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第二章 エクレシア動乱篇

44話『終結と乱入者』

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 アウラによって振るわれたインドラの権能──ヴァジュラの投擲によって、彼らのいる南東の区画は更地と化していた。
 幸い、その区画の民間人は避難を済ませていた為、アウラは躊躇なく戦う事が出来た。
 尤も、当人は心臓を押さえながら片膝を付いている状態だが。

「がっ!……はぁ……うっ……!」

 アウラは肩で息をし、苦し気に声を漏らしている。
 右腕からはかつてと同じように流血し、足元には血を吐き出した跡があった。
 彼がヴァジュラを投擲したと同時に、権能行使のタイムリミットを迎えていた。その後に控えているものも当然、アウラは理解している。

(ヤバい……前の比じゃない……!)

 動悸も、とめどなく襲う悪寒と滴る汗も、以前よりも遥かに酷かった。
 立つ事など到底敵わない。再び動けるようになるまでは最低でも数時間は有する。
 身体中の魔力を使い切り、威力の上昇に捧げたが故、これ以上アウラに出来る事はない。

 以前はヴァジュラの異能のみだったが、今回は本体たる雷神の権能を行使したのだ。これほどの代償はあって当然。

「っ、アイツは……」

 辛うじて顔を上げ、数秒前まで見つめていた敵の姿を探す。
 純粋な魔力の奔流。極限まで召し上げられた破壊。常人であれば灰すら残らない程の熱量を、司教一人に向けて放ったのだ。
 アウラと同じ、神の権能を手繰る者であれ、直撃していればひとたまりもない。

 勝敗は喫した。少なくともアウラはそう思っていた。

 しかし現実は、彼の淡い希望など、完膚なきまでに打ち砕く。

「んな────!!」

 遠く。アウラの数十メートル先に、黒衣の男は立っていた。
 両腕からは出血し、その装いはボロボロになっているが、確かに五体満足で立っている。
 あまりにも堂々と、戦意の尽きていない瞳で、ヴォグもアウラを見つめていた。

「テウルギアを行使して接続した神の逸話を解析、権能を振るうまでは良かったが……やはり先に限界を迎えたのは貴様だったな」

「お前、なんで……!?」

「俺以外の司教……序列の下位の者であれば、跡形もなく消し飛ばされていただろうよ。だが……全力で権能を防御に回せば、耐える事は出来る。俺と貴様では──神の力を振るう者としての格が違う」

「っ……!」

 ヴォグは冷徹に言い放つが、その言葉は間違ってはいなかった。
 基本的に代償を覚悟の上で神の権能を扱うアウラに対し、ヴォグはその異能を完全に制御し、且つ抑え込んでいる。
 それは純粋に、幾度となく力を振るい、身体に染み込ませていた事に起因する。
 二人は同じ土俵に立ち、戦った。
 だが、経験の差は天地に等しい。

 ヴォグは地に転がるヴァジュラを蹴ってどかし、一歩。また一歩と、己を睨みつけるアウラへと進んでいく。

 彼とて、ダメージが無い訳ではない。
 権能たる影の大半は先の一撃で焼き切られ、即座に翼を展開できる程の余裕はない。しかし力を使い切り、「強化」すら扱えない状態のアウラを殺す事など、影一本でも残っていれば容易い。

「チっ……!」

 逃げようとも、肉体がこれ以上の運動を拒んでいる。
 迫り来るヴォグの背中からは文字通り、一筋の影が蠢いていた。

「やはり、貴様には持て余す力だったな……今度は二度と戻って来る事はない。満足して死ぬと良い」

 ゆらりと、影が動く。
 狙うはアウラの首。最早動かないただの的だ。
 完全に詰み。

 避ける程の力も、アウラには残されていなかった。
 死を受け入れる他なく、万策尽きている。

「────まだ終わってないさ」

 俯き、断頭台に掛けられた囚人ようなアウラに、影が届く事は無かった。
 駆けるような足音がした直後、首を落とす為だけに振るわれた影は一閃にして切り裂かれ、虚空へと霧散していった。

 アウラの前にあったのは、紺色の修道服。
 その手には無骨な鉾が握られており、駆け付けた使徒はそれ一本で、影を両断して見せた。

 ロギア・エルアザル。
 別の区画で戦っていた、歴戦の使徒が、アウラの前に立っていた。

「教会の使徒か……!」

「影のような異能……バチカル派司教第一位、ヴォグ・アラストルだな。──お前の相手なら、彼に代わって俺が引き継ごう」

(……アラストルが、第一位だと……!?)

