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第二章 エクレシア動乱篇
46話『目覚め、そして再起』
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「────ん……」
ゆっくりと、瞼を開く。
久方振りに光を感じたのか、ただの灯りでも十二分に明るく感じた。
背中には柔らかいクッションの感覚。
仰向けの状態で、アウラは精密な宗教画が描かれた天井を見上げていた。
(……あれ、俺、さっきまで──)
未だハッキリしない意識で、覚えている限りの記憶を呼び起こす。
「バチカル派に襲われて、ヴォグと交戦して、それから……っ」
上体を起こし思い出そうとしたところで、ズキりと頭に痛みが走る。内側からガンガンと叩き付けられるような頭痛に、アウラは額に手を当てて耐える。
それは数十秒続き、ようやく落ち着いたタイミングでゆっくりと深呼吸する。
彼がいる部屋は比較的広く、彼のいるベッドの他にも壁に立て掛けられた絵画や小さなテーブルに置かれた花瓶など、内装としては極めて最小限だった。
「……この治療跡」
アウラの右腕には包帯が巻かれ、頬にはガーゼが貼られていた。
ヴァジュラを投擲した時の流血と、戦闘中にヴォグの影が頬を掠めた時の傷だ。
彼のすぐ傍には窓があり、かなり高い階層なのか、見晴らしが良かった。
そこから見えたのは、倒壊した家屋の建て直しに勤しむ人々──そして、更地と化した区画だった。
バチカル派との戦いの痕跡が生々しく残っている。
「──あら、ようやく起きたのね」
ガチャリ、と。木製のドアがゆっくりと開く。
入って来たのは、アウラとは違い殆ど無傷のカレンだった。
彼女はベッドの横に置かれた椅子に腰を掛けて、
「随分と長い事寝てたけど、調子はどう?」
「寝起きの気分は正直言って最悪だよ、頭は痛いし気持ち悪いし……カレンは大丈夫なのか?」
「私は別にアンタ程の傷は負ってないから、特にはね。それより、今は自分の心配をしなさい。急に倒れたと思ったら四日間もずっと目を覚まさないんだもの」
「……四日!? 俺、そんな長い事寝てたの!?」
「四日前──アンタが倒れてから、クロノがずっと心配してたわ……まぁ、それは私も一緒だけど」
腕を組み、安堵したように穏やかな声色で彼女は言った。
アウラが気を失う直前、カレンも彼の下へと駆け寄っていた。普段はクールで落ち着いた彼女だが、彼女なりにアウラの事を気にかけていた様子だった。
「いや、なんか……心配かけてごめん。でも、今回ばっかりは大目に見て欲しいな」
「死んでいたら話は変わるけど、どうにか生きてるなら大丈夫よ。どうせまた無茶したんでしょう? 寧ろ、バチカル派の司教相手ならそうでもしないといけなかったんだろうし、仕方ないわ」
「司教のこと、聞いてたのか。……いや、四日間もあればそれぐらいの情報は出回ってない方がおかしいか」
「ロギアさんからね。バチカル派の襲撃に対抗した当事者って事で教会側に色々と聞かれたんだけど、まさかアンタが第一位と交戦して追い詰めたって聞いた時は耳を疑ったわ」
「正直、追い詰めたって言って良いのかは分からないけどな。結果的に俺が先に限界を迎えて、ロギアさんとお前が来なかったら絶対に死んでただろうし」
窮地に陥ったアウラを救ったのは、ロギアとカレンの二人だった。
命の恩人という他なく、少しでも到着が遅れていれば、アウラはこうして五体満足では生きていない。
アウラは少し俯いて、何処か悲しそうに声のトーンを落とす。
「……俺は、ただ助けられただけだよ。戦った司教──ヴォグにも勝った訳じゃない。あのメラムとかいう司教だって、その気になれば手負いの俺を殺す事ぐらい簡単だった。カレンたちみたいに、立派に戦い抜いた訳じゃ────」
