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第二章 エクレシア動乱篇

50話『対談』

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「確か、シェムからの手紙を預かっているんだってね」

 エノスは反対側のソファーに腰掛けながら、話を始めた。
 単刀直入な質問に対し、アウラは懐から手紙を取り出してテーブルの上に置く。

「こちらになります、教皇猊下」
 
 差し出された、白い封筒。
 その内容に関しては、アウラ達は何も知らされていない。
 何とか落ち着いた様に振舞ってこそいるが、彼の心臓の鼓動は著しく加速している。
教皇はその手紙を懐に仕舞い込むと、

「うん……確かに受け取ったよ、遠路はるばるご苦労だった。使徒の二人も、シオンでは大変だったようだね」

「いえ、私達はただ、使徒としての責務を果たしただけに過ぎませんので」

「被害に関しても、ゼデクから大方は聞かせて貰った。改めて、人々の命を護る為に戦ってくれたことに感謝するよ」

「勿体ないお言葉です」

 礼を言われたロギアは深々と頭を下げる。
 一介の信徒には絶対に掛けられる事のないであろう、教皇からの感謝。だが彼は全く動じる事なく、平静を保ったままであった。
 
「──しかし、わざわざ海を渡ってエリュシオンからご足労頂いたというのに、面倒ごとに巻き込んでしまったね」

「あ、いえ、お気になさらず……俺達三人、その一件についてはゼデクさんからも謝罪の言葉は頂きましたし、別に全く気にしてません。寧ろ、力になれたのなら、俺達も身体を張った甲斐がありますから」

「そうです。それに、バチカル派の襲撃が増えているから用心するようにと、我々のグランドマスターからも伝えられていました。ですので、交戦自体は想定の範囲内です」

「成る程。ある程度の準備と覚悟は出来ていた、という訳だね……流石、シェムが直々に派遣したというだけある」

 カレンの補足に、教皇は素直に納得した。
 一行からの評判のあまり良くないグランドマスターだが、エノスは彼らとは違い、シェムを非常に高く評価していた。
 
「あの……一つ質問しても宜しいでしょうか?」

「構わないよ」

「我らのグランドマスター──シェムと個人的に親しいというのは聞いておりますが、お二人は一体どのような御関係でいらっしゃるのでしょうか?」

 畏まりながら、クロノが口を開いた。
 カレンやアウラも気になっていたであろうことについて、勇気を振り絞って問いかける。

「私とシェムは、ただの友人さ。知り合ったのは4、5年ほど前だったかな」

 端的に述べ、そのまま教皇は語り出した。
 過去を懐かしむように、その口調は穏やかだった。

「一度会談……とまではいかないが、少し話したことがあってね。西方のギルドの長が、わざわざ使者と共に彼から宮殿に出向いて来たんだ」

「シェムさんが、自分から?」

「うん、彼から「是非とも一度謁見させて頂きたい」との申し出があってね。我ら教会の敵である異端派──バチカル派の殲滅を主導するギルドの長というのは、以前から話に聞いていたよ」

「一部の冒険者がバチカル派の掃討依頼を受けているってのはあるけど、それを指揮してたのがシェムさんだったのか。カレン達は知ってたのか?」

「いや、それは私も初耳かも。あの人、意外に大切な事喋らないから……」

 アウラの横で、カレンは困り顔で答えた。
 まだ一度しか会った事のない彼の中では、上司にあたるシェムは「何処か抜けた掴み所の無い人物」という印象だった。
 しかし、四大ギルドの一角を率いる者としての一目も併せ持っている。それは、アウラよりも付き合いが長いであろうカレンでさえ知らなかった事実だ。

「君たち冒険者には日頃から感謝しているよ。本来であれば、バチカル派は我々ソテル教が討ち取るべき存在。それにも関わらず、人々を護る為に力を貸して頂いてるのだから」

「教皇猊下、少なくとも、私達は教会と根本的に利害が一致しています。バチカル派の殺害対象は全ての異教徒──つまり、教会の信徒の方々を含む全ての人間。その点では、私達の住む街、或いは国の人々も同じです。無辜の人々を護る……その為に手を組むのは、至極当然のことです」

