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第三章 階級昇格編

74話『決着/鬼神の顛末』

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 場所は変わり、古城。
 二階の広間はガルマによって崩落し、玄関前のスペースに戦いの場を移していた。

 閃光のように縦横無尽に駆け巡るアウラと、鬼神──メーガナーダの力を以て彼を叩き潰そうとするガルマ。
 二人による激しい戦いにこの場を保たせる為、カレンは床に掌を当て、魔力を流して建物の強度を底上げしている。

「アイツ、いくらなんでも遠慮なさ過ぎるわよ……!」

 カレンは愚痴を吐きつつ、絶えず魔力を流していく。
 あくまで断片的な行使とはいえ、神々の王とまで謳われた雷神の権能に耐えうる強度を城に付与しているのだ。
 例えるなら、落ちてくる巨岩を板一枚で支えているようなもの。
 衝撃が城全体に伝わる旅に、剥がれ落ちそうになる魔力を更に上書きしていく。

 少しでも魔力の供給を止めれば、すぐに城は崩壊する。
 裏を返せば、アウラは彼女の限界が来るまでにガルマを仕留めなければならない。

 しかし────、

(……でも、その心配はいらなそうね)

 彼女は、心中でそう零す。
 眼前で人ならざる力が鬩ぎ合うのを平然と見つめる彼女に、すぐ近くにいた一人の盗賊がおそるおそる声を掛ける。
 幸い、広間が崩落して一階に落ちた者の中に死者はおらず、アウラとガルマの戦いに巻き込まれぬように壁際に逃げていたのだ。

「……なぁ、アイツ何者なんだ? ガルマ相手に圧倒するなんて、どう考えても普通じゃないぞ」

「普通じゃないのは確かよ。その質問に答えるなら、そうね……」

 魔力の操作に意識を向けつつ、数秒考える。
 答えを思いついた彼女は一呼吸置いて口を開き、

「────私が信頼してる仲間で、弟子。アイツを語るのは、それで十分ね」

 アウラの戦う様を見ながら、答えたのだった。 



 ※※※※



(クソ、なんでだ。……なんでコイツを捉えられねぇ……!!」

 赤褐色の身体に秘められた膂力を余すことなく振るうガルマ。
 一撃は巨人が振り下ろす拳に等しく、床に幾つものクレーターを作り出していた。
 神の力の断片を手繰る者と、魔神をその身に宿す者。

 互いに似て非なる存在であるが──その力の差は歴然だった。

 何度ガルマが魔神メーガナーダの持つ「不可視の権能」を用いてアウラの死角に回り込んだとしても、彼は全ていなしていく。そしてヴァジュラによる斬撃や、雷霆を纏った掌打でカウンターを叩き込んでいく。
 対格差の不利をものともせず、壁や空間、あらゆる物をガルマを屠るための道具として利用する。

「────言ったろ。格が違うって」

「黙りやがれ……っ!!」

 背後で冷静に告げるアウラに、ガルマが振り向きざまに拳を振り下ろす。
 彼を捉えるには十分な速度だったが、それよりも早くアウラの掌底が魔人の鳩尾に打ち込まれた。

「ぐっ……!」

「いくら瞬間移動できても、純粋な速度なら俺が上だ……ッ!!」

 衝撃と共にその身体は僅かに宙に浮き、無防備になった彼の横腹に間髪入れず蹴りを放つ。
 強化の魔術に加え、純粋にアウラの技量も向上している。

 ガルマが本能のままに剛力を振るう鬼神ならば、アウラは相手の命を掠め取る為に戦う武神。
 事実インドラという神は、あらゆる障害を退ける軍神、そして「戦士の理想像」として崇められたのだから。
 蹴り飛ばされたガルマはそのまま壁に衝突し、間髪入れずにアウラはその距離を数歩で詰める。

 右腕にバチバチと雷を迸らせながら、刈り取るべき命を見据えていた。

(コイツ、だ。俺の首を取ることだけに全ての意識を向けてやがる……!)

 刹那、ガルマは心の中でそう吐露した。
 その眼を見るのは、二度目。かつてアウラの前でカレンを侮辱した際に向けられたものと同じ、一切の殺意を隠すことのない視線だ。

 人の道を外れ、鬼神に成り下がった自分を殺すことに一切の躊躇がない。
 アウラは既にガルマのことを同じ人間ではなく、この場で殲滅すべき「魔」であると認識しているのだ。

「……クソっ!!!!」

「────!!」

 雷霆を纏う掌底がその顔面に放たれる寸前、ガルマは転びながら離脱して躱した。
 続けて権能を行使し、姿を空間そのものと同化させる。
 数秒の静寂。
 アウラの方もすぐさま振り返り、ガルマを迎撃する準備を整える。

(姿を現す瞬間を見逃すな。見えた瞬間を狩れ……!)

