小林結城は奇妙な縁を持っている

木林 裕四郎

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豪宴客船編

命名

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 朝食が終わった後、少女は満腹になって安心したのか、結城ゆうきの膝を枕代わりにして眠ってしまった。その表情は最初にベッドで寝ていた時と同様、とても穏やかなものだった。
「それにしても上手く誘いだしましたね、ユウキ」
 食後のお茶を飲んでいたアテナは、結城が少女を懐柔した手並みに感心していた。
「何となく初めて会った時の媛寿えんじゅに似ていたから、その時のことをちょっと思い出したんです」
 結城は少女の髪を手櫛で撫でながら、湯呑みでお茶を啜っている媛寿を見た。
 今でこそ媛寿は結城に懐いているが、出逢った当初はひどく警戒して寄り付かなかった。
 段ボール箱に入って予期せず結城の元に来た媛寿は、そこがどこなのか分からず、目の前の座敷童子ざしきわらしを認識できる青年が理解できず、大いに混乱してしまっていた。
 結城も自分にしか視えない着物の少女をどうしようか困り果てたが、行くあてもなさそうなので、アパートの自室に住まわせることにした。
 物陰から様子を窺うのみで、警戒している媛寿とどうコミュニケーションを取ろうかと思っていた時、段ボール箱に残っていた知育菓子に目を付けた。
 水を加えた粉を練って作る菓子を目の前で実践し、さもおいしそうに食べて見せる。そうして興味を惹かせた後、それを媛寿にも差し出すことで、結城は警戒心を緩める足がかりにした。
 今でも結城と媛寿にとっては、デフォルメされた錬金術師がパッケージに描かれた『錬々々ねるねるねるね』は思い出深い菓子だった。
「でも媛寿の時はもっと簡単でしたね。たった一回であっさり―――」
「え、えんじゅ、そんなんじゃないもん!」
 結城の一言を、媛寿は顔を真っ赤にしながら否定する。
「そんなんじゃないもん!」
「ああ、ごめんごめん。ちょっと懐かしくなってさ」
「ぷ~、ゆうきのいじわる」
 まだ顔を赤くしたまま、媛寿は湯呑みに残っているお茶を飲んだ。
「A、TΞ1↓(で、こいつどうすんだ)」
 コップの中のココナッツミルクを飲み干したマスクマンが、眠っている少女に真一文字の単眼を向けた。
 結城もマスクマンの言いたいことは分かっている。依頼人であると仮定はしているが、万分の一の確率で、ただの迷い人ということもありえるのだ。それをはっきりさせる必要がある。
「とりあえず今は休んでもらって、起きたら事情を聞いてみるよ」
 結城は改めて膝の上で眠る少女を見た。相当な怯えようだったことから察するに、もしかしたら酷い目に遭ったのかもしれない。そういう事情の依頼人も幾人かいたので、少し時間を要するか、とも考えていた。
「あっ、そういえばこの娘の服って……」
 少女は今はベッドシーツを体に巻いているが、結城のベッドで眠っていた時から、何も身に着けていなかった。結城は自室を見回してみるも、少女の服らしいものは見当たらない。
「まさかこの娘、裸でここまで来たの? なんで?」
 依頼人か迷い人か以前に、結城は少女の素性が想像できずに困惑した。
「服だけじゃ、ない」
 朝食の食器を片付け終わったシロガネが、ラム酒の瓶とショットグラスを持って戻ってきた。
「シロガネ、朝から飲むつもりですか?」
 グラスにラム酒を注いでいるシロガネを、アテナはたしなめるような視線で見ている。
「一本、残ってた。船上では、ラム酒とビールを飲むのが、普通だった」
 大航海時代の背景をのたまいながら、シロガネはアテナの指摘を気にせずグラスを煽った。
 また酔って変なことしなければいいけど、と思いつつ、結城はシロガネの発言の真意を確かめることにした。
「シロガネ、『服だけじゃない』ってどういう意味?」
「靴も、見当たらない。玄関にも、屋敷の周りにも」
「んん?」
 シロガネの報告を聞いた結城は、ますます少女の素性が分からなくなった。まさか野生の狼少女かとも思ったが、朝食時の様子を見るに、野生児といった雰囲気ではなかったので、すぐに考えを打ち消した。
「ん~……まぁ、まずはこの娘が目を覚ましてからかな」
 疑問はいくつもあるが、情報不足の状態で考えても埒が明かない。少女の顔にかかった髪を整えてやりがなら、結城は奇妙な客人の目覚めを待つことにした。
 
