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化生の群編

深まる謎

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「面を被った怪人物に、謎の神殿……ですか」
 結城ゆうきの話を聞き終わったアテナは、目を細め、顎に指を当てる仕草をした。いつもアテナが思考を巡らせる時のポージングだった。
「そこに螺久道村らくどうむらの村長さんの家で見た怪物たちもいました」
「結城、あ~ん」
 アテナと話しつつ、結城はシロガネから差し出された梨をしゃくしゃくと租借した。
「他に見たものはありませんか? その神殿の中は?」
「シャクシャク、ごめんなさい、シャクシャク、殴られて意識がはっきりしてなかったから、シャクシャク、やしろの中に何があったかまでは、ゴクン」
「ゆうき、ゆうき! はい、あ~ん」
 今度は媛寿えんじゅから差し出されたリンゴうさぎを頬張る結城。
「フ~ム、その面を被った怪人物が気がかりです。あるいはこの事件の首謀者やも知れませんが、今はまだ情報が不足しています」
「僕も全然、シャクシャク、あの人の考えていたことが、シャクシャク、分かりませんでした、シャクシャク、何で僕を、シャクシャク、殺そうとしたのに、シャクシャク、とどめを刺そうとしなかったのか、ゴクン……ゲッフ!」
「結城、次」
「ゆうき! こっちこっち!」
 シロガネと媛寿が次の果物を食べさせようと、こぞって結城にフォークの先を突き出してくる。気持ちはありがたいのだが、結城はかれこれもう三十分、断続的に果物を摂取して胃がパンパンに膨れていた。
「Yω8↓(お前ら、食わせすぎだ)」
「シロガネ、エンジュ、そのあたりにしておきなさい。ユウキのお腹が破れてしまいます」
「……、分かった」
「う~」
 アテナに諌められ、シロガネと媛寿は渋々と果物の皿を下げた。
「その怪人物が何者なのかはさておき、あなたを殺さなかった……いえ、『殺せなかった』理由は見当が付きます」
「『殺せなかった』? それってどういう意味ですか?」
「想定外だった……ということでしょう」
「?」
 結城は首を傾げた。他者から話を聞いたアテナと違って、結城自身は一連の当事者だ。その結城からして、いったい何が『想定外』だったのか、思い当たる節がなかった。
「想定外……って、何がですか?」
「あなたです、ユウキ」
「ぼ、僕?」
 結城は自身を指差して驚いた。ますます頭の中は疑問符でいっぱいになる。
 そんな結城をよそに、アテナは地図を拡げて結城に見せた。以前、一懇楼いっこんろうの部屋で見ていた螺久道村の森の地図だった。
「あなたとエンジュを見つけた場所はここでした」
 アテナが指した地図上の位置を見て、結城は『あっ!』っと声を上げた。そこはアテナたちが『迷いの結界』があると睨んでいた範囲のちょうど手前だった。
「そうです。ユウキ、あなたはこの結界の中に入っていたのです」
 アテナに断言された結城は、それで様々なことが合致した。森の中を走っていたはずが、なぜあのような空間に出てしまっていたのか。そして思い返せば、アテナに見せられた航空写真と、空間内の様子はほぼ一緒だった。
 媛寿を追うのに夢中になっていたことと、頭を殴られたことで失念していたが、結城は森の結界の中に侵入していたのだと理解した。
「その怪人物はおそらく、矢を放ってあなたを恫喝どうかつすることが目的だったのでしょう。『これ以上余計なことはするな』とでも言うように。それさえ済めば良かったはずです。たとえ追ってこられても、結界に逃げ込めば振り切れます。しかし、逆上した媛寿を追ってきたあなたが結界の中まで入ってきてしまった。怪人物にとってはさぞかし驚いたことでしょう。決して追いついてこれないと高を括っていた相手が、拠点に入ってきてしまったのですから」
 アテナの推理を聞いて、結城は体験した一連の出来事に納得できるものを感じていた。もし本当に般若面はんにゃめんの怪人が結城を殺そうとしていたなら、最初からまだら模様の怪物に襲わせていればよかった話だ。わざわざ中途半端に殴打するより、その方がよほど簡単に命を奪えていたはずだ。
「あなたがなぜ結界を突破できたのかはまだ解明できませんが、相手にとって非常に不都合だったことでしょう。とにかくあなたの意識を奪おうと、手近な道具で殴打した。しかし、拠点を見られたあなたをただ帰すわけにもいかず、かといって予定にない殺人を犯すわけにもいかない。従えている怪物たちと揉めていたのは、あなたの処遇だったのでしょう。その怪人物は、あながち清廉な魂の持ち主なのかもしれません」
