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化生の群編
勝者と敗因
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「ふ~」
鬼神との一戦を終えた結城は、尻餅をつくように地面に腰を下ろした。
「わっ」
結城が座った衝撃で肩車から滑った媛寿が、地面をころころと後転していった。
見るも恐ろしい鬼と戦った後にも拘らず、結城の心は落ち着き払っていた。いや、むしろ沈んでいた。
シロガネを傷付けられて激昂したとはいえ、鬼の素体になった人物のことを忘れていたわけではない。
人でなくなってしまったとしても、目の前に倒れ伏した鬼の屍は、紛れもなく朱月成磨という一人の人間だったのだ。
一度人ではないものに変わってしまったら、もう決して戻ることはできないことを結城は知っている。そういう場面は何度も見てきた。
だからといって、引導を渡して楽にしてやろうという考えを、結城は良しとしない。そんな割り切り方は傲慢だと思っていた。
それでも、ここで見逃すか倒すかを秤にかけて、結城は倒すことを選んだ。成磨も今回の一件で、幾人もの命を奪ってしまった。もはや退くことが適わない位置にいるとしても、結城はそれ以上進ませたくはなかった。人ではない怪物になってしまったとしても、さらなる罪を犯させたくはないという思いは、結城も譲れなかったからだ。それもまた傲慢であり、結城自身のエゴなのだとしても。
物思いに耽っていた結城の右耳に金属音が飛び込んできた。驚いて右手を見ると、ハルペーが四分割される形で折れていた。結城の手に残ったのは、ほとんど柄だけとなった。
「あのオニを斬ったことで『不死殺し』の力を使ってしまったようですね」
結城の傍らに歩み寄ってきたアテナが、壊れたハルペーを見ながら呟いた。
「それよりもユウキ」
結城の横に屈んだアテナは、結城の頭をがっしり掴みと、強引に顔を向けさせた。アテナの腕力に逆らうことはできず、あっさりアテナと対面することになってしまった。何を言われるのか心当たりがありすぎるので、結城は顔中に脂汗が浮かぶ。
「『くれぐれも蛮勇に走らないよう、慎重に行動なさい』、と言ったはずですが?」
アテナの口調は静かで、表情も涼しげだったが、眼から放たれる圧力は尋常ではなかった。刃物の先を顔に突きつけられているような感覚に、結城は切腹を迫られた侍の心境を錯覚した。
「シロガネを傷付けられた怒りは、私も分からなくはありません。しかし、だからといって勢いのまま正面から突撃したことは見過ごせません。もしもアイアースとハルペーがなければ、どうなっていたと思っているのですか」
「え、え~と……ごめんなさい」
アテナに気圧されながら投げかけられる言葉に、結城はぐうの音も出なかった。思い返せば返すほど、鬼に直接挑んだことは無謀すぎた。アテナに武具をもらっていなかったら、本当に危ないところだっただろう。
アテナの警告を無視してしまったことを、結城は深く反省した。
「ただ……」
結城の頭を固定していたアテナの手から力が抜けた。その時には、もう結城を圧倒していた迫力も消え去っていた。
「あなたがオニに挑みかかったことで倒す糸口が見えました。そして、あなたはオニを倒しました。全てを褒めることはできませんが、よくやりましたよ、ユウキ」
柔和な笑顔を浮かべたアテナは、結城の頭をゆっくりと撫でた。どこか赤ん坊をあやすようで少し照れくさかったが、女神に褒められているというのは悪い気はしなかったので、結城はそのまま静かにしていた。
「な~に照れてんだよ」
「わっ! ち、千夏さん」
アテナに身を任せていた結城の肩に、いきなり千夏がもたれかかってきた。
「結城~、戦った後の興奮が冷めてないっていうなら、あたしが相手してやってもいいぞ~。ちょうどあたしも酒と肉の玩具が欲しいところだしな~」
「へっ!? に、肉の玩具って……」
「チナツ! ユウキから離れなさい! 私に断りなく私の戦士を誘惑するなど許しません!」
「じゃあ断りを入れるから一晩借してくれよメガミサマ。ほんの三十発ヤるだけだからさ」
「できますか!」
