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豪宴客船編
座敷童子の憂鬱
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古屋敷にクロランが来て四日目、媛寿は微妙に機嫌が悪かった。
クロランはなぜか結城にべったりと張り付いて行動しており、他の面々に慣れる様子がない。結城から引き離そうものなら、途端に情緒不安定になるので、仕方がないといえばそうなのだが、
「む~」
媛寿にとってはいまひとつ面白くない。
媛寿もこれまで様々な依頼人を見てきており、クロランの状態のことも理解している。が、それにしても結城にべったりしすぎているせいで、結城もクロランに付きっ切りだった。
そのため、最近では媛寿は結城と遊ぶ機会が激減している。おかげで媛寿のフラストレーションは溜まる一方だ。
いまは暇つぶし兼腹いせに、結城の部屋のベッドに横たわりながら、結城秘蔵の『本』をつまらなそうな顔で捲っているところだった。
「……」
『本』のページを眺めながら、媛寿はもう一つ気に入らないことがあった。『本』に載っているのが、全員もれなく巨乳の女性だからだ。
要するに結城の趣味は、そういうことなのである。
媛寿は起き上がって胸元を軽く叩いてみた。
ない、とは言い切れないかもしれないが、ある、と言うにはあまりにもお粗末だった。少なくともアテナと比べれば、まさに雲泥の差だった。
かくりと小さく肩を落として、媛寿は『本』をベッドの下に放り込んだ。
ベッドに仰向けになり、天井をぼんやりと見つめる。元より街の喧騒から離れた土地ではあるが、退屈だと余計に周りが静かに感じると、媛寿は思っていた。
それは媛寿が結城のところに来る前、住み着いていた駄菓子工場に似ていた。
作業員の声と気配、機械の動作音は聞こえてくるが、退屈を持て余した媛寿には何の関心ももたらさなかった。そもそも居たくて居たわけではない。居心地の良さそうな家が減ってきたので、仮宿のつもりで工場の一角に住み着いていただけのことだった。
特に何するでもなく、時折廃棄予定の駄菓子の不良品をつまみ食いしては、あとはゴロ寝するだけの日常。そんな生活は、遊びやイタズラが本能の一部にある座敷童子にとっては苦痛でしかなかった。
うっかり寝ていたダンボール箱を閉められて出荷されたことで、媛寿は予期せず工場を後にした。
辿り着いた先で出逢ったのは、なぜか普通に媛寿を視認できる青年、小林結城だった。
座敷童子を視ることができるのは大概は子どもであり、大人で視えるのは者は滅多にいない。いたとしても常に視えるわけではなく、時間が経てば視えていたことを忘れてしまう。
霊能者であるならば、家神の座敷童子を感知したり、視認したりもできるが、結城は霊能者というタイプではなかった。
霊能者はその手の知識に明るく、中には座敷童子の力を悪用しようとする輩もいたりするので、媛寿は『自分が視える大人』を特に警戒していた。
だが、結城は座敷童子という存在は知っていても、それがどんな能力を持っているのかはあまり知らないようだった。ただの子どもを相手にするように接してくる結城の様子は、媛寿がこれまで見てきた大人とは確実に違っていた。いやもう一人、伊達政宗という戦国武将もまた、媛寿をただの子どもとして見ていたが。
媛寿がいくら隠形の能力を使っても姿が見えてしまう結城は、媛寿にとって初めて対等に付き合える『人間』となった。
ともに遊び、ともに奇妙な事件を解決していくという共同生活は、媛寿の数百年に渡る時間の中で決してなかった、新鮮で刺激的な毎日だった。
そうしていくうちに、女神のアテナ、精霊のマスクマン、付喪神のシロガネも加わり、賑やかさが増した小林結城との暮らしは、もう退屈とは無縁となった。
それが久方ぶりに退屈な時間を過ごしている。
端的に言って、クロランに結城を取られてしまっているのが原因であり、これは媛寿にとって面白くないことだった。
頭では仕方ないと解っていても、気持ちの上では納得せず、媛寿は朝からもやもやが治まらない。退屈しのぎが終わってしまえば、またもやもやが湧いてきて、いつの間にか頬をぷくっと膨らませている。
