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豪宴客船編
キャプチャーその3
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「喰ワせロおオぉ!」
#拘束具__マウスピース_#を解いた飢島は、歯を剥き出してシロガネに突進する。
凄まじい速さで肉薄するが、シロガネは至って冷静だった。足元に転がっていた拳大の瓦礫を、ボールのように蹴り飛ばした。飢島の口元めがけて。
「ガッ!」
瓦礫は飢島の口元にがっちりと嵌ったが、それはスナック菓子のようにあっさりと噛み砕かれてしまった。なおも飢島の突進は止まらない。
一筋縄でいかないと判断したシロガネは、飢島の第一撃は避けることにした。山刀を口に叩き込む手もあったが、瓦礫を噛み砕くほどの歯と咬合力を持つならば、山刀の刃も受けられてしまう。
シロガネは飢島が噛み付く直前、身を屈めて噛みつきをかわした。そしてすれ違いざまに両手の山刀を横薙ぐ。
脇と腿を致命傷にならない程度に斬ると、シロガネは飢島から間合いを取った。
「ちぇえすとぉ!」
斬られたダメージで飢島が膝をついたところを、すかさず媛寿が掛け矢を頭頂に振り下ろす。反動を利用して媛寿も間合いを取り、シロガネの横に並んだ。
「ウぅ……がアあ!」
飢島は一、二秒ほど動きを止めたが、振り返って再度シロガネと媛寿に襲いかかった。
シロガネと媛寿は互いに別方向へ跳び、飢島の攻撃を避けた。
「…、…」
着地したシロガネはスカートの中に山刀を収めた。
「お前、山刀を使うほどでも、ない」
そう言うとシロガネは何ら武器を持たない状態で、飢島に正対した。
「くク、女のォ、肉ゥ、喰ワせロおオぉ!」
無防備となったシロガネに向かって、飢島は再び獣のごとく肉薄する。シロガネの身体を食いちぎろうと、目を血走らせ、涎を撒き散らしながら。
そんな凶暴な敵が迫りながら、シロガネは微動だにしなかった。なぜなら、飢島の毒牙が届くことはないと分かっていたからだ。
「それぇ!」
媛寿が飢島の死角から、巾着袋に入っていたビー玉を大量に地面に撒いた。
色とりどりのビー玉が転がった先には、いま地を踏みしめようとしていた飢島の足の裏があった。
「おォ!? お!? おぉウ!?」
足元の大量のビー玉によって、飢島は不規則なダンスを踊らされる羽目になった。
「がホぶっ!」
が、コロコロと転がる足元に翻弄され、最後には顔面から地面に倒れこむことになった。
「ガ、あ―――オぼっ!?」
すかさず立ち上がろうとした飢島の口に、球状の物体が押し込まれた。
シロガネはその球状の物体の両端から伸びているベルトを、飢島の頭部を一周回した後、ベルト穴に金具を通して固定した。
シロガネのコレクションの一つであるギャグボールだった。
口の動きを封じたのは、ほんの小手調べ。シロガネはスカートから次々とコレクションを取り出しては飢島に振舞った。
防音効果抜群の耳栓で耳を塞ぎ、両目部分にハートが描かれたアイマスクで目を覆い、最後には鎖で上半身をぐるぐる巻きにしてしまった。所要時間わずか三秒という驚異的なスピードで。
「フウー! フウー!」
目、耳、口、そして上半身を封じられた飢島は、右往左往しながらよたよたと同じところを歩いていた。
人は普段活用している感覚が唐突に失われると、周囲の状況を把握することができずに混乱を来たす。シロガネの早業によって視覚と聴覚を奪われ、両腕も拘束された飢島は、平衡感覚すらまともに働かない状態に陥っていた。
「媛寿、ヤって」
下拵えを済ませたシロガネは一歩退き、最後の仕上げを媛寿に譲った。そこへ掛け矢を大きく振りかぶった媛寿が、飢島の頭より高く跳躍する。
「オリャオリャオリャオリャオリャー!」
空中に躍り出た媛寿は、飢島の頭頂に掛け矢を連続で叩き込んだ。一発一発が違う角度で振り落とされ、さらに切り返しのスピードも相まって、掛け矢が複数存在するような錯覚さえ覚える凄まじい連撃だった。
「おぉ、媛寿の『オリャオリャ』久しぶりに見た」
『砂の魔女』の店内から戦いを見守っていた結城は、媛寿が見せた連撃に驚嘆していた。