「ちぇっ、やっぱ強引にヤっとくんだった」
そこからはまたアテナと千夏の口喧嘩が始まってしまった。
二人の板ばさみになって動けなくなっていた結城だったが、冷静になるにつれて大事なことを思い出してきた。アテナが言った『シロガネを傷付けられた』という言葉が頭に蘇り、
「あっ! シロガネ!」
ほとんど反射的に立ち上がった。その急な起立に、アテナと千夏も驚いて言い争いを止めてしまった。
「シロガネ~! 大丈夫~!」
倒れているシロガネを確認すると、結城は一目散にその場へ駆けていった。
凶悪な鬼神との戦いが決着し、結城たちから少し離れた位置にいた雛祈は、何とも面白くなさそうな表情で立っていた。
それもそのはず、螺久道村の事件の真相に辿り着いたのは結城が先であり、造り出された鬼神を倒したのも結城だったのだ。古屋敷での邂逅から気に食わなかった、実力も認識も足りていないド素人と決め付けていた相手に最後までいいところを持っていかれた。
#_祀凰寺家_しおうじけ__#の者として、ここまで立つ瀬がない状況があるだろうか。雛祈は右手に持った雷切を力いっぱい握り締めた。
「お、お嬢―――」
「今は何も言わない方がいい」
声をかけようとした千冬を、桜一郎がそっと止めた。が、それを顧みることなく、雛祈の横に立つ者がいた。
「VΠ1↑(勝負は結城の勝ちだな)」
桜一郎と千冬がこの場で最も言いづらかったことを、マスクマンは何の気なしに言い切った。
やはり触れられたくなかったのか、雛祈は横にいるマスクマンを睨んだ。
「TΛ4←(まっ、言ったところで結城のやつは勝負のことなんて知らないけどな)」
「はあ!?」
マスクマンを睨んでいた雛祈の目が、今度は困惑で丸くなった。
「ど、どういうことですか!? 結城との勝負で結城自身がそのことを知らないなんて―――」
「YΣ6↓(アテナは結城に勝負のことを伝えなかったんだよ)」
「……それは、私はどうせ負けるだろうと高を括っていたということですか?」
雛祈は腹の底から怒りが湧き上がってくる思いだった。結果は結果で受け入れるしかないとはいえ、最初から侮られていたというのでは、さすがに女神が相手だろうと看過できなかった。
「VΞ9←IΦ(アテナが勝負だの約束だのでそんな真似するかよ。もしお前が勝ってたら、ちゃんとお前のところに行くつもりだっただろうよ)」
「では、どうして……」
「MΓ7→(『いつも通りの結城』でいさせるためだろうな。多分)」
「!?」
雛祈の頭は疑問符でいっぱいになった。『いつも通りの結城』と言われても、雛祈にしてみれば与り知らぬことである。螺久道村で再会してからの結城を思い返してみるが、雛祈の記憶ではそれほど締りのある捜査をしている印象はなかった。むしろ、媛寿やアテナに翻弄されっぱなしの場面ばかりだった。
「WΔ3↑HΨ48→(結城は土壇場では覚悟が決まるくせに、大勝負することになるって事前に聞くとビビって調子が悪くなるからな。『人間』相手だと特に。そのあたり勝負強さが足りてないんだ。だから何も言わなかったんだろうよ。一番調子のいい、『いつも通りの結城』でいさせるためにな」
マスクマンの言っていることを全て理解できたわけではなかったが、雛祈はすとんと腑に落ちるものを感じた。つまり、小林結城はいつもこのように事件に挑み、その悉くを解決してきたということだ。
雛祈のような立場の者からすれば、あまりに非効率、あまりにいきあたりばったりな手法と言わざるを得ないが、それでも結城は事の核心へと辿り着いた。
それは単に強力な神霊たちの力を借りたというだけではない。むしろ、心霊たちは後押ししていたに過ぎない。何よりも先んじていたのは、結城自身の意志だった。結城が最初に動かなければ、神霊たちも手助けすることはない。
つまり、どんなに弱々しくても、結城がその意志で挑んだからこそ、ここへと至ったということだ。
「―――!」
雛祈は歯噛みした。今度は結城に対してではない。憤りと先入観という色眼鏡で対象を見て、本質を見ることができなかった自分に腹が立ったのだ。
アテナがどんな考えで勝負を持ちかけてきたのかは定かではないが、つまらない心に捕らわれていた時点で、雛祈の勝敗は決していた。