「ゆうきのばか。ゆうきのばか」
そう言いながらベッドで手足をばたつかせていると、
「あれ、媛寿?」
結城がドアを開けて室内に入ってきた。
「ゆうき……!」
もちろん、その傍らにはクロランの姿がある。アテナが繕った薄青色のロングワンピースを着て。
それを見た媛寿はますます頬を膨らませた。
「? 媛寿、どうしたの? 変な顔して」
「しらない! ゆうきのあほりんたん!」
ベッドから飛び降りた媛寿は、そのまま結城たちの横を強引に走りぬけ、部屋を出て行ってしまった。
「あ、あほりんたん?」
媛寿の態度と言葉の意味が解らず、結城のその場で首を傾げていた。
媛寿が膨れっ面のまま廊下を歩いていると、ちょうど自室に戻るところだったのか、マスクマンが正面からやってきた。
「? WΠ1↑ SΘ5→(? なんだよ、媛寿。おかしなツラして)」
廊下ですれ違った媛寿に、マスクマンが何気なく聞いた。余計な一言とともに。
媛寿は左袖から『いちまんきろ』と書かれた小槌を取り出し、マスクマンの向こう脛に思い切りスイングした。もちろん、見事にヒット。
「Oω7! W、WΣ0↑!(いっってえぇ! な、何すんだよ!)」
「ますくまんもあほりんたん!」
媛寿はべそをかきそうになりながら、廊下をリビングに向かって走っていった。
「H、HΞ2↓AT(な、何なんだよ、あほりんたんって)」
脛を擦りながら、マスクマンはなぜ小槌で打ち据えられたのか納得できないまま、媛寿の背を見送っていた。
リビングに来た媛寿は、不機嫌なままコントローラーを握り、『ストレートバトラーX』をプレイしていた。
「動きが荒いですよ、エンジュ」
対戦相手はアテナだ。媛寿は結城とは別で、アテナともよくゲームをする間柄だった。
結城と遊ぶ時とはまた違った楽しみのあるアテナとのゲームプレイだが、いまの媛寿はあまり楽しめる心境ではなかった。
おまけに戦績もよくない。かたや遊びに関しては超一級の家神、かたや知略と勝負事は超一級の戦女神なので、いつもならゲーム戦績は5:4ほどだった。アテナが一歩リードしているとしても、媛寿とてゲーム上とはいえ戦女神から勝利を奪えるあたり、相当な腕前である。
だが、今日は5:1で媛寿が圧倒的に負け越していた。『ストレートバトラーX』の前に勝負していた『鞠夫運送』でさえ、十回のレースで媛寿が勝ったのは一回きりだ。媛寿の得意なゲームであるはずなのに。
「む~」
アテナからの指摘には答えず、唸りながらコントローラーのボタンを叩く。が、コマンドを誤って狙っていた必殺技が不発に終わり、アテナが操る『ヘラクレス元川』がフィニッシュの『超重力張り手』を極めた。
画面にKOの文字が現れ、勝利時のキャラクターの台詞が流れると、媛寿はコントローラーを放り出し、ソファの上に身をころんと横たえた。
「あなたらしくありませんよ、エンジュ。レースでアイテムを一つも使わず、お気に入りの竜太ではなくダレシルを使っているのでは、勝てる勝負も勝てません」
アテナもコントローラーを置き、ちらりと媛寿に目を向けた。ふてくされている理由が、ゲームに負けたことではないと知っている。ただ、あまり的確に指摘すると、媛寿もむきになってしまうとも知っている。
「……あてなさまだって『ぽりゅでうけす』つかってない」
「あなたの様子がおかしかったので、私も様子を見ようと考えたまでです。不調のあなたと対戦しても面白くありません」
「……」
媛寿は黙ってしまった。何も言うことがないのではなく、まず何から言っていいか分からず、黙るしかなかったからだ。
もやもやの核心は媛寿も充分知っているが、それを話してしまうと、ますます子どもと思われてしまう。子どもみたいな理由で悶々としているのは、媛寿が一番分かっているので、口外してさらに風下に立ってしまうのは避けたいところだった。
「媛寿、結城にかまってもらえなくて、さ~みし~の~、ってこと?」
「~~~~~」
ソファの背もたれから、いつの間にかシロガネの無表情が覗いていた。そして、心の中をそのまま言い当てられ、媛寿は耳まで真っ赤になった。
「素直に、言えばいい。あ~んなことや、こ~んなことしてほしい、って。ワタシなら、そうする」
