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第二章 エクレシア動乱篇
43話『雷霆の担い手』
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悪神の権能が、魔術師の首を刎ねる。
手負いの状態では回避不能の一撃。確実に死に至らしめ、その息の根を完全に刈り取った。──少なくとも、張本人であるヴォグ自身はそう思っていた。
ただ屍が増えるだけという認識だったが。
「何……?」
影は魔術師の青年の首を刎ねる以前に、携えられた両刃の剣によって断ち切られていた。
片手間に、己に寄ってたかった蝿を叩き落とすかのように。
たったの一振りで、アウラを襲った凶刃は跡形もなく空中に霧散していったのだ。
「貴様……」
腹立たし気に言い、ヴォグは更に背中から数本の影を伸ばして振るう。
逃げ場は無く、一本を処理しても更に別の影が頭上から迫る。常人では反応出来ない程の速度を持つソレは、人間を容易に両断してみせるだろう。
だが──アウラはただ横に一閃しただけで、それらを全て消失させた。
(雰囲気が変わった……まさかこの土壇場で────)
ヴォグがそう身構えた直後。
今度はヴォグの方が反応出来ない程のスピードで、アウラが間合いを詰めていた。
「────ッ!!!!」
アウラはその顔面に、渾身の右ストレートを叩き込んだ。
ヴァジュラによる刺突ではなく、拳。殺傷力だけで言えば前者が上回る筈だが、わざわざ拳を選んだのはアウラ本人の意地だろうか。
ヴォグは大きく吹き飛ばされるが、背後に影をクッションのように凝縮させて衝撃を和らげ、体勢を立て直す。
ペッと血を吐き出すと、影を変形させて翼を展開する。
「同調開始……神性の出力先を神体から偽神へ」
拳を振り下ろしたまま、魔術師が呟く。
死の淵より舞い戻ったアウラの身体は、バチバチと青白い火花を散らしていた。神の権能を継ぐ者──偽神として、アウラは新生したのだ。
死と生は互いに交わる事は無いが、同時に表裏一体の物でもある。死なくして生は無く、一度仮初の死を体験し、青年は天敵と同じ土俵に立つ資格を得た。
顔を上げる。
その蒼白い瞳の奥には、眼前に立つ敵を屠らんとする、絶対的な戦意が宿っている。
身構えるヴォグを見据え、剣先を向けながら
「第二ラウンドだ、アラストル」
貫くような視線と共に、言い放った。
具現化させたヴァジュラを握る手は力強く、腹部の傷も塞がっていた。
テウルギアと、アウラは躊躇なく口にした。
己が身を滅ぼす可能性すらある、聖句にして禁忌。──アウラという人間の内部を、一時的だが神へと置き換える術。
「疑似神化……貴様、神と接続したのか」
「ああ。お前が一度殺してくれたからな」
ヴォグはこれまで眉一つ動かさなかったが、ここに来て僅かに冷静さを欠いていた。
アウラの思考に一切の淀みは無く、五感は際限なく研ぎ澄まされていく。普段から行使している「強化」など比較にならず、限定的だが、アウラの能力をヴォグと同様の域にまで引き上げた。
偽神となったアウラは呼吸一つ乱さないが、同時に一つ直感していた。
(この状態も長くは続かない……長く見積もっても10分前後がタイムリミット。だから……限界が来る前に、確実にケリを付けろ)
身を低くしながら、アウラは自身に言い聞かせる。
神の力を行使できるとしても、彼自身が長期戦に向いていない事には変わりない。寧ろ、通常の魔術よりも遥かに身体に負担を強いる。
であれば、より短期決戦になるのは必然。
アウラがヴォグの先を行くか、先に限界を迎えるか。その二択だ。
「────余計な小細工は無し。真っ向勝負だ────ッ!!」
そう言い切って、アウラは地を蹴った。
紫電を纏いながら、夜闇を斬り裂くように、ヴォグを仕留める為に全力を注ぐ。
神と化した人間を、無数の影が迎え撃つ。