シロガネの元へ慌てて駆け寄っていく結城の様を、雛祈はまさに脱帽した気分で見つめていた。
鬼神との一戦を終えた結城は、尻餅をつくように地面に腰を下ろした。
「わっ」
結城が座った衝撃で肩車から滑った媛寿が、地面をころころと後転していった。
見るも恐ろしい鬼と戦った後にも拘らず、結城の心は落ち着き払っていた。いや、むしろ沈んでいた。
シロガネを傷付けられて激昂したとはいえ、鬼の素体になった人物のことを忘れていたわけではない。
人でなくなってしまったとしても、目の前に倒れ伏した鬼の屍は、紛れもなく朱月成磨という一人の人間だったのだ。
一度人ではないものに変わってしまったら、もう決して戻ることはできないことを結城は知っている。そういう場面は何度も見てきた。
だからといって、引導を渡して楽にしてやろうという考えを、結城は良しとしない。そんな割り切り方は傲慢だと思っていた。
それでも、ここで見逃すか倒すかを秤にかけて、結城は倒すことを選んだ。成磨も今回の一件で、幾人もの命を奪ってしまった。もはや退くことが適わない位置にいるとしても、結城はそれ以上進ませたくはなかった。人ではない怪物になってしまったとしても、さらなる罪を犯させたくはないという思いは、結城も譲れなかったからだ。それもまた傲慢であり、結城自身のエゴなのだとしても。
物思いに耽っていた結城の右耳に金属音が飛び込んできた。驚いて右手を見ると、ハルペーが四分割される形で折れていた。結城の手に残ったのは、ほとんど柄だけとなった。
「あのオニを斬ったことで『不死殺し』の力を使ってしまったようですね」
結城の傍らに歩み寄ってきたアテナが、壊れたハルペーを見ながら呟いた。
「それよりもユウキ」
結城の横に屈んだアテナは、結城の頭をがっしり掴みと、強引に顔を向けさせた。アテナの腕力に逆らうことはできず、あっさりアテナと対面することになってしまった。何を言われるのか心当たりがありすぎるので、結城は顔中に脂汗が浮かぶ。
「『くれぐれも蛮勇に走らないよう、慎重に行動なさい』、と言ったはずですが?」
アテナの口調は静かで、表情も涼しげだったが、眼から放たれる圧力は尋常ではなかった。刃物の先を顔に突きつけられているような感覚に、結城は切腹を迫られた侍の心境を錯覚した。
「シロガネを傷付けられた怒りは、私も分からなくはありません。しかし、だからといって勢いのまま正面から突撃したことは見過ごせません。もしもアイアースとハルペーがなければ、どうなっていたと思っているのですか」
「え、え~と……ごめんなさい」
アテナに気圧されながら投げかけられる言葉に、結城はぐうの音も出なかった。思い返せば返すほど、鬼に直接挑んだことは無謀すぎた。アテナに武具をもらっていなかったら、本当に危ないところだっただろう。
アテナの警告を無視してしまったことを、結城は深く反省した。
「ただ……」
結城の頭を固定していたアテナの手から力が抜けた。その時には、もう結城を圧倒していた迫力も消え去っていた。
「あなたがオニに挑みかかったことで倒す糸口が見えました。そして、あなたはオニを倒しました。全てを褒めることはできませんが、よくやりましたよ、ユウキ」
柔和な笑顔を浮かべたアテナは、結城の頭をゆっくりと撫でた。どこか赤ん坊をあやすようで少し照れくさかったが、女神に褒められているというのは悪い気はしなかったので、結城はそのまま静かにしていた。
「な~に照れてんだよ」
「わっ! ち、千夏さん」
アテナに身を任せていた結城の肩に、いきなり千夏がもたれかかってきた。
「結城~、戦った後の興奮が冷めてないっていうなら、あたしが相手してやってもいいぞ~。ちょうどあたしも酒と肉の玩具が欲しいところだしな~」
「へっ!? に、肉の玩具って……」
「チナツ! ユウキから離れなさい! 私に断りなく私の戦士を誘惑するなど許しません!」
「じゃあ断りを入れるから一晩借してくれよメガミサマ。ほんの三十発ヤるだけだからさ」
「できますか!」
「ちぇっ、やっぱ強引にヤっとくんだった」
そこからはまたアテナと千夏の口喧嘩が始まってしまった。
二人の板ばさみになって動けなくなっていた結城だったが、冷静になるにつれて大事なことを思い出してきた。アテナが言った『シロガネを傷付けられた』という言葉が頭に蘇り、