シロガネは手に持っていたモザイク必至の『オモチャ』のスイッチを入れた。緩いモーター音とともに、『オモチャ』が怪しい動きを開始する。
「あなたの場合は素直なのではなく、無遠慮と言えますよ、シロガネ。それから、その汚らわしいオモチャを収めなさい」
「欲望に、忠実な、だけ。媛寿も、素直に、なるといい」
「~~~~~」
心の内を言い当てられた上に、頬をつんつんと突いてくるシロガネの行為が、余計に媛寿の癇に障った。ソファから下りた媛寿は、アテナやシロガネの顔を見ようとせず、リビングのドアに向かって駆け出した。
そこへ折悪しくマスクマンが入室してきた。
「A、Eχ8↑、YΦ7↑、WΣ3←TT(あ、媛寿。お前、さっきはよくも……って、何だよ。今度はベソまでかいて)」
マスクマンとのすれ違いざま、媛寿は『いちまんきろ小槌』を取り出し、打っていない方の脛を叩いた。
「UΔ9! Wπ4→AA(うおっちゃ! 何なんだよ、さっきから!)」
「みんなみんなきらいだー!」
媛寿が廊下を走り去った後、捨て台詞のエコーだけが取り残されていった。
「あの~、媛寿なにかあったんで……すか?」
媛寿と入れ違いでリビングに入ってきた結城だったが、そのかなりカオスな状況に面食らった。なぜかアテナからはジト目で見られ、シロガネは『オモチャ』を手に妖しい目を向けてきて、マスクマンは脛を押さえながら片足で飛び跳ねている。
「ユウキ、エンジュの機嫌を直してきなさい。今すぐ」
「へ? 媛寿の機嫌?」
「急務です」
「は、はい」
アテナに一睨みされたせいで、結城は何も言う余裕もなくリビングを後にし、媛寿の元へ向かった。
「う~、う~」
再び結城の部屋に戻った媛寿は、ベッドでうつ伏せになりながら、しきりに枕を拳で叩いていた。
その理由は明快、恥ずかしいからである。いよいよ機嫌の悪さが表に出てきたのは自覚していても、それをはっきり指摘されれば媛寿でも恥ずかしい。
アテナに同情され、シロガネに見透かされ、おまけにマスクマンに二度も八つ当たり。端から見れば、完全に子どもの駄々。アテナに子ども扱いされても、今の媛寿は何も言い返せなかった。
極めつけは結城にまで悪口を言ってしまったことだ。媛寿は思い出すだけでも、自己嫌悪で穴に入りたい気分になった。
「うぅ、ゆうき~」
媛寿自身、早く気を持ち直したかった。いまのところ特に不運は発生していない。無意識的に能力が抑えられているおかげだったが、このまま機嫌が傾き続ければ、いずれ結城にとんでもない不運が押し寄せるかもしれない。
それだけは避けたいものの、意識すればするほど心がどんよりしてしまう。
「う~、う~」
なので、媛寿はまた結城の枕に拳を打ちつけるほかなかった。
「あっ、いたいた媛寿」
「っ!?」
不意にドアが開いて結城が入室し、媛寿は完全に油断した形で結城と出くわしてしまった。隠れる時間も逃げる時間もなく、媛寿はうつ伏せになったまま、ベッドに顔を埋めて沈黙するのみだった。
「? 媛寿、どしたの? もしかして『したいごっこ』? 前にやってつまらないって言ってなかったっけ?」
「……」
媛寿はあまりのタイミングの悪さに、動くことも口を開くこともできない。図らずも完璧な『したいごっこ』になってしまっていた。
「ん~?」
結城はいろいろな角度から、媛寿の顔を覗き込もうとした。媛寿も表情を悟られまいと、必死に『したいごっこ』に興じているふりをする。
そんな中、結城に気付かれないよう少しずつ首を動かし、ドア側の方を片目で見た。そこには落ち着かない様子で佇むクロランがいた。
偶然にも媛寿と目が合い、クロランはびくりと体を震わせた。
目が合った瞬間、媛寿は微妙な苛立ちからクロランを睨んだ。
クロランはいつも結城と行動をともにしている。クロランが来てからというもの、いつも結城の傍にいた媛寿は、すっかり定位置を奪われた気分になっていた。
改めてそれを認識すると、やはり媛寿も腹を立てずにはいられない。だが、怯えている相手を、しかも依頼人であるかもしれない相手を、攻撃するわけにもいかないのは分かっている。それでも何もしないというのは治まりがつかないので、せめて睨む程度のことはさせてもらうつもりでいた。
「媛寿? なにコワい顔してるの?」
「っ!?」
