小林結城は奇妙な縁を持っている

木林 裕四郎

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化生の群編

呪詛の鬼

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 結城ゆうきに説得が終わるまでの間は手を出さないでほしいと言われていたので、千夏ちなつは気を楽にしながら灯恵ともえの話を聞いていたわけだが、その内容は大いに興味深いものだった。
 まず納得したことがある。鬼が出現すれば、等級に差があれど噂が立つものだった。
 しかし、螺久道村らくどうむら周辺で鬼が出現したという噂を、千夏は一度も耳にした憶えはない。結城のアドバイザーを買って出たのも、全く噂が立っていない場所で鬼の存在を匂わす依頼だったので、どんな内情があるのか確かめるつもりだった。最悪ただの眉唾だったとしても、ちょうど良い暇つぶしにはなるという思惑もあったわけだが。
 そして、鬼は百五十年前に本当に出現していた。近代に入ってから鬼が出るのは非常に珍しいことだが、話を聞いた限りでの千夏の予想では、鬼は殊更珍しい鬼神に近いレベルの者だ。それがたった一夜だけ出現し、村全体で今日まで隠匿されていたというのなら、噂が一切立たなかったのも頷けた。
 さらに千夏の関心を引いたのは、村人たちが鬼の力を手に入れるため、鬼の肉から酒を造っていたという話だ。妖怪や異形の肉を食べて力を得るというものは昔からあることだが、それを酒にして代々飲んできたというから恐れ入る。
 ただ、その試みは中途半端に終わったようだった。
 鬼と一口に言っても生まれ方は様々だ。人の邪念が凝り固まって生まれるもの、人そのものが強い想念によって変じるもの、最初から鬼として生まれるもの、挙げていけば切りがない。
 千夏は螺久道村に現れた鬼は、人が変化したタイプの鬼だと読んでいた。灯恵の話から推察すると、強い恨みを持って殺戮を為した人間が、次の朝には鬼へと変わっていたらしい。
 身に余るほどの恨みを発しながら八人を殺めたために、邪気と呪いを集めて鬼となってしまったのだろう。八という数字は膨大な数量も表すので、大量殺戮の意味も暗示してしまい、より高い等級の鬼に昇華した。文字通りの修羅道に堕ちたのだ。
 他の村人たちはそうした呪術的な知識を持ち得なかったために、鬼の力の不足を生贄で補おうとした。足りていなかったのは全く別の条件であったというのに。
 それが本当に凶悪な復讐鬼を生み出す羽目になってしまうとは、何とも皮肉この上ない。
 千夏にとって、螺久道村の今昔こんじゃくは可笑しくて仕方がなかった。
 忌むべき存在と知りながら、その鬼の力を得るために鬼の酒を造り、贄が足りないからと子殺しの掟を設け、終いにはそれが村を滅ぼす復讐鬼を作り出した。
(ホント……人間ってのは鬼族あたしたちよりよっぽどおぞましいことを考える)
 いま鬼へと転生しようとしている成磨せいまの姿を眺めながら、千夏は皮肉るようにほくそ笑んだ。
(ここは鬼にとってさえ忌まわしい、化生けしょうむらだな)