「強化」した状態でもギリギリで反応していたが──今のアウラを捉えるには、少々遅い。
「──我が身は雷霆の示現」
一言そう呟いて、アウラは一層強く大地を踏みしめる。極限まで高められた身体能力を以て、影を上回る速度を叩き出す。
人間の肉体の内部に変調を齎すという点においては、「強化」の魔術と根本的な理論は変わらない。
だが、その詠唱はアウラという人間を一時的に「神」へと置き換え、その情報を反映させる。即ち──、
(ヴァジュラパーニ……そうか、万魔を滅する雷霆神インドラ。その戦闘情報を肉体に降ろしたという事か)
ヴォグは全てを察していた。
偽神とは何も、完全に神へと至る訳ではない。あくまでも疑似的な物であり、接続した神の権能を断片的に行使する存在。
接続した神格が軍神であるならば、アウラの急激な戦闘力の向上にも説明が付く。
魔術を超える神秘。人でありながら、神の力を手繰るモノ。それこそが、疑似神化と呼ばれる儀式の正体だった。
たったの一歩。それだけで、アウラはヴォグとの間にあった、数10メートルの距離を再び詰めた。
そう──その命に手が届く距離まで。
アウラの頬を一本の影が掠め、僅かに血が宙を舞う。
しかし構わず、彼はヴァジュラを振り下ろした。
「チっ……!」
ヴォグは舌打ちと同時に後ろに飛び退き、展開した翼で受け止める。
何の変哲もない一撃。大して磨き上げられた剣技という訳でも無し。──されどその一刀は、ヴォグを一歩だけだが後退させる。
巨山一つが押し寄せるかのように重い。
火花が散り、再び二つの神の異能が拮抗する。一度は軽々と受け止めたが、今は別だ。
「貴様……っ!!」
「っ! ……生憎、こちとらそう猶予は無いんだ。だから、意地でも押し切らせて貰う……っ!!」
一歩を踏み込み、アウラが押し切る。
鍔迫り合いに負けたヴォグは翼をはためかせ、一旦空中へと退避し、両翼から羽根を射出する。
一つ一つが刀剣に等しい硬度と切れ味を誇る、螺旋を描く、弾丸の如き範囲攻撃。
「ッ────!」
しかし、人体を用意に貫通する凶弾を、アウラは一つ残らず切り裂いた。
そして、滞空している司教を見上げながら、
(アイツ、時間を稼ぐつもりか。でも……)
ゆっくりと、アウラは掌を空に翳し、虚空を掴む。
直後、ヴォグの上空に数十個もの青白い光が浮かび上がり──槍へと形を変えた。
「逃がすかよ……!!」
握った拳を、ぐいっと後ろに引いた。
雷神の権能の断片。テウルギアを行使している間のみ操れる、人々が畏れた自然の暴威。
神の雷霆によって形作られたソレは、まさしく雨のように降り注いだ。
「ぐっ……!」
ヴォグは低く唸り、六枚の内四枚の翼を傘のように展開し、頭上から襲い来る雷の槍に対応する。
月夜が照らす街の一角の空が、雷光によってより一層明るみを増す。
数秒、或いは十数秒。絶え間なく降り注ぐ雷を受け止めていたが、ソレは確実に影で形作られた防壁を削っていく。そして──穿った。
けたたましい轟音と共に、土煙が巻き起こる。
雷撃が降り注いだ辺りの地面には、クレーターが造り出され、その中心でヴォグは片膝を付いていた。
さながら感電したかのように、彼の身体からは青白い火花が散っている。
それは確実に彼の肉体の動きを阻害し、かろうじて二枚の翼を展開させている状態だった。
(コイツ、影で裂傷を与えても動きが鈍っていないだと……)
身体の痺れに耐えながら、ヴォグは違和感を吐露した。
アウラの頬を、確かに影は掠めていた。息を吹き返す前は、影によって傷を付けられて以降、アウラの身体はヴォグの権能によって確かに蝕まれていた。
あらゆるモノを殺す悪神の呪い。それが実体を伴ったものがヴォグの操る「影」の正体だ。
何人もそれから逃れる術はない。如何なる存在であろうとも、一度でも触れれば最後。確実にその身体を侵していき、死に至らしめる。
だが、神と接続した状態のアウラには効いていない。
偽神となった彼の前には、影はただ、殺傷力に長ける道具に過ぎない。