 身構えて、再び紫電を纏う。
 いつ攻撃が来ても良いように神経を限界まで研ぎ澄ませるが────、

(来ない……?)

 アウラは、身を低くしたまま違和感を覚えていた。
 これまで畳み掛けるかのようだった攻撃が、ピタリと止んだのだ。

 何故だ、と思考を巡らせるが、その答えは至極単純。

(違う、時間稼ぎじゃない────!!)

 理解したアウラは、飛び出すように地を蹴った。
 ガルマが身を潜めていたのは、アウラを襲撃する機を伺っているからではない。
 彼を牽制する為────魔術を行使しているカレンの方へと向かっていたのだ。

(……そうだ。最初からこうすりゃ良かったんだ)

 不敵な笑みを浮かべ、姿を同化させたままカレンに近付く。
 意識を城の強度の底上げに向けており、ガルマが自分に近付いていることなど知る由もない。

「攻撃が、止んだ……?」

 そして、攻撃が収まった違和感をカレンも感じ取る。
 次の瞬間、彼女の背後に、赤褐色の体躯が現れた。

「バカ正直にアイツとやり合う必要はねぇ。テメェを人質にすれば済む話だ」

「は────」

 下卑た笑みを浮かべながら、その腕を彼女の首に伸ばしていた。
 対するカレンは瞬時に掌を床から外し、右手に魔剣を顕現させながら飛び退こうとするが、それは叶わない。
 ガルマの血管の浮き出た赤黒い手が、彼女の首を再度捉えていた。

「がっ……!!」

「それ以上近付けばこの女を殺す。分かったら大人しく俺に殺され……」

 そう言って見せる表情には、僅かに余裕が戻っていた。
 仲間の命を握っていれば、相手も不用意に動くことはできない。一時であれ、優位に立っている。
 カレンは歯を食いしばり、己の首を持ち上げる手を解かんと掴んでいた。

 命を握っている、その優越感は確かにあった。

「……なんだ、アイツ……」

 その場で止まるかと思いきや、アウラは何かを投擲するかのように右腕を引き絞っていた。
 ガルマが訝し気に呟いた直後。

「これ以上近付かなければ良いんだろ? だったら乗ってやるよ……!」

 打ち放たれたのは、雷を纏わせたヴァジュラ。
 切っ先は確かにガルマの方へと向けられ、一直線に投擲された。────しかし、その刃はガルマの頬を僅かに掠めただけ。
 壁に突き刺さったのを確認すると、ガルマはニヤりと口角を上げて、

「ククク……っはははははは!! 残念だったなアウラ!! これでもうお前は近付けな────」

 勝利を確信したように叫ぶガルマ。
 だが、その言葉を言い切るよりも前に、何かがガルマの左胸を貫いた。

 目を落とすと、そこにあったのは青い火花を散らす雷。
 さながら、背後から突き立てられたかのようだった。
 一瞬、ガルマは理解が遅れる。

「……な……っ」

 傷口から、血が漏れ出る。
 意識が逸れ、無意識に腕の力を緩めたのか、解放されたカレンは前のめりに片膝をつく。そのまま残る力を振り絞って地を蹴り、半ば転がる形でガルマから距離を取った。

 ガルマが視線を戻すと、投擲したヴァジュラに向けて手を翳すアウラの姿が。

「俺が雷撃を飛び道具としてしか使えないと思ってるなら、大間違いだぞ」

 彼の指先でも、バチバチと青い火花が迸っている。
 カレンを人質にするというガルマの選択は、率直に言えば「失敗」であった。
 その選択は、アウラの殺意をより膨張させたに過ぎなかった。

 己が友にして恩人である彼女に害を為すのであれば──彼は相手が誰であろうと、神の権能を使ってでも捩じ伏せる。

「テメェ……っ……わざと外したのか……!!」

「真正面から狙えば、カレンに当たる可能性もあるからな。それだったら、後ろから狙えば良い話だ……ッ!!」

 ガルマを貫いた雷の出処は、後方に突き刺さった両刃の剣──ヴァジュラの切っ先だった。
 アウラはあえてヴァジュラを外し、手元に引き寄せるように、神器に宿る雷霆を操作した。

 対角線上にいるガルマの左胸、心臓があるであろう位置を正確に狙い、背後から雷撃を炸裂させたのだ。

「前と同じ。この後に及んで他人の命を利用しようとしたお前の負けだ、ガルマ」

「黙れ……黙れ黙れ黙れ!! 俺を見下すんじゃねぇ!! テメェみてぇなガキに、俺が──この俺様が負けるワケねぇだろうがァッ!!」

 出血は止まらない。
 ガルマを貫いた雷霆は心臓のみならず、それと同化していた「核」を貫いていた。
 魔人が魔人たる所以。権能の出処とも言える鬼神メーガナーダの断片は、時代を超え、かつて打ち負かした神の力によって撃ち抜かれた。

