小林結城は奇妙な縁を持っている

木林 裕四郎

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豪宴客船編

それぞれの夜その1

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「ふ~」
 ベッドに仰向けになった結城ゆうきは、今日一日の疲れを絞り出すように、静かに息を吐いた。
 見えているのは消灯した自室の天井。
 右を見れば媛寿えんじゅがすやすやと寝息を立てている。
 媛寿は機嫌が直って以降、結城の部屋で一緒に眠るようになっていた。クロランが結城と寝てるなら、自分も一緒に寝るとのことらしい。
 そして左を見れば、当のクロランが小さな寝息を立てて眠っている。
 クロランの寝顔を見ながら、結城は金毛稲荷神宮こんもういなりじんぐうでの遣り取りを思い出していた。

「も~し~か~し~て~」
 舐めるような視線をクロランに向けながら、キュウはじりじりと近付いてきた。クロランもその妖しい視線を感じ取ったのか、獣耳をぺたりと寝かせ、結城の陰に隠れようとする。
「その赤毛が可愛らしいのことですか~?」
「え、ええ。そうなんです」
 結城もキュウの目が妖しいのは気付いていたが、とりあえず平静を装って返答した。
「ふ~むむむ」
 キュウは至近距離までクロランに近付くと、じっくりと容姿を観察した。毛先の一本まで舐め回すように。
「ふ~むふ~む」
「うぅ」
 視線で体をなぞるようにしてくるキュウに恐怖を感じたのか、クロランはますます結城に密着した。
「結城さ~ん」
 一通り見終わったのか、キュウは結城に声をかけた。
「は、はい」
「この娘~」
 キュウの目が獲物を狙う獣の如く細められた。その様子を見た結城の背筋に悪寒が走る。
 そして突如、キュウの尾の一本が瞬時に動き、クロランの腰に巻きついてあっという間に引き寄せた。
「か~わい~ですね~」
 尾でクロランを手元に寄せたキュウは、クロランを抱きしめて頬擦りをし始めた。
「ん~、すべすべ~のぷにぷに~で、や~らか~いですね~」
「う~! う~!」
 頬擦りしつつクロランの体中をゆっくりとまさぐるキュウ。当のクロランは嫌そうに腕をばたつかせながら、結城に助けを求めるような視線を向けている。
「結城さ~ん、この娘わたくしにいただけませんか~? 抱き枕にしちゃいたいです~」
「えっ!? いや、あの……」
「そこまでにしなさい、キュウ」
 状況についていけずにおろおろしていた結城に代わり、アテナがキュウの顔面を鷲掴みにしてクロランを解放させた。
「もう一度言いますが、今日はそういう要件で来たわけではありません」
「それにくろらんはえんじゅの!」
 アテナがキュウの頭部をアイアンクローで締め上げている間に、媛寿がクロランを抱き寄せた。
「ん~、残念ですね~。可愛いから~、傍に置きたかったんですけど~」
 またもキュウは誰にも気取られることなく、媛寿とクロランの後ろに移動していた。アテナが締め上げていたのは、いつの間にか石灯籠に変わっている。三度、文字通りの意味で狐に化かされ、結城はキュウと石灯籠を交互に見比べるしかなかった。
「それで~、その娘がどうしたんですか~? 見たところ~、狐でも狸でもないみたいですけど~」
「あっ、そうだった。キュウ様に聞きたいことがあったんだ」
 立て続けに幻惑されたせいで、結城はうっかり目的を忘れかかってしまっていた。
「キュウ様、獣人について何か知りませんか?」
「獣人~」
 キュウは少し首を傾け、間を置いてからあっさりと答えた。
「何ですか~、それ~?」

 つまるところ、キュウでも獣人については知りえなかった。
 この日、分かったことはクロランが獣人かもしれないこと、それが理由で狙われているかもしれないということだけだっだ。
(アテナ様がカメーリアさんにお願いしてたことも、何だかあまりうまく進みそうじゃなかったなぁ)
 結城はクロランを起こさないように頭を撫でながら、少し申し訳ない気持ちになっていた。
 できれば早くクロランを本来いるべき場所に帰してあげたいところ、今は何も手がかりがない。それもクロランは獣人という極端に情報の少ない種族とあっては、故郷へ帰してあげられる日も遠い道のりに思えた。
 クロランの家族が心配しているかもしれないし、クロラン自身も一人で心細いかもしれない。
 そんな獣人の少女に対して、結城は傍にいる程度しかできないことがもどかしかった。
(せめてクロランがどこから来たのか分かればな~)
 そう考えながら、目蓋が重くなった結城は眠りに落ちていった。