悔しさを吐き出すように、アウラは語った。
自分が後悔しない為に、人の力になれるように、彼は己の意思で死を乗り越えて神と契約した。それでも、遭遇した敵一人倒す事も叶わなかった。
その命に手が届く所まで行ったというのに。
幸運に命を救われただけで、彼自身は仲間たちに貢献できていないという事実。
「別に、私はそうは思わないけど」
情けなさに打ちひしがれる彼の言葉を、カレンは遮った。
「後の調べでは死者負傷者は数十名。助けられなかった命もあったけど、教会や街の人たちはアウラに感謝してたわよ」
「……俺に?」
「確かに、アウラはあの司教と戦って負けた。その事実は変わらないけど、アンタがあそこまで司教を追い詰めたからこそ、ヤツらは撤退した。結果的には私達の勝ちだし──アウラはちゃんと、この街を救ってるのよ」
微笑みと共に、励ますようにカレンが言った。
アウラ自身は己の実力不足を嘆いているが、他の者にとって、彼の奮戦は無駄ではなかった。
「それに、弟子が司教を追い詰めるまで成長したんだもの。位階はまだ最低位だけど、師としては誇らしいし、私だって感謝してる──だから、少しは自分を誇っても良いの」
「────」
アウラは、少し言葉を失っていた。
彼女の激励は、彼の心の隙間を埋めるものだった。結果的に自分は何も為せなかったと悲観する彼に、彼自身の尽力で成し遂げられた事があるという事実を突きつけた。
人に言われて、ようやく気付かされたのだ。
彼は口をつむぎ、湧き出る感情の波を押さえようとする。
「…………っ」
嗚咽を漏らしながら、頬を一筋の涙が伝っていた。
彼女の一言は、何も為せないと決め付けていたアウラとは正反対。──「お前は十分に頑張っている」と、後ろ向きだった彼の心を優しく溶かしていった。
カレンは微笑みと共に続ける。
「何、泣く程嬉しかったの?」
「いや……まぁ嬉しいよ。ずっと俺は自分が他の皆より劣ってるって思っていたし、人一倍辛い思いをしなきゃ何も出来ないって言い聞かせてたから」
「アンタは確かに魔術師としては欠陥があるし、私らに比べれば経験が足りない部分も多い……それでもちゃんと人の役に立ってるのよ、アウラは。──アンタが思っている以上に、ね」
彼女はアウラの額に人差し指を当てながら、そう告げた。
カレンやクロノは冒険者としての活動年数が違う。使徒であるロギアやセシリアに至っては、その手で数多の背教者や異端の信者を葬って来たのだ。
詰んでいるキャリアがアウラの比ではなく、遥か上を行っているのは当然のこと。
「……あぁ。ありがとな、カレン」
「どうって事ないわよ。それに、負けたならどうすべきか、アンタなら分かるでしょ」
「っ……」
今度のカレンは、不敵に笑っていた。
負けたままで良いのか、と。
アウラの答えは一つ。
「……当たり前だろ、そんなの。いつか絶対リベンジしてやるさ」
力の籠った声だった。
敗戦したとしても、その戦意は失われていない。
その雪辱を果たすことだけは、アウラの心の中に残ったままだ。
「そう言えるぐらいの気概があるなら、メンタルの方は大丈夫そうね。だったら、今は安静にしていなさいな」
「そりゃ分かってるけど、手紙の件はどうするんだ。予定よりもだいぶ遅れてるんだろ?」
「三日前の一件に関しては、もう王都の教皇庁の方に連絡が行ってる筈よ。一応暫く目的の王様は国にいるみたいだし、最悪、枢機卿か使徒の機関長が代役で受け取るってさ」
「枢機卿……教皇の補佐と、異端狩りの長ってか。どちらにせよ結構な大物じゃないか」
「この手紙、私らのバカ上司の手紙だっていうのに、そんなに重要なのかしら……」
懐から取り出した封筒を見つめながら、不思議そうに零す。
内容は誰も見てはおらず、彼女とて勝手に中身を覗き見るような無粋な真似はしない。
