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豪宴客船編
拳の理由
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「私の顔を殴ると? 理解できないな。そんなことをする合理性がどこにある?」
結城の右ストレートを受け止めたまま、オスタケリオンはその拳が放たれた理由を問うた。
「……あなたは他の人を道具としか……いや……使い捨てとしか見ていない!」
受け止められてなお、結城は伸ばした拳に力を入れた。
「そんな人がいるなんて信じたくなかった。けれど、やっぱりそうだと分かったなら、僕は……あなたを許さない」
怒気に燃える目でオスタケリオンを睨む結城。だが、結城の拳は受け止められたところから1ミリも進むことはなかった。
「それこそ理解できんな。実験材料に注ぐ情があるのか? 役に立たない物を捨てることが不当であるのか? 君の思考、言動、行動、どれをとっても私には理解不能だ」
「クロランは実験材料じゃない! クロランの家族も! そうやって要らない物みたいに、どうでもいい物みたいに扱うな! 僕は……そんな言い方をされるのが一番嫌いで……一番悲しくなるんだ……」
声を荒げて訴えてくる結城の目を、オスタケリオンは眉一つ動かさずに見下ろした。
結城が怒る理由もさることながら、それ以上に理解できないことがオスタケリオンにはあった。
戦闘能力が高いわけでもなく、格別に優れた頭脳を持っているわけでもなく、他に目につく才覚があるわけでもない。
いま受け止めた拳ですらも、オスタケリオンにとっては鈍重な羽虫程度のものでしかない。
そんな結城になぜ、女神アテナほどの高位の神が傍にいるのか。格闘大会をモニターしていた時から疑問が蟠っていた。
実験に有用で、なお且つ疑問を解消するために結城を誘い込んだオスタケリオンだが、いよいよもって小林結城という存在に対する疑問が深まった。
「……下らんな」
オスタケリオンは左拳を振りかぶると、結城の右頬に叩き込んだ。
「ぐうっ!」
結城が怯んだところを、右足のフロントキックで蹴り飛ばすオスタケリオン。結城は床に倒れこみ、蹴りを受けた痛みに背を曲げた。
「大いに下らん。君はあの廃棄物をおとなしく持ち帰れば、それ以上の傷など負わずに済んだものを。私を殴ることになんの意味がある。もっとも、私を殴るなど、ポリュデウケスほどの拳速がなければ不可能だがな」
「それを……やめろ……」
腹部を押さえ、痛みに息せき切りながらも、結城は震える脚で立ち上がった。
「クロランはクロランなんだ……一人の人間で……一つの命を持っているんだ……だから……誰かが勝手に弄くりまわしていいわけでも……勝手に運命を決めていいわけでもないんだ……」
いかに身体が苦痛に苛まれても、結城の意志はすでにそれを通り越していた。痛みをものともしない強い目が、再びオスタケリオンの冷たい目に向けられる。
「クロランの家族を奪い、クロランを傷付けて苦しめて、要らなくなったらクロランに酷いことばかり言う。そんなあなたを……何もせずに帰してたまるもんか!」
結城は右拳を強く握ると、オスタケリオンに向けて真っ直ぐに伸ばした。
「一発殴っておかないと、僕の……僕たちの気が済まないんだ!」
結城の宣言に、キュウの腕の中にいた媛寿の手がぴくりと反応した。
オスタケリオンは結城が向けてきた拳も、その先にいる結城自身も、何ら取るにたらないものを見る目で見透かしていた。
「……君はやはり予想を大きく上回って愚かだったようだ。地を這う蟻ですらまだ賢いものを、君はあの失敗作のために命を捨てるというのか。それほどまでに死に急ぎたいなら、この場で君とともに廃棄処分にしてやろう」