「────!!」
間髪入れず土煙の中に飛び込み、アウラはヴォグの懐へと接近する。
強化された視覚を以てすれば、たとえ夜の──煙に紛れた相手の姿であろうと、判別する事は容易だった。
だがヴォグは残った一対の翼をはためかせ、暴風と共に、呪いが凝縮された羽根を射出する。
螺旋を描きながら、大地を抉りながら、襲い来る雷神の化身を迎撃する。
「その程度で、俺の命に手を掛けられるとでも?」
「くっ……ッ!」
真正面からの一撃を、寸前で右側に転びながら回避し、その勢いのまま飛んでヴォグに最接近する。
雷を纏いながら、天の怒りの具現たる刃を携えて、青年は側方から迫る。
狙うは一点、その心臓。
懐に入り込み、刺突を見舞おうとするが。
「が────ッ!!」
アウラの脇腹を殴りつけるように、ヴォグの影が一撃を叩き込んだ。
細く、それでいて殺傷力に長ける通常の物ではなく、何本もの影が重ねられた「鈍器」に等しい。
その衝撃は痛みとなって全身に走り、苦悶を顕わにするのも束の間。ヴォグは再び距離を取り、アウラは建物の壁に叩きつけられた。
「ダメだ、一瞬油断した……。────っ!」
身体を起こし、再び標的を視覚に捉える。
だが、アウラは苦し気に自分の左胸を押さえている。
その足で確かに立ってこそいるが、アウラの身体には本人の想定よりも負荷がかかっていた。
(消耗が思ったより早い……っ)
小さく息を吐きながら、己の身に起きる異変を感知する。
動いている内は時間の進みをあまり感じないというのもあるが、制限時間はアウラが思うよりも早く迫っていた。
互角には立ち回れているものの、未だ致命傷を与えるまでには至っていない。
(隙を見つける為に接近戦を続けても埒が明かない。……あと数分。それで全て出し切れ……!)
己に許された僅かな時間に、全てを懸ける。
雷を纏うヴァジュラを地に突き立て、そこから放射状に雷撃を放った。それとほぼ同じタイミングで、アウラは走り出した。
大地を迸る雷撃を、ヴォグはどう躱すか。
翼を羽ばたかせると、彼の身体は後方へと大きく飛び上がり──それを狙ったかのように、アウラも跳躍した。
「何度やっても同じ事……ッ!」
影を収束させ、新たに一対の翼を展開し、アウラの刺突を退避しながら受け止める。
そのまま払ってしまえば終わりだが、彼が振り払われる事はない。
刃をより一層深く突き立てながら、
「──同じな訳、無いだろうが……!」
ヴァジュラを握る手に、より力を込める。
体内を巡る魔力を腕からヴァジュラへと流していき──、翼へと一気に流し込む。
「っまさか……!」
ヴォグが翼を切り離そうとするよりも、アウラの雷霆が魔人の身体に辿り着く方が早かった。
翼の根本へと一瞬にして届き、そこからヴォグの内側──神経に至るまで、神の力の断片が浸食していった。
突き刺すような痛みが迸り、同時に指先の感覚まで痺れていく。
(……っ影が動かせない……だと……!?)
翼の一枚を解体し、影に変形させてアウラの首を刈り取ろうとするも、翼が思うように機能しない。
自由に動かす事すらままならない程に、インドラの権能はヴォグの権能を抑え込んでいた。
「別にアンタの動きを止める必要はない。その厄介な影さえ抑え込んじまえばこっちのモンだ……!」
ギリ、と噛むヴォグに対し、アウラは汗を流しながらも言い切った。
翼を蹴って離脱すると同時にヴァジュラを抜き、空中で一回転。標的を見据えたまま、アウラは腕を引き絞る。
地に落とされるヴォグと、それを見下ろすアウラ。
己の魔力をヴァジュラへと回していき、その真髄を剥き出しにする。
あらゆる魔を屠る神器──何人も逆う事の出来ぬ、かつて神だった事象そのものへ、ヴァジュラを回帰させる。
アウラは以前、ソレを一度振るっている。
故に、その手順、感覚は身に染み付いている。
(片腕潰すは覚悟の上。それで仕留められるなら上等だ────!!)
