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第三章 階級昇格編

76話『業火を断つは冥府の刃』

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 何の前触れもなく開幕した、魔術師クロノとバチカル派司教の戦い。
 魔神の権能と相対するのは、人の時代ではない、神の時代に遡る原始のルーン魔術。
 北方の大神オーディンが編み出したルーン魔術を源流とする、文字そのものによって自然の暴威を引き起こす神秘。
 クロノが師──最高位の魔術師ラグナ・ヴォーダインより授かったモノだ。

「────未完成な紛い物の癖して、中々やるじゃないか! ただの女魔術師と侮っていたが、少しは楽しめそうだな」

 追尾するように地面から突き出る氷柱を後退しつつ躱しながら、ヴェヘイアは語ってみせる。
 戦闘開始から既に数分が経過しているが、互いに力を推し量っている状態だ。
 魔人が手繰るのは、灼熱の業火。
 冥界で燃え盛る炎にも等しいソレは、串刺しにせんと迫り来る氷柱を一瞬にして蒸発させる。

「はぁっ、────ッ!!」

 立ち上る蒸気が視界を僅かに悪くした刹那、クロノが死角から大鎌を振りかぶる。
 強化の魔術と原始のルーン魔術の併用。
 並の魔術師では十分と保たずに魔力切れを引き起こす程の所業だが、彼女は元より体内の魔力量が多い体質。加えて大気中のマナを己の魔力に変換し続けているのだ。
 即ち、変換に限界が来ない限り、継戦能力にも十分に優れている。

 標的の首を刈り取らんと振るわれる大鎌。
 木々が生い茂る中、獲物を狙うその姿は森に住まう鬼神か、それとも冥府より出でし死神か。

「目くらましか……感覚が微妙にズレたところを速度で攻め立てて仕留める。悪くない発想だが────」

 瞬間、ヴェヘイアの左の掌が赤熱する。
 視線を向けることなく、気配だけでクロノの位置を把握して迎撃に移った。

「────少し、殺意を見せすぎだな」

 それまでの軽い口調に、僅かに冷酷さが加わる。
 全力で振り下ろされる大鎌を、魔人は腕で容易に受け止めてみせる。
 いくら力を込めても、刃は通らない。寧ろ、その一瞬の隙を突いて回し蹴りをクロノの脇腹に叩き込んだ。

「うぐっ、……!!」

 鈍痛が身体を駆け抜けた直後、クロノの身体が木々を薙ぎ倒しながら吹き飛ばされる。
 魔術で身体能力を強化していても、彼女にダメージを与えるには十分。

 すかさず、ヴェヘイアは掌をクロノのいる方向へと翳し

「神核、励起──」

 口元に笑みを浮かべると、掌で生み出された炎が集束していく。
 炉心に火が付けられたかのように、異端の司教の纏う魔力が膨れ上がる。
 彼に宿る魔神の残滓──核から、神と人を否定する権能が引き摺りだされた。

「──ゲヘナの大火」  

 小さな球体のサイズにまで収縮した直後、爆炎が螺旋を描きながら打ち放たれた。
 大地を抉り、木々を悉く灰にしていく業火が、人間一人を仕留めるためだけに振るわれる。
 堕ちた魂を一片も残さずに焼却する、正真正銘の冥府の炎。

「……っ!!」

 大鎌の柄を地面に突き立てて体勢を立て直し、そのまま横に飛んで追い打ちをやり過ごす。 
 一度深呼吸して、今一度討つべき標的を見据えた。

(やっぱり魔人……出力が並の魔術師とは桁違い)

 モロに食らえば、まず死は免れない。
 触れる物全てを灰燼に帰すほどの業火を、異端の司教は何の負担も無く操っているのだ。
 一撃一撃が致命傷。
 出力であれば、彼女が手繰る原始のルーン魔術に比肩し、凌駕しているだろう。

「……魔神の権能なら、納得せざるを得ませんか」

「同じ神の時代の遺物でも、同じ規格で見られるのは困るなぁ。ルーンはあくまでもオーディンが編み出した魔術に過ぎないんだ、正真正銘の権能と渡り合えるなんて冗談でも笑えない」

 肩を竦ませるヴェヘイア。
 魔術師と魔人。
 二者の間には、扱う異能の性能差が広がっている。
 エクレシアでの戦いにおいてアウラが戦った第一位には劣るも、十分に規格外である。
 並の信徒であれば、クロノの反撃の時点で勝負はついていた。