余計な色がなく、シンプルなデザインの封筒は、多少曲がってしまってはいるものの、血で汚れてはいなかった。
「全然汚れてないじゃないか……よくあの戦いの中死守できたな、お前」
「こんな小さな手紙一つ守るぐらい造作もないわよ。アンタみたいなバケモノ相手にしたって訳でもないし。……司教の第一位って、どんなヤツだったの?」
気持ち声のトーンを落として、カレンが問いかける。
真剣な声色に切り替え、己が交戦しかけた司教に関して聞き出そうとする。
「大方はロギアさんから聞いてるけど、実際に戦ったアウラの方がよく知っているでしょう」
「……」
数秒の沈黙。
アウラは三日前の激戦の記憶、文字通り命を賭して刃を向けた相手の事を思い出そうとする。
そして、ほんの少しの覚悟と共に、語る。
「アイツは。───」
「────「偽神」だよ。別名をアヴァターラ……より一般的には「魔人」とも言われるけどな」
アウラの言葉を遮るように、もう一人の声が割って入った。
声が聞こえた部屋の玄関辺りへと視線を移すと、ドアのすぐ横の壁に、紺色の法衣の青年が凭れかかっていた。
「ロギアさん、事後処理はもう済んだの?」
「大体はな。アウラの状態も気になったから一目見ようと思ったんだが……司教の話をしてたんだろ、お前ら」
「丸聞こえだったのね……それで、その「偽神」やら「魔人」ってのは、一体何なの?」
「文字通り、今の地上には存在し得ないモノ。──神の権能を振るう事の出来る輩の事だよ。バチカル派の司教は例外なく神やそれに準ずる異常識の力を宿す事から、「魔人」って呼び名もあるのさ」
「魔人……か」
「あの鎌の子……クロノって言ったっけ。あの子は知っていたよ。今回鉢合わせしたメラムでは無いが、他の司教と交戦した事があるんだってな」
「クロノは一時期、修行ついでにバチカル派の掃討に奔走してたからね。多分、その時にエンカウントしたんでしょう」
「……ごめん、ちょっと良いですか」
「どうした?」
「司教たちが魔人って呼ばれてるのは分かった。でも、なんで偽神について知ってるんですか──地上から去った神の異能を持つ者が、世界にいるって」
緊張を含んだ面持ちで、アウラが聞いた。
それは他でもない、彼自身が偽神の一人だからだ。
しかし、ロギアの言葉は司教以外にも──他にも同質の存在がいるという事を暗に示している様にも聞こえたのだ。
ロギアは僅かに目を見張った後、口を開いた。
「そんなの簡単だろ。────俺達の敵にも味方にも、そいつらがいるからだよ。何より君……アウラもその一人みたいだしな」
「────!」
ロギアの一言は、アウラの鼓動を一層加速させる。
表情は崩していないが、少なからずカレンも動揺している様で、
「ねぇ。アウラが偽神って、どういうこと……?」
「ただの魔術師がバチカル派の司教……それも、第一位の怪物をあれだけ追い詰めるなんてのは普通考えられない。使徒の中でもアレと渡り合えるのはそういないさ」
「でも、それだけじゃコイツが偽神だって判断材料にはならないんじゃないの?」
「あぁ。だが、あの夜の街を照らし出した雷光。……いや、雷霆か。あれだけの出力の雷撃は、魔術の域を逸脱してた。普通なら、即座に魔力切れを起こしても可笑しくはないだろ」
「南東地区を綺麗に更地にする程の魔術を、体内のオドしか扱えないアウラが使える筈も無い……か」
「それに、俺には聞こえたよ。……あの爆発が起きる直前、アウラが確かに「神」の名を唱えていたのを──だから、そういうことだろ」
「……あの時の詠唱、聞いてたんですね」
「ハッキリと、な。一神教の信仰が根付いているこの地で、古き神の力を再演する神言魔術を使うのは難しい。……だが、内側に神性を宿す偽神なら話は別だ」
使徒の一言に、カレンは一つ気付いたように目を細める。
