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化生の群編

報奨(終)

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 五つ分の丼にお湯を注いだシロガネは、テーブルに置かれたニワトリ型ストップウォッチを始動させた。三分後にはニワトリの鳴き声でアラームが鳴る。
「三分、待つ」
 テーブルには結城ゆうき媛寿えんじゅ、アテナ、マスクマンが着いており、最後にシロガネが座って全員着席した。あとは昼食の『キッチンラーメン』が出来上がるまで待つだけである。
 キュウ特製の回復薬を飲んだ結城は、それから三日ほど病院で過ごして退院した。
 螺久道村らくどうむらにおける依頼は完了し、結城たちは谷崎町たにさきちょうに帰ることにした。朱月燈架あかつきとうかに再び会うこともなく、螺久道村の住人たちの様子を見ることもなく。
 悲しいことは多々あったが、もう螺久道村に鬼は出ず、鬼に生け贄が捧げられることは二度とない。
 ここでやるべきことも、できることも終わった。あとは忌まわしい因習が消え去り、螺久道村が普通の村となっていくと信じるのみ。結城はそう思い、北アルプスを覗く山間の村に別れを告げた。
 と、格好を付けて帰って来たはいいが、帰り着いて肝心なことを忘れていた。
 依頼料をもらっていない。
 そもそも今回の依頼は、差出人不明の手紙から始まっており、まず依頼人を見つけなければいけなかった。ところが依頼人が判明した直後に大事に発展してしまったので、依頼人と何の相談する余裕もなく、気が付けば全部終わっていた。
 遠出して大騒動に巻き込まれた挙句、ほとんどタダ働きになってしまったのだ。
 そして、もう一つ打撃があった。
「まさかオオクワガタが値崩れしてたなんて」
 結城と媛寿が採ったオオクワガタはペットショップにおろされたが、振り込まれた金額は予想を大幅に下回って安かった。オオクワガタはブリーダーが乱立してしまったために、希少性が薄れて値が下がってしまっていたのだ。
 依頼料はもらい損ない、オオクワガタの収入も見込めなかったので、古屋敷ふるやしきはいま絶賛節約週間に突入しているというわけだった。
 しばらくは保存食をメインで過ごすことになり、以前媛寿が道で拾った『キッチンラーメン』一年分から手を付けているという次第だ。ちなみに媛寿は『キッチンラーメン』と『コックヌードル』は発売当初からファンであるらしい。
「ゆうき、『キッチンラーメン』きらい? えんじゅはすき」
「い、いや、もちろん僕も大好きだよ」
 結城がそう答えると、媛寿の表情はにぱっと華やいだ。
「味は見事です。ただ栄養面においてユウキの体調が少し気がかりです」
「少しの間だけですよ、アテナ様。またすぐに依頼があると思います……たぶん」
 一方、アテナはインスタント食品で過ごすことにわずかに難色を示している。
「MΠ1↑CH(俺も鶏ガラが効いてるから気に入ってるぞ)」
「マスクマン、けっこう鶏が好きだよね」
 鶏ガラベースの『キッチンラーメン』に、マスクマンは特に不満はないらしい。
「袋を開けて、お湯を入れるだけ。すごく、退屈」
「今だけ、今だけだから。またシロガネにはちゃんとした料理を作ってもらうから」
 シロガネは自慢の包丁たちを振るえないせいか、微妙にストレスを抱えていた。
(う~ん、このままってわけにもいかないから、キュウ様のところでアルバイトしようかな)
 しかし、『アルバイト代をはずむから、その代わりに』と社殿の奥に連れ込まれるイメージが浮かび、結城は背筋がぞくりと震えた。
(もう一つのアルバイト先は―――)
「コケッコッコッコックォー!」
 結城がそう考えていると、ニワトリ型ストップウォッチが鳴き声を上げた。ちょうど三分経ったところだった。
「でき、あがり」
 丼の中には黄金色のスープに浸った縮れ麺が湯気を上げていた。鶏ガラスープの香りが鼻腔をくすぐる。
「それでは、いただきましょう」
 アテナに促され、皆が箸を構える。結城もまずは腹ごしらえが先と思い、丼の横の箸を持った。
「いったっだっきま~―――」
 ラーメンの出来上がりを今か今かと待っていた媛寿は、一番乗りと言わんばかりに元気に麺を持ち上げたが―――――廊下の電話のベルに遮られた。
「電話? こんな時間に珍し―――あれ、媛寿?」
 一同が電話に気を取られている間に、媛寿の姿が消えていた。
