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化生の群編

死の間際

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 灯恵ともえは相当な出血量ではあったが、かろうじて意識は残っていたので、結城ゆうきの言葉をおぼろげながら聞いていた。
 結城があれほどまでに復讐を止めようとしたのは、殺戮と破壊に彩られた終生にしないため。
 その理由を灯恵は当初理解できないでいた。どれほど血と罪にまみれても、胸の奥に渦巻く黒い情動に従い、全てを壊して逝けるなら本望と考えていた。心の清算を済ませて死ねるなら、そこに救いがあると信じていた。
 だが、結城はそれを否定した。復讐を遂げてこの世を去るのは、幸福も救済もないと断言した。
 偶々たまたま車に当たりそうになり、偶々川に落ちたところを助け、偶々少し会話しただけの青年。単なる通りすがり、袖擦り合うのも多少の縁、その程度の関係性だったはずだった。
 それがいつの間にか端々の過程で現れるようになり、いよいよ無視できないところまで接近し、ついには復讐の土壇場に踏み入られた。
 いったい小林結城という男は何者なのか。灯恵の人生経験では、まるで答えの出ない疑問だった。
 ただ、悪路王に肩口の肉を食いちぎられ、多量の血が流れ出て、いま死に瀕した灯恵には、これまでなかった思いが芽生えていた。
 そのきっかけを作ったのは、結城の言い放った言葉だった。
 『誰かを憎んで、誰かを殺して、それで終わる人生なんて悲しすぎる』。
 『せめて最期に笑えなければ、良い人生だったと言えない』。
 死が間近に迫ってこれらの言葉を聞いた時、灯恵は改めて死後のことを思い直した。思い直してしまった。
 今まさに、灯恵の復讐は最後の大詰めまで来ている。忌むべき螺久道村らくどうむらが始まる元凶となった鬼、悪路王あくろおうが復活した時点で、もう灯恵でさえ止めることはできなくなっていた。
 このままいけば、悪路王は螺久道村を無に還してくれる。それで全てが終わる。
 だが、結城の言葉を聞いた灯恵の脳の片隅に、小さな疑問が生まれた。
 未だ復讐心は治まることなく燃え続けている。それを果たすことに躊躇はない。
 そのはずなのに、復讐が終わった後はどうなるのか、と考えてしまった。
 村人全てが死に絶え、村そのものも世界から消えてなくなる。そうなることを望んでいたが、そうなった後に、果たして晴れ晴れとした気分で逝けるのか。清々しさに満ち足りて、人生を終えられるのか。
 結城の言葉に触発され、灯恵は今さらながらに人生について見つめ直す羽目になってしまった。復讐を願った時点で、血に塗れ、罪に押し潰されることも飲み込んだはずだったのに。
 こんな終端で気付かされるくらいなら、いっそ最初から知り合わなければ良かったとさえ思った。川に逆さに突っ込んでいたところを見過ごしていればよかったと、灯恵はとめどなく後悔した。
 しかし、それも遅い。すでに灯恵の出血量は、生命維持に支障を来たすまで流れ出た。
 後はもう悪路王が村を破壊するのみ。灯恵は忍び寄る死の誘いに身を任せようとした。
 重くなる目蓋を閉じようとしたが、そこに何者かが現れた。
 灯恵の霞んだ視界にあっても、その異様な風体は印象的だった。細長い楕円形に真一文字の目蓋と乱杭歯で表現された口が施された仮面。最初に失敗作の鬼と戦った大柄の怪人、マスクマンだった。
「YΘ5↑G7(あんたには悪いとは思うが、どうやらあんたを生かしておいた方が結城にとって良さそうだからな)」
 仮面の怪人が喋った言語は全く意味不明だったが、灯恵はなぜかその意図するところが解った。
 マスクマンは傍に落ちていた篝火の焚き木を一本手に取った。その先端にはまだ火が煌々と燃えていた。
「NΣ6↓SS(いま使えるのはこんな荒療治だけだ。我慢しろよ)」
 どこか申し訳なさそうに告げると、マスクマンは灯恵の傷口に火を押し当てた。
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