「……信仰基盤が唯一神に基づく以上、太古の神々に根差す神言魔術を扱える土壌は無い。確かに筋は通ってるわね」
「信仰基盤……?」
「そっか、アウラにはまだ話してなかったっけ」
ふと思い出したように言うカレン。
最初に魔術を教えた際にも、その言葉を口にしたことは一度も無く、単語自体、アウラは今ここで初めて耳にした。
カレンを補佐するように、ロギアが答えた。
「信仰基盤ってのは、言わば魔術師が魔術を使う為の「見えない土台」みたいな物だ。魔術の質に直結する、人の意識の産物と言っても良いか」
「意識の、産物……もう少し分かりやすく言うと?」
アウラは首を傾げており、明らかに理解が追い付いていない。
ロギアに続くように、今度はカレンが口を開く。
「かなり雑に例えるなら、神々への認知度……人気って感じかしら。魔術が根本的には神に由来するっていうのは知っているでしょう?」
アウラは「あぁ」と一言答え、頷きと共に返す。
「神々の権能を人の身で再現したもの、だろ」
「そう。つまり、基本的には多くの神様への信仰が根本にある訳だけど、このエクレシアは一神教の国。全能の唯一神への信仰の方が強いから、神により近づく神言魔術を使うのは難しいのよ」
「そっか、神言魔術も突き詰めれば普通の魔術の延長線上だから……俺達が扱うような魔術の質は、その信仰基盤ってのに依存する訳か」
顎に手を当て、腑に落ちたように呟いた。
どのようなものであれ、通常の魔術である以上、太古の神とは切っても切れない概念である。
「あぁ。だが──偽神は魔術ではなく、己に内在する異能として力を振るう。つまりは疑似的に神そのものになるから、出力を信仰基盤に左右されない。だから、アウラが偽神だと思ったんだ」
「っ……」
アウラは言葉を紡げなかった。
その無言は否定ではなく肯定。つまりは図星、ということだ。
「……まぁ、だからといって処罰の対象になるとかそういうのじゃないから安心してくれ。南東の区画が更地になったのは状況的には仕方ない事だった。ただ、その力は一朝一夕で使いこなせるような物じゃない。その一点だけは留意しておいてくれ」
「? ロギアさん、それってどういうこと?」
「今言った通りだよ。──それより、とりあえず王都への連絡は済ませておいたから、一応二日後に出発することになった」
「二日後か……。やっぱり、そうすぐ出発とはいかないんですか?」
「襲撃を指揮していた司教のことも含め、教会としても事態の把握をしなきゃいけないからな。一歩間違えれば大惨事になってたんだ、王都内外の安全確認とか、諸々で忙しいだろうよ」
冷静に、ロギアが分析する。
それは、長年教会に属している人間としての言葉でもあった。各地を巡る使徒という役割ではあるが、その内情に関する知識は深い。
尤も、教会の暗部──裏側に深く関わっているという事も理由としてはあるのだろう。
「そういうことだから、アウラ……というか、君たちは出発までゆっくりしててくれ」
その言葉を最後に、ロギアは部屋を後にした。
出る直前、彼はアウラ達に穏やかな笑みを浮かべていた。
彼は使徒でこそあるが、それ以前にアウラ一行を無事に王都まで連れていく使命を与えられた使者だ。
「あの人……何者?」
「同感だよ。教会所属の異端狩りなのは分かってるけど、なんか異質というか、セシリアさんとはまた違う感じがするな……」
二人は口を揃えて、自分たちを導く使徒に対する感想を述べた。
歴戦の使徒というだけあって、祈りを捧げるだけの一介の信徒とは一線を画している。同じく相当な実力を持つカレンでさえも底が知れない程に。
ただ、アウラは加えて、また少し違った違和感を感じていた。
(あの人、ただ偽神に関する知識があるだけじゃない。……どうして、忠告までしていったんだ……?)
