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52話 拭えない恐怖心
しおりを挟む大聖堂からは寄り道せずに、シオン達は帰る事にした。
魔力が体中に馴染んでいく。それは血が巡っていくように、活力が漲るような感覚に近かった。
しかしシオンに生まれ変わってからは初めて大量の魔力を体に宿したから、それを受け入れるのに体力を凄く使ったように感じ、疲れがドッと出てきてしまったのだ。
馬車の中でグッタリとしているシオンは、行きの時の様子と全く違っていた。メリエルは今日の不思議な出来事がまだ信じられず、夢でも見たのかと自分の頬をつねり、何度もその痛さに現実だと思い知らされていた。
そして、今日メリエルが『救世主様』と呼ばれ、「女神様の祝福を」と言われた事は、シオンと何らかの関係があるのでは? と考察していた。
もちろん確証などないが、シオンの様子を見るとそう思えてならなかったのだ。
シオンが落ち着いてタイミングが合えば聞いてみようかなと、今はグッタリしているシオンを見守りながら今回の事を心にとどめたのだった。
馬車は程なくモリエール家の邸に到着した。
門を抜けしばらく行くと、何だか騒がしい声が聞こえてくる。
「公爵様にお目通りをと言っているんです! 会えるまで帰れません!」
「突然なんの連絡もなく来られても、お取次ぎはできませんと何度も申し上げております。まずは面会する為の書状を送ってください。それから精査し、ご連絡させて頂きます」
「ですから!」
何事かと思いつつ、シオンはメリエルの手を借り馬車を降りる。ジョエルは馬を返しに馬舎へ行っていた為、ちゃんとメリエルがフォローしてくれたのだ。
ゆっくり本邸へと進むと、声はさらに大きくなってくる。
庭園の程よく刈られた木々を抜け、視界が開けるとその全貌が明らかになった。
そこにいたのはセヴランと数人の従者。それに対面していたのは、ルストスレーム家の従者ボリスだった。
ボリスを見て、シオンは凍り付いたようにピタリと立ち止まり動けなくなってしまった。
フィグネリアの信者という言い方が似合う程、カタラーニ男爵家の令嬢だった頃から元聖女フィグネリアを崇め敬い愛し、誰よりも従順であるボリスがそこにいた。
そしてシオンは幼い頃から、このボリスに悉く虐められていたのだ。
身体的な暴力はなかったが、言葉の暴力は勿論、床磨き等の下働きの仕事を押し付け、終わったと同時にバケツの汚水を引っくり返して台無しにしたり、シオン用の食事を目の前で地面へ落として犬のように食べさせたり、当たらないように物を投げたり鞭を振るったりして恐怖心を植え付けた。シオンを締め出し、寒空の中一夜をすごさせた事もあった。
ボリスを見た瞬間、シオンの脳裏に過去にされてきた映像が映し出される。それは恐怖心を蘇らせ、シオンの動きをとめてしまったのだ。
何をしにモリエール家まで来たのか。そんな事を考える間もなく、シオンの顔は蒼白となって冷や汗が流れ落ちる。
ボリスはモリエール家の従者達に抗議していたが、ふと誰か来たと此方に目をやり、シオンの姿を捉える。
途端にニタァとイヤらしく笑い、ズカズカとシオンの方へとやって来た。
「これはこれは。公爵夫人様じゃないですか。お元気そうで何よりです」
「え、えぇ……」
「お願いします。公爵様にお目通りを。公爵夫人からも言ってくださいませんかねぇ? あちらの従者達は話が通じなくて困っていたんですよ」
「そ、それは……」
「お願いすると言ってますよねぇ?」
少しずつ距離を縮めるように近づき、威圧的な態度でシオンに取り次ぎを要求する。
シオンは何とか深呼吸をし、ボリスと対峙しようと試みる。が、足は僅かに震えている。
植え付けられた恐怖心を拭う事が出来ないのだ。それでもシオンは唇を硬く結び、何とか目を合わせ、耐えるようにギュッと手を握り締めている。
自分の言う事は何でも従ったシオンが、抵抗しようと試みているのが分かったボリスは、苛立って声を荒らげてきた。
「てめぇ、俺の言う事が聞けねぇってのか?! 早く公爵と会わせろって言ってんだよ! このクズがぁっ!!」
「……っ!」
思わずその場に崩れ落ちるようにへたり込んでしまったシオン。ボリスは更に近寄り、苛立ちを露にした。
「てめぇみたいなクズが聖女様の役に立てるってんだよ! グズグズしてんじゃねぇ! さっさと取り次げって言ってるだろうがぁ!!」
「あ、あ、あぁ……」
「てめぇ、殴られたいのか?! あぁ?!」
「お嬢様!」
言葉に出来ずに震え出すシオンの前に駆け付けたのはジョエルだった。
ボリスという男の事は、もちろんジョエルもよく分かっていた。ボリスが目の敵にするのは基本的にシオンだけであったが、シオンを守るジョエルにいつもボリスは暴力を振るっていた。幼かったジョエルはただ抱きしめるようにしてシオンの耳を塞ぎ、ボリスからの暴力に耐えるしか出来なかったのだが……
「なんだぁ? ジョエル。お前もこの俺に盾突こうってのかぁ?! あぁ?!」
守るようにシオンの前に立ち、ギロリとボリスを睨み付ける。あの頃とは違う。私はお前を恐れないとばかりにジョエルが剣に手を掛けた。
その時ーー
「騒がしいな。何事か」
やって来たのはリュシアンだった。
噂通りの容姿にボリスはそれがすぐにリュシアンだと分かり、シオン達への態度とは打って変わって笑顔を作り、徐ろに頭を下げた。
「これはモリエール公爵様。私はルストスレーム家の従者でボリスと申します。本日はお話したい事がございまして遠路遥々やって来たのです」
シオン達への物言いとは随分違って丁寧に接するボリスを、リュシアンは不快な物を見るような蔑んだ眼差しを向けた。
苛立つような目をセヴランにも向けると、焦ったように軽く頷いてから一歩、リュシアンの方へと前に出た。
「門番がルストスレーム家の従者だと言われ、いつも月に一度来ている者だという事もあり通してしまったようなんです。ですがリュシアン様に取り次ぐように訴えられ困惑していたようです。私も本日の予定にリュシアン様がこの者と面会する時間は無かったと記憶していたのでお断りをしていたのですが、なかなかお帰り頂けなくて……」
セヴランが事の経緯を話して聞かせる。従者達が揉めているのを執務室から見ていたリュシアンが、セヴランに対応させる為に向かわせたのだった。
チラリと目をやると、地面に座った状態のシオンが見えた。それにはリュシアンは眉間にシワを寄せ、怒りを露にした。
「この者を拘束しろ。公爵夫人に暴言を吐いたのだ。それはモリエール家を脅したと同様だ」
「なっ! 何を言うんですか?! こんな奴にそんな価値なんかありませんよ!」
「連れて行け」
「公爵様っ! 待ってください! 公爵様ぁ!」
訴え虚しく、ボリスはセヴランと従者に連れて行かれたのだった。
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