陸においては、原初の冥府を統べた女神に比肩する力を持つとされた、死と冥府と豊穣の神。

 ヴェヘイアの詠唱は即ち、己に宿す権能の由来を示す。
 テウルギアが神の力を顕現させる聖句なら、ゴエーティアは対となる呪句。

 その答えを、クロノは詠唱の中から導き出していた。

「ゲヘナの王……生贄を喰らい続けた冥界の魔神、モレクですか……!!」

 司教に宿る神の名を、看破する。
 神でありながら、その祭儀故に恐れられ、ソテル教ですらその信仰を軽蔑した魔神モレク──それが、ヴェヘイア・べーリットが手繰る異能の根源であった。
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