『ヴォヴォの珍妙な冒険』の『虹晶紋能力』を真似たものだが、媛寿はこれを主にゲームセンターの『もぐら叩き』に使っていた。なお、媛寿は常にハイスコアをキープしている。
「オーリャー!」
最後に真っ直ぐな唐竹割りを極め、媛寿は掛け矢を背負って見事に着地した。
「ふ……フひゅ……ヒュふ……」
媛寿の『オリャオリャ』で大量のタンコブをこさえさせられた飢島は、酔っ払いの千鳥足よろしく、よたよたと当て所なく彷徨っていた。
「とど、め」
タンコブだらけにされてなお倒れていない飢島を見かねたのか、シロガネは正対するとスカートを少し持ち上げ、右足を前方に蹴り上げた。いわゆる金的である。
「☆★☆!?」
シロガネの蹴足は的確に飢島の股間にヒットし、かろうじて保っていた飢島の意識はこれで完全に消失した。
「うわっ、痛ったそ~」
媛寿の『オリャオリャ』に加え、シロガネの金的によるフィニッシュ。その一部始終を見ていた結城は、敵とはいえ飢島への同情を禁じえなかった。
「しっ! しっ! しっ! しっ!」
門山はオーソドックスの構えから左のジャブを連発する。
「しっ!」
そして渾身の右ストレートを放ち、アテナを後方へ押しやった。
「どうしたどうした! さっきの威勢は! 神罰がどうとか言っときながら防戦一方じゃねぇか!」
リズムよくステップを踏みながら、門山はアテナを挑発した。
門山に相対してから、アテナは両拳を顔の前に持ち上げたファイティングポーズを取りながら、一切攻めることをしていなかった。戦いが開始されてからは、門山のみがラッシュを浴びせるのみで、アテナは受けに徹している。
「はっ! 口だけ達者なアマだぜ! こっちも時間がねぇんだ! 打ち返して来ねぇってんなら次で―――」
「期待外れでしたか」
門山がまくし立てる中、アテナは静かに呟いた。がっかりと、溜め息でも吐くかのように。
「……いまなんてった?」
「ボクシングの使い手と見て、それなりに期待していたのですが。少々、いえ大幅に期待外れでした」
「……おい……」
「どのような目的があるか知りませんが、あなたは神を唸らせるほどの拳士ではありません。残念です」
「……てめぇが何言ってんのか、もうどうでもいいんだよ……」
淡々と評価を下すアテナに、門山は低い声で怒りを露にした。いや、すでに怒りを通り越して殺意に変わっていた。
「さっさとくたばってガキよこせぇ!」
門山は足腰の筋力と上半身のバネを効かせた渾身の右拳を放った。アテナの顔面へと真っ直ぐに向かう拳は、常人が受ければ頭蓋骨を打ち破って頭部を粉砕するほどの威力を持つ。間違いなく門山はアテナを殺すつもりでいた。それはコンマ数秒先で現実になる―――――はずだった。
が、アテナは門山渾身の一撃をあっさりと掌で受け止めた。キャッチボールでもしているかのように。
「……あ?」
あまりにも自然に拳を止められてしまったため、門山は何が起こったのか分からず、思わず間抜けた声を出してしまった。
すぐさま状況を把握した門山は、考えるよりも速く反射的に拳を引き戻そうとした。
しかし、そこでも門山の想定は崩された。掴まれた拳は1ミリも動かなかった。
「何だ!? どうなって!? 離せ、このアマ!」
力任せに引こうとしたり、身を捩ったりするが、アテナが掴んだ拳も、アテナ自身も、全く微動だにしない。
「神に挑んだその無謀を称えて、一つ、予言を授けましょう」
門山の拳を止めたまま軽く目を閉じたアテナは、澄んだ声で言葉を紡いだ。
「あなたはジャブを三つ、右ストレートを一つ受けた後、天より木槌が降ってくるでしょう」
「なにワケわかんねぇこと言ってやが―――うおっ!」
不意にアテナが手を離したために、門山は勢い余って尻餅をついた。
「立ちなさい、構えを直すまでは待ちます」
「チッ!」
尻餅をつかされて体裁が悪くなったのか、門山は急いで立ち上がると再びスタンダードに構えた。
門山が状態を整えたのを見届けると、アテナもまたゆっくりと構えを取った。今度は適当なファイティングポーズではなく、ボクシングの正式なスタンダードで。
(あのアマ、あんな華奢な身体で信じらんねぇ筋力してやがった。どうなってやがんだ!?)
