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73話 穏やかな日々
しおりを挟む別邸にあるシオンの部屋のベランダで、シオンとリュシアンは昼食を摂ることにした。
そこから見える庭はまだ植えられたばかりと思われる花々があって、けれどそれら一つ一つが何だかいじらしくも可愛らしく見えて、シオンは穏やかな気持ちで眺め続けていた。
「ノア、寒くはないか?」
「はい、メリエルさんが温かい格好にさせてくれているので、寒くないです」
「そうか。たくさん食べてもっと力をつけて欲しい。あ、嫌いな物は食べなくてもいいからな」
「嫌いな物なんてありません。何でも食べられますよ。あれ?」
「ん? どうした?」
「私のお皿にはゆで卵があるのに、リュシアン様のお皿には無いんですね」
「あ、いや、これは……」
「公爵様は卵がお嫌いなんですって。だから最初から省かれてあるんです。シェフから卵の乗って無い皿を公爵様にって言われました。子供みたいですよね。好き嫌いはいけませんよ」
「うるさいぞ、ジョエル」
「……どうして卵が嫌いなんですか?」
「その、昔傷んだ物を食べてしまって、酷い目にあってからは避けてしまうんだ」
「え……」
「あ、菓子とかの材料として使われているものは平気なんだ。だがその形の物を食べるのは、な……」
「そう、なんですね……」
「お子ちゃまですよね」
「だからうるさいと言ってるだろう! ジョエル!」
「はいはい」
「『はい』は一回だ!」
「はーい」
「コイツっ!」
「ほらほら、ジョエルさん、公爵様をからかってないで、お茶の準備をしに行きましょう」
「アイブラー嬢まで!」
「ふふ……」
三人のやり取りを見て、思わずシオンは笑ってしまった。この人達はなんて穏やかなのかと。子供のケンカみたいな感じがして、こんな事でも気楽に言い合える関係が凄く素敵に思えたのだ。
笑ったシオンを見て、リュシアンは嬉しくて涙が出そうになった。こうして日々を重ねていけば、きっともう大丈夫だ。これからここで、こうやってお互いの距離をもっと縮めていって、この邸中の人達とも仲良くなって、少しずつでもシオンが安心できて穏やかでいられるようになって行けばいい。リュシアンはシオンの微笑みを見ながら、そんなふうに考えていた。
シオンの部屋は別邸と本邸の二部屋キチンと用意されていて、本邸の部屋は以前と違ってリュシアンの部屋の寝室を挟んで隣になっていた。
互いの部屋から寝室に行けるようになっていて、そこで一緒に眠るという事になっているのだか、今のシオンはそれがどういう事なのかは分かっていない。
リュシアンも、今はまだシオン気持ちを優先させたいし、落ち着けるまで待つつもりでいる。だがいずれは……と考えると、それだけでリュシアンの胸は高鳴ってしまうのである。
それを悟られないようにするのが今のリュシアンの課題であった。
モリエール邸へ戻って来て、幾日か経ったある日の事。
シオンは庭園をジョエルと歩いた後、四阿で一休みしつつお茶をする予定でいた。
今日はリュシアンは国王から呼び出され、王城へ赴いている。出掛ける時は、何度もシオンを抱き締め、何度も
「すぐに帰ってくるからな!」
と言い聞かせ、なかなか行こうとしないリュシアンをセヴランが泣きそうになりながら説得して、何とかリュシアンを王城へ向かわせたのだった。
モリエール邸での生活は快適だった。
食事はいつも豪華で、食べきれない程用意されているし、ケーキ等の菓子も数多く目の前に並べられる。そのどれもが美味しくて、全部食べられないのがいつも勿体ないと思ってしまう程だった。
使用人達もよくしてくれる。
シオンに対して、まだ戸惑っているように感じてはいるものの、シオンが困らないように、不備が無いようにと働いているのが見ていて分かる程に頑張ってくれている。
リュシアンは午前は騎士達に稽古をつけ、午後からは執務室で仕事をしつつ、一時間に一度はシオンの様子を見に来る。
三度の食事も必ず一緒で、夜眠る時も同じベッドでシオンを抱き締めながら寝ようとする。
最近になってシオンが抱き合うのが恥ずかしくなって手を繋ぐだけにしているのだが、それがリアムと寝ている時と同じに感じて、不思議と安心しながら眠りにつけるのだ。
リュシアンは言っていたとおり、いつも傍にいようとしてくれるし、甲斐甲斐しく世話もしてくれる。階段の昇り降りは率先してリュシアンがシオンを抱き上げようとしてくれる。そこでよくジョエルとシオンの取り合いで言い争う事があるが、それはいつものじゃれ合いみたいな感じで、シオンはいつも微笑ましく思っている。
最近のメリエルは、リュシアンに張り合うジョエルを諫める役目を担っていて、その三人の様子を見るのがシオンには幸せを感じる時間となっていた。
ゆっくりとした足取りでようやく四阿に着いて、ふぅとひと息吐きながらテーブル席に着くと、メリエルがすかさずお茶を淹れてくれる。
「あ、ジョエルさん、パティシエの新作スイーツが出来る頃ですよ? 一番に見に行くと言ってませんでしたっけ?」
「え?! 新作ですか! もちろん行きますよ! お嬢様、少しお待ち下さいね! すぐに新作スイーツをお持ちしますので!」
「はい。慌てなくても大丈夫ですよ、ジョエルさん。メリエルさんとここで待っておきますから」
ふふ……と笑いつつ、こんなに贅沢で良いのかと、これまでの生活を思い出しながらお茶を口にする。
その時、遠くで何やら声が聞こえてきた。
「娘に会いに来たのよ。親が自分の子に会うのに、どうして許可が必要なの? そんなの可笑しいと思わなくて?」
「で、ですが、本日公爵様は不在でございます。誰が来ても通さないようにとの事ですので……」
「あら、わたくしはモリエール公爵様に会いに来た訳じゃないのよ? 我が娘が恋しくて来たんだから、少しくらい良いじゃない。ねぇ、シオンは何処にいるのかしら?」
「いけません! 私が怒られてしまいますから!」
「お前が怒られるのなんて、わたくしには関係ないのよ。はぁ、無駄に広い庭園なのね。疲れちゃったわ。何処かで休ませなさいな」
「ルストスレーム伯爵夫人、これより先はいけません! どうかお帰り願います!」
「うるさいわね! わたくしを誰だと思っているの?! 未だかつて誰も成し遂げなかった偉業をわたくしはしてきたの! 聖女の称号を国王から叙位されたただ一人の存在なの! お前如きがわたくしに物申す等、恐れ多いのよ!!」
「で、ですが! お待ち下さい! ルストスレーム伯爵夫人!」
言い争うような声は段々と大きくなり、四阿にいるシオンにまで話の内容が分かる程となってきた。
ルストスレームの名を聞いたメリエルが、すかさずシオンを邸内へ戻そうとしたが、時すでに遅しだった。
「あらシオン。こんな所にいたのね?」
「フィグネリアお嬢様……」
シオンは驚きで目を見開く。そこには、フィグネリアの姿があったのだった。
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