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34話 メリエルの功績
しおりを挟む駆けるようにして、メリエルは別邸へと戻って行く。本邸へ行く時とは違って、その表情は明るいものだった。
シオンの部屋の前で息を整え服装を整え、メリエルはノックし中へと入る。シオンはもう涙は止まっていたが、まだ目が赤く意気消沈した様子だっだ。
メリエルはソファーにいるシオンの側まで行くと、膝をついて目線を低くし、優しくシオンの手を両手で包み込んだ。
「シオンお嬢様、もう大丈夫です。話を聞いて貰えましたよ。食事も用意してくださると言って頂きましたし、お庭も手入れして良いんだそうです」
「そうなの? 本当に?」
「はい。公爵様がちゃんと私の話を聞いてくださいました。食事も改善される筈です」
「メリエル……ありがとう。でも、これからはあまり無理はしないでね」
「無理なんてしてません。今回の事はあまりに理不尽な事だったので抗議したに過ぎません。当然の権利です」
「ふふ……頼もしいのね。ありがとう」
「私からもお礼を言わせてください。ありがとうございます。メリエル嬢」
ジョエルも礼を言うと、ふわりと微笑んだ。はじめてジョエルの笑顔を見たメリエルは、その柔らかく美しい微笑みに胸がドキリとし、思わず勢いよく立ち上がってしまう。
そして眩しいモノに直視できないような感じで手を目の前にかざす。
「はぅぅ! ジョエルさん、その笑顔は反則ですぅ!」
「え? なにがですか?」
「ジョエルの笑顔を見れるなんて、凄く貴重な事なのよ? 今日は笑顔記念日としようかしら?」
「なんですかそれは! やめてください!」
「あはは! 良いですね!」
そうやって三人で笑い合う。やっぱりこの空間が、この雰囲気が好きだとメリエルは改めて思った。
しばらくして、別邸に食事が運び込まれた。来たのはセヴランでも侍従長でもなく、給仕係の者だった。
慣れた手付きでテーブルに食事のセッティングをしていくと、あっと言う間にテーブルの上には今まで見たことも無いような料理がズラリと並んでいた。
「ジョエル……これは、どういう事なのかしら……」
「お嬢様、今日はもしかして何かの祭りなのかも知れません」
「ここでパーティーでも始まるのかしら……でもそんな事は何も聞いていないわ……」
「そうですね……いきなりここに多くの人が集まるのも限度がありますし……」
「えっと、シオンお嬢様! ジョエルさん!」
「「はい?!」」
「落ち着いてくださいね。今日はお祭りではありません。パーティーも催されません。これはただの昼食です」
「え? えぇっ?!」
「本当ですか?!」
「これが普通に公爵夫人の方々が召し上がられる食事なんですよ」
「で、でもメリエル! こんなに沢山あるのよ?! これは何人分なの?! きっと他にも食べられる方がいらっしゃるのよ!」
「これはシオン様お一人分ですよ。ジョエルさんと私のは別にちゃんと用意されますしね」
「これの他に、私達の分もあるんですか?!」
「そんな……! 贅沢だわ! わたくし、こんなに食べられないし……あ、そうね、夕食の分と明日の朝食の分もあるのね。それでも多いと思うのよ」
「ですから、食べられなければ残せば良いんです。無理に食べる必要はありませんし、後に取っておいて食べる事もしなくていいんです」
「そんなの……勿体ないわ……これだけの食事の量なら、どれだけの人達のお腹を満たす事ができるのかしら……」
「シオンお嬢様……」
貴族はいつもこんなに豪華な物を、好きなだけ食べられているのか。そして、食べられなければ残しても良いのか。シオンはそれに驚きつつも困惑する。
それは貴族にとっては当然の事だろうが、シオンにとってはあり得なかった事だったからだ。
戸惑うシオンに、メリエルは優しく促し席に着かせる。
「せっかくなので、食事マナーのレッスンもしちゃいましょうか」
とメリエルが言うから、シオンは言われるままにマナーを教えて貰いながら食事を進めて行く事にした。
幼い頃より、いずれリュシアンと結婚すると自分の置かれた状況を把握していたシオンは、常に公爵夫人としてのマナーを身につけたいと思っていた。
だから言葉遣いも貴族らしくと心掛けた。それはリュシアンの妻として、少しでも相応しくあろうとした結果だった。でも育った環境により、贅沢は一切身につく事はなかった。
こんな豪華な食事を頂く事に驚きと戸惑いはあれど、シオンは心の中でリュシアンに感謝し礼を言う。
シオンがリュシアンの為にできる事はないかと考えるが、いくら考えても思い浮かばない。きっと大人しく顔を見せずに過ごす事が、一番リュシアンが喜ぶ事なんだろう。
いや、ここから出て行く事が、リュシアンと離縁する事が一番喜ぶ事なんだろうと思いを巡らせる。
だけどやはりそれはしたくなかった。やっと会えた。好かれていなくても、嫌われていても、シオンは少しでもリュシアンの近くにいたいのだ。だから離れてあげる事だけはしてあげられそうにない。申し訳ない気持ちになるが、それだけは譲れなかった。
感謝の気持ちと申し訳ない気持ち、そしてリュシアンへの想いを込めて、シオンはより一層刺繍に励む。
そうして狩猟大会の日の前日に、つたなくもようやく御守りを仕上げる事ができたのだった。
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