またも睨みつけるのに夢中で結城のことを見落としていた媛寿は、すぐさま顔をベッドに押し付け、見られないようにした。
「媛寿?」
「……」
「ふ~む……」
再び無反応を決め込んでしまった媛寿をどうしようかと、結城は少し頭を捻った。
うつ伏せになっている媛寿をしばらく見つめていると、媛寿が履いている白い足袋が目に留まった。
「ふふ~ん」
いいことを思いついたと言わんばかりの笑顔を浮かべた結城は、媛寿の片足を掴み、足袋をすぽんと引き抜いた。
「っ!?」
いきなり片方の足袋を脱がされては、媛寿もさすがに無反応ではいられない。目を丸くして顔を上げ、足元を見ようとした。
「そ~れ、こしょこしょこしょこしょ」
「わっ、ゆうき! わっ、わひゃ! ひゃひひゃひゃ!」
足の裏を指の先でくすぐられた媛寿は、文句を言う間もなく笑いが込み上げてきた。
「あひゃ! ひゃ、ひゃひゃ! や、やめっ、ひゃ~!」
抵抗しようにも全身の力が入らず、媛寿はこそばゆさによる笑いだけが湧いてきて止まらない。
「ひゃ! ひゃめ! ゆうき、ひゃめっ! ひひゃ~!」
結城にくすぐられること三分、終わった頃には媛寿は手足を痙攣させ、笑いすぎたせいで軽い酸欠状態になっていた。
「はあ……はあ……はあ」
「やりすぎちゃったか。媛寿、大丈夫?」
「っ!」
結城が媛寿に触れようとした途端、媛寿はベッドシーツに素早く潜り込んでしまった。
そしてシーツから顔を半分だけ出し、
「……ゆうきのえっち」
と、恨めしそうに結城を見た。
「う~む……えい」
「ひゃっ!」
結城は媛寿が頭を出している反対側のシーツを捲った。媛寿はまたくすぐられると思ったのか、声を上げて身を硬直させた。
「もうしないよ、媛寿。でも、ようやく笑ってくれたね」
「えっ?」
「最近媛寿が笑ってるところ見ていなかったし、今日は何だか様子が変だったし、ちょっと心配になってたんだ。アテナ様にも釘刺されちゃったし」
「……」
「ちょっと強引だったけど、思いっきり笑ってどうだった?」
「……すっきりした……ちょっとだけ……」
「よかった。僕も媛寿の笑顔を見れたからよかったよ」
結城は右手を伸ばして媛寿の頭を撫でた。媛寿もそれを拒絶することなく、素直に頭を撫でられた。
(ゆうき……)
笑顔で撫でてくる結城を見ていると、媛寿も機嫌を損ねているのがどうでもいいことに思えてきた。
「っ!」
気付くと、結城に撫でられている媛寿を、クロランが羨ましそうな顔で見つめていた。その表情は、ちょっと前の媛寿同様、寂しそうに見える。そんなクロランを見て、媛寿は今ならクロランの気持ちが分かるような気がしていた。
結城の手からするりと抜けると、媛寿はベッドを下りてクロランの前に立った。クロランの方がいくらか背が高いので、媛寿にとっては見上げる形になっている。
「……」
急に媛寿が目の前に立ったので、クロランは怯えたように小さく身を震わせていた。
「媛寿?」
結城も媛寿の意図が分からず、媛寿とクロランを交互に見る。
媛寿はしばらくクロランを見上げていたが、やがて、
「ばんざ~い」
と、両手を上げて見せた。
クロランは、それを『一緒にやれ』という意味と受け取り、戸惑いながらも同じように両手を上に上げた。
「ていっ!」
「ひぅ!」
クロランが両手を上げたのを見計らい、媛寿はクロランの胸に手を当てた。
「むむむむ」
「ひぅ! ひぃ!」
媛寿はそのままクロランの胸をぐにぐにと揉みしだいた。
「え、媛寿!? なにしてんの!?」
媛寿のいきなりの奇行に、結城はどうするべきか決めかねて混乱した。
そうしているうちに、媛寿はクロランの胸から手を離し、何度か掌を開いて握ってを繰り返した。
「えんじゅよりある」
クロランの胸の大きさを確認し、媛寿は足早にドアに駆けていった。
ドアを開けると、そのまま閉めることなく廊下を走り去っていく。
「な、なんだったんだ?」
「? ?」
結城は媛寿の考えが読めず、クロランは胸を揉まれた理由が分からず、首を傾げるばかりだった。
すると媛寿がまた戻ってきて、大きく開いたドア越しに結城たちを見つめた。
そして、
「べ~」
あかんべえをしてまた去っていった。
「ほ、ほんとになに!?」
「!? !?」