オスタケリオンは黒い手甲を着けた右腕を持ち上げ、力強く握って拳を作った。
「君が意識を失わない程度に自由を奪ってから、その失敗作を君の前で屍狂魚の餌にするとしよう。最初は脚、次に腕、そして胴、最後に頭。君は己の愚かさを呪いながら、その失敗作が細かく噛み砕かれていく様を見届けるがいい」
オスタケリオンは屍狂魚が放たれている飛び込み用プールに目を移した。すでにプールの水は真っ赤に染まっているが、その点については特に触れることはしない。
「廃棄処分が済んだら、君にも後を追わせてやろう。君がいう大事な『クロラン』とともに、仲睦まじく細切れた肉になるなら本望だろう」
オスタケリオンは結城に向けた目は、凍てつく殺気を伴って処断の実行を告げていた。
それを察したキュウとカメーリアが構えようとするが、結城は右手を横に伸ばして制止した。
「キュウ様、カメーリアさん。ここは手を出さないで」
そう言うと結城は、アテナ仕込みのボクシングのファイティングスタイルを取った。
「これは、僕たちがやらなきゃいけないことだから」
キュウとカメーリアは一瞬顔を見合わせ、そして結城の言葉に従って構えを解いた。
「……ありがとう――――――それじゃ!」
二人に礼を言うと、結城はオスタケリオンに向かって突進する。
繰り出すのは右のストレート。最初にオスタケリオンに殴りかかった時と同じ技だった。
かわってオスタケリオンは特に構えを取っていない。構えを取るのが億劫になるほどに、結城の戦法に辟易していたからだ。
絶対的な実力差があると知っていながら、一度受けられた技をもう一度出してくるという下策。
怒りで我を見失っているのか、本当に愚かなのか。どちらにせよ、オスタケリオンはまともに結城の相手をする気はなかった。
放たれた右ストレートを左手で軽く弾き落とし、手甲の右拳を結城の額に打ち込んだ。
「あぐっ!」
額から血を噴き、後ろに飛ばされる結城。プールサイドの床に背中から倒れこんだが、すぐさま起き上がり、出血もかまわずまた立ち向かっていく。
「てあああ!」
出すのは三度目の右ストレート。これにはオスタケリオンも小さく溜め息を吐いた。
(この男は本当に虫以下かもしれんな。なぜ女神アテナはこのような者とともにあられるのか。これに英雄や戦士としての才覚など、片鱗はおろか塵ほどもないというのに。馬糞の方がまだ使い道があるほどだ)
オスタケリオンは結城の右ストレートを難なく左手で受け止めた。そのまま握られた結城の拳は、どんなに押しても引いても抜ける気配がなかった。
「私は君をほとほと買いかぶり過ぎていたようだ。一切理解できない言い分。その上に知力もこれほど低いとは。驚かされたことといえば、馬糞以下の人間がいたというくらいだ」
結城が必死に拳を引き抜こうとしている中、オスタケリオンは右の拳を振り上げた。
「これ以上君の戯言に付き合うつもりはない。早々に地に伏すがいい。そしてあの失敗作が砕けていく様を見届けろ」
オスタケリオンの拳は結城の顎に狙いを定めた。脳を揺さぶって意識を留めたまま行動不能にするつもりだった。
「この拳を受けて地を舐めるがい――――――」
「ちぇえええすとおおお!」
オスタケリオンの口上を引き裂く裂帛の気合が、掛矢とともに死角から襲いかかった。
「っ!?」
結城に振るおうとしていた右腕を、咄嗟に防御のために後ろに回す。でなくばオスタケリオンの後頭部は、平面に鉄板を施された掛矢の餌食になっていたところだった。
「くっ」
受け止めた手甲に小さな亀裂が入り、わずかに苦悶の声を漏らすオスタケリオン。
だが、『掛矢の持ち主』はただ一撃を加えて終わりとするほど、甘い性格ではなかった。
口の端に咥えていた五、六本の爆竹が連なったものを手に取ると、オスタケリオンの顔前にぽいと放った。すでに導火線に火も点いている。
「ぐああっ!」