 堂々とした態度で応じるカレン。
 使徒がいくら異端狩りに特化していても、最強を謳われる騎士がいても、戦力には限界がある。
 対してバチカル派を率いる十数名の司教は、その一人一人が常人の域を逸脱した異常識。
 教皇の言う通り、教会が解決すべき問題であることは事実。しかし、自国が危機に晒されている以上、そこに異教も信仰も関係ない。

「……とは言っても、ソテル教の数ある宗派の中には我々異教の人間の力を借りず、自分たちの力だけで殲滅しようとする勢力もあるそうですが」

「正統派から枝分かれした、ソテル教カノン派……よくご存じですね、カレンさん」

「……? 今のソテル教って、古い神々への信仰を受容したんじゃなかったのか?」

「確かに、200年前の教皇ヘルマディオスの時代から教会は変わったよ。古い信仰を抹消するのではなく、後世に残すようにした。無論、私も現教皇として、そうすべきだと思っている。……しかし、かつての排他的な信仰が消える事はなかった。従来の厳格なソテル教を信じるのが、彼らカノン派なんだ」

 新たなワードに困惑するアウラに、エノスが端的に解説する。
 世界各地に広がっているソテル教は、必ずしも正統派だけではない。
 教会全体が方針を変えるのであれば、それに反対する宗派が生まれるのは自然のことだ。
 
「尤も、正統派もカノン派も同じ根から分かたれたもの。価値観の違いを理由に事を荒立てるような宗派ではないから、基本的には共生を選んでいるよ」

「良かった……宗教戦争みたいにはなってないんですね。まぁ、ゼデクさんがいる時点で抑止力になってそうな感じはしますけど」

「その心配は無いさ。何故ならソテル教には、「父なる神を信じる者を殺してはならない」って戒律があるからな」

「信ずる教えは違くとも、共有する戒律には従う……って事ですね」

「端的に言えばそういう事だよ。──だが、神の敵である悪魔を信奉し、その為に人の命を捧げんとするバチカル派は別だ。教会の汚点とも言える彼らは、全てを尽くしてでも排除しなければならない」

 教皇は語気を強める。
 神の代理人として、主の敵となる者は悉く滅さなければならない。
 エノスは、それこそが己の責務だと感じていた。

「古き神がいたからこそ、私達はこうして言葉を話し、生きていられる。──崇拝する神は違えど、かつて神々が残した地と人々を守護し、後代へと繋いでいく。それが、神と人を繋ぐ教皇として正しい行いだと信じている」

 それは、教皇エノスの嘘偽りのない本音だった。
 細かい体系こそ違えど、神という存在を信じる者としての役目。
 太古の神々から受け取ったバトンを、更に後の世へと。
 かつて、この世界と人間を残す為に足掻いた者達がいた事を、後代へと伝えていく。

(この人も、同じなのか────)

 一神教の代表者にして、一国を治める王。
 立場としてもあまりにも違う。しかし、今を生きる人間が神の名を忘れぬよう口伝していったように、彼もまた、彼なりにその存在を遺そうとしている。
 亡き先代の教皇。
 異教を消し去ろうとするのではなく、共存を選んだ王の意思を受け継いだ。

 それを聞くアウラとロギアは、偶然にも似たような表情を浮かべていた。
 染み入るような面持ち。
 さながら「神を知る者」として、エノスの言葉を受け取っていたのだ。

「……りがとう、ございます」

 ふと、口から零れ落ちた。
 感謝の言葉だった。
 恐らく地上に於いて、眼前にいる者ほど、神期の神々の事を想う人間はいない。
 
 アウラは心の中で、己が聞いた神の言葉を反芻していた。


────『人に重荷を背負わせた、愚かな神の一柱だよ』


 少なくとも、彼らを愚かと感じる者は、バチカル派を除いて誰もいない。
 神と契約し、その力を代行する存在──「偽神アヴァターラ」たるアウラにとって、彼の言葉は自分の事のように嬉しかった。
 