 吹き抜けが良くなり過ぎた『砂の魔女』の店内、ようやく一通りの瓦礫を片付け終わったカウンターに、店主のカメーリアは一人で座っていた。軽く頬杖をつきながら、シンプルなデザインのハイボールグラスに入った飲料を一口すつ飲んでいる。
 味が良くもなければ不味すぎることもない、微妙な味わいの飲料を飲みながら、カメーリアは来日した時のことを思い出していた。
 僻地に身を置いて魔女狩りから上手く逃れていたら、世界を巻き込んだ大戦が勃発し、いよいよ平穏な隠遁生活も難しくなった。
 一度目はまだ累が及ばなかったが、二度目はさすがに危険と考えたカメーリアは、ヨーロッパを離れる決断をした。
 ちょうど長距離連絡の任務を帯びたイタリア軍の輸送機があったので、幻惑の魔法でごまかして機内に乗り込んだ。
 着いた先は極東の島国、日本。当時は大日本帝国としてアジアを席巻していた。
 カメーリアにとっては好都合だった。魔法を扱う者に対する偏見が定着していない日本なら、少なくとも魔女狩りのような目には遭わないと思ったからだ。
 ある人物の協力によって終戦まで身を潜めたカメーリアは、戦後の混乱に乗じて日本での国籍を作って帰化し、以来、カメーリア・アルヴス・雪州ゆきしまとして喫茶『砂の魔女』の主に収まっていた。
「……」
 いつの間にかグラスは空になっており、カメーリアは透明になった底をしばらく見つめていた。そのうつわ同様に、カメーリアの心は近年空しさを抱えることが多くなってきた。
 魔法を修めた者の宿命として研究は続けているが、日進月歩の科学技術の発展は、かつて神秘の御業みわざとされた魔法を確実に凌駕しつつある。カメーリアの先祖たちが開発した魔法具の数々も、現代技術によってより利便性の高い物が作られている。
 科学技術に反比例して寂れていく魔法を探求することに、この先どれ程の意義があるだろうかと、カメーリアは時折考える。
(『充分に発達した科学は魔法と見分けがつかない』、か。いまイヤというほど痛感してますわ)
 カウンターに上半身を預け、カメーリアはもうそのまま眠ってしまおうかとさえ思った。
「随分と元気がないですわね~、カメーリア」
 カメーリアは緩やかな風とともに聞こえてきた声の方を見た。半壊した入り口の前に、夜闇の中でさえ映える金色の髪と九つの尾をなびかせた巫女が立っていた。
「今日は遅い来店ですのね、キュウ」
「お気に入りの方がお社を訪れてくれる予感がしましたの~。お迎えしないわけにはいきませんわ~」
「小林くんのことですわね。七十七年前から変わりませんわね、あなたは」
「あら、二千年以上前からわたくしの主義は変えてませんわ~」
 キュウはカメーリアの傍まで来ると、懐から紙袋を取り出してカウンターに置いた。
「はい。溜まりましたのでまた持ってきましたわ~」
 紙袋の中には液体が入った小瓶がいくつかあり、カメーリアはそのうちの一つを取ると、ペンライトを当てて中身を丹念に観察した。
「確かに。感謝しますわ、キュウ。今夜は何を飲みます?」
「ティフィンミルクをいただきますわ~。でも感謝するのはわたくしの方ですわ~。あなたがわたくしの唾液から作ってくれた回復薬のおかげで~、結城さんが助かったんですから~」
「……そう言ってもらえるなら、わたくしも魔法使い冥利に尽きますわ」
「また落ち込んでましたの?」
 カメーリアはその問いには答えず、ティフィンのボトルを開けてグラスに注いだ。
「それにお店はどうしましたの~? まるで空襲に遭った時のようですわ~」
「はた迷惑なお客が『小玉鼠こだまねずみ』を破裂させたのですわ。おかげでお店が滅茶苦茶。もう踏んだり蹴ったりですわ」
 眉を八の字に寄せながら、カメーリアはグラスを差し出した。
「まぁ、しばらく遊べる『オモチャ』が手に入っただけ、まだマシだったと思いたいですわね」
「その『オモチャ』、わたくしも遊ばせてもらってもよろしいかしら~?」
「お断りしますわ。あなたが本気で遊ぶと、すぐに使い物にならなくなるんですもの」
「あら残念~。ではわたくしはコッチでお愉しみさせていただきますわ~」
 グラスの中の白いカクテルを一口煽り、キュウは袖の中からチケット袋を出した。
 袋を開いて中身を見せると、カメーリアは目を丸くして驚いた。
「それは!」
「ちょうど二人分取れましたのでお誘いに来ましたの~。と~ってもイイ気分転換になると思いますわよ~」
 キュウは妖しく目を細めて口角を上げた。それはまさに、人を魅了し惑わす妖狐のかおだった。
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