284 / 418
豪宴客船編
それぞれの脱出
しおりを挟む
雷槍が放たれた衝撃は、数km離れた海中にも影響を及ぼしていた。
「監視地点より強力な電磁波の発生を確認!」
オペレーターが報告内容を叫ぶ中、艦内の機器にノイズが走り、艦体が大きく揺れ動いた。
「各種機器の状況を至急確認しろ! 制御が困難な場合は一時海面へ浮上する!」
軍服の男が命令を飛ばし、艦内の要員たちはすぐさま担当している機器の動作を確認する。
「どうやらカタ着いたようやな、コバちゃん」
手摺りに掴まって衝撃をやり過ごした男は、満足げに笑みを浮かべた。
「おっ! 合図だ」
操舵室の窓から様子見していた副船長、もといその身体を乗っ取った管狐は、雷槍の閃きを確認すると、すぐに室内の機器を起動した。
周りには精気を吸い取られた他の船員たちが死屍累々と横たわっているが、副船長の記憶を全て奪った管狐は、一人で手際よく操船の準備を進めていく。
「あとはこの船を東京湾にブッ込めばいいだけっと」
操舵輪を握る直前、管狐は思い出したように懐から拳銃を取り出した。
「結局コレ使わなかったな」
管狐が手に握られた拳銃をつまらなそうに眺めていると、
「あ~、ちょっと」
操舵室の扉から不意にかけられた声の方に、その銃口を突きつけた。
「待った待った! そーゆーのはヌキで話がしたいんだ」
扉をくぐってきたのは、怪しげな黄金の仮面を着けた男だった。男は両手を挙げ、攻撃の意思がないことを示しながら、管狐へと歩み寄ってくる。
「キミ、管狐だろ?」
「っ!」
正体を言い当てられた管狐は、銃を両手持ちで構え直し、男の心臓に狙いを定めた。
「だから待ったって! 別にキミが何しようがボクは邪魔する気ないんだ。ちょっと頼みたいことがあって来たんだ」
「頼み……だと?」
「そうそう。それだけ聞いてくれるんなら、ボクらはすんなりお暇するから、後は好きにしちゃって構わないから」
男の風貌と相まってあまりにも胡散臭いが、正体を知った上で頼み事をしに来たあたり、ただの乗客ではないと管狐は目していた。何より、キュウが船内のほぼ全ての人間から精気を集めたはずなので、その中でまともに動けているなら只者ではない。
「その頼みってのは何だ?」
管狐は銃口を下ろした。一応、聞くだけ聞いてみることにする。
「ボクが言うタイミングで、ちょっとだけ船を止めといてほしいんだ。こっちの用が済んだら、ボクらはこの船をおさらばする」
男の話を聞いた管狐は、少しの間考えた。
「そのくらいなら別にいいが、そんなことしてもおいらに何の得もないよな?」
「そうだなぁ……じゃあキミが普段棲家にしている場所を言ってくれないかな? もしくはその近く」
「何でそんなこと教えないといけないんだ?」
「出来立てアツアツの『鼠の天ぷら』――――」
「っ!?」
それを聞いた管狐は肩を跳ね上がらせた。
「――――を近日中にその場所へ持っていかせよう。もちろん時間指定OKで」
「……本当だな?」
「頼みを聞いてくれるんなら安すぎる買い物だ。なんなら念書を一筆書いてもいい」
管狐から見ても、男が嘘を言っているようには見えなかった。
キュウから言い渡されたのは、船を東京湾まで持っていくことなので、最終的に目的地に着くなら途中で一時停止することは命令を違えていない。
「よし、いいぞ。ここから東京湾までの間なら、どこでも止めてやる」
「おぉ、ありがとう」
「その代わりイイ油を使った鼠の天ぷらだぞ。いいな?」
「もちろん。さて、じゃあ早速念書を認めようか。場所と時間は?」
「場所は――――」
目が眩む程の光の中で、オスタケリオンは天上へ右手を伸ばした。
すでに視覚は焼き尽くされているはずが、その光だけは鮮明に、魂にまで届き煌々と感じられた。
その光の先に通じているであろう誰かに向かって、オスタケリオンは黒い骨と成り果てた手を伸ばす。
