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化生の群編
朱月の真実(その1)
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「…………え……なん……で……どうし……て」
九木から伝えられた言葉を、結城はしばらく理解できなかったが、その意味するところが徐々に脳に染み渡ったところでようやく声が出せた。
「三日前だよ。朱月灯恵は息を引き取った」
「なん……で……助けた……はず」
「断っとくけど小林くん、あれはもうどうしようもなかったんだ。順を追って説明するから、とりあえず姿勢を楽にしなよ」
結城は半ば放心状態のまま、再びベッドに背を預けた。
「君が病院に担ぎ込まれた翌日なんだけど……」
九木は結城の意識がなかった六日間に、いったい何があったのかを話し始めた。
結城たちが悪路王との対決し、螺久道村が完全焼失して一夜が明けた日の正午、佐権院蓮吏が涼水市の病院に到着した。
シトローネと雪花は螺久道村を脱出したその足で、涼水市総合病院に直行した。いざ怪我人が出た時のために、稔丸が受け入れ先を用意していたのだ。それが功を奏し、早急に結城を入院させることが適ったということだった。
そしてもう一人、そこに運び込まれた者がいた。佐権院は結城の見舞いもそこそこに、そのもう一人の元へ向かった。
特別病室で佐権院の部下たちに監視され、ベッドに横たわっているのは、螺久道村において伝説の鬼神を復活させ、大規模な無理心中を図ろうとした、朱月灯恵だった。
佐権院は部下を下がらせると、灯恵のベッドの前に立った。
「はじめまして。私は佐権院蓮吏。警察の者だ」
自己紹介した佐権院に、天井を見つめていた灯恵はつまらなそうに目を向けた。
「警察の人? 私を逮捕しに来たの?」
「君の罪状は殺人教唆と、小林結城くんへの殺人未遂、というものになるだろうが、残念ながらそれを立証できるものは螺久道村とともに全て灰になってしまった。それに、君の状態を鑑みても、逮捕・起訴したところで仕方のないことだ」
「……」
「自覚しているようなので包み隠さず明かすとしよう。朱月灯恵、君の体は保って二、三日だ。悪路王に君の怨念を分け与えた際、噛み傷から体内に高濃度の瘴気が侵入した。すでに血管から細胞に達し、内臓と神経を蝕んでいっている。こうなってはもう手遅れだ」
「そう……案外遅く死んじゃうのね」
「警察組織に身を置く者としては、余命幾ばくもない君に罪を問うても仕方がないのでね。逮捕は見送らせてもらった。だが、事情聴取はさせてもらうよ」
「もう死んじゃう犯人に事情を聞いても、それこそ仕方ないと思うけど?」
死を悟ったせいなのか、灯恵の表情は穏やかであり、そして力がない。そんな灯恵に対し、佐権院はあくまで普段通りに、毅然とした態度で答えた。
「半分は警察官として、もう半分はこの国の鎮守と調停を担う一族の一つとして、今回の一件の全容を知る必要がある。黙秘は権利として認めよう。しかし、その時は精神に介入できる能力者の伝手を頼ることになる。できればそんな真似はしたくないがね」
佐権院と灯恵は数秒間視線を交わしていたが、観念したのか、灯恵は溜め息を一つ吐いた。
「分かったわ。黙っていても話しても同じ気がするから」
「ありがとう。ではまず最初に聞きたいことだが―――」
佐権院は一度言葉を切り、目を細めてから第一の質問に入った。
「君にそっくりな人物を保護した。あれは誰なんだ?」
「……あの娘、捕まっちゃたんだ」
「昨日の午後四時二十分、県境の山中でね。幸いこちらには探し物が得意な部下がいたので、居場所を特定するのは難しくなかった」
九木が鈴鹿姫とともに螺久道村に入る前、佐権院は結城から聞いていた『朱月灯恵にそっくりな人物』の捜索も指令として受けていた。入手できる限りの情報から、周辺地図の上をダウジングし、佐権院にピンポイントで居場所を知らせた。