「ふひっ! くひっ!」
「あ、ちょっと。そんなに動かないで」
 ボディスポンジの感触がくすぐったいのか、少女は結城に体を擦られながら、時折肩や手足を大きく跳ねさせていた。
 いま結城は、浴場で少女を泡だらけにして洗っている最中だった。
 目を覚ました少女に、結城はなぜ古屋敷ふるやしきに来たのか、どういった用向きなのかを尋ねた。
 しかし、少女は答えなかった。いや、答えることができなかった。
 言葉自体は理解しているらしいが、少女は質問の意図が理解できずに答えられないといった様子だった。
 他にも少女の素性に繋がることを聞いても、少女は答えることができなかった。声をうまく出すことができなかったのだ。
 アテナの見立てでは、肉体的な要因ではなく、精神的外傷が原因の失語症である可能性が高いとのことだった。
 少女は二重の意味で、結城たちの質問に答えられない状態にあった。
 ここまでくると、もはや依頼人か迷い人か以前の問題だ。結城は頭を抱えたが、かといって少女を古屋敷から追い立てるのもできない。
 アテナによれば、精神状態が安定すれば、失語症も解消されるかもしれないとのことだったので、結城は少女から事情が聞けるまで、古屋敷に住まわせることにした。
 住まわせるというならまずどうするかと皆で話し合った結果、第一に少女を入浴させる、というところに落ち着いた。少女は山の中を突っ切ってきたせいか、ところどころ土で汚れていたからだ。
 シロガネが浴場に湯を張って、いざ風呂に入れる段になった時、なぜか少女は結城から離れようとしなかった。
 結城がどんなに促しても離れず、無理に離そうとするとひどく悲しそうな顔をするので、シロガネに代わって結城が少女を洗うことになった。
「じゃあシャワーで流すから、目をしっかり閉じておいて」
「う~」
 少女はぎゅっと目蓋を閉じたことを確認し、結城は適温にしたシャワーのお湯をかけた。
 結城は泡が洗い流した少女の髪を見た。
 赤みが強い茶髪であるが、どうやら染めているわけではなく地毛のようだった。しかし顔立ちは日本人的なので、外国人だということもなさそうだ。
 まだまともに会話できていないが、言葉は通じているようだし、それなりに文化的な生活を送ってきたであろうことは、行動の端々から読み取れた。
 それならますます古屋敷に、それも正真正銘の身一つで来た理由が分からない。
 依頼人であるのか、はたまた本当にただの迷子なのか、結城は首を傾げた。
「ん?」
 ほんの数秒ほど考え込んでいると、少女が振り返って結城の顔をじっと見つめていた。
「ああ、ごめんごめん。ちょっと考え事してた」
 シャワーが終わったのに固まっている結城を不思議に思っていたらしい。結城は傍らに置いてあったタオルで、少女の髪に付いた水気を拭き取っていった。
 そうしているうちに、結城の脳裏に子どもの頃の記憶が蘇った。学校の帰り道、いつも公園にいた犬と遊んでいた時のことだ。
 おそらく野良犬だったその犬は、なぜか人懐っこく、夕方に公園を訪れる結城にもよく懐いていた。結城も学校であまり友達がいなかった分、その犬と遊ぶのが楽しみになっていた。
 暗くなる少し前まで一緒に遊び、分かれることが常だったが、ある時から犬はぱったりと姿を見せなくなった。どこかで息を引き取ったのか、保健所に捕まったのか、いなくなった理由は結局わからず、当時の結城は急に友人をなくした気分になって落ち込んだ。
 柴犬に近い犬種で、赤みが強い茶色の毛並みを持ち、結城の顔をじっと見つめることが多かったと、結城は思い出した。ちょうど少女の毛色と仕草が、その犬にそっくりだったのだ。
(そういえば……)
 結城はその犬に名前を付けていた。夕陽に照らされてより濃くなっていた毛の赤みが、赤飯を連想させたので、『セキハン』という名前で呼んでいた。
 結城は改めて少女を見た。喋れないのであれば、名前も分からない。今後、少女をどう呼ぼうか考えを巡らせた。
 『セキハン』と呼ぶのは女の子の名前としてどうかと思っていると、数日前にスーパーで『おこわ』が売っていたことを思い出した。前にどこかで赤飯も『おこわ』の一種に含まれると聞いたことがあった。
(『赤飯』と『おこわ』で、『あかわ』……なんか違うな。ん? 『おこわ』……)
 いつだったか、珍しくマスクマンが料理を作ったことがあった。マスクマンの作る食事は、獲物をそのまま焼く豪快なものが多い中、割と手の込んだ料理だっただけに印象深かった。
 ココナッツミルクを使用したカンボジアの『おこわ』で、『食ってみたくなった』という理由でマスクマンが作った料理の名は、
「クロラン」
 結城は自然とその名を口にした。それを聞いて、再び少女は振り返った。
「名前が分かるまで、君のことはクロランって呼ぶことにするよ」
 そう告げる結城を、少女はまた不思議そうに見つめていたが、やがてこくりと小さく頷き、了承の意を示した。
「じゃあよろしくね、クロラン」

 その頃、谷崎町たにさきちょうを通る道路の一角で、一台の事故車が発見されていた。
「どういうことだ?」
 事故現場の検証と、事故車の処理に赴いていた警察官の一人が首を傾げていた。
 大破しているのは変わり映えのない中型トラックで、事故原因も視界不良で壁面に激突しただけという、典型的な交通事故であるのは間違いないはずなのだが、それにしてはおかしな点が多すぎた。
(ナンバーも運転免許証も偽造。車両もどこのメーカーの物か不明。どうなってるんだ?)
 事情聴取をしようにも、運転者も同乗者も死亡しているので何も聞き出せない。
(おまけに……)
 警察官は激突した衝撃でひしゃげた荷台の扉を覗いた。
(いったい何を運んでたんだ?)
 荷台の中にはおびただしい数の鎖があった。かなり新しいものであるにも関わらず、どれもが強い力で引き千切られた跡がある。どう見ても事故の衝撃で千切れたようには見えない。
「一応、九木くきさんにも報告しとくか」
 警察電話でとある刑事に連絡を入れる警察官の背後、野次馬の中に混じって事故車を鋭い目で見つめる者がいた。
 その者はスマートフォンで番号をタッチすると、いずこかへ連絡を取った。
「こちらシーカー3。F‐06は逃亡した模様。至急、付近の捜索を」
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