「ア……ア……」
その人物の輪郭すら捉える前に、オスタケリオンの手は砂のように消えていった。
手だけでなく、残った部位も端から途絶え、遂には黒い髑髏の頭部だけになった。
「ア……」
クラーケンと一体化して理性を失ってなお、オスタケリオンはその人物への忠誠だけは忘れていなかった。
黒髑髏が消失する刹那に抱いたのは、己を作った主に対しての悔恨の念だった。
与えられた役務を果たせなかったことへの――――
雷槍の効果が切れる頃には、クラーケンの残骸は跡形もなく消滅していた。
アテナと融合していた結城は、海面に向かって落下していくところ、集まってきた枇杷の葉がクッションのようになって受け止められた。
そのまま枇杷の葉のクッションに運ばれ、結城は媛寿たちが待つ船上に帰還した。
床に立った結城の身体から、金色の粒子が離れ、それは凛々しい女神の姿を形作った。
同時に、
「ふお――――――」
「くっ!」
結城は前のめりに床へ倒れ、アテナはその場に膝をついた。
「わっ! ゆうき~!」
媛寿が慌てて駆け寄ると、結城はまたも白目を剥いて意識を失っていた。
「おつかれさまでした~」
呑気な拍手をしながら歩み寄ってきたキュウは、笑顔で結城とアテナを労った。
「図り……ましたね……キュウ!」
膝をついたまま動けない様子のアテナは、近寄ってきたキュウを睨みつけた。
「何のことですか~、アテナ様~?」
「戯けたことを! 雷槍一回分の力しか渡さずに!」
「誤解ですよ~。過不足なくあの怪物に止めをさせるようにってしただけですよ~」
キュウはしゃがみ込むと、動けないアテナの耳元に顔を寄せ、
「とはいえ、これだけ力を出し切ってしまったら、アテナ様でも二、三日はまともに動けないでしょうね」
氷のように冷たい声でそう囁いた。
「っ!?」
「その間に結城さんとお楽しみさせていただきますね」
「っ! あなたという狐は!」
「はいは~い皆さ~ん!」
怒りで赤くなったアテナをよそに、キュウは手を叩いてその場の注目を集めた。
「これからこの船は東京湾に突っ込みま~す。でもその前に私たちは脱出しますので~、荷物をまとめて車両格納庫まで来てくださ~い」
キュウは船内アナウンスよろしくそう告げると、
「ささっ、早く参りましょ~。媛寿さんは~、結城さんの荷物も一緒に持ってきてあげてくださいね~」
「らじゃー!」
結城を抱え上げてそそくさとプール施設を去っていった。その後を追って媛寿もぱたぱたと走っていく。
「くっ! どこまでも戯けたことを!」
「KΞ1↓AN(落ち着けよ、アテナ)」
まだ立ち上がることも侭ならないアテナに、マスクマンが肩を貸して起こした。
「NΛ→5FI。SΣ2←PS(いまはこの船から脱出するのが先だ。シロガネ、盾の方は頼むぞ)」
「お、重、い」
マスクマンがアテナと槍を、シロガネが神盾の分担で運び、三人もまた激戦の爪痕が生々しい、破壊し尽くされた船の最上デッキを後にした。
クイーン・アグリッピーナ号の船体側面にあるゲートが、警告音と重たい金属音を発して開かれた。
そこは本来、寄港地にて車両を格納するための、船内ガレージへ通じる扉だった。
その開かれた扉の奥、暗い船内ガレージから強いヘッドライトが発光した。
「では発進しますわ。全員、くれぐれもシートベルトはしっかりと」
最終確認をしたカメーリアは、シフトレバーをローに入れ、足をブレーキペダルからアクセルへ移し、深く踏み込んだ。
マフラーからの排気音ではなく、突風が空気を押しやるような音が鳴り響き、ゲートから一台のスポーツカーが宙へ躍り出た。
月の光を反射する滑らかなフォルムを持つ赤い車体、アストンマーティン・DB5だった。
ただし、本来四輪が装着されている箇所には、タイヤではなく柄を短くした箒が取り付けられている。
