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化生の群編
血の産声
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首と体の切断面が接したと同時に、そこを中心に『風』が放たれた。
いや、『風』というよりは圧力だった。それも非常に当たり心地の悪い圧迫感。
強烈な悪意の奔流が、物理的なエネルギーに変換されて放出されているような、どす黒い想念の極み。
それを、その場にいた全員が浴び、そして確信していた。
最も忌むべき、最も凶暴な存在が目覚めようとしている、と。
鬼の右側中段の腕が振り上がり、轟音を立てて手を地面についた。それだけで少し地響きが鳴った。
次いで傷を負っていない腕が一つ、また一つと、体を起こすために地に掌をつけた。その様はまるで蜘蛛が立ち上がろうと脚を立てているようだった。
いよいよ倒れていた鬼の上半身が起き上がった。
右足を踏み鳴らし、膝立ちになっていた左足も揃え、二つの脚で立ち上がる。
首を斬られた状態から蘇った鬼の姿は、かなり不揃いな様相だった。首から下は少し傷を負っているとはいえ、生命力の溢れた肉感がある。それとは対照的に、首から上は萎れた果実のように、生気のない木乃伊のままだった。
直立した鬼の体は、落ち窪んだ目で天を仰いだ。
空は鬼の目同様に、すでに夜闇に満ちている。月の見えない新月の夜。空気は澄んでいるはずが、星の光が一粒たりとも見えない。まるで鬼が内に秘めた黒い感情が、そのまま映し出されているようだった。
「オオオォ!」
半開きになっていた鬼の口に、急激に空気が殺到した。突風の通過音に似た掠れた音が、鬼の口の中へ吸い込まれていく。
鬼は恐るべき肺活量で空気を吸い続けていたが、その吸引量に呼応してか、萎れていた鬼の首に変化が現れた。
乾き物が水を吸った時と同様に、急速に首の肉付きが戻ってきた。みるみるうちに皺がなくなり、窪んでいた目に眼球が現れた。糸くずのようだった白髪も太さが増し、欠け落ちていた耳の先端が鋭く尖った。
「ッ!」
鬼が呼吸を止めた。悪意の奔流もぴたりと止まる。
不気味なほど周りが静まり返った中、耳障りな水音がゆっくりと聞こえてきた。
皆が目を凝らすと、鬼の肩の上と脇下から生じた複腕がみるみる縮んでいく。さらには体の各部に浮き出ていた顔も、砂の彫刻が風化するように皮膚に溶けていった。
鬼のシルエットは大きさだけを除いて人型に戻った。先程までの異形の姿も恐ろしかったが、シンプルにまとまった姿になることで、今度は別の意味で得体の知れない恐怖を感じさせる。
結城の本能的な部分が告げていた。あれは対峙するだけでも危険な存在だ、と。
鬼は深呼吸を終えた後、数秒ほど空を眺めていた。
生気を取り戻した鬼の首は、朱月成磨が変貌した顔とは少し違っていた。
鋭い牙が並んだ口と、歪に伸びた二本の角は同じだが、目だけが成磨のものと違う。
成磨の目は憤怒や怨嗟といった感情が荒れ狂っていたが、その鬼の目は逆に波一つ立たない湖面のような静寂を持っていた。
しかし無感情というわけではなく、その目にもまた感情が満ち満ちていた。
その感情はたった一つ、底なしの悲哀。見続けていれば、自身の心さえ引き込まれ、出てこれなくなりそうな悲しみが宿っていた。
鬼はゆっくりと後ろを振り返った。そこには、薄く微笑んだままの朱月灯恵が立っていた。
鬼と灯恵は少しの間見つめ合っていたが、やがて鬼の両腕が灯恵の肩口を掴んだ。
纏っていた白装束がはだけられ、灯恵の肌が露になる。
その露になった左の肩口に、おもむろに鬼の牙が突立てられた。
いや、『風』というよりは圧力だった。それも非常に当たり心地の悪い圧迫感。
強烈な悪意の奔流が、物理的なエネルギーに変換されて放出されているような、どす黒い想念の極み。
それを、その場にいた全員が浴び、そして確信していた。
最も忌むべき、最も凶暴な存在が目覚めようとしている、と。
鬼の右側中段の腕が振り上がり、轟音を立てて手を地面についた。それだけで少し地響きが鳴った。
次いで傷を負っていない腕が一つ、また一つと、体を起こすために地に掌をつけた。その様はまるで蜘蛛が立ち上がろうと脚を立てているようだった。
いよいよ倒れていた鬼の上半身が起き上がった。
右足を踏み鳴らし、膝立ちになっていた左足も揃え、二つの脚で立ち上がる。
首を斬られた状態から蘇った鬼の姿は、かなり不揃いな様相だった。首から下は少し傷を負っているとはいえ、生命力の溢れた肉感がある。それとは対照的に、首から上は萎れた果実のように、生気のない木乃伊のままだった。
直立した鬼の体は、落ち窪んだ目で天を仰いだ。
空は鬼の目同様に、すでに夜闇に満ちている。月の見えない新月の夜。空気は澄んでいるはずが、星の光が一粒たりとも見えない。まるで鬼が内に秘めた黒い感情が、そのまま映し出されているようだった。
「オオオォ!」
半開きになっていた鬼の口に、急激に空気が殺到した。突風の通過音に似た掠れた音が、鬼の口の中へ吸い込まれていく。
鬼は恐るべき肺活量で空気を吸い続けていたが、その吸引量に呼応してか、萎れていた鬼の首に変化が現れた。
乾き物が水を吸った時と同様に、急速に首の肉付きが戻ってきた。みるみるうちに皺がなくなり、窪んでいた目に眼球が現れた。糸くずのようだった白髪も太さが増し、欠け落ちていた耳の先端が鋭く尖った。
「ッ!」
鬼が呼吸を止めた。悪意の奔流もぴたりと止まる。
不気味なほど周りが静まり返った中、耳障りな水音がゆっくりと聞こえてきた。
皆が目を凝らすと、鬼の肩の上と脇下から生じた複腕がみるみる縮んでいく。さらには体の各部に浮き出ていた顔も、砂の彫刻が風化するように皮膚に溶けていった。
鬼のシルエットは大きさだけを除いて人型に戻った。先程までの異形の姿も恐ろしかったが、シンプルにまとまった姿になることで、今度は別の意味で得体の知れない恐怖を感じさせる。
結城の本能的な部分が告げていた。あれは対峙するだけでも危険な存在だ、と。
鬼は深呼吸を終えた後、数秒ほど空を眺めていた。
生気を取り戻した鬼の首は、朱月成磨が変貌した顔とは少し違っていた。
鋭い牙が並んだ口と、歪に伸びた二本の角は同じだが、目だけが成磨のものと違う。
成磨の目は憤怒や怨嗟といった感情が荒れ狂っていたが、その鬼の目は逆に波一つ立たない湖面のような静寂を持っていた。
しかし無感情というわけではなく、その目にもまた感情が満ち満ちていた。
その感情はたった一つ、底なしの悲哀。見続けていれば、自身の心さえ引き込まれ、出てこれなくなりそうな悲しみが宿っていた。
鬼はゆっくりと後ろを振り返った。そこには、薄く微笑んだままの朱月灯恵が立っていた。
鬼と灯恵は少しの間見つめ合っていたが、やがて鬼の両腕が灯恵の肩口を掴んだ。
纏っていた白装束がはだけられ、灯恵の肌が露になる。
その露になった左の肩口に、おもむろに鬼の牙が突立てられた。
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