ロギアのアウラへの一言。
その忠告は、さながら先達として、同輩に言い聞かせるかのようだった。
自分が無事に生きている事の安堵感と同時。
ほんの思い付き。ただの一つの予感が、アウラの頭を過るのだった。
ゆっくりと、瞼を開く。
久方振りに光を感じたのか、ただの灯りでも十二分に明るく感じた。
背中には柔らかいクッションの感覚。
仰向けの状態で、アウラは精密な宗教画が描かれた天井を見上げていた。
(……あれ、俺、さっきまで──)
未だハッキリしない意識で、覚えている限りの記憶を呼び起こす。
「バチカル派に襲われて、ヴォグと交戦して、それから……っ」
上体を起こし思い出そうとしたところで、ズキりと頭に痛みが走る。内側からガンガンと叩き付けられるような頭痛に、アウラは額に手を当てて耐える。
それは数十秒続き、ようやく落ち着いたタイミングでゆっくりと深呼吸する。
彼がいる部屋は比較的広く、彼のいるベッドの他にも壁に立て掛けられた絵画や小さなテーブルに置かれた花瓶など、内装としては極めて最小限だった。
「……この治療跡」
アウラの右腕には包帯が巻かれ、頬にはガーゼが貼られていた。
ヴァジュラを投擲した時の流血と、戦闘中にヴォグの影が頬を掠めた時の傷だ。
彼のすぐ傍には窓があり、かなり高い階層なのか、見晴らしが良かった。
そこから見えたのは、倒壊した家屋の建て直しに勤しむ人々──そして、更地と化した区画だった。
バチカル派との戦いの痕跡が生々しく残っている。
「──あら、ようやく起きたのね」
ガチャリ、と。木製のドアがゆっくりと開く。
入って来たのは、アウラとは違い殆ど無傷のカレンだった。
彼女はベッドの横に置かれた椅子に腰を掛けて、
「随分と長い事寝てたけど、調子はどう?」
「寝起きの気分は正直言って最悪だよ、頭は痛いし気持ち悪いし……カレンは大丈夫なのか?」
「私は別にアンタ程の傷は負ってないから、特にはね。それより、今は自分の心配をしなさい。急に倒れたと思ったら四日間もずっと目を覚まさないんだもの」
「……四日!? 俺、そんな長い事寝てたの!?」
「四日前──アンタが倒れてから、クロノがずっと心配してたわ……まぁ、それは私も一緒だけど」
腕を組み、安堵したように穏やかな声色で彼女は言った。
アウラが気を失う直前、カレンも彼の下へと駆け寄っていた。普段はクールで落ち着いた彼女だが、彼女なりにアウラの事を気にかけていた様子だった。
「いや、なんか……心配かけてごめん。でも、今回ばっかりは大目に見て欲しいな」
「死んでいたら話は変わるけど、どうにか生きてるなら大丈夫よ。どうせまた無茶したんでしょう? 寧ろ、バチカル派の司教相手ならそうでもしないといけなかったんだろうし、仕方ないわ」
「司教のこと、聞いてたのか。……いや、四日間もあればそれぐらいの情報は出回ってない方がおかしいか」
「ロギアさんからね。バチカル派の襲撃に対抗した当事者って事で教会側に色々と聞かれたんだけど、まさかアンタが第一位と交戦して追い詰めたって聞いた時は耳を疑ったわ」
「正直、追い詰めたって言って良いのかは分からないけどな。結果的に俺が先に限界を迎えて、ロギアさんとお前が来なかったら絶対に死んでただろうし」
窮地に陥ったアウラを救ったのは、ロギアとカレンの二人だった。
命の恩人という他なく、少しでも到着が遅れていれば、アウラはこうして五体満足では生きていない。
アウラは少し俯いて、何処か悲しそうに声のトーンを落とす。
「……俺は、ただ助けられただけだよ。戦った司教──ヴォグにも勝った訳じゃない。あのメラムとかいう司教だって、その気になれば手負いの俺を殺す事ぐらい簡単だった。カレンたちみたいに、立派に戦い抜いた訳じゃ────」
悔しさを吐き出すように、アウラは語った。