 人ならざる異常識を相手取る。
 それが一体どういうことか、彼女はヒシヒシと体感していた。

 眼前の男は、これまで刃を交えた魔獣、魔術師とは格が違う。
 全霊を賭して臨まねば、その命に指をかけることは叶わない。

「じっくり相手してやっても良いが、生憎オレは忙しくてね。とっとと件の偽神を殺して、近くの街一つ壊滅させるぐらいはしないと他の司教達にどやされる」

「あなた達のような人にも、仲間意識はあるんですね。少し意外です」

「オレたち司教の序列は絶対だ。末席であるオレは、誰よりも教団の思想の実現の為に動かなきゃならないからな。それが、先代を殺して成り代わったオレの役目だと自負している」

「思想の実現……悪魔や魔神の復活が、まだ本当にできると思っているんですか?」

 警戒心を強めたまま、クロノは問う。

「この世界には既に、神や魔神が存在できるほど強固な土台はありません。大気中のマナの濃度だって神期に比べれば相当に劣化しています。たとえ今の世界で顕現できても、長くは存在していられない筈です!」

 クロノの言う通り、今の世界には「神」が存在できる土壌はない。
 神々が地上を去り、天上世界へと至って以降、神々の存在を維持していたマナの質は徐々に低下していった。そして──ソテル教が生まれて人間の時代が確立されてから、神は「神話上の存在」へとなり果てたのだ。
 精霊や妖精ならまだしも、絶対者たる神は実体を持つことができない。
 故に、神々は自らの権能と神性を人間に託して「偽神ぎしん」とする、あるいは聖遺物に己の残滓を付加させることで限定的に干渉しているのだ。

「確かに、お前の言う通りだ。……だが、それを可能にする術があるとしたら、どうする?」

「は……?」

「教えてやるよ。オレたちが人間を殺す理由はただ一つ──人間の血と魂が、最良の供物になるからだ」

 ヴェヘイアは両手を広げ、劇の役者のような身振りで語り出す。
 神を否定し、悪魔や魔神を奉じるバチカル派。その殺戮の要因を。

「血と、霊魂……?」

「あぁ。血液は生命の象徴であり、死後、霊魂は純粋なエネルギー……プネウマに回帰する。かつて悪魔や魔神が生贄を求めていたのは、当時を生きた人間のプネウマを取り込むことで力を維持するためだ。加えて、悪魔の断片……これだけ言えば、後は分かるだろう」

「……大量の人間のプネウマを薪として断片に注ぎ込み、存在できるレベルの強度を維持した悪魔を復元するということですか」

 司教の言葉から、凡その内容を推測する。
 バチカル派の人間は、人々を「供儀」として殺害している。
 信仰する悪魔や魔神の復活の為に、天に召されるべき人々の魂を利用せんとしている。その事実に、クロノは底知れぬ苛立ちを噛み締めていた。

「神は人を救わない。いくら祈りを捧げようが、絶望に満ちた運命を変えてくれるワケじゃない。……そんな空虚な存在に、一体何の価値がある? そんな連中よりも、対価を払えば契約を守り続ける悪魔や魔神の方が「神」と呼ぶに相応しいだろうに」

「……っ」

 無意識に、鎌の柄を握る力は強くなる。
 人の死を弄ぶ異端の教徒は、何があっても許してはならない。
 クロノという個人の意識のさらに深いところ──本能とも言える部分で、目の前の男に対する嫌悪感を抱いていた。
 ヴェヘイアは言葉を続ける。

「地上を放棄した神なんぞを信仰する愚者共は、せいぜいオレたちの理想の踏み台になる程度の価値しかないだろ。寧ろ、悪魔たちの下に遍く人間が平等な世界……これだけ幸福な世界の糧になれるんだ。感謝されて然るべきだとオレは思うね」

「……人の命を嘲笑うのも大概にして下さい。独善を人に強要し、あまつさえその魂を使い潰すなんて、冒涜以外の何物でもありません」

「冒涜ねぇ、中々言うじゃないか。オレの前でそれが何を意味するのか、分かってるのか?」

「愚問です。たとえどれほど強大な魔人でも、幾千幾万の命を奪った司教でも、関係ありません。貴方が、殺戮を是とするのなら────」

 冷酷に。死刑宣告をするように。
 湧き上がる敵意に任せて魔力を練り上げ、遍く命を刈り取る大鎌を構える。
 全てをかなぐり捨ててでも、眼前に立つ魔人の息の根を止める。
 クロノは一呼吸のうちに覚悟を決めて、

「────全霊を以て、その傲慢を打ち砕きます」

 刃を突きつけて、言い放つ。
 確定事項。
 死力を尽くし、相対する司教を屠ることを宣言した。
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