あとは佐権院が表の警察力を行使すれば、保護することは容易だった。
「だが戸籍を洗っても彼女の素性は不明だった。出生記録すらない。今は完全黙秘していて話も聞けない。いったい何者なんだ?」
「やっぱり巻き込まずに早く逃がせばよかった……」
灯恵は何かを思い出すように、天井に遠い目を向けていた。ほんの数秒だけ沈黙した後、佐権院の方を見ずに答えた。
「あの娘は私の双子の妹、燈架」
「双子の、妹? 記録上は君しか届出が出されていない。なぜ隠していたんだ?」
「村では双子が生まれた場合、生け贄にしないで、片方を鬼神様のお世話役として差し出すっていう決まりがあった。滅多なことで双子は生まれなかったけど。燈架がお世話役に選ばれて、私が普通に生活するようになったの」
「ではずっと例の結界の中に閉じ込められていた、と?」
佐権院の問いに、灯恵は軽く首を横に振った。
「七歳までは一緒だった。私は学校に行ったりしてたけど、燈架は基本的なことを教わって、あとは社殿でのお世話の仕方とかを習ってた。でも燈架が結界の中に入ってからも、実は時々私と入れ替わってた。私が結界の中にいる間、燈架が学校に行ったり、街に出かけたりしてた。双子だから誰も気付かなかったな」
天井を向いたまま話し続ける灯恵の表情は、楽しかった日々に思いを馳せているのか、どこか微笑んでいるように見えた。
「あっ、でも成磨には途中で気付かれちゃったんだよね」
「朱月成磨、旧姓は蒼守成磨。君の配偶者、いや協力者か」
「私たち三人は幼馴染だった。よく一緒に遊んでたし、バレてからも三人でお社に集まったりしてた」
心なしか口元がほころんでいるのは、それが灯恵にとって本当に良い思い出であることを物語っていた。
その様子を見ていると、この先の辛い心情を聞き出すのは、佐権院も心苦しいものがあった。警察官として、幾度も他者の心の内を吐き出させてきたが、無感情に聞いていられたことは一度もない。
「その夫と妹を、君は今回の復讐劇に巻き込んだというのかね?」
抵抗はあっても、事実を糺さないわけにはいかない。佐権院は灯恵の核心を突くための言葉を口にした。
「成磨は……そうね。私と同じくらい、成磨も子どもを生け贄にしたのが許せなかった。その気持ちが解ったから、一緒に螺久道村を滅ぼそうって決めたわ」
そう語る灯恵の表情からは、先程のような柔らかさは消えていた。その眼には静かで、確かな闇が宿っていることを佐権院は感じ取った。
「成磨は仕方がなかった。でも、私は燈架まで巻き込みたくなかった。だから、あの娘には村を出るように言ったの。あの娘だけは、どうしても殺せないって思ったから。だけど、燈架は最後まで残るって聞かなかった。私の子どもが無意味な生け贄になったと知って、燈架も許せなかった。一緒に復讐を果たすって譲らなかった」
「だが悪路王復活の際、彼女は村にいなかった。どうやって説得したんだね?」
その質問を聞いて、灯恵の目は一層冷たさを増し、同時に哀しみにも似た色を宿した。
「…………胤」
「なに?」
「成磨の子胤をあげることを条件に、燈架には復讐から身を引いてもらった」
九木から伝えられる数々の事実に、結城は全身の痛みも忘れるほどに戦慄していた。
結城もこれまで、人の心に潜むものを幾度も見てきたつもりだった。
だが、いま聞かされている朱月灯恵にあった背景は、これまでにないほど衝撃的な内容ばかりだった。
「姉が全部話したって言ったら、妹の方もようやく口を開いてくれたよ」
朱月燈架については、九木が事情聴取を行った。
「お姉ちゃんの復讐を、私も手伝うはずだった。私も、生け贄が村にとって正しいことだって信じてた私が許せなかった。村も何もかも壊れて無くなっちゃえって思った。でもお姉ちゃんは私に村を出て生きるようにって、そう言った」