自分が後悔しない為に、人の力になれるように、彼は己の意思で死を乗り越えて神と契約した。それでも、遭遇した敵一人倒す事も叶わなかった。
その命に手が届く所まで行ったというのに。
幸運に命を救われただけで、彼自身は仲間たちに貢献できていないという事実。
「別に、私はそうは思わないけど」
情けなさに打ちひしがれる彼の言葉を、カレンは遮った。
「後の調べでは死者負傷者は数十名。助けられなかった命もあったけど、教会や街の人たちはアウラに感謝してたわよ」
「……俺に?」
「確かに、アウラはあの司教と戦って負けた。その事実は変わらないけど、アンタがあそこまで司教を追い詰めたからこそ、ヤツらは撤退した。結果的には私達の勝ちだし──アウラはちゃんと、この街を救ってるのよ」
微笑みと共に、励ますようにカレンが言った。
アウラ自身は己の実力不足を嘆いているが、他の者にとって、彼の奮戦は無駄ではなかった。
「それに、弟子が司教を追い詰めるまで成長したんだもの。位階はまだ最低位だけど、師としては誇らしいし、私だって感謝してる──だから、少しは自分を誇っても良いの」
「────」
アウラは、少し言葉を失っていた。
彼女の激励は、彼の心の隙間を埋めるものだった。結果的に自分は何も為せなかったと悲観する彼に、彼自身の尽力で成し遂げられた事があるという事実を突きつけた。
人に言われて、ようやく気付かされたのだ。
彼は口をつむぎ、湧き出る感情の波を押さえようとする。
「…………っ」
嗚咽を漏らしながら、頬を一筋の涙が伝っていた。
彼女の一言は、何も為せないと決め付けていたアウラとは正反対。──「お前は十分に頑張っている」と、後ろ向きだった彼の心を優しく溶かしていった。
カレンは微笑みと共に続ける。
「何、泣く程嬉しかったの?」
「いや……まぁ嬉しいよ。ずっと俺は自分が他の皆より劣ってるって思っていたし、人一倍辛い思いをしなきゃ何も出来ないって言い聞かせてたから」
「アンタは確かに魔術師としては欠陥があるし、私らに比べれば経験が足りない部分も多い……それでもちゃんと人の役に立ってるのよ、アウラは。──アンタが思っている以上に、ね」
彼女はアウラの額に人差し指を当てながら、そう告げた。
カレンやクロノは冒険者としての活動年数が違う。使徒であるロギアやセシリアに至っては、その手で数多の背教者や異端の信者を葬って来たのだ。
詰んでいるキャリアがアウラの比ではなく、遥か上を行っているのは当然のこと。
「……あぁ。ありがとな、カレン」
「どうって事ないわよ。それに、負けたならどうすべきか、アンタなら分かるでしょ」
「っ……」
今度のカレンは、不敵に笑っていた。
負けたままで良いのか、と。
アウラの答えは一つ。
「……当たり前だろ、そんなの。いつか絶対リベンジしてやるさ」
力の籠った声だった。
敗戦したとしても、その戦意は失われていない。
その雪辱を果たすことだけは、アウラの心の中に残ったままだ。
「そう言えるぐらいの気概があるなら、メンタルの方は大丈夫そうね。だったら、今は安静にしていなさいな」
「そりゃ分かってるけど、手紙の件はどうするんだ。予定よりもだいぶ遅れてるんだろ?」
「三日前の一件に関しては、もう王都の教皇庁の方に連絡が行ってる筈よ。一応暫く目的の王様は国にいるみたいだし、最悪、枢機卿か使徒の機関長が代役で受け取るってさ」
「枢機卿……教皇の補佐と、異端狩りの長ってか。どちらにせよ結構な大物じゃないか」
「この手紙、私らのバカ上司の手紙だっていうのに、そんなに重要なのかしら……」
懐から取り出した封筒を見つめながら、不思議そうに零す。
内容は誰も見てはおらず、彼女とて勝手に中身を覗き見るような無粋な真似はしない。
余計な色がなく、シンプルなデザインの封筒は、多少曲がってしまってはいるものの、血で汚れてはいなかった。
「全然汚れてないじゃないか……よくあの戦いの中死守できたな、お前」