一度アテナに拳を掴まれた門山は、幾分冷静になっていた。そこから単純な力押しでは敵わないと察し、ボクサーとしての戦術を組み立てようといていた。
(至近距離でのラッシュやクリンチは絶対にこっちがヤバい。あれだけ華奢なら防御力はそうないはずだ。ヒット&アウェイでダメージを―――)
「フッ!」
「っ!?」
だが、門山が戦術を組み立て終わる前に、アテナは短く息を吐いて前へ出た。そして門山は鼻と口の間に凶悪な衝撃を感じてから、ようやく身の起きたことを自覚した。反射神経が反応するよりも速く、アテナの左ジャブが入ったのだと。
「ぶばっ!」
(なっ!? 見えなかった!? しかも何だこりゃ! ただのジャブがまるで鉄の塊みてぇに!?)
顔面から鼻血と歯を数個飛ばしながら、門山は後ろに仰け反った。そのまま倒れそうになったが、アテナはそれを許さず再び間合いを詰める。
(ちょっ! ちょっと待―――)
「フッ! フッ!」
「ぶごっ! ごばっ!」
さらに顔の右左とアテナの拳が的確に入る。いずれも反応できないほど速く、鉄の拳といえるほどの重さを持った強烈なジャブだった。
そこからアテナは右足に力を溜め、半身を回転させて右肩を大きく振ろうとする。
(ま、まさか!?)
アテナのジャブを三発受けてなお、門山はかろうじて意識を失っていなかった。アテナの取ったアクションを視界に捉えて、脳裏に絶望的な結末が過ぎる。
「―――フッ!」
「っ!」
門山の左頬に、宣言通りアテナの右ストレートがめり込んだ。頭蓋骨と脳を突き抜けた衝撃は、もはや痛覚では受け止められないほどのものだった。
重力を見失った浮遊感とともに、門山の体は右ストレートの威力に負けて本当に浮き上がってしまった。
足が地を離れてから倒れるまでの時間が永遠に思える中、門山は目の前で起こった何もかもが信じられない気分になった。
簡単な仕事だったはずが、まさか喫茶店に居合わせた華奢な美女に完璧にKOされるとは、夢にも思っていなかった。これほどまでの拳を繰り出すこの美女は何者なのか。まさか本当に拳闘の神なのか。
スローモーションになった時間の中、門山は取り留めのないことばかりを考えていた。
しかし、そんな門山の思考を遮って、アテナはもう一歩間合いを詰めた。
「オマケです」
「ごぉっ!?」
宙に浮いた門山の下顎に、綺麗なアッパーカットが入った。おまけで。
「あっ、アッパーのことを予言に入れ忘れていました」
(それ………忘れてんじゃ……ねぇ……よ」
下顎骨が天まで飛んでいくのではないかと思える衝撃を味わいながら、門山は顔から上に向けて浮き立った。
そしていよいよ焦点が合わなくなった視界で、太陽を背に空から迫りくるものを見た。掛け矢を振りかぶった、着物姿の少女だった。
「ひかりに、なぁれー!」
「★!」
掛け矢の口が目前に迫ったところで、門山はやっと意識を失った。
「うわ~」
アテナのジャブ三発、右ストレート一発、おまけのアッパーを受けて最後に媛寿の掛け矢までくらう羽目になった門山を見て、結城は背筋が寒くなった。
以前、結城はアテナと何度かスパーリングをしているが、防具越しでさえ金槌で殴られたような衝撃だったことを憶えている。
グローブを付けてさえそれほどの威力であったのに、アテナの鉄拳で計五発もクリティカルヒットしたのでは、もはや門山の状態が心配になってくる。
最後には媛寿の『ゴルディアスハンマー』までくらっては、相手が悪人であっても憐れに思えて仕方がなかった。
(媛寿やアテナ様がいるお店にこんなことしなければ、あんなことにならなかったのに)
門山たちの不運に大いに同情しながら、結城はせめて門山たちの夢見が良いことを願った。おそらく無理ではあるが。
ふと手元に注がれたアップルジュースのグラスを見るが、さすがに今は飲む気になれなかった。
「……クロラン、ジュースいる?」
横にいたクロランに聞くと、こくりと頷いたので、結城はグラスをそっと手渡した。遠くから響いてくるパトカーのサイレンを耳にしながら。