 アテナの披露した推理で、結城は体験したことの大部分に納得した。思い返してみれば、般若面は逃亡を阻止しようとはしても、結城をそれ以上傷付けようとはしていなかった。危害を加えようとする怪物をなだめようとしていたようにも思える。あるいは、般若の仮面の下では、結城の生死に迷っていたのかもしれない。
(……あれ?)
 結城はふと、アテナの推理に違和感を覚えた。般若面が結城を殺せなかった理由は大いに納得できた。ただ、その前に起こった『あること』について、何かが違うと感じたのだ。
「敵は依頼者が手紙を出したことを知っていたと推察できます。ユウキが差出人を探していると気付き、これ以上の行動を阻止しようとしたのでしょう。ユウキ、これは依頼者の命も危ういのかも―――」
「アテナ様、違います」
 アテナの言葉を遮って、結城はそう告げた。
「違うとは……先程の推理ですか?」
「あっ、いえ。般若の怪人が僕を殺せなかったっていうのは当たってると思います」
「では、何が違うのですか?」
「般若の怪人が僕を脅したっていうのが、ちょっと……違う気がして……」
 結城の感じた違和感はそこにあった。アテナの推理では、般若面は結城を狙って矢を射った、ということになる。だが、結城が記憶を手繰っていくと、あの時、矢が向かっていた先は―――、
「そうだ、やっぱり」
「? どうしました、ユウキ?」
「あの時狙われていたのは僕じゃない。灯恵ともえさんだ」
 結城は当時の記憶をはっきりと思い出した。媛寿に般若面の存在を知らされて、咄嗟に灯恵を庇ったが、矢が放たれた軌道は結城には向いていなかった。矢が命中するはずだったのは、朱月あかつき灯恵の方だった。
「アカツキトモエに会ったというのは、エンジュから聞いていましたが、では彼女が狙われていたと言うのですか?」
「たぶん。あの矢は灯恵さんの後ろにあった電柱に刺さってました。媛寿が気付いていなかったら、矢が当たっていたのは灯恵さんだったはずです」
「……エンジュ、あなたはいかがですか?」
「わかんない。ゆうきがあぶないめにあったとおもってすごくおこったから……」
 アテナに問われた媛寿は首をぶんぶんと横に振った。
「では怪人物はアカツキトモエを狙っていたということでしょうか。いったい何のために……あるいは彼女が差出人、依頼者だったのでしょうか。いえ、それなら結城に全てを打ち明けるはず……」
 予想外の情報が浮上し、アテナは再び推理するが、なかなか真相は見えてこない。
 結城にしても、灯恵が狙われた理由は見当が付かない。そもそも、般若面は斑模様の怪物たちを従えていた。なのに、想定外だった結城はいざ知らず、灯恵を始末するのに矢を一本射ったのみ。それも第三者である結城がいる状況で、だ。本気で灯恵を闇に葬りたかったのなら、他に誰もいない場所で、もっと確実な方法を取ったはずだ。
 差出人不明の手紙を寄越した依頼人といい、今回の依頼は文字通りの五里霧中だと結城は思っていた。
「……WΠ4←。QΣ9↑(……ちょっと待て、結城。お前、誰に会ったって言った?)」
 それまで静聴していたマスクマンが、唐突に質問を投げかけてきた。
「誰って……灯恵さんだけど」
 マスクマンの質問に、結城はやや面食らった。ここまでの話で朱月灯恵に会ったのは揺るぎない事実であるはずなのに、なぜそんなことを聞いてくるのか、と。
「RΛ(本当か?)」
 マスクマンは結城の元に歩み寄ってくると、ベッドの下に収納してあったプラスチック製の籠を引き出した。中には結城が着ていた衣類がまとめられており、マスクマンはその中から上着を一枚取り出した。
 その上着をマスクマンはしばらくじっと見つめ、一言呟いた。
「NΓ(違うぞ)」
「えっ?」
「AΩ6→NA(お前が会ったのは、朱月灯恵じゃないぞ。別人だ)」
「ええっ!?」
 これには結城も声を上げて驚いた。幸いすんでのところで声を絞ったので、病院内に声が轟くことはなかった。
「じゃあ……あれは誰?」
「Hυ3↓。BΔ1→VZ(そいつは知らねぇ。だが、オレも朱月灯恵には会ったから、においを憶えてる。言えるのは、この服に残ってるのが、朱月灯恵のにおいとは別ものだってことだ)」
 結城は顔面蒼白となり、アテナはますます鋭く目を細めた。螺久道村に蔓延る謎が、ますます深く、色濃くなっていった。

 燭台の明かりで橙に染められた社の中に、『朱月灯恵』は立っていた。
 一人でいるのではなく、向かい合わせにもう一人立っている者がいる。白装束に般若の面を被った、斑の怪物たちを束ねる謎の怪人。
 般若面は灯恵に何かを告げた。それを聞いた灯恵は悲しげに微笑み、肩掛けにしていた白い布を落とした。
 一糸纏わぬ姿で、灯恵は般若面に近付いていく。般若面も、面紐を取り、素顔を晒して灯恵を受け入れる。
 誰もいない深遠の社で、二人は互いをそっと抱きしめた。
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