集中力を研ぎ澄ませ、己が討つべき天敵を強く見据えた。
かつて夢で見たインドラと同じように、天を裂く雷そのものと化したヴァジュラ。
空を覆う悪竜すら討ち滅ぼす光。
「くっ……!」
アウラは表情を歪める。
腕全体に、焼かれるような痛みが走った。地下空洞でヴァジュラの異能を行使した時と同じ痛み。
全身の血液が沸騰するかのように熱を帯びていく感覚。
炉心が臨界点を迎えたかのような、尋常ならざる異変。
苦痛を抑え込みながら、アウラは言葉を紡ぎ出した。
「────我が手に在るは万象を滅する神意の具現。其は空を裂き、水を穿ち、三界を灼き尽くす……!」
内に宿るインドラの言葉を代弁するように、アウラは唱えた。
────これは、神話の再演。
悪竜を屠り、天地を創造した主神の威容が、神無き大地に蘇る。
接続し、共有されたインドラの情報を元に、最後の文言を紡ぐ。
ゆっくりと呼吸をして、その名を言葉にする準備を整える。最早形を失い、雷光そのものと化したヴァジュラに、圧倒的熱量の魔力が渦を巻く。
神期の魔獣たるナーガを跡形も無く粉砕した、神の力。
「……『神魔滅せし────」
刮目せよ、異端の輩。
汝らが否定した神の断片は、悪神の暴威をも捻じ伏せる────!
「────紫電の雷鳴』────!!」
詠唱と共に、ヴァジュラを打ち放った。
その閃光は一瞬だが、シオンの地全体を明るく照らし出した。さながら、夜の中天に太陽が降り立ったと思わせる程に。
投擲されたヴァジュラの前には、如何なる盾も意味を為さない。
かつて悪竜を討伐せしめた、インドラ最大の武勇──それを、人の身で再現した。
颶風が街中を駆け巡り、けたたましい轟音と共に、爆発を引き起こしたのだった。
手負いの状態では回避不能の一撃。確実に死に至らしめ、その息の根を完全に刈り取った。──少なくとも、張本人であるヴォグ自身はそう思っていた。
ただ屍が増えるだけという認識だったが。
「何……?」
影は魔術師の青年の首を刎ねる以前に、携えられた両刃の剣によって断ち切られていた。
片手間に、己に寄ってたかった蝿を叩き落とすかのように。
たったの一振りで、アウラを襲った凶刃は跡形もなく空中に霧散していったのだ。
「貴様……」
腹立たし気に言い、ヴォグは更に背中から数本の影を伸ばして振るう。
逃げ場は無く、一本を処理しても更に別の影が頭上から迫る。常人では反応出来ない程の速度を持つソレは、人間を容易に両断してみせるだろう。
だが──アウラはただ横に一閃しただけで、それらを全て消失させた。
(雰囲気が変わった……まさかこの土壇場で────)
ヴォグがそう身構えた直後。
今度はヴォグの方が反応出来ない程のスピードで、アウラが間合いを詰めていた。
「────ッ!!!!」
アウラはその顔面に、渾身の右ストレートを叩き込んだ。
ヴァジュラによる刺突ではなく、拳。殺傷力だけで言えば前者が上回る筈だが、わざわざ拳を選んだのはアウラ本人の意地だろうか。
ヴォグは大きく吹き飛ばされるが、背後に影をクッションのように凝縮させて衝撃を和らげ、体勢を立て直す。
ペッと血を吐き出すと、影を変形させて翼を展開する。
「同調開始……神性の出力先を神体から偽神へ」
拳を振り下ろしたまま、魔術師が呟く。
死の淵より舞い戻ったアウラの身体は、バチバチと青白い火花を散らしていた。神の権能を継ぐ者──偽神として、アウラは新生したのだ。
死と生は互いに交わる事は無いが、同時に表裏一体の物でもある。死なくして生は無く、一度仮初の死を体験し、青年は天敵と同じ土俵に立つ資格を得た。
顔を上げる。
その蒼白い瞳の奥には、眼前に立つ敵を屠らんとする、絶対的な戦意が宿っている。
