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豪宴客船編

第二試合 その4

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 クローバーは確実に追い込まれつつあった。双刀を奪われ、呪いも無効化され、返し技さえ通用しない。元より対戦相手であるアテナに単純な力では勝てそうにない。
 持ち得る手段をことごと退けられたクローバーは、大量の脂汗を垂らしながら、少しずつ後ろへ歩を進めていた。
 当のアテナは奪った二本の三日月刀を、『ふむふむ』と頷きながら、色々な角度に変えて観察している。
(い、今のうちなら……)
 アテナが双刀を品定めしている間に逃げられるかもしれない。クローバーはそう思い始めていた。
(リング外まで走って逃げれば試合放棄ってことで助かるかもしれねぇ! 蛙魅場あみばのダンナにゃ悪いが、もう試合のことなんかどうだっていい! オ、オレは一秒でも早くここからオサラバしてぇんだ!)
 クローバーはアテナの手元にある双刀を見た。その刃の切れ味は、自分が一番よく知っている。このままいけば、アテナはリング上で死屍人ゾンビの解体ショーを始めかねない。
(冗談じゃねぇぞ! 切り裂きクローバーが切り裂かれるなんて、笑い話にもならねぇ!)
 じりじりと気付かれない程度に後退を続けるクローバー。あとはほんの一瞬の隙さえあれば、筋肉の移植によって強化された脚力で逃げられる。
 注意深くアテナの様子をうかがっていると、不意にアテナは背を向けた。
 クローバーはこの瞬間を見逃さなかった。
(い、今だ! 今なら―――)
「どこへ行くのですか?」
 逆走へと転じようとしたクローバーの首元に、三日月刀の刀身が引っかけられ、動きを封じられた。クローバーのすぐ後ろには、双刀を品定めしていたはずのアテナが立っている。
 クローバーが逃げ出そうとする瞬間を、アテナは見逃さなかった。
「この剣でどの技を試そうか、ようやく決まったところです。それに、試合はまだ終わっていませんよ?」
 淡々としたアテナの言葉には、一切の慈悲が含まれていないことを、クローバーは嫌というほど感じ取った。
「ま、待ってくれ! 待ってくれぇ!」
 すでに試合開始前の下卑た態度はどこにもなく、クローバーは半ば泣き声に近い声を発していた。
「こ、降参する! オレの負けだ! そ、それで許してくれぇ!」
「……審判、いま何か聞こえましたか?」
 野摩やまに振り返りながら、アテナは空いているもう片方の三日月刀をちらつかせた。
「ヒッ! い、いいえ! 全く何も聞こえておりませんです! はい!」
「よろしい」
「そ、そんなぁ! 負けだって言ってるのにぃ!」
「同じように命を乞うた者に、あなたは慈悲をかけましたか?」
「ひぎぃ!」
 首元に当てていた三日月刀の刃を、今度はクローバーの頬にぴたりと触れさせるアテナ。
「う、うぐわあぁ!」
 ついに恐怖が限界に達したのか、クローバーは強引に三日月刀を振り解くと、リング外に向かって駆け出した。
 強化されているはずの脚力を全く活かせていない、足をもつれさせながらの逃走。
 アテナが前へ回り込むには充分すぎるほどの『遅さ』だった。
「一度、この技を試してみたいと思っていました。ちょうど二刀が揃っていますので」
 逃げるクローバーの前にあっさりと立ちはだかったアテナは、二本の三日月刀を逆手に構えた。それは『流浪の闘神ヘラクレス』に登場した女忍者集団の頭目が使っていた必殺奥義。
戦女衆アマゾネス式二刀流奥義!」
 アテナの目が、クローバーの目を見据える。その目の奥に、クローバーは死神の姿を見た。圧倒的な強者によってもたらされる、自身の確実な『死』を。
快月剣武ヒッポリュテ・ストライク六連!」
 超高速の回転から、人体の六ヶ所を一挙に切断する絶技が放たれる。
「うあああああ!」
 ほとんど時間差のない六連撃が迫りくる光景を捉え、クローバーは魂の芯から絶叫した。まさに断末魔の叫びだった。
 技を繰り出したアテナは、クローバーの後方に抜けて止まった。
「あ……あ……あぁ」
 アテナの『快月剣武六連』を受けたクローバーだったが、意外にも斬られたところはかすきず程度の深さしかなかった。
 だが、それ以上にクローバーは深刻なダメージを受けていた。
 二刀による絶技を放っておきながら、掠り傷しか負わせなかったということは、その気になれば確実にれたということだ。クローバーの命運は、アテナの意思一つでどうとでもできたということだ。
 アテナが技を放つ前から、クローバーの全てはアテナの掌の上にあったのだ。
「はぶぐふぁあ!」
 クローバーが斬りつけられた六ヶ所の傷から、血飛沫ちしぶきではなく水蒸気に似たものがほとばしった。
 それはクローバーの身体から離れては宙に霧散していくが、同時にクローバーの身体は見る見るしぼんでいく。
「あ……ぶふぇ……」
 水蒸気らしきものが収まる頃には、クローバーは顔以外が骨と皮だけの有様に成り果てていた。立っている力も失い、その場にくず折れるように座り込む。
「あなた自身の魂はわずかに残しました。いずれ冥府に落ちるその日まで、己の罪と向き合い続けなさい」
「あ……あが……」
 アテナにそう告げられるも、クローバーはもはやまともな返事さえできない。本当にただの、生ける屍へと変わってしまっていた。
「! この台詞はこの場面にこそ相応ふさわしいですね―――――『そなたはすでに死んでいる』」

