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第一章 開幕編
幕間『いずれ出遭う巡礼者』
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「──常に神への祈りを忘れず、誠実でいなさい。この在り方こそが、貴方達の心に本当の平穏を齎すのです」
そこは、荘厳な雰囲気の満ちる空間だった。
パイプオルガンと思しき楽器の演奏が響き渡り、その場にいる人々の心を洗い流していく。力強く、かつ優しさを兼ね備えた声で人々に語り掛けるのは、紺色をした法衣に身を包む、壮年の男性だった。
壁には煌びやかなステンドグラスが飾られ、より一層幻想的な印象を抱かせるその場所は──礼拝堂だ。
より広い意味で言うのであれば、教会。
人々が神に祈祷を捧げ、その罪を拭う為に告白する、願いの集積場。
左右に設置された長椅子には老人から若い男女、また子供まで多くの人々が座り、礼拝を取り仕切る司祭の話に耳を傾けている。
彼らの手元にはそれぞれ、黒い装丁の分厚い書物があった。
世俗とは切り離された神聖な空間。
その入口にも司祭と同じく、法衣に身を包んだ一組の男女の姿が。
「──ここの教会も、特に問題は無さそうですね」
礼拝の様子を見て、修道服に身を身を包んだ少女は呟いた。
頭巾から灰色の髪を僅かに覗かせ、その肌は雪のように白く、見る者によっては病的な印象を抱かせる事だろう。
少女が手元の紙に何やら記録していると、そのすぐ横に立つ青年が補足するように口を開いた。
「一応、司祭を務めるヘイレル氏はソテル教会上層部の面々にも名前を知られているぐらいの人物だからな」
そう語る彼は、端正な顔立ちに清潔感のある黒髪をしていた。まだ若々しく、少女よりも少し年上ぐらいを思わせる容姿だ。
ソテル教──それは東の大陸に位置する国、エクレシア王国を総本山として世界中に布教している「一神教」である。
豊穣や多産、雨乞いなど、自然を司る太古の神々へと信仰を向けたものではなく、人間という存在をあらゆる罪から解放する為の、人によって作られた信仰体系。
彼らが信じるのは、神期を生きたとされる預言者、そして彼が啓示を受けた全能なる「神」の言葉。それらを記録し、一つの聖典として編纂されたものが黒い装丁の書物──「聖伝書」である。
「赴任して以降、街の人達からも長い間慕われているらしいし、少なくとも問題を起こすような御仁ではないだろ」
「なら、特に問題無しという事で報告しても大丈夫ですね」
「ああ」
修道服の少女は手元の紙に書き込みながら、傍らの青年に確認する。
彼らはただ礼拝に参加している訳ではなく、教会の調査のために足を運んでいる様子だった。
教会内に、司祭の言葉が響き渡る。
信徒としての正しい在り方を説く事で、一人でも多くの人が神の恩寵を賜れるように。神に仕える者としては、それが最たる使命だ。
「全てを造り給いし天上の神よ。どうかその威光で、迷える者に正しき道をお教え下さい──」
聖伝書を手に、司祭が語る。
彼の言葉はそれが最後で、礼拝はパイプオルガンの演奏で締めくくられた。座っていた人々が立ち上がり、次々と教会を去っていく。
入口付近で参加者たちに会釈しつつ、二人は最後まで残っていた。
「いやはや、久しぶりに緊張してしまいましたな……こんな港町の小さな教会までご足労いただいて嬉しい限りですよ、使徒のお二方」
「とんでもありません。今日もお疲れ様でした、ヘイレル氏」
言いながら、ヘイレルと呼ばれた司祭は二人のもとへと歩いて来た。
礼拝中は常に人々を諭すような真剣な面持ちだったが、緊張が解けた今は、安堵したように笑みが浮かんでいる。
この教会は、東の大陸沿岸に位置する臨海都市リノスにある教会だ。
ソテル教は教皇を筆頭に枢機卿や司教、司祭といった階級構造を為しているが、ピラミッド状とも言えるヒエラルキーのどれにも属さない役職もある。
特定の教会に留まるのではなく、各地を巡って布教を行い、また教会の様子を精査する「使徒」と呼ばれる聖職者だ。
この二人は、その職務として教会を訪れていた。
「信徒の数も以前より増えているそうですし、今回も特に問題は無しという事で教会本部に報告させて頂きます。連絡事項などあれば一緒に伝えておきますが、何かありますか?」
「連絡事項ですか……特に不自由などは無いんですが、可能ならそろそろ演奏用のパイプオルガンの点検をお願いしたいですね。この教会に来てから、かれこれもうすぐ10年ぐらい経ちますし」
