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第一章 開幕編

16話『洞窟に潜む脅威』

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 ジェヴォ―ダンの群れを無事に退けた二人。つい数分前までは会話があったが、今は最低限に留めていた。

 山岳地帯一帯の地図が事前に渡されていたが、先導するクロノは地図では無く、自らの記憶を頼りに次の目的地の洞窟を目指している。奥に進むにつれ道のりも険くなっていき、成人男性の身長程の高さの倒木を乗り越え、川をを渡るという事もあった。
 その歩みに迷いは無い辺り、余程この山の事を把握している。
 魔獣に襲撃を受けた辺りからからこれ数十分は歩き続け、徐々に足元に傾斜が生まれていく。クロノは慣れた様子で突き進むが、アウラは度々転びそうになっていた。
 暫し、彼らの間に静寂が続いていたが、それを終わらせるように、クロノが口を開く。

「多分、目的地の洞窟はもう少し行った所にあると思います。中では何が起きるか分からないので、用心だけはしておいて下さい」

「あぁ、分かってるよ」

 彼女の忠告を頷きと共に受け入れる。長い間調査報告の無い洞窟というだけで、内部で一体何が待ち受けているのか不安にさせる。
 クロノの方は特に問題は無い様子だが、アウラには一つ問題点があった。
 魔術行使の限界だ。
 人体に内在する限られた魔力オドを用いた魔術に縛られる以上、通常の魔術師よりそう何度も扱う事は出来ない。戦闘が終わり次第魔術を解き、次戦に備える必要がある。

(何もないに越したことは無いけど……)

 繰り返しの魔術行使であれば、この三ヶ月で幾度も経験した。
 魔力が底を突くという事は無かったが、故に自分の限界をまだ彼は知らない。鍛錬の段階であればまだ許されたが、今は本番。己の魔力の総量を把握していないのは場合によっては致命的なミスに繋がる。

 クロノの案内で山中を進んでいくと、二人は少し開けた場所に出た。そして露出した山肌にぽっかりと開いていたのは、高さ三メートル程の穴であった。人間が入るには十分な大きさだが、奥の方は数メートル先すら見えない程の深い闇に覆われている。
 さながら、地獄の底。冥界への入口だ。

「ここか。依頼にある洞窟ってのは」

「まず無事に辿り着けて良かったですが、気を引き締めなきゃいけないのはここからです」

 真剣な面持ちで忠告する。
 洞窟の正面まで歩いた所でクロノは足を止め、周囲に落ちている手頃な枝を拾い上げた。
 数秒の間、そして呼吸を置いた彼女は枝の先端を見つめ

「───フェオ」

 僅か一単語の詠唱。直後、枝に火が燈る。即席の松明の完成である。
 先程の戦闘からさほど間が空いていない中での魔術行使だが、彼女は難なくこなしている。

「ランプとかは支給されていないので、とりあえずはコレで代用しましょう」

「案内から明かりの確保まで、色々と申し訳ないな……魔力の方は大丈夫なのか?」

「私はまだ余裕があるので心配は無用ですよ。最悪、マナを用いた魔術に切り替えれば戦闘にも支障はありませんからね」

 長期戦の出来ないアウラに対し、マナを取り込む事のできるクロノには魔術を行使する手段がある。
 だが、未完成な自分のせいで周囲に負担を負わせてしまっている。という意識がアウラの中に根付いていた。

「アウラさんがオドを用いた魔術しか使えない事は、カレンさんから聞いています……だから、貴方は戦いに備える事だけ念頭に置いていて下さい。一応、貴方のサポートも任されてますのでね」

「……了解した。出来る事をやれって事だな」

 限られた事しか出来ないなら、その一点に全霊を以て臨む。
 欠点を持つ者なりの姿勢だ。
 培った技術は確かに身体が覚えており、本番でも十分に発揮する事が出来ている。であれば、同じことを続けるのみだ。

「私も、何かあれば全力で事に当たりますから。──では、行きましょう」

 互いに全力を尽くす事を約束し、洞窟の調査を開始した。
 内部の探索を開始すれば、常に周囲の異変に気づく為にも、気を抜く事は許されない。

 洞窟内に関する情報は何一つ知らされておらず、故に、常に魔獣の襲撃の可能性を考慮する。
 入口から差し込む太陽の光も、少し歩けば届く事は無くなり、煌々と燃え続ける炎のみが頼りになる。最悪の場合、魔術で視界を強化しながら探索する事になるだろう。
 コン。コン。コン。と、堅い地面を踏む三人分の足跡が洞窟の中を木霊する。
 存外早く光が途絶え、再び、二人の間に緊張感が張り詰める。
 ヴァジュラを握る手にも力が入る。当然それは、いつ何が起こるか分からないという不安感に依るものだ。