 言って、ロギアは鉾を構える。後ろで聞いていたアウラは開いた口が塞がらないといった様子で、見るからに驚愕していた。
 ロギアは他の信者たちの掃討をしてきたのだろうが、身体の何処にも傷は無い。一切の傷を負う事無く、数多の信徒達を退けてきたのだ。
 寧ろ、ここからが本領発揮と言っても過言ではない。

「ロギアさん、なんでここに……っ」

「あれだけ光れば何事かと思わない方がおかしいさ。……幸い、そのお陰でもう一人来たみたいだ」

「もう一人……?」

 アウラはヴォグの後方に佇む人影に目を見張った。
 血に塗れた衣服に、妖しい光を放つ魔剣を携えた少女。

「──残るはアンタ一人ってワケね。なら話は早いわ」

 剣を引き摺りながら現れたのは、ダインフレイフを手にしたカレンだった。
 目の下の痣が不気味に脈動し、その紅い瞳が獲物であるヴォグを捉えている。見る者全てを恐怖させる鬼神のような佇まいだ。

(最低位の魔術師のアウラが司教をこれだけ負傷させた手段も気になるが……それより、今はコイツを仕留めるのが優先だ)

 ロギアは一呼吸置いて、鉾を握る手に力を込める。
 カレンと挟み撃ちの形。手負いであれば、司教を仕留める事は不可能ではない。
 
「……アウラさん、無事ですか!?」

 慌てた様子でアウラに駆け寄ったのは、クロノだった。
 苦しそうに胸を押さえ、尋常ではない程の汗を流してる。これだけなら彼女は以前も目にしているが、アウラの口元から血が垂れているのを一目見て、只事ではないと察した。

「げほっ……まぁ、生きてるよ、なんとか」

「まさか、また無茶な魔術行使を……」

「今回ばっかは許して欲しいな……ところで、セシリアさんは?」

「セシリアさんは、大聖堂の地下で教会の方々と一緒に負傷者の治療にあたっています。街に蔓延る教団の信者は殆ど、他の使徒の方たちの手で狩られましたから」

「あぁ……じゃあ、本当に残るはアイツだけって訳か……っ」

「えぇ……。でも私が肩を貸しますから、アウラさんはもう動かないで下さい。……これ以上無茶に無茶を重ねるなら、流石に私も怒ります」

 ロギアたちに加勢せんと、身体を起こそうとするアウラを戒める。
 その口調は、普段の温厚なクロノからは想像できない程に重い。アウラを心配しているたが故に、己に降りかかる負担を気にせずに戦う彼に、そう言ったのだ。

「時には、味方を頼る事も覚えて下さいよ。……仲間なんですから」

 クロノはヴォグの方へと視線を向けたまま、言う。 
 アウラの腕の下に手を通し、空いた左手で身体を支える。実力のある二人が相手とはいえ、相手は司教。戦いに巻き込まれる可能性もゼロではなく、いつでもアウラを連れて安全な場所まで離脱出来るように、脚部をあらかじめ強化していた。

 挟み撃ちの状態になったヴォグの瞳からは戦意は消えておらず、ただ一言。

「混ざり物が増えたか……」

「へぇ……混ざり物、か。だったら、最初から手の内を隠す必要も無さそうだな」

 司教と相対しても、ロギアは軽口を叩いて見せる程の余裕を保っている。
 一瞬の沈黙の後、彼は地を這うかのような低姿勢で、右足を前に踏み出す。それを合図に、魔剣を握り締めたカレンも動き出した。
 対するヴォグも残る力を振り絞り、残る影を顕現させる。
 
「汝の名は、全地の主────」

 接近しながら、ロギアが呟いた。それに呼応するように、彼の持つ鉾の柄に象形文字のような紋様が浮かび上がる。
 
 後方から迫るは地に飢えた魔剣。
 二人の刃が影を切り裂き、その腹と首を貫く。


「────ただの有象無象にこれほど遅れを取るなんて、それでも第一位かい? ……ヴォグ」


 刹那、愉快そうな声が、一帯に響いた。
 何処までも軽薄そうな、男の声だ。

「「────ッ!?」」

 まさに一瞬。その声がした直後、ヴォグの姿は二人の前から消失していた。 
 カレンの後方、アウラ達から少し離れた所に転移していたのだ。

「……何をしにきた、メラム」

「何って、大事な同胞を助けに来たに決まっているだろう? 別にボク個人としてはそのまま見殺しにしても構わなかったんだけど、教主が見て来いってうるさくてねぇ。それに……面白いモノも見せて貰ったからね」

 フードの両脇から、僅かに青みがかった黒髪が覗いた。
 背丈はヴォグと同じ程、彼と同じ黒衣の袖から伸びる腕は細く、両腕の前腕から手の甲にかけては幾何学的な文様が刻み込まれている。
 カレンは驚きつつも、未だ臨戦態勢を解いてはいない。
 ロギアはヴォグの口から語られた名に聞き覚えがあったのか。