媛寿の行動にますます疑問符が生じる二人をよそに、媛寿はいろいろすっきりしたのか、廊下を満面の笑みでスキップして渡っていった。
クロランはなぜか結城にべったりと張り付いて行動しており、他の面々に慣れる様子がない。結城から引き離そうものなら、途端に情緒不安定になるので、仕方がないといえばそうなのだが、
「む~」
媛寿にとってはいまひとつ面白くない。
媛寿もこれまで様々な依頼人を見てきており、クロランの状態のことも理解している。が、それにしても結城にべったりしすぎているせいで、結城もクロランに付きっ切りだった。
そのため、最近では媛寿は結城と遊ぶ機会が激減している。おかげで媛寿のフラストレーションは溜まる一方だ。
いまは暇つぶし兼腹いせに、結城の部屋のベッドに横たわりながら、結城秘蔵の『本』をつまらなそうな顔で捲っているところだった。
「……」
『本』のページを眺めながら、媛寿はもう一つ気に入らないことがあった。『本』に載っているのが、全員もれなく巨乳の女性だからだ。
要するに結城の趣味は、そういうことなのである。
媛寿は起き上がって胸元を軽く叩いてみた。
ない、とは言い切れないかもしれないが、ある、と言うにはあまりにもお粗末だった。少なくともアテナと比べれば、まさに雲泥の差だった。
かくりと小さく肩を落として、媛寿は『本』をベッドの下に放り込んだ。
ベッドに仰向けになり、天井をぼんやりと見つめる。元より街の喧騒から離れた土地ではあるが、退屈だと余計に周りが静かに感じると、媛寿は思っていた。
それは媛寿が結城のところに来る前、住み着いていた駄菓子工場に似ていた。
作業員の声と気配、機械の動作音は聞こえてくるが、退屈を持て余した媛寿には何の関心ももたらさなかった。そもそも居たくて居たわけではない。居心地の良さそうな家が減ってきたので、仮宿のつもりで工場の一角に住み着いていただけのことだった。
特に何するでもなく、時折廃棄予定の駄菓子の不良品をつまみ食いしては、あとはゴロ寝するだけの日常。そんな生活は、遊びやイタズラが本能の一部にある座敷童子にとっては苦痛でしかなかった。
うっかり寝ていたダンボール箱を閉められて出荷されたことで、媛寿は予期せず工場を後にした。
辿り着いた先で出逢ったのは、なぜか普通に媛寿を視認できる青年、小林結城だった。
座敷童子を視ることができるのは大概は子どもであり、大人で視えるのは者は滅多にいない。いたとしても常に視えるわけではなく、時間が経てば視えていたことを忘れてしまう。
霊能者であるならば、家神の座敷童子を感知したり、視認したりもできるが、結城は霊能者というタイプではなかった。
霊能者はその手の知識に明るく、中には座敷童子の力を悪用しようとする輩もいたりするので、媛寿は『自分が視える大人』を特に警戒していた。
だが、結城は座敷童子という存在は知っていても、それがどんな能力を持っているのかはあまり知らないようだった。ただの子どもを相手にするように接してくる結城の様子は、媛寿がこれまで見てきた大人とは確実に違っていた。いやもう一人、伊達政宗という戦国武将もまた、媛寿をただの子どもとして見ていたが。
媛寿がいくら隠形の能力を使っても姿が見えてしまう結城は、媛寿にとって初めて対等に付き合える『人間』となった。
ともに遊び、ともに奇妙な事件を解決していくという共同生活は、媛寿の数百年に渡る時間の中で決してなかった、新鮮で刺激的な毎日だった。
そうしていくうちに、女神のアテナ、精霊のマスクマン、付喪神のシロガネも加わり、賑やかさが増した小林結城との暮らしは、もう退屈とは無縁となった。
それが久方ぶりに退屈な時間を過ごしている。
端的に言って、クロランに結城を取られてしまっているのが原因であり、これは媛寿にとって面白くないことだった。
頭では仕方ないと解っていても、気持ちの上では納得せず、媛寿は朝からもやもやが治まらない。退屈しのぎが終わってしまえば、またもやもやが湧いてきて、いつの間にか頬をぷくっと膨らませている。
「ゆうきのばか。ゆうきのばか」
そう言いながらベッドで手足をばたつかせていると、
「あれ、媛寿?」
結城がドアを開けて室内に入ってきた。
「ゆうき……!」