 クロノの松明のお陰で、前方を見る分には何も問題は無い。

 無言のまま、奥へ奥へと進む。
 特に何も起きぬまま、互いの距離を一定に保ったまま探索を進める。だが、

「……ん?」

 何かに気づいたように、アウラはふと立ち止まった。
 後方から絶え間なく響いていた音が絶え、クロノも応じるように振り返った。

「どうしました?」

「いや、何か今蹴ったような気がして……。石にしては軽かったし、ちょっと照らして貰えるか?」

 クロノは静かに頷き、松明を足元へ近づける。
 植物などは一切生えておらず、そのような環境という訳でも無い。であれば、アウラの違和感の原因は一体何なのか。

 光によって照らし出されたその正体は、二人を戦慄させるモノだった。

「────っ!」

 ソレを見たアウラは、ぞぞぞ、と、背筋を何かが駆け抜けていくのを感じ、僅かに動揺を顕わにした。対するクロノも、表情こそ崩していないものの、「只事では無い」と察している。

 アウラの足元にあったのは、人間のだった。

 身体を覆っていた肉は綺麗にこそぎ取られている。地面が所々赤黒くなっているのもこの者の血液であろう。
 この亡骸が一体何者であったか、その点については予想するに難くない。

「冒険者……だよな、これ」

「ええ。恐らくは」

 骨が放置されていた周辺には、この者の所持物であったと思しき物品が散乱していた。
 一般の民間人がこの地帯に立ち入る事は禁止されている。立ち入る者がいるとすればそれこそ調査を依頼された同業者以外にはあり得ない。

「内臓も肉も綺麗に削り取られてますね。ただの獣であれば、ここまで綺麗に食う事なんてそうそうありませんよ」

 同胞の亡骸を見て、冷静に分析する。
 獲物を喰らったとしても、多少の肉は残る。腐敗している様子も無く、それから来る腐臭も一切ない。
 まるで、人為的にあらゆる付随物を剥ぎ取られたようにも見える。

「……クロノ、もっと明るく出来るか」

 顔を合わせる二人には、揃って嫌な予感がしていた。
 この先にどんな光景が広がっているのかを、容易に想像できたからだ。
 クロノは洞窟の奥深くを見据え、手に持った松明を前方に放り、その方向へ人差し指を向けて宙に文字を描く。

「照らし出せ──ダエグ

「強化」の魔術とは少し長い詠唱を紡ぐ。アウラがこの世界で初めて見る、強化以外の魔術だ。
 メラメラと揺れていた松明の炎から目を覆う程の閃光が放たれる。彼女の魔術は覆っていた闇を払い、平時でも鮮明に先を視認出来る程に明度を上げた。

 だが、一切の闇を排除した彼らの前に広がっていた光景は──凄惨、そうとしか形容できないモノだった。

「──────」

 絶句する。
 開かれた視界に映ったのは、幾人もの似たような遺骸であった。この洞窟から抜け出す事叶わず力尽き、その命を何者かによって貪り尽くされた果ての姿。
 死体の海という言葉が相応しい、一度見るだけで記憶の奥深くに一生刻み込まれる景色。
 先程の亡骸を発見してもある程度の平静は保っていたクロノですら、その光景は恐怖心を煽るには十分。

「この洞窟の依頼報告が無かったのって、「誰も捜索してないから」じゃなくて、「誰も生きて帰ってないから」ってワケか……」

「そうとしか、考えられないでしょうね。」

 額に汗を滲ませ、アウラの推測を肯定する。
 眼前に散らばる、夥しい数の遺骸。既に身元を特定するのは不可能なものが大半だ。

「洞窟の探索……名目だけは簡単そうだが、実際はそうじゃないみたいだな」

 魔獣の退治ならまだしも、ここまでの犠牲者を出しているという現実を前に、この依頼が一筋縄ではいかないものだという事を理解する。
 既に確認しただけでも遺体の数は二桁をゆうに越している。
 冒険者達の屍が「先へ行くな」と二人を諭しているようにも感じられる道。それを振り返る事なく、彼らは進む。
 魔獣の気配はいまのところ無い。自分達以外の足音も息遣いも無く、ただ歩く分には何ら危険性は皆無であった。
 ひたすらに歩き続けると、今まで直線状にあった道が途絶え、下り坂が姿を見せる。