 そして廊下に出た媛寿は黒電話の受話器を取ると、
「ただいまお食事中です。三秒以内に電話を切らないと呪いがかかります。いいですね。い~ち―――」
『ちょ、ちょっと待って! 早まらないで! 食事中だったことは謝るから!』
「だれ?」
祀凰寺雛祈しおうじひなぎ! この前螺久道村で一緒だった祀凰寺雛祈!』
「……に~い」
『ああ! ちょっと! 話だけでも!』
「ご、ごめんなさい! お電話代わりました!」
 媛寿の不穏な雰囲気を察し、結城は慌てて受話器に声をかけた。
「媛寿、先に食べてていいから電話代わって?」
「ぷ~、ゆうきといっしょにたべる」
「わ、分かった。すぐに行くから。とりあえず電話代わって?」
「む~……わかった」
 やや納得していないようだったが、媛寿は受話器を結城に託し、部屋へ戻っていった。
「えっと、失礼しました、小林結城です。ご用件は―――」
「ちょっと話があるの。今から言う場所に来なさい」
「へ?」
 雛祈から一方的に場所を示され、結城は訳が分からないままメモにアドレスを記した。

「ここ……かな」
 メモを見ながら指定された場所に到着した結城だったが、あまり訪れる機会のない場所なので、いささか緊張で萎縮してしまっていた。
 谷崎町から駅五つ先の都市部にある、『グランドホテル・プレイフェニクス』。その高層クラブラウンジに、結城は呼び出されたのだった。
「だ、大丈夫かな?」
 ドレスコードがあった時のために、手近なスーツを着て来たはいいが、高級ホテルなど宿泊どころか食事にもほとんど来たことがない。周りから浮いていないか、場違いでないかと不安になるあまりに、結城は挙動不審に首を巡らせていた。
「小林結城様でいらっしゃいますね?」
「え!? あ、はい。そうです」
 いきなり様付けで名前を呼ばれ、飛び跳ねそうになる結城。見るとウェイター風の男が近くに立っていた。
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
 ウェイター風の男に促され、結城はクラブラウンジ内へ入っていった。質の良いソファやテーブルが並ぶ中を歩いていくと、窓際のボックス席に雛祈が座っていた。黒のパンツスーツを着こなし、腕を組んで静かに目を閉じている。
「お連れいたしました」
 ウェイター風の男が雛祈に一礼すると、雛祈は目を開けてこくりと頷いた。それを確認すると、男は『どうぞ、おかけください』と結城に席に座るよう勧めた。
「あ、ありがとうございます」
 結城が席に着くと、男はさっと場を離れた。
「えっと……こんにちは」
 とりあえず挨拶してみるが、雛祈は鋭い眼をしたまま押し黙っているだけだった。
「小林様」
「うおっ!?」
 またもいきなり声をかけられて驚いた結城の傍に、ウェイター風の男が革製のメニューブックを持って立っていた。
「メニューでございます。お決まりになりましたらお申し付けを」
「は、はい」
 メニューブックを受け取ると、再び男は場を離れた。
 気配なく現れるので落ち着かないと思いながら、結城はメニューを開いた。
「好きなものを頼んでいい。お連れの方々の分も」
「えっ」
 ここで初めて口を開いた雛祈に結城が面食らっていると、
「ゆうきゆうき! えんじゅ、この『特製レモンパイ』がいい!」
「私は『特製チーズケーキ』と赤ワインを」
「IΨ7→(俺はピニャコラーダ)」
「グリルソーセージ、セット」
 いつの間にか結城の背後に現れた神霊たちが、メニューを覗き込んで口々に好みの品を注文する。
 姿を消して付いてきていた媛寿たちに気付いていたあたり、やはり雛祈も凄腕の霊能者なのだと、結城は心の中で驚嘆していた。

 注文した品々が届くと、媛寿たちは結城たちの後ろのボックス席で、軽食や飲み物に舌鼓を打っていた。
 結城の前にはアイスコーヒー、雛祈にはホットコーヒーが置かれ、改めて話が進められる運びとなった。
 といっても、当の結城には呼び出された要件に見当が付かないので、どう話を進めていいのか皆目分からない。なので雛祈がカップからコーヒーを一口飲むところを見ているしかできなかった。
 カップを置いた雛祈は、スーツの懐から白い封筒を一通取り出し、結城の前に差し出した。読め、ということらしい。
 黙っていても埒が明かないので、結城は封筒を開け、中に入っていた書類を見た。
 まず目に付いたのは、書類の頭にある『請求書』という文字だった。
(請求書? え? なんで?)