涼水市の警察署に保護されていた朱月燈架は、署内の取調室の一つに通され、姉との遣り取りを話し始めた。独白のようにぽつぽつと語られる言葉は、灯恵と同等かそれ以上に、復讐の顛末に衝撃を受けている様子だった。
「私はどうしても最後まで一緒にいるって言ったけど、お姉ちゃんからの一言であっさり心が変わっちゃった。成磨の子胤をくれるって言われて、すんなりと。私はなんて卑しい人間なんだろうって、自分でも驚いた。成磨のこと好きだったって、とっくに見透かされてたんだ」
「燈架はいないはずの人間だから、私が成磨と結婚することになったけど、燈架も成磨のこと好きだったのは気づいてた。たぶん、後ろめたい気持ちがあったんだと思う。だから、村を出るように言っても聞き入れなかった燈架に、とっさにあんなこと言っちゃったんだ」
話を続ける灯恵の口調には、妹に対する申し訳なさが色濃く滲んでいた。血を分けた双子の妹に対する常軌を逸した交換条件は、多くの自由を手にすることができた姉からの、せめてもの贖罪が含まれていたのかもしれない。
「自分で言い出したことだから、充分解ってたはずだった。でも、いざ事が始まると、自分でも思ってもみなかった気持ちが込み上げてきた。私とそっくりな人間が、私の一番好きな人とまぐわって、快楽に喘いで顔を蕩けさせている。どんなにそっくりでも、自分とは違う他人なんだって嫌でも分かる。それを目の前で見せ付けられてたら、頭の隅で声がしたの。『殺してしまいたい』って」
佐権院には灯恵の心情も、灯恵が見た情景も、明確に想像できるものではなかった。ただ、その時の感情を吐露する灯恵の眼に、恐ろしい光が宿っているのは感じていた。底なしの沼を見つめている時の、暗く深い闇が。
「雛祈だけじゃなくて小林さんも村を調べまわっていた。『それらしい』雰囲気とかはなかったけど、もし都合の悪いことに気付かれたら面倒だから、ちょっと脅して帰ってもらうつもりだった」
「それで矢を射って襲撃したのか」
「逆効果になっちゃったけど。社の中まで入られて、始末しなくちゃいけないかもって、本当に焦ったわ。『なりそこない』たちを宥めるのも苦労した。燈架には囮になって引きつける役をお願いしたけど、弓を引く直前、本当に矢を当てようって考えが浮かんだ」
細められた灯恵の目の奥には、憤怒や憎悪といった激情を超え、氷のように冷たい殺意が顕れていた。
「矢を外すつもりでいたのに、気が付いたら燈架の頭を射抜こうと弦を離していた。小林さんには本当に感謝しないと。燈架のことを庇ってくれなかったら、今ごろ私は妹を手にかけた姉になってたはずだから」
「小林くん、二度目に会った朱月灯恵が偽者だって言ってたみたいだけど、なんで分かったんだい? オレから見てもそっくりで、見分けがつかない姉妹だったよ」
「……」
九木にそう聞かれた結城は、少しの間、黙って天井を見上げていたが、やがて、
「なんと……なく」
と答えた。
「へ? なんとなくって、そんだけ?」
「最初は……結んだ髪の位置が違うなって……それだけでしたけど……なんとなく……雰囲気が違うな……って」
「それはおそらくアカツキトモエが経産婦だったからでしょう」
要領を得ない答え方をする結城を補う形で、アテナが言葉を付け加えた。
「経産……婦?」
「出産を経験した女性は、そうではない女性とは身体的特徴に差異が出ます。聞いた限りではアカツキトウカには出産の経験がない。どれだけ瓜二つの姉妹でも、そこには違いが生まれます」
「そうか、それで小林くんは朱月燈架に違和感を持ったってことか。けっこう観察眼あったんだな」
「……」
経産婦という単語には結城も納得していたが、結城自身、九木の言う観察眼によって灯恵と燈架を見分けたかと言えば、そうではない。