身構えるヴォグを見据え、剣先を向けながら
「第二ラウンドだ、アラストル」
貫くような視線と共に、言い放った。
具現化させたヴァジュラを握る手は力強く、腹部の傷も塞がっていた。
テウルギアと、アウラは躊躇なく口にした。
己が身を滅ぼす可能性すらある、聖句にして禁忌。──アウラという人間の内部を、一時的だが神へと置き換える術。
「疑似神化……貴様、神と接続したのか」
「ああ。お前が一度殺してくれたからな」
ヴォグはこれまで眉一つ動かさなかったが、ここに来て僅かに冷静さを欠いていた。
アウラの思考に一切の淀みは無く、五感は際限なく研ぎ澄まされていく。普段から行使している「強化」など比較にならず、限定的だが、アウラの能力をヴォグと同様の域にまで引き上げた。
偽神となったアウラは呼吸一つ乱さないが、同時に一つ直感していた。
(この状態も長くは続かない……長く見積もっても10分前後がタイムリミット。だから……限界が来る前に、確実にケリを付けろ)
身を低くしながら、アウラは自身に言い聞かせる。
神の力を行使できるとしても、彼自身が長期戦に向いていない事には変わりない。寧ろ、通常の魔術よりも遥かに身体に負担を強いる。
であれば、より短期決戦になるのは必然。
アウラがヴォグの先を行くか、先に限界を迎えるか。その二択だ。
「────余計な小細工は無し。真っ向勝負だ────ッ!!」
そう言い切って、アウラは地を蹴った。
紫電を纏いながら、夜闇を斬り裂くように、ヴォグを仕留める為に全力を注ぐ。
神と化した人間を、無数の影が迎え撃つ。
「強化」した状態でもギリギリで反応していたが──今のアウラを捉えるには、少々遅い。
「──我が身は雷霆の示現」
一言そう呟いて、アウラは一層強く大地を踏みしめる。極限まで高められた身体能力を以て、影を上回る速度を叩き出す。
人間の肉体の内部に変調を齎すという点においては、「強化」の魔術と根本的な理論は変わらない。
だが、その詠唱はアウラという人間を一時的に「神」へと置き換え、その情報を反映させる。即ち──、
(ヴァジュラパーニ……そうか、万魔を滅する雷霆神インドラ。その戦闘情報を肉体に降ろしたという事か)
ヴォグは全てを察していた。
偽神とは何も、完全に神へと至る訳ではない。あくまでも疑似的な物であり、接続した神の権能を断片的に行使する存在。
接続した神格が軍神であるならば、アウラの急激な戦闘力の向上にも説明が付く。
魔術を超える神秘。人でありながら、神の力を手繰るモノ。それこそが、疑似神化と呼ばれる儀式の正体だった。
たったの一歩。それだけで、アウラはヴォグとの間にあった、数10メートルの距離を再び詰めた。
そう──その命に手が届く距離まで。
アウラの頬を一本の影が掠め、僅かに血が宙を舞う。
しかし構わず、彼はヴァジュラを振り下ろした。
「チっ……!」
ヴォグは舌打ちと同時に後ろに飛び退き、展開した翼で受け止める。
何の変哲もない一撃。大して磨き上げられた剣技という訳でも無し。──されどその一刀は、ヴォグを一歩だけだが後退させる。
巨山一つが押し寄せるかのように重い。
火花が散り、再び二つの神の異能が拮抗する。一度は軽々と受け止めたが、今は別だ。
「貴様……っ!!」
「っ! ……生憎、こちとらそう猶予は無いんだ。だから、意地でも押し切らせて貰う……っ!!」
一歩を踏み込み、アウラが押し切る。
鍔迫り合いに負けたヴォグは翼をはためかせ、一旦空中へと退避し、両翼から羽根を射出する。
一つ一つが刀剣に等しい硬度と切れ味を誇る、螺旋を描く、弾丸の如き範囲攻撃。
「ッ────!」
しかし、人体を用意に貫通する凶弾を、アウラは一つ残らず切り裂いた。
