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竜の恩讐編
それぞれの向き合い方 その4
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出雲大社の奥社の廊下を、消炭色に稲妻の意匠が施された狩衣の偉丈夫が歩いている。
金毛稲荷神宮から雷による瞬間移動で戻った建御雷神だった。
優雅ささえ感じられる所作で廊下を歩く中、建御雷神はそこかしこで聞こえてくる囁き声を拾っていた。
『アテナ様が会議の途中で帰られてしまうとは。いったい何事が起こったというのか』
『天照様はアテナ様に甘すぎるのではないか? 神無月に神が出雲を離れるなど前代未聞なるぞ』
『左様。いくら天照様が招聘している神といえど』
『待たれよ。アテナ様は戦いの神であると同時に知恵の神も兼任しておられる。そのような御方が深い理由もなくこのような暴挙に及ぶはずなど』
表だって話すことは憚られていても、やはりアテナが出雲を発ったというのは神々の間でも噂の種となっていた。
少々辟易して廊下を歩いていた建御雷神だったが、
「?」
ふと、曲がり角から出た小さな手が揺らめいているのが目に留まった。建御雷神への手招きだった。
「……御自ら如何様な御用向きかな? 天照大神」
「よっ、建御雷神兄ちゃん。今は公の場じゃないから畏まらなくていいよ」
曲がり角で待ち伏せていたのは、八百万の神々の最高位、天照だった。髪飾りと衣で正装しているのが似つかわしくないほど、砕けた態度で建御雷神に挨拶してきた。
「……では、何の用向きか? 天照」
「アテナちゃん送ってきたんでしょ? どんな感じだった?」
「どう、と問われれば……そうだな」
屈託なく聞いてくる天照に、建御雷神は送り先で見知ったことを全て話した。建御雷神からすれば特に黙っている理由もなく、口止めを受けたわけでもない。そもそも最高神に口を噤むこともない。
「う~ん、そんなことになってんだ―――」
一通り話を聞き終わった天照は、口をへの字に曲げた後、
「―――惜しいな~……」
とだけ呟いた。
「惜しい、とは? あの小林結城のことか? それともアテナ殿のことか? あるいは其方が憩いの場に使っている件の屋敷のことか?」
「全部」
建御雷神の問いに、天照は即答する。
「あの古屋敷がなくなっちゃうのも痛いし、アテナちゃんが帰っちゃうかもしれないのも痛いし、結城ちゃんが死んじゃうのも痛い。っていうか結城ちゃんが死んじゃったら、そもそも全部なくなっちゃうじゃない。惜しいな~、どうしよ」
腕を組んで首を傾げる天照。だが、その様子はどこか呑気で、特に慌てているようでもない。
「其方からしても、あの者は惜しい人材ということか」
「結城ちゃんっていうか、その周りがね。アテナちゃんのこともそうだけど、結城ちゃんたちには八百万の神が手を出しづらい仕事、これからも頼みたいし」
『でもな~』と、天照は指を顎に当てて思案した。
いくら結城の存在が惜しいとはいえ、天照ほどの神が一個人にそこまで便宜を図るというのは、さすがに依怙贔屓と取られかねない。
ましてや、命に関わる事柄ともなれば、なおさらだ。
(けどこのまま静観してるっていうのもな~。せめて状況が動いたらこっちもすぐに手を打てるようにしときたい)
天照が黙して思索を巡らせていると、
「お~、タケミっちゃんやないか~」
ひそひそ話が渦巻く廊下にあって、それを全く意に介さない明るい声で建御雷神を呼ぶ者がいた。
「恵比須大兄」
全身金色に設えた狩衣で、肩に最新鋭の釣り竿を担いだ商業神、恵比須が軽い足取りで歩いてきた。
「んな畏まらんでええて。それより天照見いひんかったか? しばらく会議が中断やったら、ちょい釣りにでも行きたいな~思て」
「……其方も大概奔放であったわ」
「まぁまぁまぁ、皆ピリピリしとるし、ここはワシが美味い尾頭付き釣ってきて取りなそと―――お?」
上機嫌で話していた恵比須の目に、曲がり角の陰から手招きする小さな手が留まった。
「なんや―――おぅ!?」
誰であるかを確認するよりも速く、恵比須は襟を強く掴まれ引き寄せられた。
「恵比須兄ちゃん、そういえばさぁ―――」
強引に曲がり角に引き込んだ恵比須に、天照は何事か耳打ちをした。
金毛稲荷神宮から雷による瞬間移動で戻った建御雷神だった。
優雅ささえ感じられる所作で廊下を歩く中、建御雷神はそこかしこで聞こえてくる囁き声を拾っていた。
『アテナ様が会議の途中で帰られてしまうとは。いったい何事が起こったというのか』
『天照様はアテナ様に甘すぎるのではないか? 神無月に神が出雲を離れるなど前代未聞なるぞ』
『左様。いくら天照様が招聘している神といえど』
『待たれよ。アテナ様は戦いの神であると同時に知恵の神も兼任しておられる。そのような御方が深い理由もなくこのような暴挙に及ぶはずなど』
表だって話すことは憚られていても、やはりアテナが出雲を発ったというのは神々の間でも噂の種となっていた。
少々辟易して廊下を歩いていた建御雷神だったが、
「?」
ふと、曲がり角から出た小さな手が揺らめいているのが目に留まった。建御雷神への手招きだった。
「……御自ら如何様な御用向きかな? 天照大神」
「よっ、建御雷神兄ちゃん。今は公の場じゃないから畏まらなくていいよ」
曲がり角で待ち伏せていたのは、八百万の神々の最高位、天照だった。髪飾りと衣で正装しているのが似つかわしくないほど、砕けた態度で建御雷神に挨拶してきた。
「……では、何の用向きか? 天照」
「アテナちゃん送ってきたんでしょ? どんな感じだった?」
「どう、と問われれば……そうだな」
屈託なく聞いてくる天照に、建御雷神は送り先で見知ったことを全て話した。建御雷神からすれば特に黙っている理由もなく、口止めを受けたわけでもない。そもそも最高神に口を噤むこともない。
「う~ん、そんなことになってんだ―――」
一通り話を聞き終わった天照は、口をへの字に曲げた後、
「―――惜しいな~……」
とだけ呟いた。
「惜しい、とは? あの小林結城のことか? それともアテナ殿のことか? あるいは其方が憩いの場に使っている件の屋敷のことか?」
「全部」
建御雷神の問いに、天照は即答する。
「あの古屋敷がなくなっちゃうのも痛いし、アテナちゃんが帰っちゃうかもしれないのも痛いし、結城ちゃんが死んじゃうのも痛い。っていうか結城ちゃんが死んじゃったら、そもそも全部なくなっちゃうじゃない。惜しいな~、どうしよ」
腕を組んで首を傾げる天照。だが、その様子はどこか呑気で、特に慌てているようでもない。
「其方からしても、あの者は惜しい人材ということか」
「結城ちゃんっていうか、その周りがね。アテナちゃんのこともそうだけど、結城ちゃんたちには八百万の神が手を出しづらい仕事、これからも頼みたいし」
『でもな~』と、天照は指を顎に当てて思案した。
いくら結城の存在が惜しいとはいえ、天照ほどの神が一個人にそこまで便宜を図るというのは、さすがに依怙贔屓と取られかねない。
ましてや、命に関わる事柄ともなれば、なおさらだ。
(けどこのまま静観してるっていうのもな~。せめて状況が動いたらこっちもすぐに手を打てるようにしときたい)
天照が黙して思索を巡らせていると、
「お~、タケミっちゃんやないか~」
ひそひそ話が渦巻く廊下にあって、それを全く意に介さない明るい声で建御雷神を呼ぶ者がいた。
「恵比須大兄」
全身金色に設えた狩衣で、肩に最新鋭の釣り竿を担いだ商業神、恵比須が軽い足取りで歩いてきた。
「んな畏まらんでええて。それより天照見いひんかったか? しばらく会議が中断やったら、ちょい釣りにでも行きたいな~思て」
「……其方も大概奔放であったわ」
「まぁまぁまぁ、皆ピリピリしとるし、ここはワシが美味い尾頭付き釣ってきて取りなそと―――お?」
上機嫌で話していた恵比須の目に、曲がり角の陰から手招きする小さな手が留まった。
「なんや―――おぅ!?」
誰であるかを確認するよりも速く、恵比須は襟を強く掴まれ引き寄せられた。
「恵比須兄ちゃん、そういえばさぁ―――」
強引に曲がり角に引き込んだ恵比須に、天照は何事か耳打ちをした。
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