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戦闘準備―媛寿とアテナ―
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古屋敷に戻った結城たちは、遺体を盗んだ術者を捕らえるべく、それぞれの部屋で準備を始めていた。屋敷は大きすぎもしないが、小さすぎもしない。なので、個別の部屋が割り振られていた。
媛寿の部屋には所狭しと玩具や変わった道具が置かれていた。拾ってきた物もあれば、屋敷の物置部屋から引っ張り出してきた物まで様々だ。
だが、媛寿が部屋の奥に飾ってある鞠だけは、他の代物とは別格だった。それだけは唯一、彼女が物心ついた時から持っている、いわば体の一部と言える品である。
いま、媛寿は普段の薄桃色の振袖ではなく、紅色に金模様が施された振袖を着ていた。着物の色は、彼女の種族にとって重要な意味を持つ。これを着る時は、媛寿が、座敷童子と呼ばれる存在が、不幸をもたらす時の装束なのだ。
妖怪、亡霊、あるいは家神とも呼ばれる彼女だが、元は東北に置かれた駄菓子メーカーの工場に住み着いていた。最近では居座りたいと思う家も少なく、仕方がないので製菓工場に入り込み、廃棄される不良品をつまみ食いして過ごしていた。ちなみに売り物に手を付けたことは一度もないらしい。
東北の冬場は寒いので、いつも適当なダンボール箱を見つけて寝床にしていたが、ある時に目を覚ますと、大量の駄菓子と一緒に箱に閉じ込められていた。通常、座敷童子は人に見えないので、作業員が空の箱と思って商品を詰めてしまったらしい。箱を透過して出ようとしたが、メーカーのロゴマークが封印と同じ効果を持っていたらしく、媛寿が内側から開けることは適わなかった。
仕方がないので外から開けてもらえる機会を待っていたが、そうして出会ったのが結城だった。なぜか結城には媛寿の姿は見えていた。基本的に座敷童子を見ることができるのは、同じような子どもか、霊能者に限られる。結城は青年であり、霊能力の才覚もなかったが、彼女の姿を捉え、声も聞こえていた。
媛寿は大いに喜んだ。人間に意図的に姿を見せることもできるにはできたが、あえて姿を見せて関わろうとしたことはない。それなのに自然に自分の姿が見え、会話し、遊ぶこともできる相手と出会えたのだ。
そして結城は座敷童子からすれば、人間の中でも例外中の例外だった。本来、座敷童子は家に憑くが、媛寿は結城自身に憑くことが可能だった。それは名前に住居を表す字、『城』が入っていたからだ。座敷童子は憑いた家の中が行動範囲であり、外に出るのはその家を去る時だった。特定の人間に憑くということは、一緒に行動して、外を自由に出歩けるということ。結城との関係も心地よいので、媛寿は東北へ帰るより彼といることを選んだ。
結城が依頼を受けて色々な活動をするようになってからも、媛寿は彼に寄り添った。人助けに対する結城の純粋な心が、座敷童子の媛寿にとって、どの菓子よりも好きだったからだ。
様々なジャンルの書籍が整然と並べられた本棚がいくつもある室内で、アテナは自然体で立って精神統一に入っていた。
洋服から純白のトーガに着替え、手甲、脚甲、胸当て、そして兜を戴いた姿は、古の戦女神の再臨だった。余談だが、兜は最近、鍛冶神ヘパイストスに言って作り直させ、ティアラに似た鉢金状の形になっていた。それでも百人の兵士がようやく持てる重さというのは変わっていないのだが。
一呼吸のあと、目を開いたアテナは布で丁寧に包まれた円形の物体を手に持った。それは彼女の、ギリシャ神話最強の戦女神アテナの代名詞ともいえる、究極の神器だ。
考えてみれば、極東の地・日本に来ることなど、思っても見なかった。
ギリシャの経済破綻に端を発し、神話の神々は故国を立て直そうと出張などの活動に追われていた。信仰の形が変わったとはいえ、ギリシャ神話の神々は世界中の人々に親しまれているので、現代でも存在が消えることはなかった。故国が危機とあらば、人々のために腰を上げねば神の名折れ。それぞれの職能に合った出張先に出向き、功を挙げ、それを人々の運気に還元することが、今の神々の命題だった。
かくいうアテナも出張に出なければいけなかったのだが、いかんせん時代のせいなのか、彼女が後押ししたいと思える戦士や英雄は極端に少なかった。もう一つ言えば、彼女の好みの人間も少なかった。
