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化生の群編

天恵、陥穽

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 署内に設けられた執務室のデスクに座り、佐権院蓮吏さげんいんれんりは眉根を寄せて電話機を睨んでいた。重要な決断を下す際、その判断が誤りでないか、必ず一度立ち止まるのが佐権院の習いだった。
 別に古くなった電話機を買い換えるかどうかを考えているわけではない。問題はいま自身が知り得た情報を相手に伝え、どう動いてもらうかということだ。
 
 三十分ほど前、佐権院は署内の鑑識課に赴いていた。
「非番の日にすまないね、戸根沢とねざわくん」
「いえいえ、お気になさらず。警視殿にはいつもレアなゲームをいただいているので」
 ノートパソコンの前に座るポッチャリ体型の鑑識員は怪しく笑い、キーを操作してデータを開いていく。
 鑑識員、戸根沢いさむは優秀な鑑識として知られているが、同時に陰陽道を修めてきた家系の出身者でもあった。とうの昔に衰退して久しい家伝の術を興味本位で調べ始め、実際に効果を確認してからは、持ち前の探究心によってどんどん腕を上げていったという、少し特異な経歴を持つ霊能者だった。
 特に他人に振れ回っていたわけではなかったが、どこから嗅ぎつけたのか佐権院にスカウトされ、鑑識としての分析能力と霊能者としての解析能力、両方でその手腕を振るっていた。最近では失われた錬金術も勉強中らしく、解析能力にさらに磨きがかかっている。
 非常にニッチなゲームのマニアでもあり、最近ではエリア内に線を引くだけのゲームチャイルド専用ソフト『ラインカー』を、佐権院から差し入れされていた。佐権院のパートナーであるトオミが古いゲームを見つけるのが得意であるため、時々労いとしてそれらの品を進呈しているので、戸根沢も多少難しい注文でも快く引き受けていた。
「それよりもこちらをご覧ください」
 戸根沢はようやく動かしていた手を止め、パソコンのディスプレイに映し出されたデータを見せた。成分の数値表やグラフ、細胞の拡大画像などがそれぞれウインドウで開かれ、表示されている。
 佐権院はそれらを一つ一つ目で追っていくが、そのうちに表情は険しくなっていった。
「こんなことが……」
「ええ、私も驚きました。こんなものが現代まで気付かれずに息づいていようとは」
 戸根沢も眉間に皺を寄せてディスプレイ上のデータを睨む。
「この件はあまり口外しない方が良いですかね?」
「そうしてくれると助かる。これは知っている人間が少ないうちに処理しなければならない事案だ」
「分かりました。ではこれを」
 戸根沢はデータのウインドウを全て閉じると、パソコン側面に付けられていたUSBを抜き取り、佐権院に差し出した。
「これ以外にデータは?」
「ありません。それだけです」
「結構。ありがとう、戸根沢くん」
「いえいえ。警視殿もお気をつけて」

