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古屋敷に住まう者たち(終)

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 雷槍の一撃は不浄霊の集合体を跡形もなくかき消した。無数の霊魂から成る肉塊のあった場所は、今や黒煙を上げる焦げた地面だけとなっている。その気になれば星を砕くことさえ可能とする伝説の雷撃は、悪しき魂を見事に葬り去ったのだ。
「フュージョン・アウト」
 結城が一言呟くと、彼の体から黄金のオーラが粒子状になって離れ、また別の輪郭を形作る。光は再びトーガと甲冑を身に纏う勇ましい女神へと戻り、颯爽と金髪をかき上げた。
「うわっ!」
「おっと」
 アテナが分離したことで、左手に持っていたアイギスの重さに負けそうになった結城を彼女が寸でのところで支えた。
「ご苦労様でした、ユウキ。大義でしたよ」
「ゆうき、やったやった!」
 神降ろしの反動で少し憔悴している結城を、アテナと、鞠を拾って戻ってきた縁寿が労った。そこへ首を回しながらマスクマンが合流し、シロガネも瓦礫を跳ね除けて小走りに寄ってくる。皆が無事だったことに、結城は胸を撫で下ろした。
「あっ」
 不浄霊がいた場所の、立ち上る黒煙が薄れていくと、中心部分に影のようなものが確認できた。焼け焦げた地面に横たわるその影は、結城たちが探していた染井未幸の遺体だった。アテナの言ったとおり、結城は霊魂だけを消滅させ、遺体を無事に残していた。
 その遺体に近づく者がいた。今回の一件の原因を作った術者、染井未幸の妹、未咲だ。彼女はおぼつかない足取りで、姉の遺体に少しずつ歩み寄る。虚ろな眼で焦げた大地を見つめる亡き骸の前に立った時、未咲は力なく膝をついた。
「うっ、うわあああぁ! ああああぁ!」
 堰を切ったように大粒の涙を流し、彼女は精一杯の泣き声を上げた。
 それは姉の遺体を弄んだ慙愧の感情からなのか、それとも決別の悲哀なのか分からない。複雑な気持ちが押し寄せて、一気に溢れたのだろうと結城は思った。彼女がもう大それたことをしないのなら、今は好きなだけ泣かせてやろうとも。
「一時はどうなるかと思ったが、とりあえず一件落着ってやつか」
「九木刑事・・・」
 集合霊がいなくなり、術者も観念したと見て、九木もその場に歩いてきた。
「あとは警察に任せて、君らは早く山を降りな。あんな化け物と戦ったんだから、相当疲れているはずだろ?」
 結城は一度、泣き崩れている未咲を見た後、九木の方に顔を向けた。その意図を汲んだのか、分かってると言うように、九木も小さく頷いた。
「では、よろしくお願いします」

 その後、結城は九木から事の顛末を聞いた。警察が現場に到着し、六名分の遺体は無事に遺族の元へ還された。
 事件の発端である術者、染井未咲は『専門部署』で沙汰を待つことになるそうだが、彼女が未成年であり、事に及ぶ前に止められたので、何とか情状酌量に持ち込めるように取り計らってみるとのことだ。彼女自身もまだ完全に立ち直ってはいないものの、今回のことは深く反省しているらしい。
 ちなみに、九木の言う『専門部署』が調べた限りでは、染井家が契約したのは独自に信仰していた神だったらしく、とうの昔に消滅しているそうだ。現代にあって染井家も契約のことは忘れており、付与された能力と代償のみが残ってしまっていた。それがそもそも原因となってしまったのだから、何とも救われない話だと結城は思った。
 依頼は果たせた。あとは依頼者に報告するだけだ。