爆竹の破裂と火花を防ごうと、オスタケリオンは掴んでいた結城の拳を離し、両腕で顔を覆った。
爆竹が賑やかな音を立てている間に、『掛矢の持ち主』は結城の側にさっと回りこんだ。
「……貴様……」
何とか爆竹の衝撃から顔を守ったオスタケリオンは、そんな悪辣な戦法を仕かけてきた相手を睨みつけた。
その相手は、側面にマジックで『ごひゃくまんきろ』と書かれた掛矢を肩に担ぎ、オスタケリオンの殺意も何のそのといった風に、見事なあっかんべーを返した。
「べ~、ざまみろだ」
右袖が千切られてしまった青い着物に、少し乱れ気味になった髪に紫陽花の飾りを付けた少女、媛寿は満足げに破顔した。
「え、媛寿!? あれ!? だって……」
唐突に結城とオスタケリオンとの闘いに加わった媛寿に、結城は怒りも忘れて狼狽えた。媛寿はいま疲れ果てて、キュウの腕の中で眠っているはずなのだ。
確かめるために結城がキュウの方を振り返ってみると、なぜかキュウは媛寿の代わりに何本もの茶色い空き瓶を腕に持たされ苦笑いをしている。
その空き瓶に何となく見覚えのあった結城だが、ちょうど中身の入ったそれのキャップを、媛寿が左手の親指だけで弾いて開けている最中だった。
「んぐ……んぐ……んぐ……ぷっはあ~」
中に入った飲料を飲み干した媛寿は、生き返ったと言わんばかりに大きく息を吐いた。
「媛寿!? それってもしかして……」
「たうりんせんきゅうひゃくきゅうじゅうきゅうみりぐらむはいごう! れぼびたんぜっと!」
空になった小瓶を高らかに掲げ、媛寿はそのドリンクの売り文句を叫ぶ。ロック鳥マークの大鴎製薬が出しているロングセラー商品、『RevoビタンZ』のキャッチコピーを。
「ふぁいとー! いっぱーつ!」
結城はもう一度キュウの方を振り返った。キュウの抱えているRevoビタンZの空き瓶は十本を超えている。
そしてまた媛寿を見ると、耳まで真っ赤にしながら尋常ではない気力に満ち溢れている。先程までの青ざめて疲弊しきっていた姿など微塵もなく、若干の暴走状態にさえなってしまっている。
「ゆうき! えんじゅもあいつぶっとばーす!」
「え、媛寿、大丈夫なの?」
「だいじょぶ! あきびんはもえないごみにだす! あいつはもえるごみにだす!」
「いや、そうじゃなくて……鼻血が……」
栄養ドリンクで気力を回復したはいいが、飲みすぎたせいか媛寿の鼻から血が一筋垂れていた。
結城に指摘されて少し恥ずかしくなったのか、無口になった媛寿は左手の甲でぐしぐしと鼻血を拭った。
「ゆうき、『ぼくたち』っていった……」
鼻血を拭き終った媛寿は、そうぽつりと呟いた。
「じゃあえんじゅもあいつぶっとばす!」
振り返った媛寿の目には、結城と同じ怒りの火が灯っている。
それを見た結城は、媛寿もまたクロランを侮辱されて怒りを覚えているのだと知った。
そしてもう一つ、気付かされたことがあった。
結城は無意識的に、オスタケリオンに対する怒りと、オスタケリオンに拳を突きつける目的を、自分一人のものではないと口に出していたのだ。
クロランに残酷な仕打ちをしたオスタケリオンに怒っていたのは、媛寿も同じだった。
ならば、オスタケリオンの頬を張るのは、媛寿と一緒にやるべきだ。
「分かった、媛寿。一緒にあいつをぶっとばそう!」
結城が力強く承諾すると、媛寿はにかっと歯を見せて笑った。
「小さな家神ごときが出てきたところで何になる。ただ道連れが増えただけのことだ」
オスタケリオンの言葉を聞き、笑顔の消えた媛寿はゆっくりと向き直った。
「よくもゆうきとくろらんをいじめたな」
それまでの苛烈さも無邪気さも消えた媛寿の声は、暗い井戸の底から伝わってくる怨念の声のように重くなっていた。
右足で一度床を踏み鳴らし、オスタケリオンの眉間目がけて人差し指を突きつけると、媛寿は静かに言い放った。