以前、少しお酒が入ったアテナが話していたことがあった。純潔を守ることを誓った処女神のアテナには、実は息子がいることを。
アテナが望んで得た子ではなかったが、その出生には間違いなくアテナも要因として関わっており、紆余曲折あってアテナが引き取り、育てることを決めた。
脚が不自由ではあったものの、その子は父神譲りの鍛冶の技術、アテナから受けた知の恩恵を以って、戦車の発明、さらにはアテナイ王の座にも就いた。
天へと上った今でも、技術と知識の両面を活かして、オリュンポスとギリシャのために尽力している。
偶発的に授かった息子であったが、アテナは赤子の頃から現在に至るまで、その子をずっと愛し続け、誇りに思っていると言っていた。
その時に見せたアテナの、『母親としての一面』と、朱月灯恵が持っていた雰囲気が、無意識に重なっていたのだと結城は考えていた。
「灯恵お姉ちゃんが私のことを殺そうとしてきたのは分かってた。私が成磨とまぐわっている時、お姉ちゃんはずっと傍で見ていた。平気な顔をしてたけど、目は私のことを『許さない』って言ってた。当然だよね。私がお姉ちゃんの立場でも、同じこと思うから。私たちはお互いの何もかもを解ってた。だからお互いの何もかもを許すことができた」
燈架の脳裏には、村を去る前日の夜の光景が浮かんでいた。蝋燭の仄かな明かりに照らされた社の中。互いに向かい合い、全ての想いを確かめ合った。そして全てを許し合い、抱きしめ合った。
それが朱月燈架と朱月灯恵の、今生の別れとなった。
「私が村を出た日の夜、お姉ちゃんと成磨は鬼神様を甦らせて、それで村も、成磨も、灯恵お姉ちゃんも、全部消えるはずだった。私だけを残して。でも、いいんだ」
九木からすれば、心情を吐露し続ける燈架の目は、あまりにも虚ろに見えていた。机を挟んで向かいに座る九木でさえ、あるいは眼中にないのではないかと、九木自身も悪寒を覚えるほどだった。
虚ろな目をしたままの燈架は、夢に浮かされたように両手を持ち上げると、下腹部を愛おしそうに撫で擦り始めた。
「帰る場所も、好きだった人も、お姉ちゃんも、全部失くしても、『この子』さえいてくれればいいの。だって、私は『この子』と引き換えに全部捨てることを選んじゃったから。だから、いいんだ。『この子』さえいてくれれば、もう……」
九木はいよいよ本格的に寒気を感じていた。螺久道村で行われてきたことを聞いた際に感じたおぞましさ。それと同じものを、朱月燈架もまた宿しているのだと、本能的な部分が激しく告げてくる。
(この娘の心にも、化生が棲んでいるのかもな)
それからの燈架は悲しげに微笑み続けるばかりで、これ以上まともな話は聞けそうにないと判断した九木により、事情聴取は終了した。
「……アカツキトウカは身篭っていたのですか?」
アテナの問いに、九木は答えづらそうにしていたが、やがてゆっくりと首を横に振った。
「……そうですか」
「自分の心の闇にあてられて、いまはちょっと現実と幻想の境が曖昧になってる、ってとこじゃないですかね。今後は然るべき場所で療養してもらう予定ですよ」
「……」
結城は何も言葉を発しなかった。元より声を出しづらい状態ではあったが、話の内容が結城にとっては衝撃的すぎて、何も言葉が出てこなかった。
ただ、結城は密かに、朱月燈架が立ち直ってくれることを願っていた。灯恵と違って一度会ったきりであり、ほとんど言葉も交わしていないまま別れたので、燈架の人となりを結城は知らない。
しかし、灯恵の子どもが無意味な生け贄にされ、その怒りに同調して復讐に参加しようとしたあたり、燈架もまた姉である灯恵と、灯恵の子どもを大事に想っていたのだろうとということは分かる。
灯恵が子胤という条件を出し、その条件を燈架が飲んだ。二人がどんな気持ちでいたのか、それは結城の理解の範疇を超えていた。だが、少なくとも朱月姉妹は、決して悪人と呼べる類の人間ではなかった。
