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その日を境に
しおりを挟む夜も更けた頃、静かに寝息をたてるウルスラの元へエルヴィラは歩み寄る。
そっと足元の布団を捲り足輪に触れる。
この足輪には魔石が埋め込まれてあかる。この魔石は鉱山の近くの地層にあった化石から採取した物で、動物らしき物の心臓辺りから取り出された石だった。
この石は魔力を帯びていて、錬金術で加工していけば様々な効果を持つ道具へと変えることができる。
ウルスラの足輪とフューリズの腕輪には、同じ魔石を加工した物が嵌め込まれている。腕輪には大きめの魔石を嵌め込んであり、足輪には小さめの魔石を嵌め込んである。
魔石には能力が自然と集まるようになっている。そして小さな魔石は大きな魔石に戻ろうとする作用が自然と働き、集まった能力が渡ってしまうという現象が起こるのだ。
この魔石に、エルヴィラは自分の魔力を込める。今より更に能力を吸収させるようにしたのだ。
能力が吸収されれば、その能力は大きな魔石に自然と渡っていく。これで能力が覚醒した後も、フューリズは慈愛の女神の生まれ変わりとして生きていけるはず。
持ちうる全ての魔力を足輪の魔石に込め、魔力切れでエルヴィラはそのまま倒れるようにして眠ってしまった。
朝方目覚めたウルスラは、足元にエルヴィラが眠っているのを見て不思議に思った。エルヴィラはいつも自分とは別の場所で眠るので、こんなに近くで眠っているのを疑問に思いながらも、近くで眠っていた事実に嬉しく感じた。
起こさないようにそっと布団を掛けて、毎朝の日課である水汲みをしにバケツを持って川へ向かう。
いつもなら向かっている道中、様々な動物が話しかけてくる。もっぱら多いのは梟達だが、今日は動物達の姿は見えない。気配は感じるけれど、近寄って来ようとはしないのだ。
どうしたんだろう……
ウルスラは辺りをキョロキョロ見渡しながら、動物達の様子を伺う。いつも近寄って話し掛けてくれる梟達が、遠巻きにこちらを見ているのが分かる。けれどそれだけで、そばに来ようとはしなかった。
何があったんだろう……何か悪い事でもしちゃったのかな……
そんな事を考えながら、何度も水汲みを繰り返していく。水瓶に水がたっぷり入って、もう水汲みに行く必要は無くなったけれど、ウルスラは外の様子が気になった。こんな事は今まで無かった事で、動物達に何かあったのかも知れないと考えた。
そうは思っても今は自分に何か出来る事もなく、急いで朝食の準備をする。
朝食の用意が終わって、でもまだ目覚めないエルヴィラの様子を見に行く。いつもならもう目覚めている頃だ。なのに起きてこないのは何故だろう? どこか具合でも悪いのかも知れない。
そう思って眠っているエルヴィラのそばに行き、そっと肩を揺らす。
熱は無さそうだ。普通に眠っているように思う。それでも心配だった。もしかしたら何か病気になってしまったのではないか。そんなふうに思いながら、何度も肩を揺すってみた。
そうしていると、漸くエルヴィラは目を覚ました。そしてウルスラを見ると、様相を変えていきなり頬を思いっきり叩いたのだ。
「誰が触っていいって言ったんだ! 私に触れるんじゃない!」
「…………」
叩かれてそのまま転げて体を壁にぶつけてしまって、その衝撃で暫く動けないでいたウルスラに、エルヴィラはユラリと立ち上がりそばまでやって来た。
それからウルスラを足で何度も蹴った。身を丸くして手で頭を覆い、ただエルヴィラからの暴力が止むのを待つ。だけど、それは何時もよりも長く続いた。
ウルスラはそれをひたすら我慢してやり過ごす。その痛みに思わず声が出そうになるけれど、何とか出さないように唇をギュッと結んでただ耐える。
不意に涙が出そうになった。
だけどダメだ。泣いちゃダメだ。そう自分に言い聞かすようにして耐える。
誰に言われたのか分からない。言われたのかどうなのかも覚えていない。だけど覚えている事がある。
【貴女は泣いてはいけません。常に笑顔でいるように。それが人々を救うのです】
その言葉がいつも頭の片隅にあった。だから笑顔でいるように心掛けた。悲しくても辛くても、笑顔でいれば人も笑顔になってくれる。あぁ、やっぱりそうなんだ。笑顔を絶やしちゃダメなんだ。そう思って今まで我慢してきた。大丈夫、きっと大丈夫。だから泣いちゃダメなんだ。
瞳が潤んでも、耐えるようにギュッと目を閉じてエルヴィラからの暴力に耐え忍ぶ。それしか出来ないからだ。それしか方法を知らないからだ。
何度もそうされて、エルヴィラの息が荒くなってから少しずつ暴力が無くなっていく。
「本当に目障りだよ! 何処かへ消えちまいな!」
いつものように罵られているだけだ。だけどいつもより強くそう言われているように感じる。気にしちゃダメだ。そう思いながらも悲しさは胸を苦しめる。下を向いて痛む体を何とか起こして立ち上がる。
エルヴィラに言われたとおり、目の前から姿を消すように外へ出る。家の裏手に回り込んで、そこで膝を抱えて踞る。
