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化生の群編

最後の賭け

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「グッ……オォ……」
 光の筋に心臓を射抜かれた悪路王あくろおうは、低く唸りながら背を曲げていった。その様は油の切れた機械のようで、ひどくぎこちなく、痛々しい。
 悪路王がどれだけ痛みに強かろうと、さすがに心臓を失っては身体の異常を無視できない。確実に不具合をきたしていた。
『今です、ユウキ!』
「はっ!」
 光の筋が乱入したことで呆けていた結城ゆうきは、アテナの声で我に返った。悪路王が動きを止めた今、これはまたとないチャンスだった。
 結城は刀を脇に構えなおし、再び悪路王に斬りかかろうとした。アテナが融合している状態ならば、数メートル離れていたとしても一足跳びで間合いを詰められる。
 隙さえ見つけられれば、あとは斬りこむだけで充分だった。
 だが、
「ガアァ……アァ!」
『ユウキ、避けなさい!』
「わっ!」
 心臓を失い、血反吐を吐きながらも、悪路王はまだ岩を投げつけてきた。
 アテナの声で反応できた結城は、動いていなければ岩に潰されていたと思いゾッとした。何より心臓をなくしても、これほどの抵抗を見せる悪路王の力に驚愕していた。
「まだだっ……まだだぁ!」
 吐血で赤く染まった牙を剥き出し、血走った眼を見開いた悪路王の顔は、まさに鬼の形相と言えた。なおも手当たり次第に岩や砂利を投げつけ、結城とアテナはまた回避に専念するしかなくなった。
『心臓を破壊されても、生物は数秒程度なら存命することが可能。しかし、あのオニは心臓を失っても息絶える様子がない。いったい何があの者を動かしているのか』
 これまで様々な敵と合間見えてきたアテナにも、悪路王の目を見張る生命力の秘密を解けずにいた。
 悪路王を形作っている大きな要素は、複数人の強い怨みの魂だった。儀式によって八人分の魂を九人目が全て集め、『八』という数字の意味によって怨みの力を何倍にも増幅させる。これによって肉体の物理限界さえものともしない、強力な怨念の集合体が生み出された。
 たとえ心臓や脳髄を破壊されても、たとえ首だけになったとしても、怨念が消えない限り此岸に在り続けられる。不完全な邪鬼たちでは生命力の高さが引き上げられただけだったが、悪路王はその完成形であり、肉体の原型が保たれているなら止まることはない。
 人の手には負えない本物の怪物。『鬼』だった。
「アアアッ!」
 さらに激しさを増す飛来物の嵐に、結城とアテナも追い込まれつつあった。融合が保てるのは、あと2分が限度だ。融合が解ければ、結城には飛来物を避けるだけの力も残っていないので、今度こそ肉塊となって大地に散らばることになる。
「うわっ! あっ!」
『こ、このままでは!』
 時間切れが迫る中、アテナは特攻に打って出ることもやむなしかと考えていた。回避に徹し続けたとしても、結城の命が危険に晒されるならば、まだ活路がある方に賭けるのが良作かもしれない、と。
 アテナが融合した状態の結城であれば、悪路王の飛来物を最低限のダメージで潜り抜けて、間合いに入れる可能性がある。
 ただし、それは結城に負傷を強いることであり、最低限のダメージで済んだ場合に達成できる結果だった。
 当たり所が悪ければ、どのみち結城を死に追いやることになる。結城の守護神として、アテナには容認しかねる非情な選択だった。
 それでも最後となれば、その手段を取らせるより他はない。
 融合が解ける1分前になっても状況が変わらなければ、結城に命じなければならなかった。真正面から突破せよ、と。
 結城からは見えなかったが、アテナは結城の中で歯噛みした。そうしている間にも、30秒が経過していく。もう30秒が過ぎれば、結城は悪路王に決死の特攻を仕掛けなければならない。悪路王が投げてくる飛来物は、未だ続いているのだ。
 そして、ついにその時が来た。
『ユウキ、このまま斬り込みま―――』
 アテナが指示を出そうとした矢先だった。悪路王の足元にいくつもの玉が転がってきた。飴玉程度の大きさのそれは、導火線が燃え尽きると一斉に色とりどりの煙を放出した。
「なっ!?」
 結城のみに集中していた悪路王は、煙が湧くまで玉に気付かなかった。驚きの声を上げた時には、もうもうと拡がる煙に完全に呑まれてしまっていた。
「ゆうき~! ガンバ~!」
 煙玉の効果が最大になった頃、媛寿えんじゅが激励の声援を送った。振り上げられた手にはチャッカマンと、『七色けむり玉(お徳用)』と書かれたビニールパッケージが握られている。
 結城とアテナが融合する場面を見ていた媛寿は、悪路王にフィニッシュをかけるつもりだと確信した。だが、悪路王の抵抗が激しく、近付くことができないのを見かねて、左袖の中に使える物がないか必死に探した。
 すでに武器になりそうな物は尽きてしまっていたが、花火用に入れていた煙玉があったことを思い出し、ありったけの玉に火を点けて放り投げたのだ。アテナが一緒なら、煙の中でも何とかしてくれるだろうと見越して。

 煙玉が作った煙幕は、悪路王を中心に一帯を飲み込んでしまった。
 その煙の中、悪路王は全く動けずにいた。
 悪路王ならば、腕の一振りで煙を吹き飛ばすなど造作もない。
 しかし視界が効かない煙の中で、下手な動きを見せれば、確実に居場所を知られることになる。
 煙を払うにも、煙の中から抜けるにも、何かしらのアクションを起こさなければいけないなら、それが決定的な隙になる。
 居場所を知られた時点で、アテナと融合した結城に懐に入られ、致命的な一撃を被ることになるだろう。
 悪路王にとって、もはや結城は一部の油断も許さない、明確な敵対者となっていた。怖れる対象といってもいい。
 悪路王にはもう物を投げて牽制することも、立っている場所から一歩でも動くことさえもできなくなっていた。
 残る手段は一つ。結城が接近した瞬間に、心臓を爪で貫くことだけだった。
 左眼を失くし、角を折られ、両脇腹を刺され、心臓を射抜かれてなお、悪路王の膂力りょりょくは健在だった。単純な接近戦に持ち込めれば、結城の心臓を狙うことなどわけはなかった。
(近付いてきたら心臓を掴み取ってやる! 俺はまだ、ここで殺られるわけには―――)
 残っていた右目で不自然な煙の動きを捉えた悪路王は、そこに向かって貫手ぬきてを突き入れた。
 この状況で接近してくるものがあるならば、間違いなく結城と確信していた。
 だが、爪が当たったのは人体ではなく、金属の塊だった。
「っ!?」
 弾いたものに違和感を覚えた悪路王だったが、それが槍だったと気付いたのは、すぐ足元に突き立ってからだった。
 槍が飛んできたことに驚いているのも束の間、煙の中からまたも飛来するものがあった。
「ガアッ!?」
 槍に見入っていたために、悪路王はその飛来物を避けることができなかった。それは悪路王の右顔面に命中し、見事に右眼を潰すに至った。
 千冬ちふゆの大袖絡そでがらみだった。
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