もちろん、その傍らにはクロランの姿がある。アテナが繕った薄青色のロングワンピースを着て。
それを見た媛寿はますます頬を膨らませた。
「? 媛寿、どうしたの? 変な顔して」
「しらない! ゆうきのあほりんたん!」
ベッドから飛び降りた媛寿は、そのまま結城たちの横を強引に走りぬけ、部屋を出て行ってしまった。
「あ、あほりんたん?」
媛寿の態度と言葉の意味が解らず、結城のその場で首を傾げていた。
媛寿が膨れっ面のまま廊下を歩いていると、ちょうど自室に戻るところだったのか、マスクマンが正面からやってきた。
「? WΠ1↑ SΘ5→(? なんだよ、媛寿。おかしなツラして)」
廊下ですれ違った媛寿に、マスクマンが何気なく聞いた。余計な一言とともに。
媛寿は左袖から『いちまんきろ』と書かれた小槌を取り出し、マスクマンの向こう脛に思い切りスイングした。もちろん、見事にヒット。
「Oω7! W、WΣ0↑!(いっってえぇ! な、何すんだよ!)」
「ますくまんもあほりんたん!」
媛寿はべそをかきそうになりながら、廊下をリビングに向かって走っていった。
「H、HΞ2↓AT(な、何なんだよ、あほりんたんって)」
脛を擦りながら、マスクマンはなぜ小槌で打ち据えられたのか納得できないまま、媛寿の背を見送っていた。
リビングに来た媛寿は、不機嫌なままコントローラーを握り、『ストレートバトラーX』をプレイしていた。
「動きが荒いですよ、エンジュ」
対戦相手はアテナだ。媛寿は結城とは別で、アテナともよくゲームをする間柄だった。
結城と遊ぶ時とはまた違った楽しみのあるアテナとのゲームプレイだが、いまの媛寿はあまり楽しめる心境ではなかった。
おまけに戦績もよくない。かたや遊びに関しては超一級の家神、かたや知略と勝負事は超一級の戦女神なので、いつもならゲーム戦績は5:4ほどだった。アテナが一歩リードしているとしても、媛寿とてゲーム上とはいえ戦女神から勝利を奪えるあたり、相当な腕前である。
だが、今日は5:1で媛寿が圧倒的に負け越していた。『ストレートバトラーX』の前に勝負していた『鞠夫運送』でさえ、十回のレースで媛寿が勝ったのは一回きりだ。媛寿の得意なゲームであるはずなのに。
「む~」
アテナからの指摘には答えず、唸りながらコントローラーのボタンを叩く。が、コマンドを誤って狙っていた必殺技が不発に終わり、アテナが操る『ヘラクレス元川』がフィニッシュの『超重力張り手』を極めた。
画面にKOの文字が現れ、勝利時のキャラクターの台詞が流れると、媛寿はコントローラーを放り出し、ソファの上に身をころんと横たえた。
「あなたらしくありませんよ、エンジュ。レースでアイテムを一つも使わず、お気に入りの竜太ではなくダレシルを使っているのでは、勝てる勝負も勝てません」
アテナもコントローラーを置き、ちらりと媛寿に目を向けた。ふてくされている理由が、ゲームに負けたことではないと知っている。ただ、あまり的確に指摘すると、媛寿もむきになってしまうとも知っている。
「……あてなさまだって『ぽりゅでうけす』つかってない」
「あなたの様子がおかしかったので、私も様子を見ようと考えたまでです。不調のあなたと対戦しても面白くありません」
「……」
媛寿は黙ってしまった。何も言うことがないのではなく、まず何から言っていいか分からず、黙るしかなかったからだ。
もやもやの核心は媛寿も充分知っているが、それを話してしまうと、ますます子どもと思われてしまう。子どもみたいな理由で悶々としているのは、媛寿が一番分かっているので、口外してさらに風下に立ってしまうのは避けたいところだった。
「媛寿、結城にかまってもらえなくて、さ~みし~の~、ってこと?」
「~~~~~」
ソファの背もたれから、いつの間にかシロガネの無表情が覗いていた。そして、心の中をそのまま言い当てられ、媛寿は耳まで真っ赤になった。
「素直に、言えばいい。あ~んなことや、こ~んなことしてほしい、って。ワタシなら、そうする」
シロガネは手に持っていたモザイク必至の『オモチャ』のスイッチを入れた。緩いモーター音とともに、『オモチャ』が怪しい動きを開始する。
「あなたの場合は素直なのではなく、無遠慮と言えますよ、シロガネ。それから、その汚らわしいオモチャを収めなさい」
