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一日の終わりに(その1)

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「ふ~~」
 古屋敷に戻った結城は浴槽の湯に浸かり、大きく息を吐いた。狭丘市を一日探索した疲れが溶け出していくような感覚に酔いしれる。
 見美台病院を訪れたおかげで発覚した驚愕の事実。遺体は持ち去られたのではなく、自分の足で歩いて出て行った。
 あれからマスクマンの嗅覚を頼りに足取りを追ってみたが、さすがに病院施設の外に出てしまっては、においが混在してそれ以上の追跡はできなかった。
 病院の周辺を探ってみたが収穫はなく、夜も近づいてきたので今日は引き上げることにした。
 そして結城は一日の垢と疲れを落とすべく、湯船に身を預けていた。それなりに大きな屋敷だけに、浴室も普通と比べれば広々としている。さながら、縮小された銭湯のようだった。
 立ち昇る湯気を見つめながら、結城は今日一日の出来事を振り返っていた。
 媛寿は直接遺体を見つけることはできなかったが、九木刑事と遭遇し、重要な情報を聞くことができた。もしかしたら、それこそが媛寿が導いてくれた幸運だったのかもしれない。彼女の一番の能力は意識して発現されるものではないため予測しづらいが、こういう形でも表れたのだろうと思う。
 手詰まりになりかかったところでシロガネが依頼者の写真を回収しておいてくれたので、突破口を見つけることができた。無表情だが案外アグレッシブで、鋭い部分がある彼女の名アシストにも助けられた。
 見美台病院での調査では、マスクマンとアテナのおかげで一つの結論に至った。
 なぜ遺体は動き出したのか。果たして遺体は今どこにあるのか。複数の遺体が消えた因果関係は何なのか。解かなければいけない問題は山積しているが、今日の探索で得られたものは上々だった。
 結城は自分とともに居てくれる彼らに感謝した。思えば奇妙な巡り会わせばかりだが、皆が一緒に居てくれるおかげで、寂しさからは縁遠く、むしろ心強さを感じる。こんな何もない自分に付き合ってくれるのだ。
「―ありがとう」
 湯船に浸かりながら、結城の口から自然とその言葉は漏れた。
 できれば明日には解決したい。なるべく早く依頼者の元に遺体を還してあげたい。結城は改めて決意を胸に顔を引き締めた。
「ん?」
 不意に両足の間から湧き出した泡に、結城は眉根を寄せた。断っておくが、決して彼自身の発したガスではない。
 泡の規模はどんどん膨らんでいき、結城の下半身を覆うほどに大きくなった。
「な、なんだなんだ?」
 突然の怪現象に困惑する結城。そんな彼の目線の先。泡の中から浮上してくるものがあった。闇のように真っ黒なワニに似た表皮。敵を充分に萎縮させる、ギョロリとした両目。噛まれたら、まず命はないであろう鋭い歯並び。
 どこを取っても恐ろしさしかないパーツで構成された生物―怪獣の頭部が、重厚な音楽でも引き連れてきそうな雰囲気で、結城の股座から鎌首をもたげた。
「オォワアアァ!?」
 いきなり浴槽の中から、しかも自分の股の間から現れた怪獣に、結城は一も二もなく驚声を挙げた。
 このままでは頭から齧りつかれるか、放射火炎の餌食だ。
 と、思っていたら、怪獣の中からキャッキャッと可愛らしい笑い声が聞こえてきた。
「ゆうき、おどろいた? おどろいた?」
 怪獣の首が持ち上がり、中から満面の笑みを浮かべた媛寿が現れた。
 いつの間にか泡は消えており、よく見ると怪獣は首だけの被り物だった。
「え、媛寿・・・さすがにビックリしたよ・・・そんな物どこにあったんだよ・・・」
「奥の部屋にあった!」
 媛寿は結城を驚かせたことにご満悦なのか、被り物を頭に乗せたまま湯船を泳いで怪獣の行進ごっこをしてはしゃいでいる。
 元々この古屋敷は明治から大正にかけて財を成した資産家が別荘として拵えたものだったらしいが、その資産家の家系は皆、収集家だったので、奥の部屋には様々なジャンルのコレクションが未だ雑然と置かれている。
(西宝映画のマニアもいたのかな。あんなのまであったんだ・・・)
 まさか西宝特撮の看板怪獣の頭部まであるとは思っても見なかった。それほどコレクションの数が膨大だったので、結城は縁寿の見つけてきたそれを見ながら少し呆れた。
「騒がしいですよ。入浴中の会話も良きものですが、そこまで大声を出してはいけません」
「うぉっ!?」
 媛寿の悪戯の影響が落ち着いてきたのも束の間、聞こえてきた清涼な声の人物に、またも結城は体を強張らせた。
 浴室に我が物顔で入ってきたアテナだった。右手に持ったタオルを右肩に掛け、左手は腰に据えた、なんとも勇ましいポージングである。しかも全裸だった。まったく隠そうともしていない。
「ちょっ!? アテナ様! いいかげん勝手に風呂に入ってくるの、やめてもらえませんか!せめて隠すか水着つけるかしてください!」
「何を恥ずかしがっていますか。古代ギリシャの公衆浴場でも混浴はありました。日本は混浴が普通なのでしょう? 問題など微塵もありません」
