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57話 僅かな隙に
しおりを挟むメリエルを見たクレメンティナは、こんな女に自分は負けたのかとプライドをへし折られたように感じた。王女として、女として、許せない気持ちが沸々と湧き上がってきたのだ。
悔しそうに睨むクレメンティナの様子がただ事でないと流石にメリエルもすぐに分かったのだが、だからと言ってどうすればいいのか分からずに戸惑うしか出来なかった。
相手が王女であるからシオンもどう言えばいいか分からないし、ジョエルもこんな状況に対応する技を持ち合わせてはいなかった。
ジリジリとメリエルににじり寄るクレメンティナ。その気迫さが異常に感じ、少しずつ少しずつ、メリエルは後退りしていく。
シオンとの婚姻も納得などしていなかった。ただ、それが遺言であり生前より約束された事であった為覆す事は叶わず、嫌でも受け入れるしかなかった。しかも悪女と噂はあれど、シオンは誰よりも美しい。それに母親は国を救った元聖女だ。
認めたくはなかったが、ここまで心を乱される程ではなかった。
精々、茶会で嫌味を言う位にとどめていた程だった。
だがメリエルは違う。なんの後ろ盾もない、田舎育ちの子爵令嬢。容姿は美しいとも可愛らしいとも言える程ではなく、愛嬌はあるかも知れないがクレメンティナからすれば普通だ。
普通の、何の取り柄も無さそうなただの女。
そんな女に負けたのが許せなかったのだ。
「お前が……お前が……」
「あ、の……わ、私は、メリエル・アイブラーと申します。奥様の、侍女を……」
「なんでお前みたいな女にリュシアンがっ……!」
「えっ!?」
どこに隠し持っていたのか、気づくとクレメンティナは短剣を手にしていた。
鞘を投げ捨て、刃先をメリエルへと向ける。
「な、なにをっ!」
「お前なんかいなくなればいいのよ!」
そう言ってクレメンティナは、メリエルに向けて滅茶苦茶に短剣を振り回した。
メリエルはクレメンティナが誰で、なぜ攻撃されているのかも分からずに、ただ逃げるしか出来なかったが、その気迫さに足が思うように動かなくなる。
流石にこれはヤバいと、ジョエルがやめさせようと前に出たところで、クレメンティナを止める人物が現れた。
「何をしている!」
駆け付けたリュシアンがクレメンティナの手首をパシッと掴み、その動きを止めたのだ。
手からポトリと落ちた短剣。リュシアンはそれを拾い、ジョエルの方へ投げ捨てる。
ジョエルは短剣と鞘を拾い収めて、クレメンティナが落ち着いてから返そうと自身の腰に携えた。
ホッとしたメリエルは、その場に崩れ落ちるようにペタンと座り込んでしまう。
「王女……これはどう言うことですか」
「リュシアン……違うの、これはね、この女がね」
「何をしに来られたのですか。今日此方に来られるとは聞いておりませんが」
「貴方が……っ! 貴方がいけないのよ?!」
「とにかく、今日はもうお帰り頂けますか。私がお送り致しますので」
呆れるようにため息を吐き、何事もなく済んで良かったと気を緩めた。
しかしまさかこんな事をするなんてと、何がそうさせたのかと、不意にクレメンティナに目をやる。
「リュシアン……そんな目でわたくしを見ないで……」
「今日はお一人で来られたんですね。いけませんよ。王女に何かあっては部下の責任となりますから」
「リュシアン……」
「今日はお茶もお出しできません。申し訳ありませんが突然の事でしたので」
それ以上何も言えずハラハラと涙を流すクレメンティナを見ないようにして、握っていた手首をそっと離す。
どうなってこうなったのかは分からないが、きっと自分のせいだろう。クレメンティナのリュシアンへの好意はこれまでもあからさまであって、だが婚約者がいると言う理由で悉くクレメンティナの好意を無下にしてきた。
だからこれは自分の責任なのだとリュシアンは考えていたのだ。
クレメンティナを王城へ帰し、今日の事を国王陛下に報告し、今後はこんな事の無いように警告しなければ。いつ飛び火がシオンに向くか分からない。キチンと対処しなければ。
そう考えつつ、ふと目を落とすとメリエルの姿が見えた。それが以前へたり込んだシオンの姿と被って見える。
なぜメリエルに刃を向けたのか分からないが、もしかしたらシオンを守る為の犠牲となってしまったのかも知れないと考えると、自然とメリエルに足が向く。
立てるように手を差し伸べると、メリエルはオズオズと手を伸ばす。
それを見たクレメンティナは、また嫉妬の炎に身が焼かれるように感じた。優しさは自分には向けられない。自分の何がいけないのかも分からない。下級貴族の田舎娘に取られるくらいなら……
クレメンティナが持っていた短剣は一本だけではなかった。
自分に背を向けこちらを見ようともせずメリエルに手を貸すリュシアンを、何をしても振り向かないこの男を、ならばと永遠に誰のモノにもならなければいいと、クレメンティナは短剣を握り締めてリュシアンへと向かって行った。
「公爵様っ!」
クレメンティナの行動に気付いたジョエルは、咄嗟にリュシアンを呼び駆け寄る。
刃はリュシアンに向かって行ったが、それよりも早くジョエルがそれを遮った。
「ジョエルっ!!」
シオンの叫び声と同時に、ドンッと何かが背中にぶつかったように感じたリュシアンは、何事かとすぐに振り返る。
目の前にはジョエルの背中が見えていて、ジョエルの前にはクレメンティナがいて。
ゆっくりと膝を折るようにしてジョエルが低くなって視界が広がっていく。
クレメンティナの顔は青ざめて、震えながらジリジリと後退っていく。
そしてその場にドサリとジョエルは倒れた。
ジョエルの腹には短剣が刺さっていた。
「王女……何を、した……?」
「わたくし……わた、くし……」
「ジョエルっ!!」
ジョエルが倒れているのを見て、リュシアンはギロリとクレメンティナを睨みつけた。その眼光に驚いたクレメンティナは、その場でしゃがみ込み、震えて泣き出してしまう。
すぐにリュシアンはクレメンティナを拘束するべく両手首を掴む。
ほんの少し目を離した隙だった。その僅かな隙にクレメンティナがこんな事をした。
このままにしてはおけなかった。
しかし王女を縛り付ける訳にもいかず、ただリュシアンはクレメンティナがこれ以上何も出来ないように両手首を握り締めるしかなかった。
「ジョエル! しっかりしろ! なぜ私を庇った?!」
「貴方には……迂闊な行動を、しないで、と言ったじゃ、ないです、か……」
「私なら平気だったんだ! なのに……!」
「なぜ、平気、だっ、た、のか……よく、考え、て……」
そう言いつつも、ジョエルの言葉は段々とか細くなっていったのだった。
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