 それでも尚、男は牙を剥く。
 最後に残ったのは、ちっぽけなプライドだけ。
 縋るように、ここで負ければ何も残らないことを恐れるように、心臓を貫かれながらもアウラの下へと一歩を踏み出す。

 対するアウラは、壁に刺さったヴァジュラを霊体化。
 手元で再び具現化させ、止めを指すべく地を蹴った。
 既に死に体のガルマの息の根を止めるのは、あと一撃叩き込めば十分。そう直観していたアウラだったが、

「アウラ、止まって!!」

「え────?」

 制止する声に突如として足を止め、眼前で起きた異常に目を見張った。
 それはカレンも同じ。

「……っ!! ぐっ、あぁ────!!」

 飛び出した筈のガルマは、突如として苦しみ悶え出す。
 広い背中を丸め、全身を駆け巡る激痛に身体を搔きむしる。
 赤褐色の体躯は震え、見っともなく涎を垂らしながら、己の身に降りかかる苦痛を凌ごうとする。

 だが、それは許されない。
 神と人に仇なす魔神の核。それを、只人に過ぎないガルマが振るったツケが回ってきただけだ。

「っ────、痛ぇ……痛ぇ……っ!!」

 荒い呼吸。
 瀕死の身体は、限界を超えた力に耐え切れずに崩壊を始めていた。
 足から腿、上半身にかけての筋肉は不規則に膨張と収縮を繰り返し、ガルマの口から漏れる声は悲痛なものに変わっていく。

 身体の内側を何かが這い回っているかのような不快感。
 筋肉が切れ、骨から剥離し、内臓を含めた体内が滅茶苦茶に掻き混ぜられる。
 せめて頭部だけに異常が起きていないのが、その苦しみを倍増させる。

「何が起きてるんだ……?」

「……凡そ、エクレシアでのアウラと似たようなものかもね」

「つまり、人ならざる力の行使に、身体が耐え切れてないってことか……」

 困惑するアウラの傍らで、推測を口にするカレン。
 インドラの権能を行使し、彼は数日の間昏睡状態に陥った。それと同じことが、ガルマの身にも起こっている。

(でも、ここまで苦痛を伴うものなのか……?)

 のたうち回るガルマを見て、違和感を覚える。
 確かに全力で権能を解放すれば、かなりの反動はある。しかし、骨の髄に至るまでに激痛が走り、言葉に言い表せないほどの苦痛が来るほどではない。

 ガルマが感じる苦痛は加速度的に増幅していく。

「っ、────おい、助けろ……っ────!! ぐっあああああああああ!!」

 この期に及んでも、傲慢な姿勢を崩すことはない。
 しかし当然、眼前にいるアウラとカレンの二人が彼を助けようとはしない。
 つい数分前まで殺し合い、あまつさえ勝つ為に他人の命を利用しようとしたような人間に、一体誰が手を差し伸べようか。

「聞いてんのか……っ! 誰か助けろ……────っ!!!!」

 彼の叫びは、玄関中に木霊する。
 本能的に死を直観したのか、声は一層必死なものに変わっていく。
 戦いに巻き込まれぬように壁際に避難していた盗賊の中にも、ガルマを助けるような者は一人としていなかった。

 居合わせた誰しもが「もう助からない」と悟っていたのだ。

 見る見るうちに、ガルマの身体が内側から盛り上がっていく。
 赤黒い肉塊へと変貌していく様を見て、壁に凭れ掛かっていた盗賊の一人が口を開く。

「おい、どうすんだよお前ら……」

「どうするって、私達には何もできない。……そもそも、アイツを討ち取るのが目的だったし」

「……残酷だけど、この結末はアイツが招いたものだよ」

 冷静なカレンに続き、アウラも何処か苦虫を噛み潰したように告げる。
 復讐の為に悪魔に魂を売り、最期はその力に溺れる。
 自業自得、因果応報という言葉が相応しい。

「── ── ── ──!」

 最早、肉塊から発せられる言葉は声としての形をなしていない。
 無尽蔵に襲い来る苦痛から逃れる術はなく、助ける手段も、救いの手を伸ばそうとする者もいない。

 万に一つ助かったとしても、風船のように膨張し、内部を破壊し尽くされた身体で生きていける筈もないのだ。

 人の身には到底収まらない熱量は、外へ外へと向かっていく。
 地獄から聞こえるかのような叫び声が、ふと止まる。

「死に─────」

 必死に喉を動かし、何か言いかけた瞬間────男の身体は、弾けた。
 断末魔すら、許されなかった。

 ビシャリと、そこに人だったモノの肉片が四散する。
 異臭を撒き散らし、玄関付近に静寂が訪れる。

 我欲の為に行き続けた男の最期は、かくも憐れなものだった。
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