 顔を手で覆って背を向ける結城に、アテナは胸を張って宣言した。ここまで堂々とされると、見ている方が恥ずかしい。
 流麗で均整の取れた、まさに最高峰のギリシャ彫刻とも言える女神の裸身を前にしては、大概の男はたじたじになってしまう。ましてや、結城は特にそうだった。
 小林結城25歳。童貞である。
「そもそも既にエンジュも一緒に入浴しいるではありませんか。私が入ることを拒むのは矛盾が生じますよ」
「え・・・いや・・・媛寿はまだ子どもだからまだしも、アテナ様はさすがに・・・」
「えんじゅ、こどもじゃないもん!」
「子どもは一様に自身を子どもと認めたがらないものです。万国共通です」
「う~、ないもん!」
「聞き分けがないのも子どもです!」
 アテナの一言に媛寿が躍起になり、さらにアテナも返す言葉で反撃する。二人の他愛ない口喧嘩はどんどんヒートアップしていった。しかもどんどん子どもじみた言い合いになっていっている。
 普段は冷静で知的なのに、どういうわけかこの女神、チーズケーキと売られた喧嘩には人が変わる。魅力的な大人の女性である反面、かなり幼稚なところもあると結城は思っていた。
 そもそも出会い方がとんでもなかった。畑仕事を手伝った際、日当たりを良くするために畑の隅に植わっていた桜の木の枝を落とし、それをもらい受けたのが始まりだった気がする。ちょうど良い大きさと重さだったので、削って筋トレ用の木刀にしようと結城は思い立った。樹皮を剥ぎ、ナイフで削って形を整えながら、休憩におやつのチーズケーキを食べようとした時だった。
 口に運ぼうと持っていたショートのチーズケーキが、手もろとも何者かにパクつかれた。それがトーガに甲冑を纏った金髪の美女だったのだから、驚かない方が無理である。
 チーズケーキを差し出さなければ全能の神の雷槍が落ちてきますよ、と脅され、仕方なくその日のおやつを差し出した。余談だが、おやつを取られて機嫌を損ねた媛寿をなだめるのに苦労した。
 チーズケーキを平らげた金髪美女は改めて身の上を語った。なんでも故国がいま大変な状況なので、建て直し諸々を含め、出張先を探していたという。
 自分が来た以上、一人前の戦士、一人前の英雄になってもらうと勝手に決められ、彼女は結城の元に居ついてしまった。物知りで色々なことを教えてくれるのはありがたいのだが、すさまじいトレーニングを課し、チーズケーキにうるさく、媛寿とは別の子どもっぽさがあるので、少し困惑することも多かった。
 ある意味、同じレベルなのか、ほんの時々こうして媛寿と小さな喧嘩をしていた。
 夢中で言い合いをしているので、もう結城のことは二人とも眼中にない。この隙に浴室から脱出しようと結城はタイルの床を匍匐前進で脱衣所まで移動しようとした。
 だが、ここでまたも浴室の扉が開かれた。
 見上げると仁王立ちしたシロガネがいた。浴室で濡れないようにするためか、エプロンドレスの袖を捲くり、スカートはたくし上げられている。着物でもないのに肩にたすきを掛け、頭にはいつものカチューシャではなく、ねじり鉢巻が巻かれていた。
「結城、背中流しに来た」
 相変わらず無表情だが、なんだか嬉々とした感情に溢れているのが窺える。結城は彼女が右手に持った物を見た。亀の子たわしが可愛く思える荒さのデッキブラシが握られている。
「そ、それで背中を流すの?」
「この前買った小説、こういうの、あった」
 シロガネがポケットから取り出した文庫本の表紙を結城は検めた。
 『ドSメイドの超絶獄門奉仕』と書かれている。ヨーロッパ書院ガールズ文庫である。
「やってみたい」
 文庫本をポケットにしまうと、シロガネはブラシを構えつつ、結城ににじり寄ってくる。
「な、流すのは背中だけ・・・だよね?」
「全身くまなく。特に下半身」
 結城は息を呑んだ。や、殺られる。
 後退の匍匐前進で下がろうとしたが、
「あれ? ユウキはどこに行きました?」
「あっ、あっち!」
アテナと媛寿に気付かれてしまった。前門の虎、後門の狼とはこういうことを言うのだろうと、不意に思ってしまった。
「ゆうき、カイジュウごっこ、カイジュウごっこ!」
「戦士を慰撫するのも女神の務め。背中を流して差し上げます、ユウキ」
「全身、擦りあげる。覚悟」
 男として嬉しいような嬉しくないような、いや、六割近く嬉しくない状況に、結城は涙目になった。
「オォウワアアァ!」
 古屋敷の風呂場から、盛大な叫び声が山野に響き渡った。

 一方その頃、マスクマンは居間でくつろいでいた。
 感覚の鋭い彼は直感にも優れ、風呂場でとんでもない乱痴気騒ぎが起こることをいち早く察知し、素早く一番風呂をいただいていた。
 ソファに深々と座り、コップに注いだココナッツミルクを傾け、土曜の定番『地球フカシギ大発見』を大画面液晶テレビ(媛寿の拾得物)で楽しんでいた。
 ちなみに今回の探訪はオーストラリアのエアーズロックだった。
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