「お前を釣竿の先に付けて巨大サメ釣りしてやる」
結城の右ストレートを受け止めたまま、オスタケリオンはその拳が放たれた理由を問うた。
「……あなたは他の人を道具としか……いや……使い捨てとしか見ていない!」
受け止められてなお、結城は伸ばした拳に力を入れた。
「そんな人がいるなんて信じたくなかった。けれど、やっぱりそうだと分かったなら、僕は……あなたを許さない」
怒気に燃える目でオスタケリオンを睨む結城。だが、結城の拳は受け止められたところから1ミリも進むことはなかった。
「それこそ理解できんな。実験材料に注ぐ情があるのか? 役に立たない物を捨てることが不当であるのか? 君の思考、言動、行動、どれをとっても私には理解不能だ」
「クロランは実験材料じゃない! クロランの家族も! そうやって要らない物みたいに、どうでもいい物みたいに扱うな! 僕は……そんな言い方をされるのが一番嫌いで……一番悲しくなるんだ……」
声を荒げて訴えてくる結城の目を、オスタケリオンは眉一つ動かさずに見下ろした。
結城が怒る理由もさることながら、それ以上に理解できないことがオスタケリオンにはあった。
戦闘能力が高いわけでもなく、格別に優れた頭脳を持っているわけでもなく、他に目につく才覚があるわけでもない。
いま受け止めた拳ですらも、オスタケリオンにとっては鈍重な羽虫程度のものでしかない。
そんな結城になぜ、女神アテナほどの高位の神が傍にいるのか。格闘大会をモニターしていた時から疑問が蟠っていた。
実験に有用で、なお且つ疑問を解消するために結城を誘い込んだオスタケリオンだが、いよいよもって小林結城という存在に対する疑問が深まった。
「……下らんな」
オスタケリオンは左拳を振りかぶると、結城の右頬に叩き込んだ。
「ぐうっ!」
結城が怯んだところを、右足のフロントキックで蹴り飛ばすオスタケリオン。結城は床に倒れこみ、蹴りを受けた痛みに背を曲げた。
「大いに下らん。君はあの廃棄物をおとなしく持ち帰れば、それ以上の傷など負わずに済んだものを。私を殴ることになんの意味がある。もっとも、私を殴るなど、ポリュデウケスほどの拳速がなければ不可能だがな」
「それを……やめろ……」
腹部を押さえ、痛みに息せき切りながらも、結城は震える脚で立ち上がった。
「クロランはクロランなんだ……一人の人間で……一つの命を持っているんだ……だから……誰かが勝手に弄くりまわしていいわけでも……勝手に運命を決めていいわけでもないんだ……」
いかに身体が苦痛に苛まれても、結城の意志はすでにそれを通り越していた。痛みをものともしない強い目が、再びオスタケリオンの冷たい目に向けられる。
「クロランの家族を奪い、クロランを傷付けて苦しめて、要らなくなったらクロランに酷いことばかり言う。そんなあなたを……何もせずに帰してたまるもんか!」
結城は右拳を強く握ると、オスタケリオンに向けて真っ直ぐに伸ばした。
「一発殴っておかないと、僕の……僕たちの気が済まないんだ!」
結城の宣言に、キュウの腕の中にいた媛寿の手がぴくりと反応した。
オスタケリオンは結城が向けてきた拳も、その先にいる結城自身も、何ら取るにたらないものを見る目で見透かしていた。
「……君はやはり予想を大きく上回って愚かだったようだ。地を這う蟻ですらまだ賢いものを、君はあの失敗作のために命を捨てるというのか。それほどまでに死に急ぎたいなら、この場で君とともに廃棄処分にしてやろう」
オスタケリオンは黒い手甲を着けた右腕を持ち上げ、力強く握って拳を作った。
「君が意識を失わない程度に自由を奪ってから、その失敗作を君の前で屍狂魚の餌にするとしよう。最初は脚、次に腕、そして胴、最後に頭。君は己の愚かさを呪いながら、その失敗作が細かく噛み砕かれていく様を見届けるがいい」