「こんな小さな手紙一つ守るぐらい造作もないわよ。アンタみたいなバケモノ相手にしたって訳でもないし。……司教の第一位って、どんなヤツだったの?」
気持ち声のトーンを落として、カレンが問いかける。
真剣な声色に切り替え、己が交戦しかけた司教に関して聞き出そうとする。
「大方はロギアさんから聞いてるけど、実際に戦ったアウラの方がよく知っているでしょう」
「……」
数秒の沈黙。
アウラは三日前の激戦の記憶、文字通り命を賭して刃を向けた相手の事を思い出そうとする。
そして、ほんの少しの覚悟と共に、語る。
「アイツは。───」
「────「偽神」だよ。別名をアヴァターラ……より一般的には「魔人」とも言われるけどな」
アウラの言葉を遮るように、もう一人の声が割って入った。
声が聞こえた部屋の玄関辺りへと視線を移すと、ドアのすぐ横の壁に、紺色の法衣の青年が凭れかかっていた。
「ロギアさん、事後処理はもう済んだの?」
「大体はな。アウラの状態も気になったから一目見ようと思ったんだが……司教の話をしてたんだろ、お前ら」
「丸聞こえだったのね……それで、その「偽神」やら「魔人」ってのは、一体何なの?」
「文字通り、今の地上には存在し得ないモノ。──神の権能を振るう事の出来る輩の事だよ。バチカル派の司教は例外なく神やそれに準ずる異常識の力を宿す事から、「魔人」って呼び名もあるのさ」
「魔人……か」
「あの鎌の子……クロノって言ったっけ。あの子は知っていたよ。今回鉢合わせしたメラムでは無いが、他の司教と交戦した事があるんだってな」
「クロノは一時期、修行ついでにバチカル派の掃討に奔走してたからね。多分、その時にエンカウントしたんでしょう」
「……ごめん、ちょっと良いですか」
「どうした?」
「司教たちが魔人って呼ばれてるのは分かった。でも、なんで偽神について知ってるんですか──地上から去った神の異能を持つ者が、世界にいるって」
緊張を含んだ面持ちで、アウラが聞いた。
それは他でもない、彼自身が偽神の一人だからだ。
しかし、ロギアの言葉は司教以外にも──他にも同質の存在がいるという事を暗に示している様にも聞こえたのだ。
ロギアは僅かに目を見張った後、口を開いた。
「そんなの簡単だろ。────俺達の敵にも味方にも、そいつらがいるからだよ。何より君……アウラもその一人みたいだしな」
「────!」
ロギアの一言は、アウラの鼓動を一層加速させる。
表情は崩していないが、少なからずカレンも動揺している様で、
「ねぇ。アウラが偽神って、どういうこと……?」
「ただの魔術師がバチカル派の司教……それも、第一位の怪物をあれだけ追い詰めるなんてのは普通考えられない。使徒の中でもアレと渡り合えるのはそういないさ」
「でも、それだけじゃコイツが偽神だって判断材料にはならないんじゃないの?」
「あぁ。だが、あの夜の街を照らし出した雷光。……いや、雷霆か。あれだけの出力の雷撃は、魔術の域を逸脱してた。普通なら、即座に魔力切れを起こしても可笑しくはないだろ」
「南東地区を綺麗に更地にする程の魔術を、体内のオドしか扱えないアウラが使える筈も無い……か」
「それに、俺には聞こえたよ。……あの爆発が起きる直前、アウラが確かに「神」の名を唱えていたのを──だから、そういうことだろ」
「……あの時の詠唱、聞いてたんですね」
「ハッキリと、な。一神教の信仰が根付いているこの地で、古き神の力を再演する神言魔術を使うのは難しい。……だが、内側に神性を宿す偽神なら話は別だ」
使徒の一言に、カレンは一つ気付いたように目を細める。
「……信仰基盤が唯一神に基づく以上、太古の神々に根差す神言魔術を扱える土壌は無い。確かに筋は通ってるわね」
「信仰基盤……?」
「そっか、アウラにはまだ話してなかったっけ」
ふと思い出したように言うカレン。