背中が痛い。頭を庇ってた腕も、そして足も痛い。だけどそれより心が一番痛かった。
なぜ怒られるんだろう。何がいけなかったんだろう。触れるのがそんなにいけなかったのだろうか。もう二度と触れてはいけないのか。
もとより、人の温かさなんて物心ついた頃には記憶にすらなかった。抱きしめられた記憶もない。眠っているエルヴィラのそばに行って、そっと起こさないように布団越しに触れたことは何度もある。
そっと横で、気付かれないように添い寝した事もある。だけどダメなんだ。それはもうしちゃダメなんだ。ウルスラはそう理解せざるを得なかった。
暫くの間そうしていて、時折玄関の方へ回り物音を聞くようにして家の中の様子を伺って、すぐにまた裏手へ戻る。何度かそんな事を繰り返していると、扉が開く音がしてエルヴィラが出ていった。それを遠くから確認して、エルヴィラの姿が見えなくなってから家の中に入った。
テーブルに食べ終わった食器があって、ウルスラはそれを片付ける。パンを一つ手にとって口に含んで、それを朝食とする。目が潤んで涙が出そうなのを何とか堪えて、小さなパンを食べ終わる。
テーブルには買い物かごも置いてあって、その中にメモが入ってあった。
ルーファスと週に一度勉強を教えてもらうようになってから、文字の読み書きが出来るようになった。だから何を買ってくれば良いのかメモを見て分かるようになった。それが嬉しくて、思わず笑みが溢れた。
いつものように掃除と洗濯、昼食の準備を終わらせてから買い物をしに街へ行く。
その時も動物達は寄ってこなかった。いつもならあちらこちらから鹿や猪、狐、リスに兎、鳥、狼なんかもやって来る。
そんな時は動物同士で争いなんかしなくって、皆和みながら話しかけてくれる。
だけど今日はウルスラの元に動物達は近寄ってこなかった。朝の梟もそうだったけど、一体何があったんだろうか。嫌われてしまったんだろうか。動物達と話せる事が楽しくて、ウルスラにとっては癒されるひとときだったのに。
辺りを何度もキョロキョロ確認しながら、近寄ってこない動物達を横目に街へと向かう。気にはなるけど立ち止まれない。そうすると帰りが遅くなってしまって、またエルヴィラを怒らせる事になるからだ。
それでもいつもより遅い足取りで森を抜け、街道に出てからは足早に街へと急いだ。
門番がいたので、いつものようにニッコリ笑って会釈をする。だけど門番は微笑む事をしなかった。服から覗く部分には傷や青アザが至る所にあって、ボロボロの服を着た痩せ細ったウルスラを見て、門番は怪訝な顔をする。その表情を見てウルスラは戸惑った。
いつも優しく微笑んでくれて、何も言わずとも中へ通してくれていた。でも今日は違うかった。厳しい顔を向け前に立ちはだかり、中へ通そうとはしてくれない。
仕方なくウルスラは
「買い物にきました」
とだけ言い、買い物かごとメモを見せた。そうしてから漸く門番は道を開けてくれたのだ。
その様子に戸惑いながらも、ウルスラはいつものようにいつもの店で買い物をしていく。
この街の人達はいつもウルスラに優しかった。笑顔を見せると同じように笑顔を返してくれて、それがウルスラには嬉しく思える事だったのだ。
だけど今日は違った。
ウルスラが微笑んでも、誰も微笑み返してはくれなかった。それよりもボロボロの見た目のウルスラに、門番と同じように怪訝な表情をするばかりだった。
街へ来るのが楽しみだった。話をしなくても皆がウルスラに話し掛けてくれたし、優しく接してくれていたからだ。
それが今日は違うかった。誰もがウルスラを汚いモノでも見るかのような目付きでいたし、話し掛けてもくれなかった。いつも何かしら食べさせてくれていた店も、近づくだけで嫌そうな顔をする。
急にこんな事になって、ウルスラは戸惑うしかなかった。何があったのか。何がいけなかったのか。考えてもウルスラに分かる訳はなく、重い気持ちで街を後にするしかなかった。
皆の目が怖かった。穢らわしいモノでも見るような目付きに恐怖を感じた。こんな事、今まで無かったのに。笑えば誰もが同じように返してくれた。だから誰にもそうしてきたし、それで良いと思っていた。
でも今日は違うかった。誰もが冷たい目でウルスラを見て、早く帰れと言わんばかりに、手でシッシッとあしらわれてしまったりもした。
街から出て家路につく。いつも街からの帰り道は心がホカホカして心も体も暖まったように感じていたのに、今日はそんな気持ちになれる筈もなく、ウルスラは下を向いてトボトボ帰るしかなかった。
帰りの森の中もまた行きと同じように、動物達は近寄ろうとしてくれない。
皆が自分から離れていくように感じて、今まで以上に寂しく、そして悲しくなった。
今日は何かが違う。だけど今日が過ぎれば、また元に戻るかも知れない。だからなんとか今日をやり過ごそう。
そう思って家に帰った。
だけどそれは変わることなく、その日を境に皆がウルスラを蔑むような目で見、嫌悪の表情を向けたのだった。
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