「すっごいすっごーい! 『ベリー・トッター』や『ワンダーバード』みたーい!」
まさに小説や映画でしかないような空飛ぶ自動車に乗り、媛寿は大興奮して後部座席で跳ねていた。
「カメーリアに来てもらって正解でした~。脱出の『足』として申し分ありません」
助手席に座るキュウは、余裕綽綽と扇で自身を扇いでいる。
「気前良くチケットを渡してきたと思ったら、何だかいろいろ仕事させられた気分ですわ。おまけに飛行自動車まで使う羽目になるなんて」
カメーリア製作の飛空自動車は、一度飛び立ってしまえば、あとは着地した時点で二度と飛ぶことはできない。
一回限りの空中ドライブを実現するという、便利なのか不便なのか判断が難しい代物であった。カメーリアは作る労力に効果が見合わないということで、やはりガレージで埃を被らせていた。
「まあまあ、あなただって楽しんだことですし~。『例の薬』も調整ができましたでしょ~?」
「はあ~、もういいですわ。お店を吹っ飛ばされた分くらいは取り戻せた気がしますし」
キュウにうまい具合に動かされた気がしないでもないカメーリアは、ぐったりとハンドルにもたれかかった。
飛空自動車はどんどん高度を上げ、比例してクイーン・アグリッピーナ号の全容が小さく遠ざかっていく。
空飛ぶ自動車に騒いでいた媛寿だったが、離れていく豪華客船を見て急におとなしくなった。
サイドウインドウからの景色を見つつ、媛寿は左袖からある物を取り出した。
掌の中には、8mm程度の小さな薬莢式の弾丸が握られていた。
百年以上前に友人から渡された、その弾丸を。
『お前が抜けるとあっちゃあ、寂しい限りぜよ』
『えんじゅ、くろふねみにきただけ。そのついでだった。そろそろかえってゆっくりしたい』
『そぉか~……なぁ、お前もわしと一緒に海に出てみんか?』
『?』
『お前にはいろいろ助けられたき。その礼がしたいんじゃ。わしは大政奉還 の細かいことが片付いたら、海援隊として世界に出る気でおる。お前も一緒に世界に繰り出してみんか?』
『……かんがえとく』
『おぉ、そぉか! じゃあコレ持っとくぜよ! それがわしの船に乗る御免之印章じゃき!』
結局それから一ヶ月も経たないうちに、その友人は暗殺され、媛寿は大海原に出ることはなかった。
今の今まで忘れてしまっていたが、媛寿は改めて、大型船で海に出たことを感慨深く思っていた。
パスポート代わりとして渡された、S&Wモデル2アーミーの弾丸を握り締めて。
「たぶんアレ……だよな? 小林結城はあんなモンまで持ってたのか?」
クイーン・アグリッピーナ号から遠ざかっていく飛空自動車を眺めながら、稔丸は小型無線機を口元に寄せた。
「まっ、それは置いといて……停船よろしく、どうぞ」
『分かった。停船する』
無線機の向こうから返信が来て数分後、船のエンジンは出力を落とし、何もない海の真ん中でクイーン・アグリッピーナ号は停止した。
「いま停船しましたので、ピックアップよろしくお願いします」
小型無線機とは別にもう一つ、衛星回線を使用する特殊な携帯電話に、稔丸は静かに声をかけた。
それを合図に、静まり返ったクイーン・アグリッピーナ号のすぐ横から、海面を掻きき分けて何かが浮上する。
深海のような闇色に染め上げられた、大型の潜水艦だった。
「シトローネ、グリム、迎えが来た。乗り換え作業をよろしく」
「ありがとう。こっちの用は済んだから、もう出してくれていいよ。どうぞ」
最後にハッチを通って艦内に入った稔丸は、無線機で相手に終了を伝えた。
『じゃ、例の件は忘れんなよ? どうぞ』
「もちろん。ちゃんと約束した場所に届けるよ」
それを最後に、稔丸は通信を切った。
「ごくろうさんやったね、稔ちゃん」
後ろから声をかけてきたその人物に、稔丸はゆっくり振り返った。