#拘束具__マウスピース_#を解いた飢島は、歯を剥き出してシロガネに突進する。
凄まじい速さで肉薄するが、シロガネは至って冷静だった。足元に転がっていた拳大の瓦礫を、ボールのように蹴り飛ばした。飢島の口元めがけて。
「ガッ!」
瓦礫は飢島の口元にがっちりと嵌ったが、それはスナック菓子のようにあっさりと噛み砕かれてしまった。なおも飢島の突進は止まらない。
一筋縄でいかないと判断したシロガネは、飢島の第一撃は避けることにした。山刀を口に叩き込む手もあったが、瓦礫を噛み砕くほどの歯と咬合力を持つならば、山刀の刃も受けられてしまう。
シロガネは飢島が噛み付く直前、身を屈めて噛みつきをかわした。そしてすれ違いざまに両手の山刀を横薙ぐ。
脇と腿を致命傷にならない程度に斬ると、シロガネは飢島から間合いを取った。
「ちぇえすとぉ!」
斬られたダメージで飢島が膝をついたところを、すかさず媛寿が掛け矢を頭頂に振り下ろす。反動を利用して媛寿も間合いを取り、シロガネの横に並んだ。
「ウぅ……がアあ!」
飢島は一、二秒ほど動きを止めたが、振り返って再度シロガネと媛寿に襲いかかった。
シロガネと媛寿は互いに別方向へ跳び、飢島の攻撃を避けた。
「…、…」
着地したシロガネはスカートの中に山刀を収めた。
「お前、山刀を使うほどでも、ない」
そう言うとシロガネは何ら武器を持たない状態で、飢島に正対した。
「くク、女のォ、肉ゥ、喰ワせロおオぉ!」
無防備となったシロガネに向かって、飢島は再び獣のごとく肉薄する。シロガネの身体を食いちぎろうと、目を血走らせ、涎を撒き散らしながら。
そんな凶暴な敵が迫りながら、シロガネは微動だにしなかった。なぜなら、飢島の毒牙が届くことはないと分かっていたからだ。
「それぇ!」
媛寿が飢島の死角から、巾着袋に入っていたビー玉を大量に地面に撒いた。
色とりどりのビー玉が転がった先には、いま地を踏みしめようとしていた飢島の足の裏があった。
「おォ!? お!? おぉウ!?」
足元の大量のビー玉によって、飢島は不規則なダンスを踊らされる羽目になった。
「がホぶっ!」
が、コロコロと転がる足元に翻弄され、最後には顔面から地面に倒れこむことになった。
「ガ、あ―――オぼっ!?」
すかさず立ち上がろうとした飢島の口に、球状の物体が押し込まれた。
シロガネはその球状の物体の両端から伸びているベルトを、飢島の頭部を一周回した後、ベルト穴に金具を通して固定した。
シロガネのコレクションの一つであるギャグボールだった。
口の動きを封じたのは、ほんの小手調べ。シロガネはスカートから次々とコレクションを取り出しては飢島に振舞った。
防音効果抜群の耳栓で耳を塞ぎ、両目部分にハートが描かれたアイマスクで目を覆い、最後には鎖で上半身をぐるぐる巻きにしてしまった。所要時間わずか三秒という驚異的なスピードで。
「フウー! フウー!」
目、耳、口、そして上半身を封じられた飢島は、右往左往しながらよたよたと同じところを歩いていた。
人は普段活用している感覚が唐突に失われると、周囲の状況を把握することができずに混乱を来たす。シロガネの早業によって視覚と聴覚を奪われ、両腕も拘束された飢島は、平衡感覚すらまともに働かない状態に陥っていた。
「媛寿、ヤって」
下拵えを済ませたシロガネは一歩退き、最後の仕上げを媛寿に譲った。そこへ掛け矢を大きく振りかぶった媛寿が、飢島の頭より高く跳躍する。
「オリャオリャオリャオリャオリャー!」
空中に躍り出た媛寿は、飢島の頭頂に掛け矢を連続で叩き込んだ。一発一発が違う角度で振り落とされ、さらに切り返しのスピードも相まって、掛け矢が複数存在するような錯覚さえ覚える凄まじい連撃だった。
「おぉ、媛寿の『オリャオリャ』久しぶりに見た」
『砂の魔女』の店内から戦いを見守っていた結城は、媛寿が見せた連撃に驚嘆していた。
『ヴォヴォの珍妙な冒険』の『虹晶紋能力』を真似たものだが、媛寿はこれを主にゲームセンターの『もぐら叩き』に使っていた。なお、媛寿は常にハイスコアをキープしている。