ならば、いつか救われて、幸せに暮らしてほしいと、結城は願わずにはいられなかった。
九木から伝えられた言葉を、結城はしばらく理解できなかったが、その意味するところが徐々に脳に染み渡ったところでようやく声が出せた。
「三日前だよ。朱月灯恵は息を引き取った」
「なん……で……助けた……はず」
「断っとくけど小林くん、あれはもうどうしようもなかったんだ。順を追って説明するから、とりあえず姿勢を楽にしなよ」
結城は半ば放心状態のまま、再びベッドに背を預けた。
「君が病院に担ぎ込まれた翌日なんだけど……」
九木は結城の意識がなかった六日間に、いったい何があったのかを話し始めた。
結城たちが悪路王との対決し、螺久道村が完全焼失して一夜が明けた日の正午、佐権院蓮吏が涼水市の病院に到着した。
シトローネと雪花は螺久道村を脱出したその足で、涼水市総合病院に直行した。いざ怪我人が出た時のために、稔丸が受け入れ先を用意していたのだ。それが功を奏し、早急に結城を入院させることが適ったということだった。
そしてもう一人、そこに運び込まれた者がいた。佐権院は結城の見舞いもそこそこに、そのもう一人の元へ向かった。
特別病室で佐権院の部下たちに監視され、ベッドに横たわっているのは、螺久道村において伝説の鬼神を復活させ、大規模な無理心中を図ろうとした、朱月灯恵だった。
佐権院は部下を下がらせると、灯恵のベッドの前に立った。
「はじめまして。私は佐権院蓮吏。警察の者だ」
自己紹介した佐権院に、天井を見つめていた灯恵はつまらなそうに目を向けた。
「警察の人? 私を逮捕しに来たの?」
「君の罪状は殺人教唆と、小林結城くんへの殺人未遂、というものになるだろうが、残念ながらそれを立証できるものは螺久道村とともに全て灰になってしまった。それに、君の状態を鑑みても、逮捕・起訴したところで仕方のないことだ」
「……」
「自覚しているようなので包み隠さず明かすとしよう。朱月灯恵、君の体は保って二、三日だ。悪路王に君の怨念を分け与えた際、噛み傷から体内に高濃度の瘴気が侵入した。すでに血管から細胞に達し、内臓と神経を蝕んでいっている。こうなってはもう手遅れだ」
「そう……案外遅く死んじゃうのね」
「警察組織に身を置く者としては、余命幾ばくもない君に罪を問うても仕方がないのでね。逮捕は見送らせてもらった。だが、事情聴取はさせてもらうよ」
「もう死んじゃう犯人に事情を聞いても、それこそ仕方ないと思うけど?」
死を悟ったせいなのか、灯恵の表情は穏やかであり、そして力がない。そんな灯恵に対し、佐権院はあくまで普段通りに、毅然とした態度で答えた。
「半分は警察官として、もう半分はこの国の鎮守と調停を担う一族の一つとして、今回の一件の全容を知る必要がある。黙秘は権利として認めよう。しかし、その時は精神に介入できる能力者の伝手を頼ることになる。できればそんな真似はしたくないがね」
佐権院と灯恵は数秒間視線を交わしていたが、観念したのか、灯恵は溜め息を一つ吐いた。
「分かったわ。黙っていても話しても同じ気がするから」
「ありがとう。ではまず最初に聞きたいことだが―――」
佐権院は一度言葉を切り、目を細めてから第一の質問に入った。
「君にそっくりな人物を保護した。あれは誰なんだ?」
「……あの娘、捕まっちゃたんだ」
「昨日の午後四時二十分、県境の山中でね。幸いこちらには探し物が得意な部下がいたので、居場所を特定するのは難しくなかった」
九木が鈴鹿姫とともに螺久道村に入る前、佐権院は結城から聞いていた『朱月灯恵にそっくりな人物』の捜索も指令として受けていた。入手できる限りの情報から、周辺地図の上をダウジングし、佐権院にピンポイントで居場所を知らせた。
あとは佐権院が表の警察力を行使すれば、保護することは容易だった。