「競り落とした娘たちは全員乗せたんで、もう潜水艦も出してもらっていいですよ、恵比須様」
潜水艦の中にはあまりにも不釣合いな、麦藁帽子にサングラス、アロハシャツという出で立ち、商業神・恵比須がそこにいた。
「オッケーオッケーや。じゃ、毘沙門天に出すよう言うてくるわ」
「あっ、ちょっと待ってくださいよ、恵比須様」
「ん? 何や?」
発令所へ戻ろうとした恵比須を、稔丸は思い出したように呼び止めた。
「彼らを巻き込んだのって……もしかして恵比須様ですか?」
「せやけど?」
恵比須は別段取り繕う様子もなく、あっさりと質問の是非を答えた。それを予想できていたのか、稔丸も特に驚くことなく続ける。
「一応聞きますけど、何で彼らを巻き込んだんですか? あんな方々が乗り込んだら、滅茶苦茶な騒動が起こることは分かってたでしょうに」
「そら簡単や。メッチャクチャに引っかき回して欲しかったからや」
稔丸の言葉を返すように、恵比須は人差し指を立てた。
「コバちゃんのこっちゃ。あの船の違法の証拠集めて訴え出ようとか思とったんちゃうか? 甘い。メッチャ甘いわ。そんなんであの船が沈むわけあるかい。けど媛寿ちゃんやアテナちゃんが大暴れしよったら、否が応でも騒ぎが起こる。それこそ船一隻簡単に沈めるくらい、な」
「……」
稔丸は恵比須の言葉を黙って聞いていた。恵比須の口元には、企む者としての笑みが表れている。
「ホンマやったら船が沈みかかっとるところを海保に押さえさせて、客全員から保釈金ガッポリいただいた上で、醜聞でチョイお灸据えたろ思とったけど……まっ、東京湾に突っ込ませても同じやし、ええわ」
「相変わらず……商売が絡むと恐い方だ」
滔々と謀を語る恵比須に、稔丸は内に湧いた恐れを口にした。
「当たり前や、稔ちゃん。わし商売の神様やで。八百万の神の国にド汚い商売持ち込みよるんやったら、こっちもそれなりの手ぇ使て一泡吹かしたるわ」
恵比須の目は稔丸に向いていなかったが、敵対者への執念のようなものが満ち満ちており、稔丸はなおさら背筋が冷えるのを感じていた。
「喧嘩売ったこと後悔させたる。見とれよ、武器密売組織『火の星』
一方その頃、セントラルパークが崩れてできた瓦礫の中。
「うわああああ! もう纏わりつくな亡者ども! 納豆の糸が切れるだろおがああああ…………あれ?」
悪夢に飛び起きた野摩は、静寂に包まれた瓦礫だけの風景を見渡した。
「ここって……いてててて!」
確認のために頬を引っ張ってみるが、そこにはハッキリとした痛みがあった。
「痛い……ってことは……ああぁ~、神様ありがとうございます~。現世に戻してくれたんですね~」
瓦礫の上に跪いた野摩は、手を合わせて心の底から天へ感謝した。
「これからはもう二度と悪いことしません。清く正しく生きていきます~」
果たしてどんな神が助けたのか、野摩はそれを知らぬまま滂沱の涙を流し続けていた。
「監視地点より強力な電磁波の発生を確認!」
オペレーターが報告内容を叫ぶ中、艦内の機器にノイズが走り、艦体が大きく揺れ動いた。
「各種機器の状況を至急確認しろ! 制御が困難な場合は一時海面へ浮上する!」
軍服の男が命令を飛ばし、艦内の要員たちはすぐさま担当している機器の動作を確認する。
「どうやらカタ着いたようやな、コバちゃん」
手摺りに掴まって衝撃をやり過ごした男は、満足げに笑みを浮かべた。
「おっ! 合図だ」
操舵室の窓から様子見していた副船長、もといその身体を乗っ取った管狐は、雷槍の閃きを確認すると、すぐに室内の機器を起動した。
周りには精気を吸い取られた他の船員たちが死屍累々と横たわっているが、副船長の記憶を全て奪った管狐は、一人で手際よく操船の準備を進めていく。
「あとはこの船を東京湾にブッ込めばいいだけっと」
操舵輪を握る直前、管狐は思い出したように懐から拳銃を取り出した。
「結局コレ使わなかったな」