「オーリャー!」
最後に真っ直ぐな唐竹割りを極め、媛寿は掛け矢を背負って見事に着地した。
「ふ……フひゅ……ヒュふ……」
媛寿の『オリャオリャ』で大量のタンコブをこさえさせられた飢島は、酔っ払いの千鳥足よろしく、よたよたと当て所なく彷徨っていた。
「とど、め」
タンコブだらけにされてなお倒れていない飢島を見かねたのか、シロガネは正対するとスカートを少し持ち上げ、右足を前方に蹴り上げた。いわゆる金的である。
「☆★☆!?」
シロガネの蹴足は的確に飢島の股間にヒットし、かろうじて保っていた飢島の意識はこれで完全に消失した。
「うわっ、痛ったそ~」
媛寿の『オリャオリャ』に加え、シロガネの金的によるフィニッシュ。その一部始終を見ていた結城は、敵とはいえ飢島への同情を禁じえなかった。
「しっ! しっ! しっ! しっ!」
門山はオーソドックスの構えから左のジャブを連発する。
「しっ!」
そして渾身の右ストレートを放ち、アテナを後方へ押しやった。
「どうしたどうした! さっきの威勢は! 神罰がどうとか言っときながら防戦一方じゃねぇか!」
リズムよくステップを踏みながら、門山はアテナを挑発した。
門山に相対してから、アテナは両拳を顔の前に持ち上げたファイティングポーズを取りながら、一切攻めることをしていなかった。戦いが開始されてからは、門山のみがラッシュを浴びせるのみで、アテナは受けに徹している。
「はっ! 口だけ達者なアマだぜ! こっちも時間がねぇんだ! 打ち返して来ねぇってんなら次で―――」
「期待外れでしたか」
門山がまくし立てる中、アテナは静かに呟いた。がっかりと、溜め息でも吐くかのように。
「……いまなんてった?」
「ボクシングの使い手と見て、それなりに期待していたのですが。少々、いえ大幅に期待外れでした」
「……おい……」
「どのような目的があるか知りませんが、あなたは神を唸らせるほどの拳士ではありません。残念です」
「……てめぇが何言ってんのか、もうどうでもいいんだよ……」
淡々と評価を下すアテナに、門山は低い声で怒りを露にした。いや、すでに怒りを通り越して殺意に変わっていた。
「さっさとくたばってガキよこせぇ!」
門山は足腰の筋力と上半身のバネを効かせた渾身の右拳を放った。アテナの顔面へと真っ直ぐに向かう拳は、常人が受ければ頭蓋骨を打ち破って頭部を粉砕するほどの威力を持つ。間違いなく門山はアテナを殺すつもりでいた。それはコンマ数秒先で現実になる―――――はずだった。
が、アテナは門山渾身の一撃をあっさりと掌で受け止めた。キャッチボールでもしているかのように。
「……あ?」
あまりにも自然に拳を止められてしまったため、門山は何が起こったのか分からず、思わず間抜けた声を出してしまった。
すぐさま状況を把握した門山は、考えるよりも速く反射的に拳を引き戻そうとした。
しかし、そこでも門山の想定は崩された。掴まれた拳は1ミリも動かなかった。
「何だ!? どうなって!? 離せ、このアマ!」
力任せに引こうとしたり、身を捩ったりするが、アテナが掴んだ拳も、アテナ自身も、全く微動だにしない。
「神に挑んだその無謀を称えて、一つ、予言を授けましょう」
門山の拳を止めたまま軽く目を閉じたアテナは、澄んだ声で言葉を紡いだ。
「あなたはジャブを三つ、右ストレートを一つ受けた後、天より木槌が降ってくるでしょう」
「なにワケわかんねぇこと言ってやが―――うおっ!」
不意にアテナが手を離したために、門山は勢い余って尻餅をついた。
「立ちなさい、構えを直すまでは待ちます」
「チッ!」
尻餅をつかされて体裁が悪くなったのか、門山は急いで立ち上がると再びスタンダードに構えた。
門山が状態を整えたのを見届けると、アテナもまたゆっくりと構えを取った。今度は適当なファイティングポーズではなく、ボクシングの正式なスタンダードで。
(あのアマ、あんな華奢な身体で信じらんねぇ筋力してやがった。どうなってやがんだ!?)
