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豪宴客船編

キュウ、躍動

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 アテナと知り合って以降、結城ゆうきはアテナの戦いぶりを何度となく目にしてきた。
 割と一撃で勝敗が決まってしまうことも、特に戦法も戦術もない力技で押し切ってしまうことも多々あった。
 そういう場合は、アテナの『戦いの神』としての力強さに、結城は唖然とさせられるばかりだった。
 だが、時にアテナの『戦いの女神』としての姿を見られることがある。
 アテナが本気で戦う時だ。
 力、技、機転、反応、速さ、それらの要素を全て兼ね備えた女神の戦いぶりに、結城は時間も状況も忘れ見惚見惚みとれてしまう。
 まさに今、結城を虜にするアテナの戦いぶりが披露されていた。
 槍と神盾アイギスを得たアテナは、まずクラーケンの主たる攻撃手段である触手に狙いを定めた。
「はあああ!」
 右手で槍を回転させ、遠心力をたっぷり与えた穂先を触手に叩き込む。
 触手はただのイカの足同様に鋭利な切り口で切断された。
「ガアアアア!」
 触手を切られて激昂げっこうしたクラーケンは、アテナを締め上げようと他の触手を殺到させる。
「ふっ! はっ!」
 アテナはまず先に届こうとしていた二本の触手を槍と盾ではじき、
「たあああ!」
 次に迫ってきた触手を槍で貫いた。
 それだけで収まらず、槍の柄に幾重にも触手を巻き込み、横に強く引いた。
「はああ!」
 ねじり込まれた触手は、アテナの膂力りょりょく捻転力ねんてんりょく耐えきれず千切れ飛んだ。
「せあ!」
 さらにアテナは宙に跳ぶと、逆さの状態から槍を突き下ろし、重なっていた二本の触手を同時に貫いた。
「とおあ!」
 空中で身体をひねり、その動きに引っ張られた二本の触手もまた引き千切られた。
「……」
 巨大な怪物がいつ客船を沈めるとも知れない状況下で、結城はまるで舞うように触手を葬るアテナに目を奪われていた。
 戦場という舞台の上で、一際華麗な舞踏を披露する主役プリマ
 それはアテナの容姿と同等かそれ以上に、戦女神としての美しさを体現したものだった。
「アテナ様だけ、オイシイとこ、譲れない」
「YΨ1。TΩ7→(そうだな。俺たちもちっとはイイとこ見せるか)」
 次々と襲い来る触手の群れに、シロガネとマスクマンも反撃を開始する。
「イカ刺しに、なれ」
 胴田貫どうたぬき両手剣ツヴァイヘンダーを翼のように広げたシロガネが、回転しながら触手を輪切りに刻んでいく。
「UWOURORO!」
 マスクマンは石斧を触手に見舞うと、
「GUGAARA!」
 その傷口に両手を差し込み、力技で触手を引き裂いた。
「おぉ~! すごいすごい! ゆうき! えんじゅたちもいこ! ギャオランテをおさしみにしてたべてやる!」
「え!? あれ食べるの? さすがに大味すぎて美味しくない気が……」
 媛寿えんじゅにそうこたえつつ、結城は後ろをちらりとうかがった。
 まだクイーン・アグリッピーナ号には香煙こうえんが立ちこめ、キュウは香炉の前で瞑想するように座っている。
 アテナたちの奮戦は確かにクラーケンを追い詰めようとしているが、まだクラーケンが本気になっていないことは、結城にも分かっていた。
 果たしてクラーケンが最後の手段を取る前に、キュウの準備は完了するのだろうか。
 神霊しんれいたちの優勢を目の当たりにしながらも、結城の頬にはまだ冷たい汗が伝っていた。

「グウウウゥ!」
 クラーケンの頭部から生え出た、巨大なピラニアの頭部が悔しげにうなった。そのさらに頭頂にある、顔の左半分以外は白骨と成り果てたオスタケリオンもまた、悔しげに歯をきしませた。
 骨兵スパルトイ屍狂魚ピラニアゾンビを取り込んだ大海の魔物クラーケンが、たった一隻の船を未だに落とせないでいる。
 本来ならあり得ないことだった。
 触手の一振りでもすれば、大抵の船がくの字に折れ曲がり、真っ二つに破断し、海の藻屑もくずへと消える運命だった。
 それが船を両断するどころか、逆にクラーケンが幾度も手痛い反撃を受けている。
 触手を切られ、砲弾を撃ち込まれ、爆発で鼻先を吹き飛ばされ、そして遂には全ての触手が切り落とされてしまった。
 クラーケンは強大な怪物でも、再生能力まで持っているわけではない。