「欲望に、忠実な、だけ。媛寿も、素直に、なるといい」
「~~~~~」
心の内を言い当てられた上に、頬をつんつんと突いてくるシロガネの行為が、余計に媛寿の癇に障った。ソファから下りた媛寿は、アテナやシロガネの顔を見ようとせず、リビングのドアに向かって駆け出した。
そこへ折悪しくマスクマンが入室してきた。
「A、Eχ8↑、YΦ7↑、WΣ3←TT(あ、媛寿。お前、さっきはよくも……って、何だよ。今度はベソまでかいて)」
マスクマンとのすれ違いざま、媛寿は『いちまんきろ小槌』を取り出し、打っていない方の脛を叩いた。
「UΔ9! Wπ4→AA(うおっちゃ! 何なんだよ、さっきから!)」
「みんなみんなきらいだー!」
媛寿が廊下を走り去った後、捨て台詞のエコーだけが取り残されていった。
「あの~、媛寿なにかあったんで……すか?」
媛寿と入れ違いでリビングに入ってきた結城だったが、そのかなりカオスな状況に面食らった。なぜかアテナからはジト目で見られ、シロガネは『オモチャ』を手に妖しい目を向けてきて、マスクマンは脛を押さえながら片足で飛び跳ねている。
「ユウキ、エンジュの機嫌を直してきなさい。今すぐ」
「へ? 媛寿の機嫌?」
「急務です」
「は、はい」
アテナに一睨みされたせいで、結城は何も言う余裕もなくリビングを後にし、媛寿の元へ向かった。
「う~、う~」
再び結城の部屋に戻った媛寿は、ベッドでうつ伏せになりながら、しきりに枕を拳で叩いていた。
その理由は明快、恥ずかしいからである。いよいよ機嫌の悪さが表に出てきたのは自覚していても、それをはっきり指摘されれば媛寿でも恥ずかしい。
アテナに同情され、シロガネに見透かされ、おまけにマスクマンに二度も八つ当たり。端から見れば、完全に子どもの駄々。アテナに子ども扱いされても、今の媛寿は何も言い返せなかった。
極めつけは結城にまで悪口を言ってしまったことだ。媛寿は思い出すだけでも、自己嫌悪で穴に入りたい気分になった。
「うぅ、ゆうき~」
媛寿自身、早く気を持ち直したかった。いまのところ特に不運は発生していない。無意識的に能力が抑えられているおかげだったが、このまま機嫌が傾き続ければ、いずれ結城にとんでもない不運が押し寄せるかもしれない。
それだけは避けたいものの、意識すればするほど心がどんよりしてしまう。
「う~、う~」
なので、媛寿はまた結城の枕に拳を打ちつけるほかなかった。
「あっ、いたいた媛寿」
「っ!?」
不意にドアが開いて結城が入室し、媛寿は完全に油断した形で結城と出くわしてしまった。隠れる時間も逃げる時間もなく、媛寿はうつ伏せになったまま、ベッドに顔を埋めて沈黙するのみだった。
「? 媛寿、どしたの? もしかして『したいごっこ』? 前にやってつまらないって言ってなかったっけ?」
「……」
媛寿はあまりのタイミングの悪さに、動くことも口を開くこともできない。図らずも完璧な『したいごっこ』になってしまっていた。
「ん~?」
結城はいろいろな角度から、媛寿の顔を覗き込もうとした。媛寿も表情を悟られまいと、必死に『したいごっこ』に興じているふりをする。
そんな中、結城に気付かれないよう少しずつ首を動かし、ドア側の方を片目で見た。そこには落ち着かない様子で佇むクロランがいた。
偶然にも媛寿と目が合い、クロランはびくりと体を震わせた。
目が合った瞬間、媛寿は微妙な苛立ちからクロランを睨んだ。
クロランはいつも結城と行動をともにしている。クロランが来てからというもの、いつも結城の傍にいた媛寿は、すっかり定位置を奪われた気分になっていた。
改めてそれを認識すると、やはり媛寿も腹を立てずにはいられない。だが、怯えている相手を、しかも依頼人であるかもしれない相手を、攻撃するわけにもいかないのは分かっている。それでも何もしないというのは治まりがつかないので、せめて睨む程度のことはさせてもらうつもりでいた。
「媛寿? なにコワい顔してるの?」
「っ!?」
またも睨みつけるのに夢中で結城のことを見落としていた媛寿は、すぐさま顔をベッドに押し付け、見られないようにした。
「媛寿?」
「……」
「ふ~む……」
再び無反応を決め込んでしまった媛寿をどうしようかと、結城は少し頭を捻った。