「下に続いてますね。一層気を引き締めていきましょう」

 言って、クロノは主武装の大鎌を現出させる。
 魔術で照らし出したものの、少し薄暗くなっている道の先。
 先が分からない不安はアウラも同じ。だが、このまま引き返しても成果を挙げられないのも事実。
 この果てに何が在るのか、そして、奥には何が居るのか。それを彼らは確かめなければならない。

「あれだけの人を殺したヤツを、仕留めるんだな」

「はい。これ以上犠牲者を増やさない為にも──確実に、私達の手で討ち取ります」

 クロノは語気を強め、意識を切り替える。会話をしている時のような、穏やかな眼では無い。先ほどの戦闘の時はまだ、降りかかる火の粉を払う様なものだった。だが、今は状況が違う。
 獲物を定め、その命を確実に狩る事を決めた。
 その点に関しては、アウラも異論はない。
 持ちうる全霊を以て、洞窟に住まう主を仕留める。討ち取る事が出来なければ、無数の死体に加わるのみだ。

 現れた坂道を下る。
 崩落したらどうしよう、といった不安もゼロでは無く、心の片隅に居座り続けている。しかしそれ以上に彼らが恐れ、立ち向かわなければならないモノが、其処には潜んでいる。
 一体いつ出くわすか分からないが、一度相まみえれば彼らの為すべき事は唯一つ。
 クロノを先頭に暫く道なりに進んでいたが、何処かにいる筈の彼らの様子を見ているのか、魔獣はまだ姿を見せない。

 五分ほど道なりに進んだ辺りで平坦な道に切り替わった。
 ただ下へ下へと進んでいるだけで、この先に何が待ち受けているかなど知る由も無い。

 長いようで短かった道はふと途絶え、続いて彼らの前に広がったのは──

「……地下にこんな場所が……」

 そう言葉を零したのはアウラだった。
 二人が足を踏み入れたのは、洞窟の外観からは想像も出来ない程に広大な空間だった。所々に見える岩などの障害物を抜きにしても、下手な競技場などをゆうに上回る程の敷地を有している。
 驚きつつも周囲を見渡しながら進む中、ふとクロノが

「マナが濃い……」

 と、言葉を漏らした。

「マナの濃度か……やっぱり感覚的に分かるものなのか」

「そうですね……ハッキリ言語化するのは難しいですけど、なんというか、重い感じがするんですよね」

「確か、マナも濃すぎるとかえって有害だとかカレンが言ってたな……」

 人体にとって必要不可欠である酸素だが、多すぎると猛毒になるのと同じこと。マナを取り込めないアウラだが、その点は頭の片隅に残っていた。
 曰く、この世界には「禁忌領域」と呼ばれる、マナの濃度が高すぎるが故に誰一人として立ち入る事が出来ない地域があるのだとか。

「所感ですけど、今いるこの地下空間程度ならそう影響は無いと思います。本当に危険なレベルの濃度なら、呼吸した時点で漏れなくあの世行きですからね」

「怖……」

 クロノの補足説明に正直な感想を述べるアウラ。
 岩を除き、不自然とも思える程、その空間にはこれといった障害物が無く、開けていた。視界を遮るものが何一つとして排除されている。 
 あまりに唐突な景色の変化に不信感を感じつつも、彼らは更に奥へ進む。
 入口の反対側には出口と思わしき穴があるのが確認できたが、一先ずはこの空間を見て回る事にした。

 クロノは左右、アウラは入口周辺へと少し戻り、空間全体を見渡す。
 道中からは想像もつかない程に広大で、岩が点々としているというなんとも殺風景な景色が視界に映るだけだが、

「……ん」

 その景色を見たまま、彼は違和感を覚えたようで。

「……なんだこれ……図形か?」

 まじまじと見つめる彼の視線の先。それは堅い地面に彫られたかのようにして描かれた円形の図形だった。それも一つでは無く、周りを囲うかのような円の中に、また小さな円、更に小さな円といったように層を成している。
 得体の知れぬその層の中心を目指し、歩を進める。
 暫く歩き、中央部へと辿り着くと、

「……抉れてる?」

 不自然に刻み込まれた層の中央部を見下ろすと、その部分だけが。円の大きさ自体は人間が数人入れる程度、さながら月の表面にできたクレーターの如く凹みが形成されていた。
 屈むアウラの姿を見て、クロノと彼の元へ集まる。