一度アテナに拳を掴まれた門山は、幾分冷静になっていた。そこから単純な力押しでは敵わないと察し、ボクサーとしての戦術を組み立てようといていた。
(至近距離でのラッシュやクリンチは絶対にこっちがヤバい。あれだけ華奢なら防御力はそうないはずだ。ヒット&アウェイでダメージを―――)
「フッ!」
「っ!?」
だが、門山が戦術を組み立て終わる前に、アテナは短く息を吐いて前へ出た。そして門山は鼻と口の間に凶悪な衝撃を感じてから、ようやく身の起きたことを自覚した。反射神経が反応するよりも速く、アテナの左ジャブが入ったのだと。
「ぶばっ!」
(なっ!? 見えなかった!? しかも何だこりゃ! ただのジャブがまるで鉄の塊みてぇに!?)
顔面から鼻血と歯を数個飛ばしながら、門山は後ろに仰け反った。そのまま倒れそうになったが、アテナはそれを許さず再び間合いを詰める。
(ちょっ! ちょっと待―――)
「フッ! フッ!」
「ぶごっ! ごばっ!」
さらに顔の右左とアテナの拳が的確に入る。いずれも反応できないほど速く、鉄の拳といえるほどの重さを持った強烈なジャブだった。
そこからアテナは右足に力を溜め、半身を回転させて右肩を大きく振ろうとする。
(ま、まさか!?)
アテナのジャブを三発受けてなお、門山はかろうじて意識を失っていなかった。アテナの取ったアクションを視界に捉えて、脳裏に絶望的な結末が過ぎる。
「―――フッ!」
「っ!」
門山の左頬に、宣言通りアテナの右ストレートがめり込んだ。頭蓋骨と脳を突き抜けた衝撃は、もはや痛覚では受け止められないほどのものだった。
重力を見失った浮遊感とともに、門山の体は右ストレートの威力に負けて本当に浮き上がってしまった。
足が地を離れてから倒れるまでの時間が永遠に思える中、門山は目の前で起こった何もかもが信じられない気分になった。
簡単な仕事だったはずが、まさか喫茶店に居合わせた華奢な美女に完璧にKOされるとは、夢にも思っていなかった。これほどまでの拳を繰り出すこの美女は何者なのか。まさか本当に拳闘の神なのか。
スローモーションになった時間の中、門山は取り留めのないことばかりを考えていた。
しかし、そんな門山の思考を遮って、アテナはもう一歩間合いを詰めた。
「オマケです」
「ごぉっ!?」
宙に浮いた門山の下顎に、綺麗なアッパーカットが入った。おまけで。
「あっ、アッパーのことを予言に入れ忘れていました」
(それ………忘れてんじゃ……ねぇ……よ」
下顎骨が天まで飛んでいくのではないかと思える衝撃を味わいながら、門山は顔から上に向けて浮き立った。
そしていよいよ焦点が合わなくなった視界で、太陽を背に空から迫りくるものを見た。掛け矢を振りかぶった、着物姿の少女だった。
「ひかりに、なぁれー!」
「★!」
掛け矢の口が目前に迫ったところで、門山はやっと意識を失った。
「うわ~」
アテナのジャブ三発、右ストレート一発、おまけのアッパーを受けて最後に媛寿の掛け矢までくらう羽目になった門山を見て、結城は背筋が寒くなった。
以前、結城はアテナと何度かスパーリングをしているが、防具越しでさえ金槌で殴られたような衝撃だったことを憶えている。
グローブを付けてさえそれほどの威力であったのに、アテナの鉄拳で計五発もクリティカルヒットしたのでは、もはや門山の状態が心配になってくる。
最後には媛寿の『ゴルディアスハンマー』までくらっては、相手が悪人であっても憐れに思えて仕方がなかった。
(媛寿やアテナ様がいるお店にこんなことしなければ、あんなことにならなかったのに)
門山たちの不運に大いに同情しながら、結城はせめて門山たちの夢見が良いことを願った。おそらく無理ではあるが。
ふと手元に注がれたアップルジュースのグラスを見るが、さすがに今は飲む気になれなかった。
「……クロラン、ジュースいる?」
横にいたクロランに聞くと、こくりと頷いたので、結城はグラスをそっと手渡した。遠くから響いてくるパトカーのサイレンを耳にしながら。
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私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?
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凡人がおまけ召喚されてしまった件
根鳥 泰造
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。
仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。
それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。
異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。
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