「ゲホ! ゲホ! そんな! クローバーが! ゲホ! オレの『最高傑作』が負けるわけが!」
 ようやく喉と鼻のポップコーンの種を吐き出した蛙魅場あみばだったが、まだ種が詰まっていた余韻が残っているせいで激しく咳き込んでいる。
 しかし、蛙魅場はそれどころではなく、クローバーが負けた事実が信じられず、ボックス席のガラス張りに手をついてリングに食い入っていた。
(あの様子だとアテナ様そ~と~怒ってたみたいだな。何を話してたのか聞こえなかったけど、相手も変なこと言わなきゃ、あんなことにならずに済んだのに)
 アテナが悪人と対峙した時は、『北闘の拳』の『ケンゴロウ』並みにキツいお仕置きをかますことを、結城ゆうきも重々に承知していた。今回もその類だったのだろうと察し、結城は魂まで滅多打ちにされたクローバーに、心の中で合掌していた。

 クローバーを下したアテナは、再び三日月刀の刃に目を向けた。
(怨恨と呪いが込められた武具ならば、シロガネが使った『魂を斬る技』も再現が可能、ですか。しかし……)
 アテナは刀身からVIP用のボックス席へと視線を移した。そこでガラス張りにへばりつくようにしていた蛙魅場と目が合った。
「やはり私の好みではありません」
 体を一回転させて勢いをつけると、アテナは双刀をボックス席まで投擲した。

「は?」
 蛙魅場がアテナと目が合った次の瞬間には、もう双刀はボックス席に向けて投げ放たれていた。
 強い遠心力が加えられ、重心を軸に高速回転する二本の三日月刀は、さながら丸鋸まるのこのようになって飛来する。主に蛙魅場の頭頂と足元を目指して。
「へ?」
 付与されていた力があまりに強すぎたために、双刀はガラス張りを粉砕することなく、ほとんど素通りするように貫通した。
 蛙魅場はしばらく何が起こったか分かっていなかったが、頭頂からまとまった髪がばさりと落ちたことと、両足の間の床に刺さって屹立している三日月刀を見て、ようやく事実に気が付いた。
「ぎ……ぎげがぎゃああ!」
 落ち武者に似た髪型になってしまった蛙魅場は、でたらめな悲鳴を上げて、結城の前を横切って走り去ってしまった。
「あっ、そっちは―――」
 蛙魅場は第一試合で破損した、壁がなくなったボックス席右側に走っていってしまい、結城は呼び止めようとしたが遅かった。ボックス席は地面から昇降装置ジャッキによって、4メートルほど高くなっている。
「あ―――」
 あえなく蛙魅場は自由落下して姿を消してしまった。
「だ、大丈夫かな、あの人」
 結城が心配している一方で、アテナが投げた双刀が細かくヒビ割れ、静かに砕けて崩れた。結城にはえなかったが、砕けた破片の山から黒いもやのようなものが出て、蛙魅場の後をゆっくりと追っていった。
 その移動する靄を目で追っていた媛寿えんじゅは、それが双刀に込められた怨念と呪いが、術師へ返っていくところなのだと勘付いていた。
(たぶんだいじょうぶじゃないとおもう)
「? どうしたの、媛寿? 手が止まってるけど……」
「ううん、なんでもな~い」
 媛寿は特に気にすることなく、再びポップコーンを口へ運びだした。おそらく蛙魅場は命はともかく、相当むごい目に遭うかもしれないが、それを結城に話す必要はないと考えてのことだった。

(あの剣はシロガネに譲ってもよかったでしょうか。いえ、ユウキの近くにあのような邪気をまとった剣を置いておくわけにはいきませんね。それに剣を手に入れるのであればニホントウが一振り欲しいところ。今度チナツの紹介でイッポンダタラなる者に一振り願い出てみましょうか)
 振り返ってリングサイドまで歩いていくかたわら、アテナは色々と考えを巡らせていた。
 そしてアテナが目の前を通過していく中、審判の野摩は涙目になりながらカタカタと震えていた。アテナに三日月刀を持って睨まれた時点で、またも失禁してしまっている。
(い、い、いったい何なんだよ! この女は! 無茶苦茶じゃねぇか! 胸に八つの傷でもあるのかコンチクショウ!)
「あったとしてもあなたのような下衆にさらす肌は持ち合わせていません」
「ひいぃ! も、申し訳ありましぇん!」
(ま、また読まれた!? も、もうやだよぉ! 神様たしけて~)
「それよりも審判、試合は終わりましたよ?」
「へ? あ! は、はいぃ―――勝者! ミネルヴァ・カピトリーノ!」
 野摩がそう宣言するも、観客はまたも目を丸くしたまま静まり返っている。嬉々として拍手を送っているのは媛寿くらいなものだった。
「下衆の歓声など願い下げですが、これではあまりにも静か過ぎますね。次の試合はもっと盛況となるような技を披露しましょう」
(も、もっととんでもねぇコトになるっての!? か、神様~!)
 涙を流しながら神に祈る野摩をよそに、アテナは腕をストレッチしながらリングサイドに悠々と戻っていった。
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