「承りました。でしたら、上にそう伝えておきますね」
「よろしくお願いします。……ところで、二人とも随分とお若いのに世界を渡って、大変ではありませんか?」
ヘイレルは心配そうに問いかける。
青年も少女も、まだまだ未来ある若者。己とは大きく年の離れているにも関わらず、身を粉にして教会の為に奉仕しているのだ。
余程教会、そして信徒を想う気持ちが無ければ出来ない。
「確かに大変ですけど、辛いのはもう慣れっこです」
「右に同じです。教会の為であれば、何処であろうが布教に行きますよ」
苦笑いで返す青年に対し、少女の表情、そして声は真剣そのものだった。
どちらも同じ「使徒」には変わりないが、少女の方がより強い信仰心を持ち合わせているように思えた。
教会に属する者の中には神の信徒として、その全てを捧げる事に美しさを見出す者もいる。
だが、この教会で司祭を務めるヘイレルはその域には至っておらず、神の為に働く者の身を案じる事の出来る余裕があった。
「これは司祭として、一人の人生の先輩としての助言ですが……どうか、休む時には遠慮なく休んで下さい。貴方がたのお陰で教えを広める事が出来ていますが、そのために死ぬというのは、あまりにも本末転倒ですから」
ヘイレルは司祭を任される程には神の教えを信じ、何より大切にしている人間だ。だが、彼の名が教会の人間の間で浸透しているのは、その人間性も一役買っていた。
信仰に生きる事も大切だが──それと同じレベルで、現実を生きる人間として生きる事も重要視しているのだ。
神に心酔し、信仰を過信し過ぎた時、それは妄信に成り果てるのだ。
「ありがとうございます。────でも大丈夫です。それぐらいは覚悟の上ですから」
法衣の青年は笑顔で、感謝の言葉を述べた。司祭の助言を受け止めた上で、使徒として生きる事──教会の為に身を捧げる事を受容していた。
さながら、それが己に定められた道であるかのように。
司祭は最初こそ単純に彼らを心配していたが、「使徒」という役職を担う者の在り方を目にし、何処か納得した様子だった。
「それではヘイレル司祭、私達はこの辺りで失礼します。お身体に気を付けて」
そう挨拶をして会釈をし、振り向いて入口の方へと歩き出す。次いで少女も頭を下げ、青年の後を追った。
ガチャリと、玄関を開ける。
教会を出ると、爽やかな潮風が頬を撫でた。
丘の上に建っているからか、眼前には人々で賑わう街の景色。そして、何処までも広がる大海があった。船着き場には何隻かの舟が到着しており、人々が乗り降りしているのが見て取れた。
画家であれば、この景色を絵画に収めておきたいと思わせる程に美しい光景だ。
「──それで、ロギアさん。私達は次に何処の教会に行くんですか」
横から、少女が青年──ロギアに問う。その表情に変化はなく、ある種機械的とも言える。
「いや……それが、俺とセシリアはこの港町で待機らしい。西の大陸から来る冒険者を王都まで案内しろって、こないだ機関長から連絡があったんだ」
「私達が、冒険者を?」
「西の果ての都市国家、エリュシオンのギルドのグランドマスターがエクレシアの教皇と親交があるらしくてね。手紙やらの文書を王都にまで届けるって依頼らしい」
「……それ、私達が預かれば済む問題では?」
「それは確かにそうだけど、下手に独断で動いて何かあったら困るからな。それに、あちらはわざわざ海を渡って来るんだし、俺達が手紙だけ貰って「帰れ」なんてのはちょっと……」
数日の船旅を経て、ようやく到着した者に対して平然と言えるほど、ロギアは冷酷ではない。
彼の返答を聞いたセシリアは「そうですか」と一言置いて、
「なら分かりました。そういう事なら大人しく従いますよ……で、その冒険者さん方はいつごろ来るんですか?」
「出発したらギルドの方から連絡があるみたいだから、それまでは実質休暇だな。──って、どこ行くんだよ!」
気が付けば、すぐ横にいた筈の彼女がUターンして歩き出していた。
呼び止めると、セシリアは相変わらず
「どこって、教会に決まってるじゃないですか。私はヘイレル司祭の手伝いをしてくるので、連絡があったら呼びに来てください。では」
ロギアの返答を待つ事なく、セシリアはそさくさと教会へと戻った。
たとえ僅かな時間でも教会の為に働く。信仰者としては申し分ない在り方だが、そのマイペース具合は時に相方を困らせる。
「全く……仕方ない、俺一人で連絡を待つしかないか」