最初に魔術を教えた際にも、その言葉を口にしたことは一度も無く、単語自体、アウラは今ここで初めて耳にした。
カレンを補佐するように、ロギアが答えた。
「信仰基盤ってのは、言わば魔術師が魔術を使う為の「見えない土台」みたいな物だ。魔術の質に直結する、人の意識の産物と言っても良いか」
「意識の、産物……もう少し分かりやすく言うと?」
アウラは首を傾げており、明らかに理解が追い付いていない。
ロギアに続くように、今度はカレンが口を開く。
「かなり雑に例えるなら、神々への認知度……人気って感じかしら。魔術が根本的には神に由来するっていうのは知っているでしょう?」
アウラは「あぁ」と一言答え、頷きと共に返す。
「神々の権能を人の身で再現したもの、だろ」
「そう。つまり、基本的には多くの神様への信仰が根本にある訳だけど、このエクレシアは一神教の国。全能の唯一神への信仰の方が強いから、神により近づく神言魔術を使うのは難しいのよ」
「そっか、神言魔術も突き詰めれば普通の魔術の延長線上だから……俺達が扱うような魔術の質は、その信仰基盤ってのに依存する訳か」
顎に手を当て、腑に落ちたように呟いた。
どのようなものであれ、通常の魔術である以上、太古の神とは切っても切れない概念である。
「あぁ。だが──偽神は魔術ではなく、己に内在する異能として力を振るう。つまりは疑似的に神そのものになるから、出力を信仰基盤に左右されない。だから、アウラが偽神だと思ったんだ」
「っ……」
アウラは言葉を紡げなかった。
その無言は否定ではなく肯定。つまりは図星、ということだ。
「……まぁ、だからといって処罰の対象になるとかそういうのじゃないから安心してくれ。南東の区画が更地になったのは状況的には仕方ない事だった。ただ、その力は一朝一夕で使いこなせるような物じゃない。その一点だけは留意しておいてくれ」
「? ロギアさん、それってどういうこと?」
「今言った通りだよ。──それより、とりあえず王都への連絡は済ませておいたから、一応二日後に出発することになった」
「二日後か……。やっぱり、そうすぐ出発とはいかないんですか?」
「襲撃を指揮していた司教のことも含め、教会としても事態の把握をしなきゃいけないからな。一歩間違えれば大惨事になってたんだ、王都内外の安全確認とか、諸々で忙しいだろうよ」
冷静に、ロギアが分析する。
それは、長年教会に属している人間としての言葉でもあった。各地を巡る使徒という役割ではあるが、その内情に関する知識は深い。
尤も、教会の暗部──裏側に深く関わっているという事も理由としてはあるのだろう。
「そういうことだから、アウラ……というか、君たちは出発までゆっくりしててくれ」
その言葉を最後に、ロギアは部屋を後にした。
出る直前、彼はアウラ達に穏やかな笑みを浮かべていた。
彼は使徒でこそあるが、それ以前にアウラ一行を無事に王都まで連れていく使命を与えられた使者だ。
「あの人……何者?」
「同感だよ。教会所属の異端狩りなのは分かってるけど、なんか異質というか、セシリアさんとはまた違う感じがするな……」
二人は口を揃えて、自分たちを導く使徒に対する感想を述べた。
歴戦の使徒というだけあって、祈りを捧げるだけの一介の信徒とは一線を画している。同じく相当な実力を持つカレンでさえも底が知れない程に。
ただ、アウラは加えて、また少し違った違和感を感じていた。
(あの人、ただ偽神に関する知識があるだけじゃない。……どうして、忠告までしていったんだ……?)
ロギアのアウラへの一言。
その忠告は、さながら先達として、同輩に言い聞かせるかのようだった。
自分が無事に生きている事の安堵感と同時。
ほんの思い付き。ただの一つの予感が、アウラの頭を過るのだった。
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