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豪宴客船編

探索者たち その3

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「む? もう次の試合ですか? また随分と早い……」
 昇降装置が停止し、会場に姿を表した対戦相手を見て、アテナはチーズケーキに伸ばそうとしていたフォークを止めた。
 対戦相手はゆっくりとリングまで歩いてくる。鋭い眼光に合わせたような、後ろに鋭く逆立った頭髪。筋肉質ではあるが、細く縛りこまれた体格。虎柄のボクシングパンツだけを身に着け、武器の類を使わず己の肉体のみで挑もうという潔さ。
 リングに上がったその青年に対し、アテナは確信を持った。正真正銘の強者、この大会のシード選手であることを。
(ついに来たようですね。ならば)
 アテナは皿に残っていたチーズケーキにフォークを突き刺すと、そのまま一口で食べ切り、ボトルのワインを切り口から直接飲み干した。
「私も待たせはしません」
 口元を布巾で軽く拭うと、アテナもまた立ち上がり、リングへと上がっていった。
 かたや、決勝まで勝ち上がった特別枠。かたや、決勝の一戦のみを控えていたシード枠。
 両者はそれぞれの開始位置に、睨み合うように立つ。
「そ、それでは、こ、これより、超級異種格闘大会の、け、決勝戦を、お、お、行い、ま、ます」
 右手をよろよろと上げて試合開始を宣言しようとする野摩やまだったが、オスタケリオンから処遇を言い渡されたせいか、いつの間にか別人のようにせ細り、髪も一本残らず真っ白になっていた。
「れ、れでぃ~……ふぁい」

 前後に現れた計二体の全身甲冑フルプレートアーマーは、マスクマンとシトローネに対し、腰に差したロングソードを引き抜いた。
「っ!」
 シトローネは外套マントを翻し、背中に隠していた弓を手に、左の腰の矢筒から矢を一本取り出し、発射態勢を取った。
「何してル! お前も武器を構えロ!」
 弓の弦を引き絞ったシトローネは、敵に対し何も構えようとしないマスクマンを叱咤するが、当のマスクマンは少し肩をすくめて言った。
「TΘ1→AO(こいつら相手にその矢は通用しないぜ)」
「? 何言って―――」
 シトローネが聞き返す間もなく、甲冑はロングソードを振りかぶって突進してきた。二体とも寸分違わぬ動作で。
「くっ!」
 シトローネは甲冑の一体に狙いを定め、引き絞っていた矢を発射する。
 放たれた矢は絶妙な力加減で一直線に飛び、バイザーの隙間に見事に入った。
(仕留めタ―――!?)
 命中を確かめたシトローネだったが、甲冑は顔面に突き立った矢をものともせずに突進してくる。
(どうして!?)
「FΞ↑(避けるぞ)」
 驚いて硬直するシトローネの体を抱えると、マスクマンは斜め上に大ジャンプし、積み上げられたコンテナの上に着地した。同時に、二体の甲冑はそれまで二人がいた位置に袈裟斬けさぎりを振るった。
「頭を射抜いたはずなのニ……どうしテ……」
「AΩ↓2。Nω4↓NP(そりゃ中身がないんだ。矢を射ても槍で突いても効かねぇよ)」
「!?」
 何気なくそう言ったマスクマンに、シトローネは驚き振り返った。

 船内のあらゆる店舗は、たとえ夜であっても照明が落ちることはない。航海の間、乗客を待たせることなく、食品、酒類、日用品、美術品に至るまでを、一切欠かすことなくサービスするためである。
 なので店舗が立ち並んだスペースは、夜になっても燦然さんぜんと輝いているわけだが、今は人の気配はほとんどない。大半の乗客、非番の乗組員が超級異種格闘大会を観戦、またはモニターで愉しんでいるため、店舗に足を運ぶ者はいないからだ。わざわざ店に行かなくても、ルームサービスで事は足りる。
 店舗スペースの支配人である男もまた、特にやることもないので、タブレットに映し出される試合模様を眺めていた。
「クッソ~、これで四連勝かよ! さっさとこの女がブッ込まれるトコ見せろよな~」
 支配人室の椅子に座る男は、苛立たしく地団駄を踏んだ。タブレットの液晶画面には、 ピーカ・シートをリングに叩きつけて勝利したアテナが映っている。
「あぁチクショウ! あともう二戦しか残ってねぇじゃねえかよ! 何やってんだよ運営は! とっとと『お楽しみ部屋』送りにしてオレも楽しませろよ! 今までの『特別枠』で一番イイ女なんだからよ!」
 画面に対して文句をつけている男は気付いていなかったが、後ろの壁には静かに亀裂が走っていた。
「この女もオレのイチモツでヒイヒイ言わせて―――ん?」
 一際大きな打撃音が聞こえ、ようやく男は後ろの壁を振り返った。しかし、すでに遅く、壁は砲弾でも直撃したかのように粉々に砕け散った。
「どわぁ! な、なん―――ぐべぼっ!」
 何が起こったか確かめる間もなく、男は壁を突き破ってきた頼鉄らいてつにあえなく踏み潰された。
 次いで頼鉄の体当たりで飛ばされたシロガネが、勢いを殺せずに床を跳ねて転がった。
「ん? いま何か踏んだか? まぁいい。これだけ痛めつければ抵抗もできまい」
 頼鉄は床で浅い呼吸を繰り返すシロガネを見下ろした。度重なる打撃を受けてきたために、ヴィクトリア調のメイド服は端々が破れている。手に持ったコンバットナイフと山刀マチェットも、頼鉄の岩石のような肉体には通じず刃こぼれだらけになっていた。
「おとなしく言うことを聞いてれば、痛い目に遭わずに快楽だけを味わって死ねたものを。馬鹿な女だな、キキキ」
 ボロボロになって横たわるシロガネを一蹴りすると、頼鉄は仰向けになったシロガネに覆いかぶさった。
「部屋に連れ帰ってもいいんだが、まずはここで味見させてもらおうか」
 メイドキャップとエプロンを剥ぎ取り、襟元から服を一気に破こうとした頼鉄だったが、
「ぐごっ!?」
 頭部に急な衝撃を受け、壁の端まで転がることになった。
「んぐぐ……何だ!?」
 頼鉄が頭を振って前を見ると、倒れたシロガネをかばうように立つ人影があった。
 犬科の獣を模した灰色のヘルメットと、革製レザーのライダースーツに似たタイトな黒い服。そしてその両手にはそれぞれ、手甲鉤てっこうかぎ暗殺爪バグ・ナウが装備されていた。
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