 そんな書類を渡される憶えはないので困惑した結城だったが、雛祈はいたって冷静に、再びコーヒーに口を付けている。
 疑問が晴れないまま請求書を読み進めていくと、件名に『雷切らいきり(レプリカ)』と書かれていた。
「あの~、これって?」
 『雷切』という物に何も思い当たる節がなかった結城は、とりあえず聞いてみる。
悪路王あくろおうを斬った時に壊した刀」
「あっ!」
 言われて結城は思い出した。アテナと融合して悪路王を一瞬九斬にした際、確かに刀を使っていた。その時は特に疑問を持たなかったが、思い返してみればシロガネが使っている同田貫どうたぬきではなかった。そして悪路王を斬った後、刀は粉々に砕け散っていた。
(あの刀、雛祈このひとのだったんだ。悪いことしちゃったな。えっと、請求額は……!?)
 合計金額を見た結城はびくりと体を震わせ、浮き上がった膝が当たってテーブルを揺らした。幸いテーブルに乗っていた物は何も倒れなかった。
「ゆうき、どしたの?」
 結城の異変を察知し、後ろのボックス席から媛寿が顔を出す。結城は書類を持ったままカチコチに固まっていた。
「せーきゅーしょ? いち、じゅう、ひゃく―――」
「七百五十万九千三百二十五円……何ですかこれは。ニホントウ一振りの値段としては高すぎるのでは?」
 結城の肩越しに請求書を見た媛寿とアテナは、請求書の金額に顔をしかめた。
「レプリカでも特別重要刀剣と同じ扱いになる。製造工程その他も含めれば、そのぐらいはかかる」
「して、これをユウキに支払わせる、と?」
「損壊させたのだから、そうなる」
 雛祈はあくまで淡々と語る。その様子から請求するというのは本気だった。
「……」
「そうですか……」
 媛寿とアテナはゆっくりと立ち上がった。その瞬間、石になっていた結城は強烈な殺気で我に返った。
「ちょっ! 媛寿! アテナ様!」
 結城には媛寿とアテナが何をしようとしているのかすぐに分かった。そしてマスクマンとシロガネにも。
 媛寿とアテナの暴発を、結城、マスクマン、シロガネが止めるために動こうとしたが、その前に雛祈が左手を出した。待て、という意味らしい。
「もう一つある」
 結城が媛寿とアテナを止めようとしたポーズのまま固まっていると、雛祈は懐から長方形の紙の束を出し、その一番上の紙面に万年筆で何かを書き連ねた。
 書き終わると、その一枚を千切り、結城に差し出してきた。一触即発の状況で大変危ういが、結城はおそるおそる受け取った。
「っ!?」
 雛祈から渡された紙を見た結城は、今度は別の意味で驚いた。日本銀行の小切手だった。
「? いち、じゅう、ひゃく―――」
「七百六十万九千三百二十五円……これはどういう計らいですか?」
 結城が持っている小切手を見た媛寿とアテナも、先程とは別でいぶかしんだ反応をした。
「螺久道村の事件解決による報酬」
「えっ? で、でも僕たちの依頼人は―――」
「鬼神・悪路王の討伐。それを全て祀凰寺家の功績とするなど、面子にかけてもない。これは正当な報酬だ」
 雛祈はそう言ってまた書類を出してきた。今度は請求書の金額が書かれた領収書だった。すでに宛名には雛祈のサインも済まされている。
 要は小切手を受け取れば、請求書の金額を支払うことができるというのだ。そのことを理解した媛寿とアテナはようやく殺気を収めた。
 結城も下手に意見できる状況でもなし。無論、請求書の金額を払えるような当てもない。おとなしく領収書の日付と発行者名を記入し、雛祈に渡した。
「食事の代金は払っておく。あとは自由にしてくれていい」
 領収書を受け取った雛祈はさっと立ち上がり、話は終わったというていで踵を返した。
「あ、ちょっと」
 クラブラウンジを出ようとしていた雛祈を、結城が呼び止めた。
「あ~、その、ありがとうございました、祀凰寺さん」
「……」
 頭を下げて礼を述べた結城を見届けると、雛祈は何も言わず、足早にクラブラウンジを後にした。
「ふっへ~」
 ソファに背を預けた結城は、大きく息を吐いて思い切り脱力した。