うつ伏せになっている媛寿をしばらく見つめていると、媛寿が履いている白い足袋が目に留まった。
「ふふ~ん」
いいことを思いついたと言わんばかりの笑顔を浮かべた結城は、媛寿の片足を掴み、足袋をすぽんと引き抜いた。
「っ!?」
いきなり片方の足袋を脱がされては、媛寿もさすがに無反応ではいられない。目を丸くして顔を上げ、足元を見ようとした。
「そ~れ、こしょこしょこしょこしょ」
「わっ、ゆうき! わっ、わひゃ! ひゃひひゃひゃ!」
足の裏を指の先でくすぐられた媛寿は、文句を言う間もなく笑いが込み上げてきた。
「あひゃ! ひゃ、ひゃひゃ! や、やめっ、ひゃ~!」
抵抗しようにも全身の力が入らず、媛寿はこそばゆさによる笑いだけが湧いてきて止まらない。
「ひゃ! ひゃめ! ゆうき、ひゃめっ! ひひゃ~!」
結城にくすぐられること三分、終わった頃には媛寿は手足を痙攣させ、笑いすぎたせいで軽い酸欠状態になっていた。
「はあ……はあ……はあ」
「やりすぎちゃったか。媛寿、大丈夫?」
「っ!」
結城が媛寿に触れようとした途端、媛寿はベッドシーツに素早く潜り込んでしまった。
そしてシーツから顔を半分だけ出し、
「……ゆうきのえっち」
と、恨めしそうに結城を見た。
「う~む……えい」
「ひゃっ!」
結城は媛寿が頭を出している反対側のシーツを捲った。媛寿はまたくすぐられると思ったのか、声を上げて身を硬直させた。
「もうしないよ、媛寿。でも、ようやく笑ってくれたね」
「えっ?」
「最近媛寿が笑ってるところ見ていなかったし、今日は何だか様子が変だったし、ちょっと心配になってたんだ。アテナ様にも釘刺されちゃったし」
「……」
「ちょっと強引だったけど、思いっきり笑ってどうだった?」
「……すっきりした……ちょっとだけ……」
「よかった。僕も媛寿の笑顔を見れたからよかったよ」
結城は右手を伸ばして媛寿の頭を撫でた。媛寿もそれを拒絶することなく、素直に頭を撫でられた。
(ゆうき……)
笑顔で撫でてくる結城を見ていると、媛寿も機嫌を損ねているのがどうでもいいことに思えてきた。
「っ!」
気付くと、結城に撫でられている媛寿を、クロランが羨ましそうな顔で見つめていた。その表情は、ちょっと前の媛寿同様、寂しそうに見える。そんなクロランを見て、媛寿は今ならクロランの気持ちが分かるような気がしていた。
結城の手からするりと抜けると、媛寿はベッドを下りてクロランの前に立った。クロランの方がいくらか背が高いので、媛寿にとっては見上げる形になっている。
「……」
急に媛寿が目の前に立ったので、クロランは怯えたように小さく身を震わせていた。
「媛寿?」
結城も媛寿の意図が分からず、媛寿とクロランを交互に見る。
媛寿はしばらくクロランを見上げていたが、やがて、
「ばんざ~い」
と、両手を上げて見せた。
クロランは、それを『一緒にやれ』という意味と受け取り、戸惑いながらも同じように両手を上に上げた。
「ていっ!」
「ひぅ!」
クロランが両手を上げたのを見計らい、媛寿はクロランの胸に手を当てた。
「むむむむ」
「ひぅ! ひぃ!」
媛寿はそのままクロランの胸をぐにぐにと揉みしだいた。
「え、媛寿!? なにしてんの!?」
媛寿のいきなりの奇行に、結城はどうするべきか決めかねて混乱した。
そうしているうちに、媛寿はクロランの胸から手を離し、何度か掌を開いて握ってを繰り返した。
「えんじゅよりある」
クロランの胸の大きさを確認し、媛寿は足早にドアに駆けていった。
ドアを開けると、そのまま閉めることなく廊下を走り去っていく。
「な、なんだったんだ?」
「? ?」
結城は媛寿の考えが読めず、クロランは胸を揉まれた理由が分からず、首を傾げるばかりだった。
すると媛寿がまた戻ってきて、大きく開いたドア越しに結城たちを見つめた。
そして、
「べ~」
あかんべえをしてまた去っていった。
「ほ、ほんとになに!?」
「!? !?」
媛寿の行動にますます疑問符が生じる二人をよそに、媛寿はいろいろすっきりしたのか、廊下を満面の笑みでスキップして渡っていった。
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