「だが戸籍を洗っても彼女の素性は不明だった。出生記録すらない。今は完全黙秘していて話も聞けない。いったい何者なんだ?」
「やっぱり巻き込まずに早く逃がせばよかった……」
灯恵は何かを思い出すように、天井に遠い目を向けていた。ほんの数秒だけ沈黙した後、佐権院の方を見ずに答えた。
「あの娘は私の双子の妹、燈架」
「双子の、妹? 記録上は君しか届出が出されていない。なぜ隠していたんだ?」
「村では双子が生まれた場合、生け贄にしないで、片方を鬼神様のお世話役として差し出すっていう決まりがあった。滅多なことで双子は生まれなかったけど。燈架がお世話役に選ばれて、私が普通に生活するようになったの」
「ではずっと例の結界の中に閉じ込められていた、と?」
佐権院の問いに、灯恵は軽く首を横に振った。
「七歳までは一緒だった。私は学校に行ったりしてたけど、燈架は基本的なことを教わって、あとは社殿でのお世話の仕方とかを習ってた。でも燈架が結界の中に入ってからも、実は時々私と入れ替わってた。私が結界の中にいる間、燈架が学校に行ったり、街に出かけたりしてた。双子だから誰も気付かなかったな」
天井を向いたまま話し続ける灯恵の表情は、楽しかった日々に思いを馳せているのか、どこか微笑んでいるように見えた。
「あっ、でも成磨には途中で気付かれちゃったんだよね」
「朱月成磨、旧姓は蒼守成磨。君の配偶者、いや協力者か」
「私たち三人は幼馴染だった。よく一緒に遊んでたし、バレてからも三人でお社に集まったりしてた」
心なしか口元がほころんでいるのは、それが灯恵にとって本当に良い思い出であることを物語っていた。
その様子を見ていると、この先の辛い心情を聞き出すのは、佐権院も心苦しいものがあった。警察官として、幾度も他者の心の内を吐き出させてきたが、無感情に聞いていられたことは一度もない。
「その夫と妹を、君は今回の復讐劇に巻き込んだというのかね?」
抵抗はあっても、事実を糺さないわけにはいかない。佐権院は灯恵の核心を突くための言葉を口にした。
「成磨は……そうね。私と同じくらい、成磨も子どもを生け贄にしたのが許せなかった。その気持ちが解ったから、一緒に螺久道村を滅ぼそうって決めたわ」
そう語る灯恵の表情からは、先程のような柔らかさは消えていた。その眼には静かで、確かな闇が宿っていることを佐権院は感じ取った。
「成磨は仕方がなかった。でも、私は燈架まで巻き込みたくなかった。だから、あの娘には村を出るように言ったの。あの娘だけは、どうしても殺せないって思ったから。だけど、燈架は最後まで残るって聞かなかった。私の子どもが無意味な生け贄になったと知って、燈架も許せなかった。一緒に復讐を果たすって譲らなかった」
「だが悪路王復活の際、彼女は村にいなかった。どうやって説得したんだね?」
その質問を聞いて、灯恵の目は一層冷たさを増し、同時に哀しみにも似た色を宿した。
「…………胤」
「なに?」
「成磨の子胤をあげることを条件に、燈架には復讐から身を引いてもらった」
九木から伝えられる数々の事実に、結城は全身の痛みも忘れるほどに戦慄していた。
結城もこれまで、人の心に潜むものを幾度も見てきたつもりだった。
だが、いま聞かされている朱月灯恵にあった背景は、これまでにないほど衝撃的な内容ばかりだった。
「姉が全部話したって言ったら、妹の方もようやく口を開いてくれたよ」
朱月燈架については、九木が事情聴取を行った。
「お姉ちゃんの復讐を、私も手伝うはずだった。私も、生け贄が村にとって正しいことだって信じてた私が許せなかった。村も何もかも壊れて無くなっちゃえって思った。でもお姉ちゃんは私に村を出て生きるようにって、そう言った」
涼水市の警察署に保護されていた朱月燈架は、署内の取調室の一つに通され、姉との遣り取りを話し始めた。独白のようにぽつぽつと語られる言葉は、灯恵と同等かそれ以上に、復讐の顛末に衝撃を受けている様子だった。