「YΦ6↓QK(大丈夫かよ、結城)」
「だ、大丈夫。ちょっとほっとしただけ」
 そう答える結城だったが、マスクマンの方を見る余力は残っていなかった。
「コレ、使う?」
「……ごめん、シロガネ。ここではソレ仕舞って」
 シロガネの方も見ることはなかったが、ウインウインと怪しい音を立てるモノが何なのか想像がついたので、結城は収めるように言う。気を遣ってくれているらしいのだが。
「シオウジヒナギはアクロオウを倒したあなたに褒賞を与えたかったのかもしれませんね」
 ワイングラスを傾けながら、アテナが結城のソファの横に立った。
「もしくは礼を述べたかったのか」
「お礼? 僕、あの人にお礼を言われるようなことしたんでしょうか? 何だかいつも睨まれてたり、怒鳴られてたりしてたような……」
「どちらにしろ、カタナの弁償は帳消しになり、依頼料の補填もできました。それで良いではありませんか」
 アテナは上機嫌でグラスの中のワインを飲み干した。アテナにそう言われると、結城もこれ以上深く考えなくてもいいような気がしてきた。
「そう、ですね。ふ~、にしても本当に疲れた~」
「ゆうき、だいじょうぶ? こーひーのむ?」
「あ、ありがと媛寿」
 脱力した結城の口元に、媛寿がアイスコーヒーのストローを近づけてくれたので、結城は冷たいコーヒーをストローで吸い上げた。
 小さい子どもに飲み物を飲ませてもらっているという構図は、普段の結城なら恥ずかしすぎるところだが、この時ばかりはそれを考えていられる余裕はなかった。
 ただ、喉を潤すコーヒーの味が、今の結城とって一番の救いになった。

 クラブラウンジを後にした雛祈は、その足でホテルのロイヤルスイートに向かった。
 鳳凰の羽をモチーフにして装飾されたドアにカードキーをかざし、雛祈はロイヤルスイートに入った。
「お嬢、戻った……大丈夫か、お嬢」
「ご、ご苦労様、桜一郎おういちろう……だ、大丈夫……よ」
 黒スーツの雛祈に、ソファでぐったりした雛祈が力なく手を振って応える。ソファの前にはテーブルが置かれ、その上にはノートパソコンが開かれていた。ディスプレイにはソファでぐったりした雛祈がリアルタイムで映し出されている。
「も、もう変身は解いていいわ」
「ああ、忘れていた」
 黒スーツの雛祈が目を閉じると、その姿が霧がかかったように霞み、輪郭が大きく変化していく。すると雛祈だった者はスーツを着た長身の青年、桜一郎になっていた。
 原木本ばらきもとの一族の中で、桜一郎は祖先の妖力を受け継いでおり、別人に姿を変える変身能力を使うことができた。あくまで別人に見せかけるだけで、戦闘に活かせる能力ではないが、危険な交渉や囮役が要りようの際にはうってつけの能力だった。
「実際に相対した自分より、なぜお嬢の方が参っている?」
「い、今までで一番プレッシャーを感じる交渉だったわ。こんなに心臓に悪い思いをしたのは初めてよ」
「ならば回りくどいことをせずに、祀凰寺家からの報奨だと素直に言えば良いものを。あの座敷童子ざしきわらしと女神は、本気で祀凰寺家を叩き潰すつもりでいたぞ」
「私もあの場面は本当に恐かったわ」
 桜一郎が胸ポケットに差していたボールペン型のカメラ兼マイクを通じて、雛祈はロイヤルスイートから遠隔で結城たちと応対していた。雛祈に変身した桜一郎がイヤホン型の無線で連絡を受け取り、結城たちに必要事項を伝えていたのだ。
「前もって粗筋を聞いていなければ、自分とてあの場から逃げ出したかったところだ」
「けどこれで、結城あいつに借りを作らせてやったわ」
「お嬢、悪路王討伐であの者のことは認めたのではなかったのか? 祀凰寺家の面子もあるだろうが……」
「アテナ様との勝負は、素直に負けを認めるわ。でもせめて一矢報いておかないと……祀凰寺雛祈わたしのプライドが許さないから」
(そのためにこんな危ない真似をするとは、お嬢も相当な……)
 握り拳を天に向かって掲げる雛祈を見ながら、桜一郎は感心とも呆れともつかない気持ちになっていた。
「お、桜一郎さん……」