ギリシャを出発して、自分の知名度の高い場所をいくつか回ったが、なかなか女神アテナの目にかなう人物にはめぐり合えなかった。
東へ東へと進んでいって日本に辿り着き、戦士となる素質を持つ人間を探していたところ、チーズケーキを食べようとしている青年が目に止まった。
気が付いたらチーズケーキを持っていた青年の手を口に含んでいた。
古代ギリシャにおいて、チーズケーキは神々への供物だったので、アテナにとっても大好物だった。
しばらく食べていなかったので、考えるより先に体が反応してしまった。パブロフの犬もビックリな条件反射でチーズケーキに食いついたことは恥ずかしかったが、とりあえず供物としていただくことにした。
不思議なことに、青年はアテナのことが見えていた。高位の神官以外で自分の姿が見える人間は初めてだった。
その青年、コバヤシユウキは神官ではなく、その資質もない。付け加えて戦士の資質もからっきしである。戦女神の見立てなので、間違いない。
ただ、供物を頂戴しておいてハイさようならでは神の沽券に関わるし、木刀を自作してトレーニングをしようとしている心意気は戦士と言えなくもないので、しばらく付き合って鍛えることにした。
やはりというか、ユウキに戦士の素質はなく、英雄となるのは来世に持ち越した方が良いかもと思うこともあった。
だが、アテナを惹きつけたのは戦士としての側面ではなく、ユウキの純粋さだった。彼は一緒にいる少女―アテナから見ればゴーストなのか同類なのか分からない―に対しても、神である自分に対しても、人間に対しても、分け隔てなく普通に接した。物怖じせず、かと言って不敬でもない。かつての神官たちは恭しく、礼儀正しく接してきたが、どこか畏怖の念を持っていた。自分の姿が見えて、隣人や友人のように普通に接してくる人間に会ったことは、アテナにとって新鮮だった。
チーズケーキが好物と明かしてからは、値段と質はともかく、ユウキはまめにチーズケーキを買ってくるようになった。
この人間のことが知りたい。この人間の行く末を見てみたい。彼の純粋な心に呼応するように、アテナも純粋にそう思い始めた。
ユウキは何の因果か、変わった困り事を解決するトラブルシューターをするようになった。中には危険な状況に陥ることもあったので、アテナはユウキをしっかり鍛えることを決め、彼の窮地を何度も救うようになっていた。
図らずも、戦女神としての功績も着実に重ねるのだった。
媛寿の部屋には所狭しと玩具や変わった道具が置かれていた。拾ってきた物もあれば、屋敷の物置部屋から引っ張り出してきた物まで様々だ。
だが、媛寿が部屋の奥に飾ってある鞠だけは、他の代物とは別格だった。それだけは唯一、彼女が物心ついた時から持っている、いわば体の一部と言える品である。
いま、媛寿は普段の薄桃色の振袖ではなく、紅色に金模様が施された振袖を着ていた。着物の色は、彼女の種族にとって重要な意味を持つ。これを着る時は、媛寿が、座敷童子と呼ばれる存在が、不幸をもたらす時の装束なのだ。
妖怪、亡霊、あるいは家神とも呼ばれる彼女だが、元は東北に置かれた駄菓子メーカーの工場に住み着いていた。最近では居座りたいと思う家も少なく、仕方がないので製菓工場に入り込み、廃棄される不良品をつまみ食いして過ごしていた。ちなみに売り物に手を付けたことは一度もないらしい。
東北の冬場は寒いので、いつも適当なダンボール箱を見つけて寝床にしていたが、ある時に目を覚ますと、大量の駄菓子と一緒に箱に閉じ込められていた。通常、座敷童子は人に見えないので、作業員が空の箱と思って商品を詰めてしまったらしい。箱を透過して出ようとしたが、メーカーのロゴマークが封印と同じ効果を持っていたらしく、媛寿が内側から開けることは適わなかった。
仕方がないので外から開けてもらえる機会を待っていたが、そうして出会ったのが結城だった。なぜか結城には媛寿の姿は見えていた。基本的に座敷童子を見ることができるのは、同じような子どもか、霊能者に限られる。結城は青年であり、霊能力の才覚もなかったが、彼女の姿を捉え、声も聞こえていた。
媛寿は大いに喜んだ。人間に意図的に姿を見せることもできるにはできたが、あえて姿を見せて関わろうとしたことはない。それなのに自然に自分の姿が見え、会話し、遊ぶこともできる相手と出会えたのだ。