管狐が手に握られた拳銃をつまらなそうに眺めていると、
「あ~、ちょっと」
操舵室の扉から不意にかけられた声の方に、その銃口を突きつけた。
「待った待った! そーゆーのはヌキで話がしたいんだ」
扉をくぐってきたのは、怪しげな黄金の仮面を着けた男だった。男は両手を挙げ、攻撃の意思がないことを示しながら、管狐へと歩み寄ってくる。
「キミ、管狐だろ?」
「っ!」
正体を言い当てられた管狐は、銃を両手持ちで構え直し、男の心臓に狙いを定めた。
「だから待ったって! 別にキミが何しようがボクは邪魔する気ないんだ。ちょっと頼みたいことがあって来たんだ」
「頼み……だと?」
「そうそう。それだけ聞いてくれるんなら、ボクらはすんなりお暇するから、後は好きにしちゃって構わないから」
男の風貌と相まってあまりにも胡散臭いが、正体を知った上で頼み事をしに来たあたり、ただの乗客ではないと管狐は目していた。何より、キュウが船内のほぼ全ての人間から精気を集めたはずなので、その中でまともに動けているなら只者ではない。
「その頼みってのは何だ?」
管狐は銃口を下ろした。一応、聞くだけ聞いてみることにする。
「ボクが言うタイミングで、ちょっとだけ船を止めといてほしいんだ。こっちの用が済んだら、ボクらはこの船をおさらばする」
男の話を聞いた管狐は、少しの間考えた。
「そのくらいなら別にいいが、そんなことしてもおいらに何の得もないよな?」
「そうだなぁ……じゃあキミが普段棲家にしている場所を言ってくれないかな? もしくはその近く」
「何でそんなこと教えないといけないんだ?」
「出来立てアツアツの『鼠の天ぷら』――――」
「っ!?」
それを聞いた管狐は肩を跳ね上がらせた。
「――――を近日中にその場所へ持っていかせよう。もちろん時間指定OKで」
「……本当だな?」
「頼みを聞いてくれるんなら安すぎる買い物だ。なんなら念書を一筆書いてもいい」
管狐から見ても、男が嘘を言っているようには見えなかった。
キュウから言い渡されたのは、船を東京湾まで持っていくことなので、最終的に目的地に着くなら途中で一時停止することは命令を違えていない。
「よし、いいぞ。ここから東京湾までの間なら、どこでも止めてやる」
「おぉ、ありがとう」
「その代わりイイ油を使った鼠の天ぷらだぞ。いいな?」
「もちろん。さて、じゃあ早速念書を認めようか。場所と時間は?」
「場所は――――」
目が眩む程の光の中で、オスタケリオンは天上へ右手を伸ばした。
すでに視覚は焼き尽くされているはずが、その光だけは鮮明に、魂にまで届き煌々と感じられた。
その光の先に通じているであろう誰かに向かって、オスタケリオンは黒い骨と成り果てた手を伸ばす。
「ア……ア……」
その人物の輪郭すら捉える前に、オスタケリオンの手は砂のように消えていった。
手だけでなく、残った部位も端から途絶え、遂には黒い髑髏の頭部だけになった。
「ア……」
クラーケンと一体化して理性を失ってなお、オスタケリオンはその人物への忠誠だけは忘れていなかった。
黒髑髏が消失する刹那に抱いたのは、己を作った主に対しての悔恨の念だった。
与えられた役務を果たせなかったことへの――――
雷槍の効果が切れる頃には、クラーケンの残骸は跡形もなく消滅していた。
アテナと融合していた結城は、海面に向かって落下していくところ、集まってきた枇杷の葉がクッションのようになって受け止められた。
そのまま枇杷の葉のクッションに運ばれ、結城は媛寿たちが待つ船上に帰還した。
床に立った結城の身体から、金色の粒子が離れ、それは凛々しい女神の姿を形作った。
同時に、
「ふお――――――」
「くっ!」
結城は前のめりに床へ倒れ、アテナはその場に膝をついた。
「わっ! ゆうき~!」