 雛祈のソファの後ろから千冬ちふゆが現れ、ふらふらとおぼつかない足取りで桜一郎に近付いてきた。なぜか内股気味になっている。
「千冬?」
「さ、さっきの座敷童子と女神様が……本気で怒った場面を想像したら……すっごいゾクゾクきちゃって……」
「ま、まさか……」
 千冬は熱い息も絶え絶えに、頬を紅潮させながら言った。
「い、今からシましょう」
「ま、待て千冬。この前千夏ちなつと一緒にさんざん―――」
「桜一郎、千冬。するなら隣に行って。部屋を取ってあるから」
 雛祈はテーブルの端に置いてあったカードキーを気だるそうに投げてよこした。
「お、お嬢!?」
「お嬢様のお許しも出ましたし、ね♪」
 千冬の両手が、桜一郎の腕を骨が軋むほどに締め上げる。常人ならとうに骨折しているほどの力で。
「お嬢様、ありがとうございま~す♪」
「お、お嬢ー!」
 千冬の怪力に引きずられながら、桜一郎はロイヤルスイートから退出していった。
 残った雛祈はぼんやりと宙を見上げていたが、やがて目と口元を引き締め、決意を込めて言い放った。
「次は私のことを認めさせてやるわ、小林結城! 必ず! 見てなさいよ!」

「うおうっ!?」
 ホテルのロビーから外に出た結城は、なぜか異様な寒気を感じて身震いした。
「ゆうき、どかした?」
「ああ、いや。何だか悪寒が……」
「ユウキ、傷は完治していても、まだ病み上がりです。無理は禁物ですよ」
「は、はい」
「NΞ1→MO。QΣ4↓VW(にしても、いろいろあって十万か。あんなバケモノ倒した報酬がこれとは、今の世の中ってのは世知辛いぜ)」
「仕方ないよ。それに祀凰寺さんは依頼人じゃないのにこれをくれたんだから、感謝しなくちゃ」
「十万、どうする? 食材、買う?」
「そうだな~……」
 結城は駅に向かう道すがら、臨時収入である十万円の使い道を考えた。
 別段急いで買い揃える物も思い当たらないので、新鮮な食材を買った方がいいのかもしれない。
「あっ」
 結城は駅前スーパーの店頭特売セール品に足を止めた。『レッドなきつね』と『グリーンなたぬき』が一個七十八円という触れ込みで、うず高く積まれている。
 別にそれを買い込もうと思ったわけではない。
「キュウ様にお礼をしないと」
 『レッドなきつね』を見て、結城はキュウのことを思い出した。
 本来なら、結城はマスクマンとシロガネに力を借りた代償で、まだ入院しているはずだった。それが驚くほどの短期間で退院できたのは、やはりキュウの回復薬のおかげだった。
 多少問題のある品だったが、結城はキュウに感謝していた。依頼料を取り逃し、オオクワガタも高く売れなかったので次の機会に回すつもりでいたが、十万円の入ったならいなり寿司を買うくらいわけない。
「今夜はいなり寿司を持ってキュウ様のところに行こう。あと千夏さんにもお酒を」
「ゆうき、おすし! おすし!」
 寿司と聞いて媛寿は色めきたった。
「泊まりはいけませんよ、ユウキ。あの者たちはあなたに何をしでかすか分かりません」
「そ、それはまぁ、はい」
 アテナに指摘され、結城は少し身構えてしまった。
「YΩ2↑TI(お前もお人よしだな、結城。十万の使い道がそれとは)」
「はは、あんまり他に思い浮かばなくて」
 言葉では呆れているが、マスクマンも愉快そうだった。
「キュウ様、オモチャ詳しい。トレンド、聞きたい」
「ほ、ほどほどにね、シロガネ」
 どうやらシロガネは、千夏からキュウが『ソッチのオモチャ』をコレクションしていることを聞いたらしい。
 結城は近場でいなり寿司と日本酒を買えるところを探し、それを持って金毛稲荷神宮に向かうことにした。
 螺久道村での出来事は、結城のとって厳しいものが多かった。谷崎町に戻ってからも、心につかえているものがあった。
 だが、ともにいてくれる神霊たちと、何気ないことを話したりしていると、結城は心の重荷が不思議と取り払われていくような気がしていた。
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