 九木から染井未咲のもう一人の姉、染井未月の居場所を特別に教えてもらい、結城は谷崎町から三駅離れた大学病院に来ていた。例によって媛寿の力で姿を隠蔽し、染井未月のいる部屋まで辿り着いた。
 集中治療室のベッドに横たわる彼女は、呼吸器を始めとしたあらゆる器具により延命措置を施され、一切の身動きが取れない状態だった。かろうじて意識はあるのか、室内に現れた青年に力ない視線を向けた。
 彼女の様子を見た結城は、この依頼の本当の意味が分かったような気がした。
「やっぱり、生霊を飛ばして依頼に来たんですね。妹さんのやろうとしていることを止めて欲しかったから・・・」
 その言葉に、染井未月は応えられない。ただ、目は決して否定の色を映していなかった。
 九木から聞いた限りでは、もう彼女は保って一ヶ月程度らしい。ほとんど原因不明の病状で、治療方法も判然としないまま、こうして延命だけが続いている。
 彼女が亡くなれば、染井未咲の家族は一人もいなくなる。
 ひとりぼっちなんてない。前に進もうとするなら、ひとりぼっちになんかならない。
 それは結城とっての真実だが、何も辛くないという意味ではない。前進しようとする気持ちは大切だ。しかし、耐えなければいけないこともある。
 まだ多感な年頃の染井未咲にそれを強いるのは、少し酷なのかもしれないと結城は思った。
 結城が複雑な心境に沈んでいた時、不意に彼の両隣に媛寿とアテナが現れた。依頼者には一人で会いたいからと部屋の外で待たせていたが、二人は結城の顔を見て微笑み、染井未月へと近付いていった。
 ベッドによじ登った媛寿は、未月の顔にかかっていた髪を少しよけたから、彼女の左頬に軽いキスをした。
 アテナはベッドの右側に立ち、幼い子どもをあやすように未月の髪を手櫛で優しく撫でた。
 それだけ済ますと、二人は結城の元に戻ってきた。もう大丈夫と言うように彼に目を合わせ、結城もその意味を察して頷いた。
 二人を伴って部屋を出る直前、結城はあることを思い出し足を止めた。
 サイドテーブルに保険の書類を残し、彼はその場を去った。

「媛寿、あの人、良くなるかな」
 大学病院を出ての帰り道、結城は独り言のように呟いた。契約した神はもういないのに、その代償だけが残っているのは、やはり酷い話だ。染井未幸は助からなかったが、まだ命があるなら、染井未月だけでも助けたい。
「う~ん、わかんない」
 結城に肩車状態で乗り、彼の頭に顎を乗せた媛寿は言った。
「でも・・・・・・たぶん大丈夫」
 そう付け加えた媛寿の声は、いつも以上に呑気で、そして慈しみがあるように結城は感じた。
「たとえ神でも、人一人の運命をそこまで動かすことはできませんし、許されてもいません。ただ・・・」
 アテナはそこで言葉を切り、雲一つない晴れ渡った空を見上げた。
「善良なる者の幸せを望まない神はいませんよ。もしいたならば、それは邪神です」
 アテナは遠くの空を見つめ、優しげに微笑んでいた。その表情に、結城は胸につかえていたものが取れた気がした。
「・・・・・・スーパーに寄ってお菓子とチーズケーキ買って帰りますか」
「ヤッター!」
「ふふっ、少しお値段の高いものをお願いしますよ」
 媛寿やアテナ、マスクマンにシロガネ。彼らと出会い、自分と一緒にいてくれることを改めて幸せに思いながら、結城は帰路を歩いていった。

 奇妙な事件が起こった時、谷崎町の山奥にある古屋敷に行けば、そこの住人が解決してくれる。
 今日もまことしやかな噂話が、行き交う人々の間で囁かれていた。しばらくぶりに狭丘市を歩いてみれば、ここでも古屋敷の話題が出ているので驚かされる。
「そんなのあるわけないって。だって助けてもらった人って聞かないじゃん」
 当然こういう意見も聞こえる。何しろ普通に屋敷に辿り着く人間は少ないのだ。
「いいえ、私と妹は助けてもらいましたよ。そこに住んでいた方々に」
 通り過ぎる人々の声に混ざって聞こえたその言葉に、結城は笑みを零した。
 道行く人には見えないが、彼だからこそ出会えた仲間が、確かにそこにいた。
 その奇妙な縁と絆を信じて、小林結城は今日も行く。


                       <終>
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