媛寿が慌てて駆け寄ると、結城はまたも白目を剥いて意識を失っていた。
「おつかれさまでした~」
呑気な拍手をしながら歩み寄ってきたキュウは、笑顔で結城とアテナを労った。
「図り……ましたね……キュウ!」
膝をついたまま動けない様子のアテナは、近寄ってきたキュウを睨みつけた。
「何のことですか~、アテナ様~?」
「戯けたことを! 雷槍一回分の力しか渡さずに!」
「誤解ですよ~。過不足なくあの怪物に止めをさせるようにってしただけですよ~」
キュウはしゃがみ込むと、動けないアテナの耳元に顔を寄せ、
「とはいえ、これだけ力を出し切ってしまったら、アテナ様でも二、三日はまともに動けないでしょうね」
氷のように冷たい声でそう囁いた。
「っ!?」
「その間に結城さんとお楽しみさせていただきますね」
「っ! あなたという狐は!」
「はいは~い皆さ~ん!」
怒りで赤くなったアテナをよそに、キュウは手を叩いてその場の注目を集めた。
「これからこの船は東京湾に突っ込みま~す。でもその前に私たちは脱出しますので~、荷物をまとめて車両格納庫まで来てくださ~い」
キュウは船内アナウンスよろしくそう告げると、
「ささっ、早く参りましょ~。媛寿さんは~、結城さんの荷物も一緒に持ってきてあげてくださいね~」
「らじゃー!」
結城を抱え上げてそそくさとプール施設を去っていった。その後を追って媛寿もぱたぱたと走っていく。
「くっ! どこまでも戯けたことを!」
「KΞ1↓AN(落ち着けよ、アテナ)」
まだ立ち上がることも侭ならないアテナに、マスクマンが肩を貸して起こした。
「NΛ→5FI。SΣ2←PS(いまはこの船から脱出するのが先だ。シロガネ、盾の方は頼むぞ)」
「お、重、い」
マスクマンがアテナと槍を、シロガネが神盾の分担で運び、三人もまた激戦の爪痕が生々しい、破壊し尽くされた船の最上デッキを後にした。
クイーン・アグリッピーナ号の船体側面にあるゲートが、警告音と重たい金属音を発して開かれた。
そこは本来、寄港地にて車両を格納するための、船内ガレージへ通じる扉だった。
その開かれた扉の奥、暗い船内ガレージから強いヘッドライトが発光した。
「では発進しますわ。全員、くれぐれもシートベルトはしっかりと」
最終確認をしたカメーリアは、シフトレバーをローに入れ、足をブレーキペダルからアクセルへ移し、深く踏み込んだ。
マフラーからの排気音ではなく、突風が空気を押しやるような音が鳴り響き、ゲートから一台のスポーツカーが宙へ躍り出た。
月の光を反射する滑らかなフォルムを持つ赤い車体、アストンマーティン・DB5だった。
ただし、本来四輪が装着されている箇所には、タイヤではなく柄を短くした箒が取り付けられている。
「すっごいすっごーい! 『ベリー・トッター』や『ワンダーバード』みたーい!」
まさに小説や映画でしかないような空飛ぶ自動車に乗り、媛寿は大興奮して後部座席で跳ねていた。
「カメーリアに来てもらって正解でした~。脱出の『足』として申し分ありません」
助手席に座るキュウは、余裕綽綽と扇で自身を扇いでいる。
「気前良くチケットを渡してきたと思ったら、何だかいろいろ仕事させられた気分ですわ。おまけに飛行自動車まで使う羽目になるなんて」
カメーリア製作の飛空自動車は、一度飛び立ってしまえば、あとは着地した時点で二度と飛ぶことはできない。
一回限りの空中ドライブを実現するという、便利なのか不便なのか判断が難しい代物であった。カメーリアは作る労力に効果が見合わないということで、やはりガレージで埃を被らせていた。
「まあまあ、あなただって楽しんだことですし~。『例の薬』も調整ができましたでしょ~?」
「はあ~、もういいですわ。お店を吹っ飛ばされた分くらいは取り戻せた気がしますし」
キュウにうまい具合に動かされた気がしないでもないカメーリアは、ぐったりとハンドルにもたれかかった。