 鑑識課を後にした佐権院は執務室に直行し、現在に至る。
 戸根沢が解析した情報は、佐権院の予想を遥かに上回る重大事項だった。情報が漏れて混乱が起こる前に、早急に事態の収拾を図らねばならない。特に『二十八家』のいくつかの家系の耳には入れたくない。中には手段を省みない鎮圧も辞さない者がいるので、知られれば余計な破壊をもたらされかねないのだ。
 ただ問題は、現場である螺久道村らくどうむらにいるのは、祀凰寺雛祈しおうじひなぎとその従者たちだけだということだ。当初はにわか呪術師による事件と見ていたため、探りを入れるだけのつもりで雛祈を送り出したが、事態は大いに急変してしまった。
 雛祈は潜在力は目を見張るものを持っているが、まだ開花する途中の段階だった。事が本格的に動き出した時、どこまで対処できるか不安な面がある。
 螺久道村に潜む何者かが画策していること、造り出そうとしているものは、それほどに危険すぎた。
 これならもう一つ、古屋敷の面々にも依頼しておくべきだったと佐権院は思ったが、今は後悔している時間も惜しい。雛祈には村の監視と牽制のみ求めるべきか、あるいは掴んでいる情報を元に容疑者を急襲させるか、動向を指示しなければならない。
「う~む……」
 重く唸る佐権院を他所に、デスクに置かれた固定電話が電子音を鳴り響かせた。表示板のデジタル時計を見ると、まだ執務室に入ってから五分も経っていないことを確認する。
 佐権院は鬱陶しそうに電話を見つめながら、受話器を取って耳に当てた。
「佐権院だ。特に緊急の用ではないなら別の者に回して―――」
『さも面倒事のように受話器を取られるというのは良い気分がしませんよ、サゲンイン』
「!?」
『繋がりました』
 受話器の向こうにいる声の主は一旦さがり、別の人物に替わっているらしい。その間、佐権院は何が起こっているのか分からず、ひたすら困惑していた。つい先程まで悩んでいたことも忘れるほどに。
『佐権院警視、お久しぶりです。小林結城こばやしゆうきです』
「小林くん!?」
 慮外の電話相手に佐権院は思わず椅子から立ち上がった。
『そうです。友宮ともみやさんの時はお世話になりました。良かった~、憶えてもらえてて』
「いや、あの時世話になったのはこちらだよ。だが、どうしたんだ? 私のデスクの番号は教えていなかったはずだが」
『アテナ様の力で佐権院警視のところに電話を繋いでもらったんです。どうしてもお願いしいたいことがあって』
「アテナ様が?」
 そう聞いた佐権院の頬を汗が一筋流れた。ということは、最初に電話に出た相手はアテナだったことになる。電話の相手が不明だったとはいえ、少々不敬な態度を取ってしまったと反省した。
「オホン、ところで私に頼みたいこととは何かな?」
『実は僕、○○県の螺久道村ってところにいるんですか―――』
「何っ!?」
 結城の口から出た地名を聞き、佐権院は目を見開いて驚いた。同時に、この一報が天からの導きにさえ感じ、体の芯から高揚感が湧き立っていた。

「話は分かった。私の方でできる限り手配しておこう」
『お願いします。僕たちだけじゃちょっと難しそうだったので』
「なに、気にすることはない。今後とも力にならせてもらうよ」
『ありがとうございます。それでは』
 結城からの通話が途絶えた受話器を置き、佐権院は人知れず含み笑いを見せた。それは難儀な問題にぶつかっていたところ、降って湧いた僥倖に感謝している、というだけではない。
「蓮吏、ズルい人」
 いつの間にかデスクに腰掛けていたスーツ姿の美女がポツリと言った。佐権院蓮吏のパートナー、古い丸眼鏡の化身、トオミだった。
「何のことかな?」
「螺久道村の件で自分も動いていたのに、それを言わないで小林結城に恩を着せたでしょ? 次の依頼を断りづらくさせるために」
「私は気になったから雛祈に調べてきてもらうように頼んだだけ。実質的にはほとんど関わっていないようなものだよ」
 そう言いながら椅子に深く背を預ける佐権院の顔は、実に愉しげな表情を湛えていた。まさに悪巧みに酔いしれているといった風情だった。
「本当に、ズルい人」
 言葉では佐権院を非難しながら、トオミも薄く微笑を浮かべた。
 デスクから降りたトオミは佐権院の後ろに立ち、椅子の背もたれを挟んで両腕を回した。妖しげに目を細めつつ、両掌で佐権院の胸板をさわさわとまさぐる。そのうちに右手が下腹部へと伸びていくが、
「おっと」
 その手を佐権院はやんわりと制した。
「まだ愉しむには早い」
「……久しぶりに『秘書プレイ』ができると思ったのに」
 佐権院に制止されたトオミは渋々と椅子から離れた。
「この案件が片付けば付き合おう。それよりも手配してほしいものがいくつかある。行ってくれるかな?」
「どんなことでも」
 佐権院が目線を送ると、トオミはフレームレスの眼鏡をくいと持ち上げ、不敵な笑みを返して見せた。
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