「何か見つかったんですか?」

「ん……あぁ。なんか地面に円みたいなのが描かれてたんだ。それがちょっと気になって」

「円?」

 クロノも視線をアウラに合わせる。
 目的も意味も分からず、疑問符が浮かびっぱなしのアウラに対し、クロノは顎に手を当て、真剣な表情で黙考している。彼女とて魔術師、実力こそ「熾天セラフ」等の面々に比べれば劣るが、彼女の持つ知識は他の魔術師より一歩先を行っている。
 知りうる知識、そして周囲に漂う魔力の残滓に感覚を尖らせ、やがて一つの結論を叩き出した。

「……召喚魔術の痕跡ですね、これ」

「召喚魔術……?」

「魔術の一つで、敷いた魔法陣を通して異界から人ならざるモノを召喚する術です。この不思議な円は恐らく召喚陣。基本的に召喚魔術で呼び出すのは精霊や低級の使い魔が殆どなんですが……ここまで大きな陣は見た事無いです」

「陣の大きさも術に関係してくるのか?」

「……はい。呼び出す対象が強大であれば強大である程、陣の規模や必要な魔力は大きくなります。これだけ大きければ召喚したモノもさぞ高位の……いや、ということは、まさか……」

 クロノは一つの仮説に辿り着く。魔術の知識の乏しいアウラも、彼女の解説から全く同じ可能性を想定した。 

「この洞窟の主は自然発生した魔獣じゃなくて、誰かに召喚され、放置された高位の魔獣……」

「こんなモノを放置した術師がギルド所属であれば、即粛清モノですよ。でも、これだけの召喚魔術、一体誰が……?」

 更に深く、思考を研ぎ澄ませる。だが、思い当たる人物は何処にもいない。カレンは勿論、アトラス所属の神位の術師であれば不可能では無いだろうが、冒険者にはこのような事をする
 考えられる候補は限りなく絞られる。
 後少しで、真実を導き出せるその刹那、クロノの後方から「影」が接近した。

「──ッ!」

 完全な不意打ち。常人であれば必死の一撃だが、クロノは携えた鎌で暗影を一閃する。
 弱々しく乾いた地面に、ソレは転がった。

「……蛇?」

 何処からともなく襲撃した影の正体は、焦げた茶色の鱗を纏う蛇であった。
 この環境下には、蛇の餌になりそうな動物はいない。だが、そのことを深く考える間も無く、続けざまに地鳴りが巻き起こった。

「地震? 一体何が……!?」

「何か来ます……!」

 急な状況転換に戸惑いつつも、クロノは平静を保っている。先の強襲、加えてこの地鳴りに関係があるとするならば──

「……アレは……」

 地鳴りが収まるのと入れ替わるように、横穴から巨躯が姿を現す。ソレはクロノを襲った蛇と同じ色の鱗を身に纏っていた。だが、サイズは先程の比では無い。
 左右に二つずつ備えられた、暗闇の中で紅く光る眼。巨木がそのまま横に倒れたような胴体。そして、合計五つの頭。
 最早蛇というより、竜とも言うべき規模スケール

「神話の怪物かよ……」

 現れたモノを目にし、思わずそう零す。
 曰く、神話における蛇というのは時として竜と同一視される存在である。最強の生物とされるリヴァイアサン、世界を覆う大蛇ヨルムンガンド、日本の八岐大蛇等、そのイメージの習合はどの神話にも偏在する。
 眼前に佇む怪物はまさしく、その具現だった。

「──ナーガ。古代より生態系の頂点に君臨した竜種の一角って触れ込みです。……最初の依頼から少しハードですが、行けそうですか」

 大鎌を手に身を低くし、ナーガを見据える。
 臨戦態勢に入っている。

「ああ……まだ温まってないけど、出来るだけ全力で行く」

 ヴァジュラの柄を握り締め、体内を巡るオドの奔流に意識を集中させる。
 相手はジェヴォ―ダンなど比較にならないレベルの魔獣。この空間を利用して何者かが召喚した高位の竜種。
 相手が一体どれ程のモノであれ、退く理由にならない。ここまで来て逃げるという選択肢を取っても逃げ切れる保証は何処にも存在しない。────であれば、立ち向かう他ない。

 それが勇気が蛮勇かは、それこそ第三者が決める事だ。
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