飛空自動車はどんどん高度を上げ、比例してクイーン・アグリッピーナ号の全容が小さく遠ざかっていく。
空飛ぶ自動車に騒いでいた媛寿だったが、離れていく豪華客船を見て急におとなしくなった。
サイドウインドウからの景色を見つつ、媛寿は左袖からある物を取り出した。
掌の中には、8mm程度の小さな薬莢式の弾丸が握られていた。
百年以上前に友人から渡された、その弾丸を。
『お前が抜けるとあっちゃあ、寂しい限りぜよ』
『えんじゅ、くろふねみにきただけ。そのついでだった。そろそろかえってゆっくりしたい』
『そぉか~……なぁ、お前もわしと一緒に海に出てみんか?』
『?』
『お前にはいろいろ助けられたき。その礼がしたいんじゃ。わしは大政奉還 の細かいことが片付いたら、海援隊として世界に出る気でおる。お前も一緒に世界に繰り出してみんか?』
『……かんがえとく』
『おぉ、そぉか! じゃあコレ持っとくぜよ! それがわしの船に乗る御免之印章じゃき!』
結局それから一ヶ月も経たないうちに、その友人は暗殺され、媛寿は大海原に出ることはなかった。
今の今まで忘れてしまっていたが、媛寿は改めて、大型船で海に出たことを感慨深く思っていた。
パスポート代わりとして渡された、S&Wモデル2アーミーの弾丸を握り締めて。
「たぶんアレ……だよな? 小林結城はあんなモンまで持ってたのか?」
クイーン・アグリッピーナ号から遠ざかっていく飛空自動車を眺めながら、稔丸は小型無線機を口元に寄せた。
「まっ、それは置いといて……停船よろしく、どうぞ」
『分かった。停船する』
無線機の向こうから返信が来て数分後、船のエンジンは出力を落とし、何もない海の真ん中でクイーン・アグリッピーナ号は停止した。
「いま停船しましたので、ピックアップよろしくお願いします」
小型無線機とは別にもう一つ、衛星回線を使用する特殊な携帯電話に、稔丸は静かに声をかけた。
それを合図に、静まり返ったクイーン・アグリッピーナ号のすぐ横から、海面を掻きき分けて何かが浮上する。
深海のような闇色に染め上げられた、大型の潜水艦だった。
「シトローネ、グリム、迎えが来た。乗り換え作業をよろしく」
「ありがとう。こっちの用は済んだから、もう出してくれていいよ。どうぞ」
最後にハッチを通って艦内に入った稔丸は、無線機で相手に終了を伝えた。
『じゃ、例の件は忘れんなよ? どうぞ』
「もちろん。ちゃんと約束した場所に届けるよ」
それを最後に、稔丸は通信を切った。
「ごくろうさんやったね、稔ちゃん」
後ろから声をかけてきたその人物に、稔丸はゆっくり振り返った。
「競り落とした娘たちは全員乗せたんで、もう潜水艦も出してもらっていいですよ、恵比須様」
潜水艦の中にはあまりにも不釣合いな、麦藁帽子にサングラス、アロハシャツという出で立ち、商業神・恵比須がそこにいた。
「オッケーオッケーや。じゃ、毘沙門天に出すよう言うてくるわ」
「あっ、ちょっと待ってくださいよ、恵比須様」
「ん? 何や?」
発令所へ戻ろうとした恵比須を、稔丸は思い出したように呼び止めた。
「彼らを巻き込んだのって……もしかして恵比須様ですか?」
「せやけど?」
恵比須は別段取り繕う様子もなく、あっさりと質問の是非を答えた。それを予想できていたのか、稔丸も特に驚くことなく続ける。
「一応聞きますけど、何で彼らを巻き込んだんですか? あんな方々が乗り込んだら、滅茶苦茶な騒動が起こることは分かってたでしょうに」
「そら簡単や。メッチャクチャに引っかき回して欲しかったからや」
稔丸の言葉を返すように、恵比須は人差し指を立てた。
「コバちゃんのこっちゃ。あの船の違法の証拠集めて訴え出ようとか思とったんちゃうか? 甘い。メッチャ甘いわ。そんなんであの船が沈むわけあるかい。けど媛寿ちゃんやアテナちゃんが大暴れしよったら、否が応でも騒ぎが起こる。それこそ船一隻簡単に沈めるくらい、な」