「あっ! シロガネ!」
ほとんど反射的に立ち上がった。その急な起立に、アテナと千夏も驚いて言い争いを止めてしまった。
「シロガネ~! 大丈夫~!」
倒れているシロガネを確認すると、結城は一目散にその場へ駆けていった。
凶悪な鬼神との戦いが決着し、結城たちから少し離れた位置にいた雛祈は、何とも面白くなさそうな表情で立っていた。
それもそのはず、螺久道村の事件の真相に辿り着いたのは結城が先であり、造り出された鬼神を倒したのも結城だったのだ。古屋敷での邂逅から気に食わなかった、実力も認識も足りていないド素人と決め付けていた相手に最後までいいところを持っていかれた。
#_祀凰寺家_しおうじけ__#の者として、ここまで立つ瀬がない状況があるだろうか。雛祈は右手に持った雷切を力いっぱい握り締めた。
「お、お嬢―――」
「今は何も言わない方がいい」
声をかけようとした千冬を、桜一郎がそっと止めた。が、それを顧みることなく、雛祈の横に立つ者がいた。
「VΠ1↑(勝負は結城の勝ちだな)」
桜一郎と千冬がこの場で最も言いづらかったことを、マスクマンは何の気なしに言い切った。
やはり触れられたくなかったのか、雛祈は横にいるマスクマンを睨んだ。
「TΛ4←(まっ、言ったところで結城のやつは勝負のことなんて知らないけどな)」
「はあ!?」
マスクマンを睨んでいた雛祈の目が、今度は困惑で丸くなった。
「ど、どういうことですか!? 結城との勝負で結城自身がそのことを知らないなんて―――」
「YΣ6↓(アテナは結城に勝負のことを伝えなかったんだよ)」
「……それは、私はどうせ負けるだろうと高を括っていたということですか?」
雛祈は腹の底から怒りが湧き上がってくる思いだった。結果は結果で受け入れるしかないとはいえ、最初から侮られていたというのでは、さすがに女神が相手だろうと看過できなかった。
「VΞ9←IΦ(アテナが勝負だの約束だのでそんな真似するかよ。もしお前が勝ってたら、ちゃんとお前のところに行くつもりだっただろうよ)」
「では、どうして……」
「MΓ7→(『いつも通りの結城』でいさせるためだろうな。多分)」
「!?」
雛祈の頭は疑問符でいっぱいになった。『いつも通りの結城』と言われても、雛祈にしてみれば与り知らぬことである。螺久道村で再会してからの結城を思い返してみるが、雛祈の記憶ではそれほど締りのある捜査をしている印象はなかった。むしろ、媛寿やアテナに翻弄されっぱなしの場面ばかりだった。
「WΔ3↑HΨ48→(結城は土壇場では覚悟が決まるくせに、大勝負することになるって事前に聞くとビビって調子が悪くなるからな。『人間』相手だと特に。そのあたり勝負強さが足りてないんだ。だから何も言わなかったんだろうよ。一番調子のいい、『いつも通りの結城』でいさせるためにな」
マスクマンの言っていることを全て理解できたわけではなかったが、雛祈はすとんと腑に落ちるものを感じた。つまり、小林結城はいつもこのように事件に挑み、その悉くを解決してきたということだ。
雛祈のような立場の者からすれば、あまりに非効率、あまりにいきあたりばったりな手法と言わざるを得ないが、それでも結城は事の核心へと辿り着いた。
それは単に強力な神霊たちの力を借りたというだけではない。むしろ、心霊たちは後押ししていたに過ぎない。何よりも先んじていたのは、結城自身の意志だった。結城が最初に動かなければ、神霊たちも手助けすることはない。
つまり、どんなに弱々しくても、結城がその意志で挑んだからこそ、ここへと至ったということだ。
「―――!」
雛祈は歯噛みした。今度は結城に対してではない。憤りと先入観という色眼鏡で対象を見て、本質を見ることができなかった自分に腹が立ったのだ。
アテナがどんな考えで勝負を持ちかけてきたのかは定かではないが、つまらない心に捕らわれていた時点で、雛祈の勝敗は決していた。
シロガネの元へ慌てて駆け寄っていく結城の様を、雛祈はまさに脱帽した気分で見つめていた。
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