 触手を失ってしまえば、残る攻撃手段は――――――――――
「キシャアアア!」
 深海から響いてくるような絶叫とともに、クラーケンは天を振り仰いだ。

「HΠ、IΣ(おいおい、あれは――――)」
「ヤバ、い」
 クラーケンが見せた動きに、マスクマンとシロガネも反応した。
 触手という武器を失ったいま、クラーケンが何をおいても船を沈めようとするならば、
「ギギャアアアア!」
 己自身を船体に叩きつける他はない。
「くっ!」
 アテナはアイギスに目を向けた。
 全盛期からのパワーダウンにより、アテナは雷槍ケラウノスをまともに使えない。
 それはアイギスも同じであり、本来の最強の盾としての力を十全に発揮できない。
 結城と融合することで少しだけ力は解放できるが、いまの負傷した結城と疲弊したアテナでは、融合状態を維持するのも難しい。
 ましてや、その時間もない。
 アテナが渾身の力で受け止めたとしても、船体はダメージを負ってしまう。
 ならば、取るべき防御手段は一つだった。
「アイギス・オブ・アーテナー! ストーン・コールド!」
 アイギスの表面にある両眼のレリーフが開き、クラーケンは船体に迫るギリギリで止まった。
 しかし、結城と融合しているわけでもなく、アテナ自身も余力がない状態では、って一、二分が限度だった。
 その間にキュウが仕留めなければ、そこがクイーン・アグリッピーナ号の最後の刻となる。
「キュウ! まだですか!」
 クラーケンに盾をかざしながら、アテナはキュウを振り返る。
 キュウの前にある香炉が、吹いていた香煙を急激に吸い込み始めた。
 客室一つ逃さず、船底の奥深くまで侵食していた煙が、今度は映像を逆再生するように香炉へと戻っていく。
 その不思議な様子を、結城と媛寿も目を丸くして見つめていた。
 やがて全ての煙が香炉に収まると、キュウはゆっくりと目を開けた。
「キュウ! あと一分が限界です!」
「う~ん……」
「キュウ!」
「申し訳ありませ~ん。ダメでした~」
 にっこりと笑った顔で首をかたむけるキュウに、その言葉に、その場にいた全員が凍りついた。
 その凍結した時間はほんの数秒程度だったが、一番先に我に返ったのはアテナだった。
「……なっ! キュウ! あなたのたわむれに付き合っている時間は――――」
「いえいえ~。嘘でも冗談でもなく~、ホント~にダメだったんですよ~」
「キュウ! この期に及んで何を!」
「ホントのホント~に申し訳ありませんね~」
「~~~~~!」
 両手をひらひらと振って見せてくるキュウに、アテナはいよいよ青筋が浮かびそうなほどの怒りをあらわにしている。
「あ、あの~、ダメだったっていうのはどういう……」
 あまりの展開に事態が飲み込めていない結城が、キュウに確認しようと聞いた。
「そのままの意味ですよ~。イカ焼きを作るための精気が~、うまく集まらなかったんですよ~」
 何ら悪びれることなく、とても良い笑顔でそう話すキュウ。それを聞いた結城は目が点になった。
「え~と……ということは……」
「絶対絶命ですね~。この船沈んじゃうかもですよ~」
「え、あの、ちょ――――――――――えええええ~!」
 もはや明るいどころかキラキラと輝くような雰囲気をかもして言ったキュウ。そして結城は八方の海面に響き渡る声で叫びを上げた。
「わ! わ! ちょちょちょ! どうしよどうしよ! あっ! そうだ媛寿! もう一台戦車持ってくれば――――」
「ごめんゆうき。あれいっこしかなかった」
「うっそ~……わあああ~! どうしよどうしよ~!」
 頭を抱えてその場を走り回る結城は、まさに混乱の極致にあった。
 そんな結城の様子をくすくすと愉快そうに見ていたキュウは、
「ひと~つだけ、方法がありますよ~」
 香炉を片手に音もなく立ち上がった。
「え!? ほ、本当ですか!?」
「狐は化かしても嘘は言いませんよ~」
 床の上を滑るように移動し、キュウは結城の横に立って肩を抱いた。
「結城さんが協力してくれるなら~、クラーケンアレ、すぐにでもイカ焼きにできちゃいますよ~」
 キュウは視線でクラーケンを指し示す。アイギスの効果が切れてきたのか、クラーケンはわずかずつ船体へと近付きつつあった。
「キュウ! 今度はユウキに何を――――」
「どうしますか~? 結城さ~ん?」
 徐々に押されてきているアテナと、妖しく協力をうながすキュウを、結城は困惑気味に交互に見る。
