荒雲勇男と英雄の娘たち

木林 裕四郎

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ヒュドラの首

クエスト完了報告(裏)

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「まず一つ目ですけど、あのヒュドラの首、オレに譲ってください」
 勇男いさおは視線をヒュドラの首が乗る荷車に向けた。
「あ、あの首が欲しいだと!? い、一体どんな了見で!?」
 エウリュステスも他の者に聞こえないよう、勇男にだけ聞こえる声で応対する。
「もうあの首からは血は取れないし、放っておいても腐るだけ。そんなのを王城ここに置いといても仕方ないでしょ?」
「ぬっ……うぅ……そ、そうかもしれんが――――」
「疫病――――」
「っ!?」
「――――が腐った首が原因で流行ったりしたら、ちょ~っと王様のお立場もマズいんじゃないでしょ~かね~?」
「ぐ、ぬぬ……」
 エウリュステスは冷や汗をかきながら顔をゆがめた。
 ミケナイ国でも疫病はまだまだ万全の態勢が整っているわけではなく、エウリュステス1世の時代以前から悩みの種でもある。
 それが当世で首都タウマストンから発生したとあっては――――――
「わ、分かった。あの首をお前に進呈する。その代わりミケナイに害がないように処分するのだぞ?」
「心得ていますとも。では二つ目なのですが、実はヒュドラ退治でもうお一方ひとかた、協力者がいましてね」
「な、何だと!? エーラはそんな報告はしなかったぞ!?」
「いや~、ちょっとお名前が出しづらくって。何せ地上の方ではなく天上におわすお方ですから」
「て、天だと!?」
 天上の存在と聞かされ、慄くおののくエウリュステスに、勇男はあえて間を作って名前を口にした。
「狩猟の女神アルテミス様ですよ」
「ア、アルテミス神だと!?」
「ヒュドラの首の動きを止めるために協力していただきまして。ただ、その時に一つだけ交換条件が」
「こ、交換条件?」
「ヒュドラが出没していた荒野に、オアシスがありますね? あそこに月に一度、新月の夜にお酒を供えよ、と言われまして」
「酒を、供える?」
「そうです。泉の前にたるを一つ置いとけばそれでいいらしいので」
「ぐぬぬ……わ、分かった。月に一度、酒を供えさせる」
「ちなみにむこう五十年」
「なっ!?」
「おぉ~っと!」
 エウリュステスが大声で驚いたので、勇男はチョークスリーパーのめ具合を強めた。
「お、おい! 本当に大丈夫なんだろうな!?」
 まだ状況を案じている文官が、勇男とエウリュステスの様子を不審に思い声をかけた。
「いえいえ、ご心配には及びません。ほら、ご覧ください。毒素が顔に集まってきています」
 がっちりと首を締め上げられているせいで、エウリュステスの顔は真っ赤になって目を白黒させている。
「ミケナイ国は画期的な醸造法を発明して、酒を大量生産してかなり潤ってるらしいじゃないですか。月一で樽一つ分の酒でいいんです。そのぐらいは、ね?」
 そうささやきかける勇男に、エウリュステスも観念したのか二回小さくうなずいた。
「ありがとうございます。じゃあ最後の三つ目ですが、エーラを奴隷から解放してもらえませんか?」
「っ!?!?」
 最後の要望が、ある意味でエウリュステスを一番驚かせた。エウリュステスも何か言いたいことがあるのか、口を指で示しながら勇男の腕を軽く叩く。
「はあ……はあ……そ、それこそどんな了見なのだ!? エーラはクエストを失敗したのだぞ!?」
 勇男がチョークスリーパーをゆるめると、エウリュステスはまずそれを問いただした。
「このクエストの目的って何でしたっけ?」
たわけたことを! エーラが奴隷から解放されるための――――」
「それは単なる報酬のことでしょう? 王様自身が言ってたじゃないですか。『クエストに失敗したからヘラクレスの娘とは認められない』って」
「っ!」
「つまりこのクエストは『エーラがヘラクレスの娘であるかを審議する』のが目的であって、『奴隷から解放する』っていうのは特典に過ぎない。そうでは?」
「ぐ……ぐぬぬ~」
 エウリュステスはここまでで一番顔を歪めて歯噛みした。
 勇男が言っているのはほとんどこじ付けではあるが、王として一度発してしまった言葉については責任が発生する。文官や兵士たちの前で発言してしまった以上、それをひるがえすことは王の沽券こけんに関わってくる。
 勇男のこじ付けを否定することは、エウリュステスにとって大きな進退をかけなければならないものだった。
「さっき言った二つに比べれば、奴隷一人を解放するくらい、王様には朝飯どころか顔を洗う前にできちゃうくらい簡単でしょ?」
「だ、だが……」
「たった三つのお願いと、一国の王様の命。比べたら割のいい買い物だと思いますけど。それともエウリュステス3世は命の恩人に何も褒美を出さないようなケチなお方だったのでしょうか? そんな話がひろまったら評判落ちますよ?」
「うっ……き、貴様は~」
「どうします? このまま締め落として、『やっぱり解毒できませんでした』で通しましょうか?」
「ぐ……ぬ~……」
 勇男をにらみつける一方で、エウリュステスは頭の中で先のことを思案していた。
 勇男の要求は悪辣あくらつではあるが、一国としてはどれも難しい条件ではない。
 どこまで本気かはともかく、このままゴネて勇男のチョークスリーパーの餌食になるよりは、さっさと要求を飲んでしまった方が安くつくのは事実だった。
「い、いいだろう。その三つをお前への褒美とする」
「この後ちゃんと宣言してくれますよね?」
「ああ。この場で褒美の内容をあげつらってくれるわ」
「王様に二言はありませんね? 言質げんちは取りましたよ?」
「いいからさっさとこの腕を放せ!」
 勇男は固めていた腕を解き、エウリュステスはようやく自由を得られた。
「ごはっ! ごほっ! げほっ!」
「王よ。もうご安心ください。毒は完全に抜けきりました」
 わざとらしいくらいに丁寧な口調に戻った勇男は、エウリュステスの背中をさすって息を整えさせた。
「じゃ、お約束したこと忘れないでくださいよ」
 エウリュステスにそっと耳打ちし、勇男はそばから離れていった。

「あ~、全く。あのおかしな男のせいで余計な損をさせられた気分だ」
 執務室に戻ったエウリュステスは、大理石の机に座り首の運動をしていた。
 あの後、勇男を王の命を救った者として、約束どおり三つの褒美を与えた。のだが、エウリュステスはまだ首が締め付けられているような気がしてならなかった。
「変なクセでも残ったらどうしてくれる。コダよ! コダはおるか!」
「お呼びでしょうか、王よ」
 執務室の扉から、すぐに秘書官コダが入室してきた。
「ディオニュソス神のブドウ酒がくらを圧迫しているという陳情が上がってきていたな?」
「はい。あれを解析できたおかげで我が国の酒造産業は飛躍的に向上しましたが、なにぶんオリジナルは神の手によるもの。人の身で飲むには強すぎ、しかし捨てることもできないという代物で、現在置き場所に大変苦慮していると」
「飲めもしない酒がむこう百年分もあってはな。だが、此度こたびその使い道が見つかった」
「何と! 左様でございますか」
「果ての荒野にあるアルテミス神の泉に、月に一度、新月の夜に樽一つ分を供えることとする。酒蔵の管理者と軍の兵站部に伝えよ。王命の書面も書く」
「かしこまりました。アルテミス神に捧げるというのであれば、これは良い使い道ができましたな」
「これで倉の空きもできよう。大量生産がかなったは良いが、在庫の置き場が問題だったからな」
「これで他国への輸出分も増やせますな」
「まあな」
(そういえばマケドーニアの新王に贈るはずだった進物しんもつ。あれもディオニュソス神のブドウ酒だったが、一体どこにいったのか。あんな小さな小瓶ではなく樽にしておけば失くさなかったものを)
 と、エウリュステスは頭の端で考えていたが、それほど重要ではないので忘れることにした。
「それから手の空いている伝令兵を一人呼べ。リディアに届けさせる書状がある」
うけたまわりました。見繕ってまいります」
「ああ。それまでに王命をしたためておく」
 コダをつかわした後、エウリュステスは羊皮紙を用意しようと机から立ち上がった。
 書棚まで歩いていく途中、窓の外に広がっている夕焼け空が目に入った。
(祖父王のように英雄ヘラクレスの娘を我が元に引き寄せ、いいようにしてやろうと思ったが、そう上手くはいかなんだ。まったく。エーラはどこであのような男を拾ったのか)
 勇男にしてやられたエウリュステスは、夕焼けに勇男のニヤけた顔を見た気がして、少し不機嫌な歩みで書棚へと進んでいった。
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