そして、滞空している司教を見上げながら、
(アイツ、時間を稼ぐつもりか。でも……)
ゆっくりと、アウラは掌を空に翳し、虚空を掴む。
直後、ヴォグの上空に数十個もの青白い光が浮かび上がり──槍へと形を変えた。
「逃がすかよ……!!」
握った拳を、ぐいっと後ろに引いた。
雷神の権能の断片。テウルギアを行使している間のみ操れる、人々が畏れた自然の暴威。
神の雷霆によって形作られたソレは、まさしく雨のように降り注いだ。
「ぐっ……!」
ヴォグは低く唸り、六枚の内四枚の翼を傘のように展開し、頭上から襲い来る雷の槍に対応する。
月夜が照らす街の一角の空が、雷光によってより一層明るみを増す。
数秒、或いは十数秒。絶え間なく降り注ぐ雷を受け止めていたが、ソレは確実に影で形作られた防壁を削っていく。そして──穿った。
けたたましい轟音と共に、土煙が巻き起こる。
雷撃が降り注いだ辺りの地面には、クレーターが造り出され、その中心でヴォグは片膝を付いていた。
さながら感電したかのように、彼の身体からは青白い火花が散っている。
それは確実に彼の肉体の動きを阻害し、かろうじて二枚の翼を展開させている状態だった。
(コイツ、影で裂傷を与えても動きが鈍っていないだと……)
身体の痺れに耐えながら、ヴォグは違和感を吐露した。
アウラの頬を、確かに影は掠めていた。息を吹き返す前は、影によって傷を付けられて以降、アウラの身体はヴォグの権能によって確かに蝕まれていた。
あらゆるモノを殺す悪神の呪い。それが実体を伴ったものがヴォグの操る「影」の正体だ。
何人もそれから逃れる術はない。如何なる存在であろうとも、一度でも触れれば最後。確実にその身体を侵していき、死に至らしめる。
だが、神と接続した状態のアウラには効いていない。
偽神となった彼の前には、影はただ、殺傷力に長ける道具に過ぎない。
「────!!」
間髪入れず土煙の中に飛び込み、アウラはヴォグの懐へと接近する。
強化された視覚を以てすれば、たとえ夜の──煙に紛れた相手の姿であろうと、判別する事は容易だった。
だがヴォグは残った一対の翼をはためかせ、暴風と共に、呪いが凝縮された羽根を射出する。
螺旋を描きながら、大地を抉りながら、襲い来る雷神の化身を迎撃する。
「その程度で、俺の命に手を掛けられるとでも?」
「くっ……ッ!」
真正面からの一撃を、寸前で右側に転びながら回避し、その勢いのまま飛んでヴォグに最接近する。
雷を纏いながら、天の怒りの具現たる刃を携えて、青年は側方から迫る。
狙うは一点、その心臓。
懐に入り込み、刺突を見舞おうとするが。
「が────ッ!!」
アウラの脇腹を殴りつけるように、ヴォグの影が一撃を叩き込んだ。
細く、それでいて殺傷力に長ける通常の物ではなく、何本もの影が重ねられた「鈍器」に等しい。
その衝撃は痛みとなって全身に走り、苦悶を顕わにするのも束の間。ヴォグは再び距離を取り、アウラは建物の壁に叩きつけられた。
「ダメだ、一瞬油断した……。────っ!」
身体を起こし、再び標的を視覚に捉える。
だが、アウラは苦し気に自分の左胸を押さえている。
その足で確かに立ってこそいるが、アウラの身体には本人の想定よりも負荷がかかっていた。
(消耗が思ったより早い……っ)
小さく息を吐きながら、己の身に起きる異変を感知する。
動いている内は時間の進みをあまり感じないというのもあるが、制限時間はアウラが思うよりも早く迫っていた。
互角には立ち回れているものの、未だ致命傷を与えるまでには至っていない。
(隙を見つける為に接近戦を続けても埒が明かない。……あと数分。それで全て出し切れ……!)
己に許された僅かな時間に、全てを懸ける。
雷を纏うヴァジュラを地に突き立て、そこから放射状に雷撃を放った。それとほぼ同じタイミングで、アウラは走り出した。
大地を迸る雷撃を、ヴォグはどう躱すか。
翼を羽ばたかせると、彼の身体は後方へと大きく飛び上がり──それを狙ったかのように、アウラも跳躍した。
「何度やっても同じ事……ッ!」
影を収束させ、新たに一対の翼を展開し、アウラの刺突を退避しながら受け止める。
そのまま払ってしまえば終わりだが、彼が振り払われる事はない。
刃をより一層深く突き立てながら、
「──同じな訳、無いだろうが……!」
ヴァジュラを握る手に、より力を込める。
体内を巡る魔力を腕からヴァジュラへと流していき──、翼へと一気に流し込む。
「っまさか……!」
ヴォグが翼を切り離そうとするよりも、アウラの雷霆が魔人の身体に辿り着く方が早かった。
翼の根本へと一瞬にして届き、そこからヴォグの内側──神経に至るまで、神の力の断片が浸食していった。
突き刺すような痛みが迸り、同時に指先の感覚まで痺れていく。
(……っ影が動かせない……だと……!?)
翼の一枚を解体し、影に変形させてアウラの首を刈り取ろうとするも、翼が思うように機能しない。
自由に動かす事すらままならない程に、インドラの権能はヴォグの権能を抑え込んでいた。
「別にアンタの動きを止める必要はない。その厄介な影さえ抑え込んじまえばこっちのモンだ……!」
ギリ、と噛むヴォグに対し、アウラは汗を流しながらも言い切った。
翼を蹴って離脱すると同時にヴァジュラを抜き、空中で一回転。標的を見据えたまま、アウラは腕を引き絞る。
地に落とされるヴォグと、それを見下ろすアウラ。
己の魔力をヴァジュラへと回していき、その真髄を剥き出しにする。
あらゆる魔を屠る神器──何人も逆う事の出来ぬ、かつて神だった事象そのものへ、ヴァジュラを回帰させる。
アウラは以前、ソレを一度振るっている。
故に、その手順、感覚は身に染み付いている。
(片腕潰すは覚悟の上。それで仕留められるなら上等だ────!!)
集中力を研ぎ澄ませ、己が討つべき天敵を強く見据えた。
かつて夢で見たインドラと同じように、天を裂く雷そのものと化したヴァジュラ。
空を覆う悪竜すら討ち滅ぼす光。
「くっ……!」
アウラは表情を歪める。
腕全体に、焼かれるような痛みが走った。地下空洞でヴァジュラの異能を行使した時と同じ痛み。
全身の血液が沸騰するかのように熱を帯びていく感覚。
炉心が臨界点を迎えたかのような、尋常ならざる異変。
苦痛を抑え込みながら、アウラは言葉を紡ぎ出した。
「────我が手に在るは万象を滅する神意の具現。其は空を裂き、水を穿ち、三界を灼き尽くす……!」
内に宿るインドラの言葉を代弁するように、アウラは唱えた。
────これは、神話の再演。
悪竜を屠り、天地を創造した主神の威容が、神無き大地に蘇る。
接続し、共有されたインドラの情報を元に、最後の文言を紡ぐ。
ゆっくりと呼吸をして、その名を言葉にする準備を整える。最早形を失い、雷光そのものと化したヴァジュラに、圧倒的熱量の魔力が渦を巻く。
神期の魔獣たるナーガを跡形も無く粉砕した、神の力。
「……『神魔滅せし────」
刮目せよ、異端の輩。
汝らが否定した神の断片は、悪神の暴威をも捻じ伏せる────!
「────紫電の雷鳴』────!!」
詠唱と共に、ヴァジュラを打ち放った。
その閃光は一瞬だが、シオンの地全体を明るく照らし出した。さながら、夜の中天に太陽が降り立ったと思わせる程に。
投擲されたヴァジュラの前には、如何なる盾も意味を為さない。
かつて悪竜を討伐せしめた、インドラ最大の武勇──それを、人の身で再現した。
颶風が街中を駆け巡り、けたたましい轟音と共に、爆発を引き起こしたのだった。
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