「一介の冒険者に過ぎない俺がこんな事を言うのも変ですけど、大昔の神様たちの事を、そんなにも考えてくれて」

「良いのさ。確かに我々の信ずる神、天地を創造した主とは違うが、感謝を捧げるぐらいしても良い筈だからね」

 エノスは表情を綻ばせ、微笑んだ。
 正に、教皇に相応しい度量と人格の持ち主。あらゆる信徒よりも、神学者よりも、神と人という関係性の在り方を理解している。
 
「……シェムからの使者が、君たちのような者で良かったよ。この後はどうするんだい?」

「一先ずの依頼は終えたので、エリュシオンに戻る予定です。グランドマスターへの連絡事項などあれば、一緒に伝えておきますよ」

「ならすまない、私の方から一つ良いかな」

 教皇の後ろで控えていたゼデクが、一歩だけ前に出た。

「半月ほど前、東の大陸の何処かで司教の一人が討伐されたらしい。戻ったら、その事を伝えて欲しい」

「司教の討伐報告って、確か前にもあったような……」

「ソテル教の人間が、第七位を討伐したって話ですよね。それとはまた別件なんですか?」

「あぁ。報告によれば、討伐されたのは司教序列十二位のルーファウス・ヴァレンタイン。ここ三十年近く活動していた怪物だな」

「異名は「災害王」。俺はまだ会敵した事は無いが、権能を持ちながらそれを制御出来ず、活動と休眠を繰り返す司教って触れ込みだったか」

「あぁ。曰く、討ち取ったのは黒い槍を携えた冒険者だったらしい。名前までは知らされていないから確証は無いが……多分、君たちエリュシオンの冒険者に関係あるんじゃないか」

 単身で司教を屠る、槍を携えた冒険者。
 ゼデクは確証こそないものの、その人物について心当たりがあるようだった。
 アルカナの第二位の座に就く程の彼であれば、司教を相手取れる実力の持ち主に関する知識も持ち合わせているのだろう。

(まさか──)

 アウラも、頭の中でゼデクと同じ人物を思い浮かべていた。
 だが、それは他の二人も同じだった。
 カレンは何処か察したような面持ちで、

「……分かったわ。伝えておく」

「ありがとう」

 ゼデク感謝の意を述べると、アウラ達は使徒二人と共に応接室を後にした。
 依頼の重荷から解放されたのか、彼らの足取りは何処か軽い。

 アウラ達に課された依頼は、この瞬間を以て達成されるのだった。


※※※※


 賑わう街に、鐘の音が鳴り響く。
 聴くものの心に平穏を齎すそれは、神への祈りを捧げる時間が到来した事を告げる。
 終末を呼ぶラッパなどではない、穏やかな世である事の証明だ。

 街に聳える礼拝堂に信徒たちが集まる中、アウラ達は王都の城門の方へと歩みを進めていた。

「ところで、良いのか? ロギアとセシリアの二人まで見送りになんて」

「別に構いませんよ。リノス行きの地竜車も、この時間帯ならまだあるでしょうし。……できれば、波止場まで見送りたいのですが」

「一旦教皇庁に戻らなきゃならないからな。一先ずはここでお別れだ」

 やや申し訳無さげなセシリア。
 彼らを教皇の下まで送り届けるという任務は完了したが、どうせなら最後まで見届けたいのだろう。

 市街地から、城門へ。
 次第に人通りは減っていき、彼らに旅の終わりを感じさせる。
 異国の地を歩んだ数日。ロギアやセシリア、ゼデクといった者らと出会う事が出来た一方、アウラにとっては、己の無力さを理解させられた旅だった。
 
 王都を取り囲む城壁を潜り抜け、西の大陸へ帰る為の船のある、リノスへと向かう車両の前へと向かう。
 
「それではどうか、帰りもお気をつけて」

「また力を借りる事になったら、そん時は宜しく頼むよ」

 丁寧に頭を下げるセシリアと、手を振るロギア。
 それに応じるように、アウラとクロノは会釈で返し、カレンも手を振り返す。
 依頼をなんとか全員無事に終えられたという安心感が、彼らの心の中に満ちていく。

 それを噛み締める時間を与えるように、彼らの乗る車両はゆっくりと動き出した。
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