オスタケリオンは屍狂魚が放たれている飛び込み用プールに目を移した。すでにプールの水は真っ赤に染まっているが、その点については特に触れることはしない。
「廃棄処分が済んだら、君にも後を追わせてやろう。君がいう大事な『クロラン』とともに、仲睦まじく細切れた肉になるなら本望だろう」
オスタケリオンは結城に向けた目は、凍てつく殺気を伴って処断の実行を告げていた。
それを察したキュウとカメーリアが構えようとするが、結城は右手を横に伸ばして制止した。
「キュウ様、カメーリアさん。ここは手を出さないで」
そう言うと結城は、アテナ仕込みのボクシングのファイティングスタイルを取った。
「これは、僕たちがやらなきゃいけないことだから」
キュウとカメーリアは一瞬顔を見合わせ、そして結城の言葉に従って構えを解いた。
「……ありがとう――――――それじゃ!」
二人に礼を言うと、結城はオスタケリオンに向かって突進する。
繰り出すのは右のストレート。最初にオスタケリオンに殴りかかった時と同じ技だった。
かわってオスタケリオンは特に構えを取っていない。構えを取るのが億劫になるほどに、結城の戦法に辟易していたからだ。
絶対的な実力差があると知っていながら、一度受けられた技をもう一度出してくるという下策。
怒りで我を見失っているのか、本当に愚かなのか。どちらにせよ、オスタケリオンはまともに結城の相手をする気はなかった。
放たれた右ストレートを左手で軽く弾き落とし、手甲の右拳を結城の額に打ち込んだ。
「あぐっ!」
額から血を噴き、後ろに飛ばされる結城。プールサイドの床に背中から倒れこんだが、すぐさま起き上がり、出血もかまわずまた立ち向かっていく。
「てあああ!」
出すのは三度目の右ストレート。これにはオスタケリオンも小さく溜め息を吐いた。
(この男は本当に虫以下かもしれんな。なぜ女神アテナはこのような者とともにあられるのか。これに英雄や戦士としての才覚など、片鱗はおろか塵ほどもないというのに。馬糞の方がまだ使い道があるほどだ)
オスタケリオンは結城の右ストレートを難なく左手で受け止めた。そのまま握られた結城の拳は、どんなに押しても引いても抜ける気配がなかった。
「私は君をほとほと買いかぶり過ぎていたようだ。一切理解できない言い分。その上に知力もこれほど低いとは。驚かされたことといえば、馬糞以下の人間がいたというくらいだ」
結城が必死に拳を引き抜こうとしている中、オスタケリオンは右の拳を振り上げた。
「これ以上君の戯言に付き合うつもりはない。早々に地に伏すがいい。そしてあの失敗作が砕けていく様を見届けろ」
オスタケリオンの拳は結城の顎に狙いを定めた。脳を揺さぶって意識を留めたまま行動不能にするつもりだった。
「この拳を受けて地を舐めるがい――――――」
「ちぇえええすとおおお!」
オスタケリオンの口上を引き裂く裂帛の気合が、掛矢とともに死角から襲いかかった。
「っ!?」
結城に振るおうとしていた右腕を、咄嗟に防御のために後ろに回す。でなくばオスタケリオンの後頭部は、平面に鉄板を施された掛矢の餌食になっていたところだった。
「くっ」
受け止めた手甲に小さな亀裂が入り、わずかに苦悶の声を漏らすオスタケリオン。
だが、『掛矢の持ち主』はただ一撃を加えて終わりとするほど、甘い性格ではなかった。
口の端に咥えていた五、六本の爆竹が連なったものを手に取ると、オスタケリオンの顔前にぽいと放った。すでに導火線に火も点いている。
「ぐああっ!」
爆竹の破裂と火花を防ごうと、オスタケリオンは掴んでいた結城の拳を離し、両腕で顔を覆った。
爆竹が賑やかな音を立てている間に、『掛矢の持ち主』は結城の側にさっと回りこんだ。
「……貴様……」
何とか爆竹の衝撃から顔を守ったオスタケリオンは、そんな悪辣な戦法を仕かけてきた相手を睨みつけた。