諦めたように、頭を掻きながら丘を下って街に戻る。
巡礼する神の徒。
アウラ達が彼らと出会うのは、少し後のお話。
そこは、荘厳な雰囲気の満ちる空間だった。
パイプオルガンと思しき楽器の演奏が響き渡り、その場にいる人々の心を洗い流していく。力強く、かつ優しさを兼ね備えた声で人々に語り掛けるのは、紺色をした法衣に身を包む、壮年の男性だった。
壁には煌びやかなステンドグラスが飾られ、より一層幻想的な印象を抱かせるその場所は──礼拝堂だ。
より広い意味で言うのであれば、教会。
人々が神に祈祷を捧げ、その罪を拭う為に告白する、願いの集積場。
左右に設置された長椅子には老人から若い男女、また子供まで多くの人々が座り、礼拝を取り仕切る司祭の話に耳を傾けている。
彼らの手元にはそれぞれ、黒い装丁の分厚い書物があった。
世俗とは切り離された神聖な空間。
その入口にも司祭と同じく、法衣に身を包んだ一組の男女の姿が。
「──ここの教会も、特に問題は無さそうですね」
礼拝の様子を見て、修道服に身を身を包んだ少女は呟いた。
頭巾から灰色の髪を僅かに覗かせ、その肌は雪のように白く、見る者によっては病的な印象を抱かせる事だろう。
少女が手元の紙に何やら記録していると、そのすぐ横に立つ青年が補足するように口を開いた。
「一応、司祭を務めるヘイレル氏はソテル教会上層部の面々にも名前を知られているぐらいの人物だからな」
そう語る彼は、端正な顔立ちに清潔感のある黒髪をしていた。まだ若々しく、少女よりも少し年上ぐらいを思わせる容姿だ。
ソテル教──それは東の大陸に位置する国、エクレシア王国を総本山として世界中に布教している「一神教」である。
豊穣や多産、雨乞いなど、自然を司る太古の神々へと信仰を向けたものではなく、人間という存在をあらゆる罪から解放する為の、人によって作られた信仰体系。
彼らが信じるのは、神期を生きたとされる預言者、そして彼が啓示を受けた全能なる「神」の言葉。それらを記録し、一つの聖典として編纂されたものが黒い装丁の書物──「聖伝書」である。
「赴任して以降、街の人達からも長い間慕われているらしいし、少なくとも問題を起こすような御仁ではないだろ」
「なら、特に問題無しという事で報告しても大丈夫ですね」
「ああ」
修道服の少女は手元の紙に書き込みながら、傍らの青年に確認する。
彼らはただ礼拝に参加している訳ではなく、教会の調査のために足を運んでいる様子だった。
教会内に、司祭の言葉が響き渡る。
信徒としての正しい在り方を説く事で、一人でも多くの人が神の恩寵を賜れるように。神に仕える者としては、それが最たる使命だ。
「全てを造り給いし天上の神よ。どうかその威光で、迷える者に正しき道をお教え下さい──」
聖伝書を手に、司祭が語る。
彼の言葉はそれが最後で、礼拝はパイプオルガンの演奏で締めくくられた。座っていた人々が立ち上がり、次々と教会を去っていく。
入口付近で参加者たちに会釈しつつ、二人は最後まで残っていた。
「いやはや、久しぶりに緊張してしまいましたな……こんな港町の小さな教会までご足労いただいて嬉しい限りですよ、使徒のお二方」
「とんでもありません。今日もお疲れ様でした、ヘイレル氏」
言いながら、ヘイレルと呼ばれた司祭は二人のもとへと歩いて来た。
礼拝中は常に人々を諭すような真剣な面持ちだったが、緊張が解けた今は、安堵したように笑みが浮かんでいる。
この教会は、東の大陸沿岸に位置する臨海都市リノスにある教会だ。
ソテル教は教皇を筆頭に枢機卿や司教、司祭といった階級構造を為しているが、ピラミッド状とも言えるヒエラルキーのどれにも属さない役職もある。
特定の教会に留まるのではなく、各地を巡って布教を行い、また教会の様子を精査する「使徒」と呼ばれる聖職者だ。
この二人は、その職務として教会を訪れていた。
「信徒の数も以前より増えているそうですし、今回も特に問題は無しという事で教会本部に報告させて頂きます。連絡事項などあれば一緒に伝えておきますが、何かありますか?」
「連絡事項ですか……特に不自由などは無いんですが、可能ならそろそろ演奏用のパイプオルガンの点検をお願いしたいですね。この教会に来てから、かれこれもうすぐ10年ぐらい経ちますし」
「承りました。でしたら、上にそう伝えておきますね」
「よろしくお願いします。……ところで、二人とも随分とお若いのに世界を渡って、大変ではありませんか?」
