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70話 克服
しおりを挟む二人はベッドで何も言わずに、互いを慰め合うように抱き合っていた。
なんだかそれが、いつもリアムと一緒に眠る時のような感じがして、シオンは安心感に包まれていたのだが、リュシアンは勢いに任せて抱き締めてしまった事を今になって動揺してしまっていた。
自分から抱きついてしまったが、この状況をどうすれば良いのか、どうしたいのかを自問自答しながらも邪な答えに行き着きそうで、リュシアンは動けずにいたのだ。
「あの、公爵様?」
「え? あぁ、どうした?」
「その、泣いてますか?」
「いや、泣いてはいない」
「なら良かったです」
「私は君程泣き虫ではない」
「私、公爵様の前ではそんなに泣いてませんよ?」
「リュシアンだ」
「え?」
「リュシアンと呼んでくれないか」
「そんな、恐れ多いです」
「そんなふうに思わないでくれないか。私がそうして欲しいんだ」
「でも……」
リュシアンは少し上体を起こし、シオンと目を合わせる。美しいアメジストの瞳が暗闇の中でも潤んでいるように見えた。
頬にかかった髪を手でサラリと避け、そのまま頬に手を添える。シオンの小さな顔は、自分の手のひらで全てが覆えてしまえるのではないだろうかと、リュシアンは頬を額を包み込みながらもそんな事をぼんやりと考える。
「公爵様の……」
「リュシアンだ」
「リュシアン、様の手は温かいですね」
「そうだ。これからもそうやって呼んで欲しい。ノアの肌は少し冷たいな。温めてやりたいと思ってしまう」
「そんなに冷たくないですよ」
「そんな事はない。鼻も目も冷たく感じるぞ?」
そう言ってリュシアンは指先で鼻に瞼に軽く触れていく。リュシアンの温かい指先が心地よく、だけどくすぐったくも思えて、シオンはクスリと笑ってしまう。
「どうした? 可笑しいか?」
「はい、なんだか遊んでるみたいで。公爵様は……」
「リュシアン、だろう?」
「……リュシアン様は、何だか子供みたいに思います」
「そう、かもな。私はノアの前ではそうなってしまうのかも知れないな」
「でも、メリエルさんは言ってました。リュシアン様は強くて格好よくて、えっと、とにかく素晴らしい人なんだって」
「そんな事はない……」
「あ、また悲しい顔をしましたね? ダメですよ、そんな顔しないでください」
そう言うと、シオンもリュシアンの顔に手をやった。それが不意をつかれたように感じて、リュシアンの胸が一気に高鳴ってしまった。
「あ、ほら、リュシアン様のほっぺたも、冷たいですよ? 目も鼻も。あ、おでこは温かいですね。口も温かいです」
「ノアの唇は少し冷たい」
「そうです、か……」
言ってる途中で、シオンの唇はリュシアンに塞がれていた。リュシアンの唇が自分のに重ねられていて、一体何をされているのか、初めはシオンはよく分かっていなかった。
リュシアンの唇は温めるように愛おしむように、シオンの唇を何度も何度も優しく啄んでいった。
どうしたらいいのか分からずに、だけどどうやって息をして良いかも分からずに、シオンは思わずリュシアンの胸をドンドンと叩いてしまう。
そうされてようやくリュシアンは、ハッとして唇を離した。
「すまない……」
「な、なんで、こんな事……」
「好きだからだ」
「え……?」
「好きなんだ。君の事が」
「リュシアン様が? 私を?」
「そうだよ」
「だから、口と口を合わせたんですか?」
「え? まぁ、そう、だな……」
「これって、結婚式の時にするやつですよね?」
「あぁ、そうだ」
「昔、教会で結婚式を挙げた人達の誓いのキスを見た事があります。それと同じですか?」
「えっと、そういう、事、だな」
「じゃあ、私とリュシアン様は、結婚しないといけないんですか?」
「……嫌か?」
「えっと……」
明らかに困惑しているシオンを見て、リュシアンは急ぎすぎたと悔やんだが、言った言葉を撤回する気はなかった。
「すまない、ノア。押し付けるつもりはない。ノアの気持ちを一番に考慮したい。ゆっくりでいい、私の事を考えては貰えないだろうか」
「……あ、その……はい……」
シオンがそう言うと、リュシアンはホッとしたように微笑んで、シオンの頬に口付けた。
それからシオンから離れ、部屋から出て行った。
リュシアンの後ろ姿を見送ってから、急にうるさいくらいの胸の音がシオンを襲う。
「リアム……リアム、どうしよう……!」
リュシアンの唇の感覚がまだシオンの唇と頬に残っていて、思い出すだけでもドキドキが止まらなくなる。リュシアンは優しい。格好良いし、シオンを大切に扱ってくれるし、美味しい物もいっぱい食べさせてくれるし、温かい部屋を使わせてくれて、柔らかいベッドで寝させてもくれる。
だけどそれだけじゃなく……
大人なのにどこか幼さが感じられ、それが少しリアムを思い出させる。いつも守ってくれるリアムだけど、夜は手を繋いで眠らないと拗ねてしまうのだ。ノアの頬に手を当てるのも、リアムの癖だった。
見た目は全然違うのに。自分達はフィグネリアの奴隷で、リュシアンは貴族なのに、なぜリュシアンにリアムを感じてしまうのか。
リアムに会いたい。無性に会いたくて仕方がない。
このことを知ったら、リアムは怒るだろうか。悲しむだろうか。それとも、貴族に娶られるチャンスだと喜んでくれるだろうか。
ひとしきりそんな事を考えていて、その夜シオンは一睡も出来なかった。
そしてそれはリュシアンも同様であった。
部屋を出て、リュシアン用に借りていた司祭室の一室で一人になり、先程の事を考える。
触れた唇は柔らかくて、何度もその感触を確かめるように口付けを繰り返してしまった。シオンが自分の胸を叩かなければ、もっとずっとそのままに、それ以上に進んでいたのかも知れない。
自分の理性の無さを恥じつつ、唇の感触が忘れられずに、何度も思い出してはシオンを抱き締めたい衝動に駆られてしまう。その気持ちを鎮めようとしているうちに、夜は明けていったのだ。
翌朝、朝食を共にする為、シオンの部屋を訪れたリュシアンだが、どんな顔をしていいか分からずに、シオンの顔を見る事が出来ずにいた。そしてそれはシオンも同様だった。
二人の微妙な雰囲気に、メリエルは何かあったのでは? と勘繰るが、だからと言って野暮な事を聞くことはしない。二人はチラリと相手の顔を盗み見るようにして、目が合いそうになった途端に目をそらす、という行為をお互いがしていた。
それが何やら初々しいと言うか、可愛らしいと言うか、メリエルはそんな二人を微笑ましく眺め続けるのだった。
ギクシャクしながらも悪い雰囲気ではなかった朝食が終わった後、フランクが定期検診に訪れた。
シオンの体温、体調、食欲等の管理はメリエルがチェックしていて記録しているのだが、それを見たフランクは何度も見ては頷き、それからシオンを見て
「もう大丈夫です。完治なさいましたよ」
と、ニッコリ笑って告げた。
シオンがあの疫病を克服したのだ。
それはこの大神殿の部屋から出て行くと言う事だった。
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