その相手は、側面にマジックで『ごひゃくまんきろ』と書かれた掛矢を肩に担ぎ、オスタケリオンの殺意も何のそのといった風に、見事なあっかんべーを返した。
「べ~、ざまみろだ」
右袖が千切られてしまった青い着物に、少し乱れ気味になった髪に紫陽花の飾りを付けた少女、媛寿は満足げに破顔した。
「え、媛寿!? あれ!? だって……」
唐突に結城とオスタケリオンとの闘いに加わった媛寿に、結城は怒りも忘れて狼狽えた。媛寿はいま疲れ果てて、キュウの腕の中で眠っているはずなのだ。
確かめるために結城がキュウの方を振り返ってみると、なぜかキュウは媛寿の代わりに何本もの茶色い空き瓶を腕に持たされ苦笑いをしている。
その空き瓶に何となく見覚えのあった結城だが、ちょうど中身の入ったそれのキャップを、媛寿が左手の親指だけで弾いて開けている最中だった。
「んぐ……んぐ……んぐ……ぷっはあ~」
中に入った飲料を飲み干した媛寿は、生き返ったと言わんばかりに大きく息を吐いた。
「媛寿!? それってもしかして……」
「たうりんせんきゅうひゃくきゅうじゅうきゅうみりぐらむはいごう! れぼびたんぜっと!」
空になった小瓶を高らかに掲げ、媛寿はそのドリンクの売り文句を叫ぶ。ロック鳥マークの大鴎製薬が出しているロングセラー商品、『RevoビタンZ』のキャッチコピーを。
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結城はもう一度キュウの方を振り返った。キュウの抱えているRevoビタンZの空き瓶は十本を超えている。
そしてまた媛寿を見ると、耳まで真っ赤にしながら尋常ではない気力に満ち溢れている。先程までの青ざめて疲弊しきっていた姿など微塵もなく、若干の暴走状態にさえなってしまっている。
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「え、媛寿、大丈夫なの?」
「だいじょぶ! あきびんはもえないごみにだす! あいつはもえるごみにだす!」
「いや、そうじゃなくて……鼻血が……」
栄養ドリンクで気力を回復したはいいが、飲みすぎたせいか媛寿の鼻から血が一筋垂れていた。
結城に指摘されて少し恥ずかしくなったのか、無口になった媛寿は左手の甲でぐしぐしと鼻血を拭った。
「ゆうき、『ぼくたち』っていった……」
鼻血を拭き終った媛寿は、そうぽつりと呟いた。
「じゃあえんじゅもあいつぶっとばす!」
振り返った媛寿の目には、結城と同じ怒りの火が灯っている。
それを見た結城は、媛寿もまたクロランを侮辱されて怒りを覚えているのだと知った。
そしてもう一つ、気付かされたことがあった。
結城は無意識的に、オスタケリオンに対する怒りと、オスタケリオンに拳を突きつける目的を、自分一人のものではないと口に出していたのだ。
クロランに残酷な仕打ちをしたオスタケリオンに怒っていたのは、媛寿も同じだった。
ならば、オスタケリオンの頬を張るのは、媛寿と一緒にやるべきだ。
「分かった、媛寿。一緒にあいつをぶっとばそう!」
結城が力強く承諾すると、媛寿はにかっと歯を見せて笑った。
「小さな家神ごときが出てきたところで何になる。ただ道連れが増えただけのことだ」
オスタケリオンの言葉を聞き、笑顔の消えた媛寿はゆっくりと向き直った。
「よくもゆうきとくろらんをいじめたな」
それまでの苛烈さも無邪気さも消えた媛寿の声は、暗い井戸の底から伝わってくる怨念の声のように重くなっていた。
右足で一度床を踏み鳴らし、オスタケリオンの眉間目がけて人差し指を突きつけると、媛寿は静かに言い放った。
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