「……」
稔丸は恵比須の言葉を黙って聞いていた。恵比須の口元には、企む者としての笑みが表れている。
「ホンマやったら船が沈みかかっとるところを海保に押さえさせて、客全員から保釈金ガッポリいただいた上で、醜聞でチョイお灸据えたろ思とったけど……まっ、東京湾に突っ込ませても同じやし、ええわ」
「相変わらず……商売が絡むと恐い方だ」
滔々と謀を語る恵比須に、稔丸は内に湧いた恐れを口にした。
「当たり前や、稔ちゃん。わし商売の神様やで。八百万の神の国にド汚い商売持ち込みよるんやったら、こっちもそれなりの手ぇ使て一泡吹かしたるわ」
恵比須の目は稔丸に向いていなかったが、敵対者への執念のようなものが満ち満ちており、稔丸はなおさら背筋が冷えるのを感じていた。
「喧嘩売ったこと後悔させたる。見とれよ、武器密売組織『火の星』
一方その頃、セントラルパークが崩れてできた瓦礫の中。
「うわああああ! もう纏わりつくな亡者ども! 納豆の糸が切れるだろおがああああ…………あれ?」
悪夢に飛び起きた野摩は、静寂に包まれた瓦礫だけの風景を見渡した。
「ここって……いてててて!」
確認のために頬を引っ張ってみるが、そこにはハッキリとした痛みがあった。
「痛い……ってことは……ああぁ~、神様ありがとうございます~。現世に戻してくれたんですね~」
瓦礫の上に跪いた野摩は、手を合わせて心の底から天へ感謝した。
「これからはもう二度と悪いことしません。清く正しく生きていきます~」
果たしてどんな神が助けたのか、野摩はそれを知らぬまま滂沱の涙を流し続けていた。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
冤罪で追放した男の末路
菜花
ファンタジー
ディアークは参っていた。仲間の一人がディアークを嫌ってるのか、回復魔法を絶対にかけないのだ。命にかかわる嫌がらせをする女はいらんと追放したが、その後冤罪だったと判明し……。カクヨムでも同じ話を投稿しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
仰っている意味が分かりません
水姫
ファンタジー
お兄様が何故か王位を継ぐ気満々なのですけれど、何を仰っているのでしょうか?
常識知らずの迷惑な兄と次代の王のやり取りです。
※過去に投稿したものを手直し後再度投稿しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
私はいけにえ
七辻ゆゆ
ファンタジー
「ねえ姉さん、どうせ生贄になって死ぬのに、どうしてご飯なんて食べるの? そんな良いものを食べたってどうせ無駄じゃない。ねえ、どうして食べてるの?」
ねっとりと息苦しくなるような声で妹が言う。
私はそうして、一緒に泣いてくれた妹がもう存在しないことを知ったのだ。
****リハビリに書いたのですがダークすぎる感じになってしまって、暗いのが好きな方いらっしゃったらどうぞ。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
先にわかっているからこそ、用意だけならできたとある婚約破棄騒動
志位斗 茂家波
ファンタジー
調査して準備ができれば、怖くはない。
むしろ、当事者なのに第3者視点でいることができるほどの余裕が持てるのである。
よくある婚約破棄とは言え、のんびり対応できるのだ!!
‥‥‥たまに書きたくなる婚約破棄騒動。
ゲスト、テンプレ入り混じりつつ、お楽しみください。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる