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竜の恩讐編

幕間 アテナの懸念

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「ほほ~う。そんな方法で建御名方神タケミナカタの怨念を依代よりしろからはらったと。其方そなたの元にいる家神もなかなかやりおるではないか」
「エンジュは私の元にいるわけではありません。ユウキのかたわらにいることを好んでいるだけです」
 やしろの中に設けられた酒場バー(洋風。和風も別にあり)のカウンターに座り、建御雷神タケミカヅチはアテナからこれまでの冒険譚を聞いていた。
「その家神も、南方の古き精霊も、自在にやいば九十九神つくもがみも気になるが―――」
 建御雷神はグラスに入ったワインを一口飲み、
「其方からよく聞く小林結城なる者が最も奇妙であるな」
 わずかに目線だけを向けてアテナの様子をうかがった。
「……ユウキのことを話せば、大抵の者がそう評しますね」
「それは無理からぬことだ。稀代の英雄や王族ならば、其方をはじめとした神霊たちが傍につくも頷ける。が、聞けばその小林結城なる者は、どこを取っても只人ただびとというではないか。これを奇妙とせずして何とする」
「……」
 今度はアテナがグラスの中のワインを一口飲んだ。
「しかし、それとは別に其方がそこほど気にかける男子おのこというなら――――――ぜひ一度死合てあわせ願いたいものだ」
 そう言った瞬間、建御雷神のワイングラスが震えた。その空気の変化をアテナも察する。
 闘志というにはあまりに鋭く痛々しい、殺気に近い緊迫感。
 そして、それが誰に向いているのか。
「タケミカヅチ様、それは思うだけに留めていただきます。もしユウキに危害が及ぶというなら、あなたであっても容赦はいたしません」
 対してそう言うアテナのワイングラスも震えだした。建御雷神に対する明確な敵意によって。
「……ふっ、ははは、戯言だ。許されよ」
 途端、建御雷神から殺気があっさりと引いた。
「だが会ってみたいというのは本意だ。其方が、いや、其方たちがそれほどまでに入れ込んでいる者。果たして如何いかなる人物か。またその強さもしかり」
「ただの強さを測るなら、ユウキはタケミカヅチ様と相対しただけで敗退するでしょう」
 アテナはゆっくりと、しかしそれまでとは少し早いペースでグラスの中身を飲み干した。
「ユウキが持つ強さは、単に目で見て取れる実力を指しません」
「そうそう。あの子ってちょっと独特なトコあるのよね~」
 いつの間にかアテナの隣の席に座っている者がいた。
 つややかな黒髪をアップにまとめ、肌が透けるほど薄いカクテルドレスを着こなす美女。
「お久し~、アテナ様~」
 スクリュードライバーの入ったグラスを一息で飲み干し、その美女は上気した笑みでもってアテナに手を振っていた。
「あなたですか、天細女命アメノウズメ
 隣に現れた芸能と舞踊の女神、天細女命に対し、アテナはどこか呆れたような目を向けた。
「ご挨拶~。呼んでもくれないし、来てもくれないくせに~。祝勝会やってるって聞いたから飛んできたのに~」
 天細女命はしなを作ってアテナの肩にもたれかかる。
「今年もアテナ様の圧勝か~。このままだと挑戦する男神がいなくなっちゃうかも~。その時は私が立候補しちゃおっかな~」
芸能神あなた戦女神わたしに勝てるとでも?」
 アテナは天細女命をわずかに殺気を混ぜた目でにらんだ。
「これでも舞踊おどりに関しては日の本一にして最古を自負しているから。アテナ様の攻撃をかわしきるくらいはやってのけるかもよ?」
 天細女命もまた不敵な目でアテナを見返す。二柱の女神の間で、激しい視線の火花が散った。
たわむれはそこまでしておけ、天細女命。アテナ殿に挑むつもりなど毛頭ないのだろう」
「あはっ、バレた?」
 建御雷神に指摘され、天細女命は柔和な笑みを浮かべた。
「でもアテナ様って綺麗だし~、ちょっとイイな~って思ってるのは本当だよ~」
「其方の趣味嗜好に関しては触れるつもりはない。が、話の腰が折れた」
「ああ、結城ちゃんのことだったわね~」
「其方はくだんの者に会ったことがあるのか?」
「一回だけね。恵比須兄えびすニイについてった時」
 天細女命は面白そうに人差し指を一本立てた。逆にアテナはあまり面白くなさそうに、フォークで切ったチーズケーキの欠片を口に運んだ。
「すっごい初心うぶな子だったな~。だからむしろ私色に染めちゃいたいっていうか~」
「あなたはユウキにあまり良い影響を与えないと思うので呼びたくはないのです」
「そ~んな~。魔除けを授けてあげようとしただけなのに~」
「其方、アレをやったのか……」
 アテナと天細女命の会話を聞き、建御雷神も何かを察したらしい。
「正式な魔除けなのに~」
「まぁ、そこは別によい。して、其方の所感では小林結城なる人物は如何なる者だったのか?」
 気を取り直した建御雷神は、少し真面目な声で天細女命に問うた。
「ん~、そうね~。まず思ったのは放っておけないって感じだったかな~」
 天細女命はバーテンダーから渡されたドライマティーニを飲みながら語りだした。
「心の向きがい傾向なのはいいんだけど、ちょっとそれが過ぎるからかな~。危なっかしいからついつい手を貸しちゃうみたいな。要はイイ意味での悪目立ちかな~」
「……あまり強さとは無縁のように思えるが?」
「建御雷神くんが考えてるのとは違うかもね。お酒でたとえるなら、甘口の中にほのかなからさがある感じ。まっ、会えば分かるんじゃない?」
「そう。ユウキが持つ強さと力は、ただ目に見えるものではありません。あれはユウキだからこそ持ち得た強さと力です」
 天細女命に同調し、アテナはワイングラスを大きくあおった。
「ふむ……どのような人物かはまだ測りかねるが、いずれは会って確かめるとしよう」
 天細女命とアテナの言葉で一定の納得はしたのか、建御雷神もグラスの中のワインを味わうように流し込んだ。
「ところでアテナ様~。いつも嫁取り試合の後はつまらなそうにしてるけど~、今回は輪をかけて不機嫌そうにしてるのは何で~?」
 真面目な話が終わったところで、天細女命はまたほろ酔い調子に戻ってアテナに絡んできた。
「不機嫌であるわけではありません。ただ……」
「ただ?」
「……胸騒ぎのようなものが治まらないだけです」
 古屋敷ふるやしきを離れてからというもの、アテナは漠然とした不安がぬぐいきれないでいた。
 それは胸の奥のほんの一部が凍てつくような小さな感覚だったが、確実に不穏な何かが迫ってきていると、アテナに警告を発しているようだった。
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