「私はどうしても最後まで一緒にいるって言ったけど、お姉ちゃんからの一言であっさり心が変わっちゃった。成磨の子胤をくれるって言われて、すんなりと。私はなんて卑しい人間なんだろうって、自分でも驚いた。成磨のこと好きだったって、とっくに見透かされてたんだ」
「燈架はいないはずの人間だから、私が成磨と結婚することになったけど、燈架も成磨のこと好きだったのは気づいてた。たぶん、後ろめたい気持ちがあったんだと思う。だから、村を出るように言っても聞き入れなかった燈架に、とっさにあんなこと言っちゃったんだ」
話を続ける灯恵の口調には、妹に対する申し訳なさが色濃く滲んでいた。血を分けた双子の妹に対する常軌を逸した交換条件は、多くの自由を手にすることができた姉からの、せめてもの贖罪が含まれていたのかもしれない。
「自分で言い出したことだから、充分解ってたはずだった。でも、いざ事が始まると、自分でも思ってもみなかった気持ちが込み上げてきた。私とそっくりな人間が、私の一番好きな人とまぐわって、快楽に喘いで顔を蕩けさせている。どんなにそっくりでも、自分とは違う他人なんだって嫌でも分かる。それを目の前で見せ付けられてたら、頭の隅で声がしたの。『殺してしまいたい』って」
佐権院には灯恵の心情も、灯恵が見た情景も、明確に想像できるものではなかった。ただ、その時の感情を吐露する灯恵の眼に、恐ろしい光が宿っているのは感じていた。底なしの沼を見つめている時の、暗く深い闇が。
「雛祈だけじゃなくて小林さんも村を調べまわっていた。『それらしい』雰囲気とかはなかったけど、もし都合の悪いことに気付かれたら面倒だから、ちょっと脅して帰ってもらうつもりだった」
「それで矢を射って襲撃したのか」
「逆効果になっちゃったけど。社の中まで入られて、始末しなくちゃいけないかもって、本当に焦ったわ。『なりそこない』たちを宥めるのも苦労した。燈架には囮になって引きつける役をお願いしたけど、弓を引く直前、本当に矢を当てようって考えが浮かんだ」
細められた灯恵の目の奥には、憤怒や憎悪といった激情を超え、氷のように冷たい殺意が顕れていた。
「矢を外すつもりでいたのに、気が付いたら燈架の頭を射抜こうと弦を離していた。小林さんには本当に感謝しないと。燈架のことを庇ってくれなかったら、今ごろ私は妹を手にかけた姉になってたはずだから」
「小林くん、二度目に会った朱月灯恵が偽者だって言ってたみたいだけど、なんで分かったんだい? オレから見てもそっくりで、見分けがつかない姉妹だったよ」
「……」
九木にそう聞かれた結城は、少しの間、黙って天井を見上げていたが、やがて、
「なんと……なく」
と答えた。
「へ? なんとなくって、そんだけ?」
「最初は……結んだ髪の位置が違うなって……それだけでしたけど……なんとなく……雰囲気が違うな……って」
「それはおそらくアカツキトモエが経産婦だったからでしょう」
要領を得ない答え方をする結城を補う形で、アテナが言葉を付け加えた。
「経産……婦?」
「出産を経験した女性は、そうではない女性とは身体的特徴に差異が出ます。聞いた限りではアカツキトウカには出産の経験がない。どれだけ瓜二つの姉妹でも、そこには違いが生まれます」
「そうか、それで小林くんは朱月燈架に違和感を持ったってことか。けっこう観察眼あったんだな」
「……」
経産婦という単語には結城も納得していたが、結城自身、九木の言う観察眼によって灯恵と燈架を見分けたかと言えば、そうではない。
以前、少しお酒が入ったアテナが話していたことがあった。純潔を守ることを誓った処女神のアテナには、実は息子がいることを。
アテナが望んで得た子ではなかったが、その出生には間違いなくアテナも要因として関わっており、紆余曲折あってアテナが引き取り、育てることを決めた。