「アッ……ガアッ……グアァ!」
 鳥肌が立ちそうな唸り声を上げながら、成磨は両腕を掻き抱いて背を曲げる。
 その間にも、肉がひしゃげ、骨が軋む音が全身から聞こえてきた。そして、離れていても聞き取れるほどの心臓の鼓動も。
 最初の変化は体格だった。成磨はそれなりに大柄な体格だったが、そこからさらに輪郭が隆起し始めた。張力の限界を超えた衣類の各部が裂けていく。
 一回り以上も体格が巨大化する頃には、皮膚の色も人間のものとは違ってきた。熱を帯びたように赤くなったかと思えば、今度は深い青を混ぜたように暗色へと落ち、墨よりも濃い黒へと変わっていった。それはまるで、熱された鉄が冷えて固まっていく様子を連想させた。
 体格と体色からしてすでに人とはかけ離れているが、最後に最も人とは違う差異が現れた。両側頭部から骨が鳴る音と似た軋みを立てて、不規則に伸びる突起が二つある。『鬼』という存在を象徴する部位、角だった。
「アアアアッ!」
 天に向かって怨嗟を吐き出すように、成磨は背を反り返らせて絶叫した。断末魔よりも恐ろしい声に当てられ、結城と雛祈は半歩ほど足を退いてしまった。
 成磨はひとしきり声を上げると、姿勢を戻して結城たちを睨んできた。
 そこにいるのは、もう朱月あかつき成磨という一人の人間ではなかった。二本の歪な角、熊をも越える体格、黒金くろがねよりもなお黒く染まった外皮、耳近くまで裂けた口腔に並んだ鋭い牙。
 伝説に語り継がれる、本当の『鬼』が立っていた。
「くっ!」
「あっ! お嬢!」
「お、お嬢様!」
 成磨の変身が完了した直後、雛祈ひなぎは迷うことなく突撃を敢行した。鬼の誕生は阻止できなかったが、動き出す前なら勝機はあると踏み、機先を制して一太刀を浴びせるためだった。
 秘伝の歩法で間合いを詰めながら、持参した刀袋の紐を解く。鞘尻まで出す必要はない。鍔元まで出せれば充分。雛祈はコンマ数秒も惜しんで、その刀身を抜き放った。
 かつて雷神を切って天候を収めたという逸話から、元々の千鳥ちどりという銘から呼び名を改められた一振り。雷雲の上に立つ存在にも届き得る鋭刃を備えた、伝説の名剣『雷切らいきり』。たとえレプリカであろうとも、その逸話から人ならざる存在だけでなく、力の弱い神まで斬ることが可能だった。
 武にも優れる祀凰寺家しおうじけであるからこそ、このレプリカを作成する許可を得られていた。
 鞘から抜き放たれた雷切の刀身は、さながら雷光のように一瞬眩しく煌いた。日本刀が成せる速さと、雛祈の居合い抜きの技量が、まさに雷電の一太刀となって鬼の胴に迫った。切っ先から優に30cmは攻撃範囲に入っている。
(獲った!)
 雛祈は己の動体視力で斬撃の軌道を捉えながら、次の瞬間に訪れるであろう勝利を確信した―――――が、柄を通して伝わってきたのは両断の感触ではなく、刀身にかかっていた運動エネルギーが綺麗さっぱり消え去った感覚だった。
「っ!?」
 雛祈は目を見張った。予想していた結果とは全く違うことが起こった。鬼の腹を裂くはずだった刀は、鬼の左手親指と人差し指であっさりと止められてしまっていた。指による真剣白刃取りだった。
 鬼は雛祈に対して首どころか目も向けていなかった。雛祈もまた、相手が反応しづらい角度で斬り込んでいた。なのに鬼は雛祈の斬撃を見切り、刀を指で正確に掴み取った。
 あまりの想定外に冷や汗を流す雛祈だったが、刀が当たるはずだった鬼の腹部に何かが蠢いていることに気付いた。
 それは忙しなく様々な方向に動き、篝火の明かりを反射して怪しい光を放っていた。誰もが見知っているその器官は、しかし本来はそのような場所にあるはずのない、二つの眼球だった。
 雛祈は驚くとともに合点がいった。鬼は頭部の眼で斬撃に反応できたわけではない。左脇腹に生じた別の眼で見て、雛祈の雷切を受け止めたのだと。
 腹部の眼の運動がさらに激しさを増すと、その周りの皮膚にも異変が起こり始めた。不気味な水音を立てながら、皮膚が盛り上がり、徐々に輪郭を形成していった。
 怪音が収まる頃には、左脇腹の皮膚の凹凸はくっきりと浮かび上がり、それが紛れもなく人の顔であると認識できた。
「ガアアッ!」
 まるで産声を上げるように、腹部に浮き出た顔は禍々しく吼えた。
 背筋に悪寒が疾った雛祈は後ろに退こうとしたが、足だけがわずかに跳ねただけで、手元は一切動かなかった。鬼に掴まれたままの雷切は、その膂力りょりょくで微動だにしなかった。
 鬼の右手が振りかぶられる。巨大な鎌を思わせる鋭い鉤爪が光っていた。
 雛祈の心臓が早鐘を打つ。命が危険に晒された際の、圧倒的な緊張感と焦燥感が襲いかかってきた。
「お嬢ー!」
「お嬢様ー!」
 主の危機を察し、桜一郎おういちろう千冬ちふゆが宙に躍り出た。手にしたまさかり袖絡そでがらみは、重力と突進による加速を受けて鬼へと振り下ろされる。
 二人のコンビネーションによる攻撃は、そのままなら鬼の上半身を破砕できるはずだった。
 鬼の肉体にさらなる異変が発生した。左肩と右の二の腕に、またも人の顔が出現したのだ。
「アアアッ!」
 神経を障る咆哮が上がり、桜一郎と千冬は眉をひそめた。それでも勢いを殺すことなく、敵目がけて武具を振り下ろす。
 千冬の大袖絡より少しだけ早く、桜一郎の大鉞が届く公算だった。だが衝突の直前、鉞の刃は鬼の右手に掴まれた。
 さながら右手が別の生き物のように駆動した事実に、桜一郎は驚愕した。
 驚きの声を上げる間もなく、桜一郎は横方向に放り投げられた。その先には、袖絡を振り下ろそうとしていた千冬がいた。
「がっ!」
「ぐひゅっ!」
 桜一郎と千冬はもつれ合いながら地面に激突し、転がった先の篝火の一つを倒した。燃えていた薪が散らばり、それが自生していた野草に火を点けた。次々と延焼していき、篝火よりもさんざめく炎になった。
 炎による逆光でどす黒い影を纏った鬼の顔が、まだ刀を掴まれたままの雛祈を見つめていた。
 次こそは避けられない。再び振りかぶられた鬼の爪を見上げながら、雛祈は迫り来る瞬間を覚悟した。不思議なほどに時間が圧縮されたように感じ、これまでの人生の記憶が思い出される。いわゆる『走馬灯が見える』というものだ。
 爪が動いた刹那、雛祈は目を閉じた。鬼の一撃はいとも簡単に雛祈の頭蓋を砕くだろう。雛祈もまた命を賭した戦いに身を置いてきた者として、ある程度の覚悟はできていた。
(……?)
 だが不思議なことに、目を閉じてから数秒が経っているはずが、雛祈は頭部に何の衝撃も感じなかった。あるいは痛みを感じることもなく絶命したかと思ったが、それにしては意識がはっきりしている。
 おそるおそる目を開けた雛祈が見たのは、円形の盾を構えた左腕だった。
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