「メラム・ミトレウス……司教序列第八位か……!」

「おぉ、流石はプロの異端狩り。ボクたちの名前は一通り知られているって事か。……でも安心して良いよ? 今日はキミたちと事を交えるつもりはない。ボクの仕事はヴォグを連れてここを離脱する事……不必要に戦って手の内を晒しちゃ、かえって都合が悪いだろう?」

「何よアンタ、そんな事信じられるワケ────」

「……いや、ヤツの言葉は本当だ。アイツは本当に俺らと交戦する気はない。俺もアイツも、手負い一人抱えているのなら、条件は同じだ」

「そうそう、話が分かる使徒だねぇ、キミは。……ボクも、交戦している内にヴォグを殺されるのは困るし、キミたちもこれ以上被害を拡大する訳にもいかない。いいね、平和的に行こうじゃないか」

「平和的って……どの口が……!」

 アウラは憤り、新たに現れた司教に対して言葉を絞り出す。
 幾千幾万の者の命を奪って来ておいて、「平和的」などという言葉を平然と吐いた、メラムに。

「お~こわ。……でもやめておいた方が良いよ。キミ、喉を動かすのも精一杯なんだろう?」

「……っ!」

「正直、キミたちを殺すなんていつでも出来る。別に今である必要はない。だから戦わないと言っているんだよ」

 友人に語り掛けるような口調で、メラムは忠告した。
 これ以上歯向かうな、と。
 
 その言葉を聞いてか、ロギアは大人しく武器を降ろした。それに続くように、カレンも魔剣を霊体化させる。
 
「交渉に乗ってくれて嬉しいよ。それじゃあ、またいつか会おうじゃないか、矮小な生命の諸君」

 その言葉を最後に、メラムとヴォグの姿が空間に溶け込むように消えていく。
 
「……ロギアさん、本当に司教を逃がして良かったの?」

 カレンの問いからは、疑問と共に苛立ちが感じられた。
 ロギアは万全の状態。カレンにも全力を振るうだけの余力はあった。──しかし目の前の使徒は、討つべき対象が眼前にいながらも、敵の要求を呑んだのだ。

「確かに、異端を狩るのが俺達の役目だ。……でも、ただ異端派を潰せば良いだけじゃない。それ以上に、人々を奴らの魔手から護るのが最優先だ。──ここは信徒たちの街。万全の司教がその気になれば、大聖堂に避難している人たちにも危険が及ぶ可能性だってある」

 少し置いて、ロギアは答えた。
 使徒としての役割、何を優先すべきかを、彼は心から理解している。
 異端を滅する戦闘集団であっても、それはあくまで人々を護る事を前提としているのだ。
 ロギアの返答に、カレンははっと気づかされたように

「……そうね。ごめんなさい」

「謝る必要はないさ。俺も、使徒じゃなかったら同じ事を言ってたと思うからな。ところで聞きたいんだが、お前が交戦したって司教代理はどうした?」

「ああ、アイツなら顔面に一発叩き込んだ後、近くを通りかかった使徒の人に引き渡したわ。起きないように魔術を施しておいたから、拷問にかけるなり好きにして貰って大丈夫よ」

「拷問ねぇ……まぁ、別のヤツに任せるか。有益な情報の一つでも出れば良いんだが……また書類仕事が増えるな」

 ロギアは面倒臭そうに頭を掻いた。
 俗に言う事後処理というのも、使徒の仕事の一つだ。シオンを襲撃した教団の団員の総数、被害者、また率いていた者の情報などを教会本部へと連絡しなければならない。

「とりあえず俺達も大聖堂に行って、奴らが去った事を伝えに行こう。クロノは遅れても良いから、ゆっくり来てくれ!」

「分かりました。……アウラさん、どうしますか?」

「あぁ……あと一時間ぐらい休めば、多分……っ!?」

「アウラさん!?」

 彼の身体を、更なる異変が襲う。
 一際大きく心臓が鼓動したと思えば、手足が震え出す。両膝を付いた状態で左胸を押さえ、残る右腕を地面に付き、どうにか身体を支えていた。 

(これ、不味い────)

 必死に歯を食いしばり、耐える。
 言葉を絞り出す余裕もない。平衡感覚を狂わせる程の眩暈が畳みかけ、肩を借りて立ったとしても歩く事は難しい。
 
「──ラさん!!」

 必死に呼びかけるクロノの声も、アウラの耳には飛び飛びで入って来る。
 時間と共に、前身の力が抜けていく。混濁した意識は、外部に思考を回す余裕すら与えない。

 身体を支える腕にすら力が入らなくなっていき、

「────アウラ!!」

 カレンが駆け寄るも、もう遅い。
 バタリと、人の肢体が地に落ちる音と共に。

 限界まで張った弦が千切れるかのように、アウラの意識は水底へと沈んでいった。
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