ヘイレルは心配そうに問いかける。
青年も少女も、まだまだ未来ある若者。己とは大きく年の離れているにも関わらず、身を粉にして教会の為に奉仕しているのだ。
余程教会、そして信徒を想う気持ちが無ければ出来ない。
「確かに大変ですけど、辛いのはもう慣れっこです」
「右に同じです。教会の為であれば、何処であろうが布教に行きますよ」
苦笑いで返す青年に対し、少女の表情、そして声は真剣そのものだった。
どちらも同じ「使徒」には変わりないが、少女の方がより強い信仰心を持ち合わせているように思えた。
教会に属する者の中には神の信徒として、その全てを捧げる事に美しさを見出す者もいる。
だが、この教会で司祭を務めるヘイレルはその域には至っておらず、神の為に働く者の身を案じる事の出来る余裕があった。
「これは司祭として、一人の人生の先輩としての助言ですが……どうか、休む時には遠慮なく休んで下さい。貴方がたのお陰で教えを広める事が出来ていますが、そのために死ぬというのは、あまりにも本末転倒ですから」
ヘイレルは司祭を任される程には神の教えを信じ、何より大切にしている人間だ。だが、彼の名が教会の人間の間で浸透しているのは、その人間性も一役買っていた。
信仰に生きる事も大切だが──それと同じレベルで、現実を生きる人間として生きる事も重要視しているのだ。
神に心酔し、信仰を過信し過ぎた時、それは妄信に成り果てるのだ。
「ありがとうございます。────でも大丈夫です。それぐらいは覚悟の上ですから」
法衣の青年は笑顔で、感謝の言葉を述べた。司祭の助言を受け止めた上で、使徒として生きる事──教会の為に身を捧げる事を受容していた。
さながら、それが己に定められた道であるかのように。
司祭は最初こそ単純に彼らを心配していたが、「使徒」という役職を担う者の在り方を目にし、何処か納得した様子だった。
「それではヘイレル司祭、私達はこの辺りで失礼します。お身体に気を付けて」
そう挨拶をして会釈をし、振り向いて入口の方へと歩き出す。次いで少女も頭を下げ、青年の後を追った。
ガチャリと、玄関を開ける。
教会を出ると、爽やかな潮風が頬を撫でた。
丘の上に建っているからか、眼前には人々で賑わう街の景色。そして、何処までも広がる大海があった。船着き場には何隻かの舟が到着しており、人々が乗り降りしているのが見て取れた。
画家であれば、この景色を絵画に収めておきたいと思わせる程に美しい光景だ。
「──それで、ロギアさん。私達は次に何処の教会に行くんですか」
横から、少女が青年──ロギアに問う。その表情に変化はなく、ある種機械的とも言える。
「いや……それが、俺とセシリアはこの港町で待機らしい。西の大陸から来る冒険者を王都まで案内しろって、こないだ機関長から連絡があったんだ」
「私達が、冒険者を?」
「西の果ての都市国家、エリュシオンのギルドのグランドマスターがエクレシアの教皇と親交があるらしくてね。手紙やらの文書を王都にまで届けるって依頼らしい」
「……それ、私達が預かれば済む問題では?」
「それは確かにそうだけど、下手に独断で動いて何かあったら困るからな。それに、あちらはわざわざ海を渡って来るんだし、俺達が手紙だけ貰って「帰れ」なんてのはちょっと……」
数日の船旅を経て、ようやく到着した者に対して平然と言えるほど、ロギアは冷酷ではない。
彼の返答を聞いたセシリアは「そうですか」と一言置いて、
「なら分かりました。そういう事なら大人しく従いますよ……で、その冒険者さん方はいつごろ来るんですか?」
「出発したらギルドの方から連絡があるみたいだから、それまでは実質休暇だな。──って、どこ行くんだよ!」
気が付けば、すぐ横にいた筈の彼女がUターンして歩き出していた。
呼び止めると、セシリアは相変わらず
「どこって、教会に決まってるじゃないですか。私はヘイレル司祭の手伝いをしてくるので、連絡があったら呼びに来てください。では」
ロギアの返答を待つ事なく、セシリアはそさくさと教会へと戻った。
たとえ僅かな時間でも教会の為に働く。信仰者としては申し分ない在り方だが、そのマイペース具合は時に相方を困らせる。
「全く……仕方ない、俺一人で連絡を待つしかないか」
諦めたように、頭を掻きながら丘を下って街に戻る。
巡礼する神の徒。
アウラ達が彼らと出会うのは、少し後のお話。
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