 キュウは掴みどころのない性格ではあっても、確かに嘘を言ったことはない―――何度か化かされたことを結城は忘れている―――はずだった。
 結城が対価を約束した以上、キュウもそれを違えることは決してしない。
 地上最強の妖狐であるキュウなら、クラーケンをイカ焼き同然に軽くほふることができる。
 結城はキュウの底知れぬ力を信じ、
「分かりました! 協力します!」
 力強く、はっきりと答えた。
(そういうところ、やっぱり結城さんですね)
「ではでは早速~」
「こうなったら何でもやっちゃいますよ! キュウ様! 僕は何をすれば――――――」
 そう言ってキュウに振り返った結城が見たのは、うっすらと光を発しながら迫るキュウの両眼だった。
 そこに宿る光は、獲物を見つめる獣の気勢か、はたまた肉欲をたぎらせた雌のたかぶりか。
 結城が気が付いた時には、キュウに唇を奪われていた。
「…………………………!!!」
 結城はようやく、自分が何をされているのか、キュウが何をしているのかを把握し、目を見開いた。
 結城が自覚してからも、キュウは唇を離さない。
 舌を絡ませ、唾液をすすり、口内を隅々まで蹂躙してめ尽くさんとする。
「ほわ~」
「キュウ! ユウキにいったい何を!」
「WΘ!? WΘ9↓DD!?(何だ!? 何やってやがんだ!?)」
うらやまし、い」
 媛寿は見入り、アテナは怒り、マスクマンは困惑し、シロガネは羨む。
 そして当の結城は、脳が熱に浮かされるような、または電気でしびれるような、味わったことのない感覚に飲み込まれそうになっていた。
(な!? な!? な!? な!?)
「クチュ……ピチャ……チュク……」
 結城は一言も発することができないまま、キュウの舌が口内で奏でる水音だけを聞いている。
 次第に脳を駆け巡っている感覚が快楽だと理解した頃、結城はさらなる感覚の変化に気が付いた。
 足の先から、手の先から、力が急激に抜けていく。
 身体の先から拡がっていくその感覚は、長距離走を全力で走りぬいた後に訪れる疲労感に似ていた。
 手足が鉛のように重たくなり、内臓からあらゆるエネルギーが抜けきり、意識を保っているのも、目を開けていることさえ辛くなってくる。
 内側にあるものが全て抜き出され、まさに精も根も尽き果てる、という表現が一番合っていた。
「――――――――――チュパッ!」
「あ……ふ……」
 ようやく唇同士が離れると、結城は糸の切れた操り人形のようにくず折れた。
「ふぅ~、ごちそうさまでした~」
 背中から倒れかかった結城の身体を、尾の一本を差し出して支えたキュウは、満足げに上唇を舐めた。
「キュウ! ユウキに何ということを――――――くっ! ここまで……」
 ついにはアイギスの力も底をつき、爆発でただれた顔面を船体へと寄せるクラーケン。
「キシャアアア!」
 鼻先がえぐれた巨大なピラニアの頭部が、まずは船体上部をかじり取ろうと口を開けた。
 アテナもろとも船体が喰われる――――――――――と思いきや、ピラニアの口はアテナの一寸手前で止まった。
「!? 何が―――」
「間に合いました~」
 アテナが振り返ると、白目をいて泡を吹いている結城を左に抱いたキュウが、右手をクラーケンへと突き出していた。
「キュウ!?」
「これでもう通れませんよ~」
 クラーケンは何度も頭部を振りかぶり、船を破壊しようと叩きつけてくる。
 しかし、見えない壁にはばまれるように、その攻撃は船の手前で弾かれてしまう。
「キュウ、何をしたのですか?」
「船全体に結界を張りました~。対象を一つに限定する代わりに~、強度が上がるタイプですので~、もう船は壊されませんよ~」
 キュウは簡単に言ってのけていたが、それは本来はごく小さな対象や、極めて限定された空間を守護するための強力な結界だった。
 それをキュウは超大型旅客船一隻を『一個』と定め、クラーケンの肉弾攻撃を完全封殺してしまったのだ。
「おぉ~、きゅうさま『アルティメットテリトリーフィールド』つくれるんだ~」
「そうですよ~」
 媛寿の感嘆に、キュウは冗談めかしてそう返した。
「さ~て~」
 媛寿からクラーケンに視線を移したキュウは、香炉を介して得たたっぷりの妖気をみなぎらせた。
「結城さんとの約束ですから~……丸焼きにして魚の餌になってもらいましょう」
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