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第二章 エクレシア動乱篇

36話『急襲』

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 ドアの縁、床、壁が、赤黒い血で染められる。
 木目に染み込む程に強く、人の体内を巡る液は迸った。

 突如として現れた謎の男。その凶刃に、セシリアは為す術なく倒れ伏す──間に合わなかったクロノは、そう強く思い込んでいた。
 だが、それは杞憂。
 迸った血はセシリアではなく、短剣を手にした男の物だったのだから。

「……これはどういう事ですか」

 セシリアは全く動じる事なく、男の背後にいる人物に問いかける。
 明らかに、見知った相手に対する口調だ。
 何かが抜けるような音と同時に、彼女は半歩後ずさり、前に倒れ込んだ男の亡骸を避ける。

 その死体には、男が狙っていた位置と同じ、左胸の辺りに穴が開いていた。一突きというだけではなく、完全に身体が貫かれている。
 絶命は必至の一撃だった。

「──詳しい説明は後でする。二人とも今すぐ来てくれ」

 男の背後にいたのは、ロギアだった。しかし様子は普段とは違い、焦燥を隠せていない。
 証拠に、その手には男の心臓を貫いたと思しき得物──柄の長い鉾を手にしていた。

 セシリアとクロノもその意図を汲み、その表情を引き締めたのだった。



※※※※



 一方、セシリア達が何者かによる襲撃を受けた頃。
 カレンは浴場から戻り、アウラは交代で行こうとするも

────『あ、ごめん。浴場私で最後だったわ』

 と、浴場が閉まっていた事を告げられ、泣く泣く部屋の一角の洗面所で軽く洗う程度で済ませた。
 ベッドに横になり、天井を見上げながら、

「なぁカレン」

「ん?」

「今更蒸し返すようで少し忍びないんだが、お前昼間、本当に景色を眺めてただけなのか?」

 昼間、大聖堂に行く前の会話を思い返す。
 街に足を踏み入れてからというものの、彼女は常に気を張っていた。あの時は初めて見る街の風景を観察していたと言っていたが、アウラは何処か引っかかりを感じていた。
 
「……」

「三ヶ月の殆ど一緒に過ごしてれば、流石の俺でもそれぐらいは分かるよ。ずっと何かを警戒しながら歩いてたろ?」

「……街に入ってから、何だか得体の知れない魔力を感じてたのよ。明らかに一般人じゃないし、普通の魔術師じゃない。異質で、気持ちの悪い魔力が、ね」

 ベッドから上半身を起こし、視線を前に向けたまま、感想を述べた。
 聖なる都にそぐわない、彼女ですら「気持ち悪い」と思わせる魔力。
 そう語る彼女の表情は至って真剣そのものだった。

「アウラ、貴方よく気付いたわね。アンタと駄弁ってる時にも、そんな感じは殆ど出してない自信はあったんだけど」

「俺、エリュシオンを出発する前に高台の教会で変な修道女の人に会ったって言ったろ? 実はその時、「今の貴方には良くない相が見えるから気を付けろ」って忠告されたんだよ。その時は大して気にして無かったけど、カレンがあれだけ気を張ってたのを見て、もしかしたら……って思ったんだ」

「アウラに見えた相、ねぇ……死相の事だとしたら、相当に不味いわね、貴方」

「縁起でもない事をって言いたい所だけど、東の大陸が危ないってのもあるし、あながち否定は出来ないのがもどかしいな……」

「人の相を見る聖職者とは、随分と変わり者の修道女もいるものね」

「初対面で人の素性を悉く言い当てるし、不思議な人だったよ。何でも、生まれつき魔眼の亜種を持ってるんだってさ」

 窓の外の景色を見ながら言う。
 雲の流れる空には、綺麗な満月が浮かんでいた。

 ただ、アウラの瞳は一つ──奇妙な物を捉えていた。
 
 忍者のように屋根を飛び越える、人型の影を見た。

「……なんだ、あれ」

「どうかしたの?」

「いや、屋根の上に黒い人が────」

 窓により近づき、視覚に軽い強化を施して、その影を追う。
 ソレは、夜闇に溶け込むような黒衣を身に纏っていた。

「黒い服……?」

 カレンもアウラのいるベッドの方へ向かおうと立ち上がり、一歩を踏み出した。
 それとほぼ同じタイミングで、

「カレン、後ろ!」

 カレンのいた側の窓を突き破り──アウラが見た物と同じ黒衣を纏った者が、姿を現した。
 その手には剣が握られ、彼女の首を薙ぎ斬るように振るわれる。

「──ッ!」

 謎の男が刃を振るうよりも早く、彼女が屈んで初撃を躱す。
 その状態から回転して男の脚を狩り、バランスを崩した所で顔面を掴み、そのまま床に叩き付けた。
 更に、それだけでは終わらない。ダメ押しとばかりに魔剣を具現化させ、腹部に突き立てる。

「なんだよ、コイツら……!」

「……言いたい事は山ほどあるけど、一先ずこの宿を出るわよ。外は包囲されてるかもしれないから、窓から。強化した状態なら、向かいの屋根の上ぐらい飛び移れるでしょ」

 アウラは頷きで応じ、窓を開けてから脚力を「強化」した状態で飛ぶ。
 一度に長い距離を飛ぶというのは、ナーガ戦で嫌と言う程経験していた。続いてカレンも軽々と飛び移り、二人は三階建ての建物の上に飛び乗った。
 そこで彼らが見た景色とは──、

「……民間人が、逃げ回ってる」

 悲鳴を上げながら、逃げ惑う人々の姿があった。そして同時に、彼らを先導する法衣の者の姿もあった。
 子供を抱えて家族と共に逃げ果せる者もいれば、そうでない者──彼らによって命を奪われた亡骸も通りに転がっている。
 何から逃げているのかは簡単、謎の黒衣の男たち。
 
「滞在する使徒がいたのが不幸中の幸いね……」

「こいつらって、まさか……あの」

「ええ。教会と私達の敵──バチカル派よ」

 遠くを見据えながら、カレンが言った。





※※※※




 
 シオンの離れに建っている時計台。
 大聖堂を含めた街を一望する事の出来る場所に、二つの影があった。
 
「──動き出したか」

 淡々と語る男は、何処までも暗い黒髪に、光の無い目で街を見下ろしていた。
 これから起きる惨劇に何の関心も無い。例え死体を目にしても、その心が揺らぐことはない、ある意味では鉄のような男だ。

「これだけの信徒を送り込めば問題ないでしょう。今日は王国の騎士たちも駐屯していない……バカな連中だな。この調子なら、司教様が出る幕はないかと」

 もう一人の男は、この状況を楽しむように笑っていた。
 人の死を心から望み、それを期待している目付きだ。

「なら、手始めにこの街を攻め落とすとしよう。……ラザロ、お前は街へ降りて、一人でも多くの者を殺せ」

「承知致しました。バチカル派司教──ヴォグ・アラストル様」

 その言葉を最後に、如何なる魔術か、片方の金髪の男は空間に溶け込むように姿を消した。
 一人残った男はそのまま静かに佇む。ただ、街を見下ろしながら。
 しかし、彼は少し眉間に皺を寄せながらこう言った。

「……混ざり物がいるな」

 腹立たしいようにも聞こえるその声からは、不快感を感じているのが見て取れた。
 
 月明りが照らす聖堂の都。
 そこで繰り広げられるのは、ただの供儀。彼らバチカル派が自分たちを信奉する悪魔の為に捧げる、凄惨極まりない儀式だった。
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