そして結城は座敷童子からすれば、人間の中でも例外中の例外だった。本来、座敷童子は家に憑くが、媛寿は結城自身に憑くことが可能だった。それは名前に住居を表す字、『城』が入っていたからだ。座敷童子は憑いた家の中が行動範囲であり、外に出るのはその家を去る時だった。特定の人間に憑くということは、一緒に行動して、外を自由に出歩けるということ。結城との関係も心地よいので、媛寿は東北へ帰るより彼といることを選んだ。
結城が依頼を受けて色々な活動をするようになってからも、媛寿は彼に寄り添った。人助けに対する結城の純粋な心が、座敷童子の媛寿にとって、どの菓子よりも好きだったからだ。
様々なジャンルの書籍が整然と並べられた本棚がいくつもある室内で、アテナは自然体で立って精神統一に入っていた。
洋服から純白のトーガに着替え、手甲、脚甲、胸当て、そして兜を戴いた姿は、古の戦女神の再臨だった。余談だが、兜は最近、鍛冶神ヘパイストスに言って作り直させ、ティアラに似た鉢金状の形になっていた。それでも百人の兵士がようやく持てる重さというのは変わっていないのだが。
一呼吸のあと、目を開いたアテナは布で丁寧に包まれた円形の物体を手に持った。それは彼女の、ギリシャ神話最強の戦女神アテナの代名詞ともいえる、究極の神器だ。
考えてみれば、極東の地・日本に来ることなど、思っても見なかった。
ギリシャの経済破綻に端を発し、神話の神々は故国を立て直そうと出張などの活動に追われていた。信仰の形が変わったとはいえ、ギリシャ神話の神々は世界中の人々に親しまれているので、現代でも存在が消えることはなかった。故国が危機とあらば、人々のために腰を上げねば神の名折れ。それぞれの職能に合った出張先に出向き、功を挙げ、それを人々の運気に還元することが、今の神々の命題だった。
かくいうアテナも出張に出なければいけなかったのだが、いかんせん時代のせいなのか、彼女が後押ししたいと思える戦士や英雄は極端に少なかった。もう一つ言えば、彼女の好みの人間も少なかった。
ギリシャを出発して、自分の知名度の高い場所をいくつか回ったが、なかなか女神アテナの目にかなう人物にはめぐり合えなかった。
東へ東へと進んでいって日本に辿り着き、戦士となる素質を持つ人間を探していたところ、チーズケーキを食べようとしている青年が目に止まった。
気が付いたらチーズケーキを持っていた青年の手を口に含んでいた。
古代ギリシャにおいて、チーズケーキは神々への供物だったので、アテナにとっても大好物だった。
しばらく食べていなかったので、考えるより先に体が反応してしまった。パブロフの犬もビックリな条件反射でチーズケーキに食いついたことは恥ずかしかったが、とりあえず供物としていただくことにした。
不思議なことに、青年はアテナのことが見えていた。高位の神官以外で自分の姿が見える人間は初めてだった。
その青年、コバヤシユウキは神官ではなく、その資質もない。付け加えて戦士の資質もからっきしである。戦女神の見立てなので、間違いない。
ただ、供物を頂戴しておいてハイさようならでは神の沽券に関わるし、木刀を自作してトレーニングをしようとしている心意気は戦士と言えなくもないので、しばらく付き合って鍛えることにした。
やはりというか、ユウキに戦士の素質はなく、英雄となるのは来世に持ち越した方が良いかもと思うこともあった。
だが、アテナを惹きつけたのは戦士としての側面ではなく、ユウキの純粋さだった。彼は一緒にいる少女―アテナから見ればゴーストなのか同類なのか分からない―に対しても、神である自分に対しても、人間に対しても、分け隔てなく普通に接した。物怖じせず、かと言って不敬でもない。かつての神官たちは恭しく、礼儀正しく接してきたが、どこか畏怖の念を持っていた。自分の姿が見えて、隣人や友人のように普通に接してくる人間に会ったことは、アテナにとって新鮮だった。
チーズケーキが好物と明かしてからは、値段と質はともかく、ユウキはまめにチーズケーキを買ってくるようになった。
この人間のことが知りたい。この人間の行く末を見てみたい。彼の純粋な心に呼応するように、アテナも純粋にそう思い始めた。
ユウキは何の因果か、変わった困り事を解決するトラブルシューターをするようになった。中には危険な状況に陥ることもあったので、アテナはユウキをしっかり鍛えることを決め、彼の窮地を何度も救うようになっていた。
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