脚が不自由ではあったものの、その子は父神譲りの鍛冶の技術、アテナから受けた知の恩恵を以って、戦車の発明、さらにはアテナイ王の座にも就いた。
天へと上った今でも、技術と知識の両面を活かして、オリュンポスとギリシャのために尽力している。
偶発的に授かった息子であったが、アテナは赤子の頃から現在に至るまで、その子をずっと愛し続け、誇りに思っていると言っていた。
その時に見せたアテナの、『母親としての一面』と、朱月灯恵が持っていた雰囲気が、無意識に重なっていたのだと結城は考えていた。
「灯恵お姉ちゃんが私のことを殺そうとしてきたのは分かってた。私が成磨とまぐわっている時、お姉ちゃんはずっと傍で見ていた。平気な顔をしてたけど、目は私のことを『許さない』って言ってた。当然だよね。私がお姉ちゃんの立場でも、同じこと思うから。私たちはお互いの何もかもを解ってた。だからお互いの何もかもを許すことができた」
燈架の脳裏には、村を去る前日の夜の光景が浮かんでいた。蝋燭の仄かな明かりに照らされた社の中。互いに向かい合い、全ての想いを確かめ合った。そして全てを許し合い、抱きしめ合った。
それが朱月燈架と朱月灯恵の、今生の別れとなった。
「私が村を出た日の夜、お姉ちゃんと成磨は鬼神様を甦らせて、それで村も、成磨も、灯恵お姉ちゃんも、全部消えるはずだった。私だけを残して。でも、いいんだ」
九木からすれば、心情を吐露し続ける燈架の目は、あまりにも虚ろに見えていた。机を挟んで向かいに座る九木でさえ、あるいは眼中にないのではないかと、九木自身も悪寒を覚えるほどだった。
虚ろな目をしたままの燈架は、夢に浮かされたように両手を持ち上げると、下腹部を愛おしそうに撫で擦り始めた。
「帰る場所も、好きだった人も、お姉ちゃんも、全部失くしても、『この子』さえいてくれればいいの。だって、私は『この子』と引き換えに全部捨てることを選んじゃったから。だから、いいんだ。『この子』さえいてくれれば、もう……」
九木はいよいよ本格的に寒気を感じていた。螺久道村で行われてきたことを聞いた際に感じたおぞましさ。それと同じものを、朱月燈架もまた宿しているのだと、本能的な部分が激しく告げてくる。
(この娘の心にも、化生が棲んでいるのかもな)
それからの燈架は悲しげに微笑み続けるばかりで、これ以上まともな話は聞けそうにないと判断した九木により、事情聴取は終了した。
「……アカツキトウカは身篭っていたのですか?」
アテナの問いに、九木は答えづらそうにしていたが、やがてゆっくりと首を横に振った。
「……そうですか」
「自分の心の闇にあてられて、いまはちょっと現実と幻想の境が曖昧になってる、ってとこじゃないですかね。今後は然るべき場所で療養してもらう予定ですよ」
「……」
結城は何も言葉を発しなかった。元より声を出しづらい状態ではあったが、話の内容が結城にとっては衝撃的すぎて、何も言葉が出てこなかった。
ただ、結城は密かに、朱月燈架が立ち直ってくれることを願っていた。灯恵と違って一度会ったきりであり、ほとんど言葉も交わしていないまま別れたので、燈架の人となりを結城は知らない。
しかし、灯恵の子どもが無意味な生け贄にされ、その怒りに同調して復讐に参加しようとしたあたり、燈架もまた姉である灯恵と、灯恵の子どもを大事に想っていたのだろうとということは分かる。
灯恵が子胤という条件を出し、その条件を燈架が飲んだ。二人がどんな気持ちでいたのか、それは結城の理解の範疇を超えていた。だが、少なくとも朱月姉妹は、決して悪人と呼べる類の人間ではなかった。
ならば、いつか救われて、幸せに暮らしてほしいと、結城は願わずにはいられなかった。
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