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化生の群編

森の先……

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 般若面はんにゃめんの怪人を追いかけていった媛寿えんじゅを連れ戻すため、結城ゆうきもまた森林地帯へと分け入っていた。
「まーてぇー!」
「媛寿ー! ちょっと待ってー!」
 出遅れてしまったが、結城は媛寿との距離を何とか縮めつつあった。ただ、あまり余裕はない。森林地帯の深部に入ってしまえば、今度は戻るのが難しくなる。頭に血が上った媛寿を連れ戻し、来た道を戻って森を抜けなければいけないのだ。このまま入り込みすぎれば、相手の領域でどんな危険が待っているか分からない。
 媛寿の力も相当なものだと知っていても、相手の戦力もはっきりしていないうちに戦うほど、結城も短絡的ではない。『まずは彼我の戦力差を見ることが肝要』とアテナから教わっている。せめてアテナたちと合流しなければ、このまま直接対決するには危険すぎた。
「媛寿ー! それ以上はダメだー!」
 アテナの鍛錬で培った体力を総動員して、結城は媛寿に追いすがる。前方さえまともに見られないほど必死に地を蹴り、媛寿を引き止めようと叫ぶ。
「ゆうき!?」
 ようやく結城の叫びが耳に届き、媛寿は足を止めた。だが、後ろを振り返った媛寿は目を瞬かせた。
「ゆう……き?」
 媛寿は首を傾げた。確かに結城の声は後ろから聞こえていた。そのはずなのに、結城の姿はどこにも見えず、視界には鬱蒼とした森の木々が広がるばかりだった。
「っ!」
 媛寿は慌てて前に向き直った。追っていた般若面の怪人の姿も消えている。
 そこであることに勘付き、媛寿は血の気が引いた。

「媛寿ー!」
 結城はひたすら森を疾駆していた。叫びながら走るという無呼吸運動に近い行いに、目の前を確認する余裕もなく必死にひた走る。
 しかし途中、足の感触に違和感を感じた。森に入った時には、雑草や木の根を踏みしめていたが、いま足の裏はその感触がまるでない。平らに慣らされた土の上を蹴っている感触があったのだ。
 それを不思議に思って目を開けた結城は、眼前の光景に目を丸くした。
「……ここは?」
 結城が立っていたのは暗い森の中ではなく、整地された土の地面が広がる明るい空間だった。
 走り抜けてきた森林のような雑草や木々もなく、形の良い胡桃の木や庭石が置かれ、庭園と呼べるほどに景観が整えられている。脇を流れる小川の先には水車小屋まである。自然にできたわけではなく、人が出入りし、手入れをしている場所であるのは確かだった。
 等間隔で配置された飛び石を目で追っていくと、五十メートルほど先に巨大な岩壁がそびえ立っていた。辺り一帯を囲む堅牢な城壁を思わせる岩壁は、見る者を圧倒する迫力があったが、結城はそれよりも気になる物があることに気付いた。
 左右に広がる岩壁のちょうど真ん中に、建造物が一つある。それもただの家屋等ではなく、結城も見知った独特の雰囲気を放つ建築物。
 やしろだった。一軒家程度の大きさの社が、岩壁に張り付くように建てられていた。
 それを見た結城は少しだけ得心した。いま居る場所は、何かを祀るための神聖な場所だということを。
 おそらく螺久道村らくどうむらの人々が崇めている土着信仰の一種だと、結城は思った。今までの依頼でも、同じような場所を発見したことはあったので、それ自体は驚きはしなかった。
「……あれ?」
 だが、結城はこれまで見てきた社と比べると、一つだけ足りない物があることに気付き、首を傾げた。
 もう一度辺りを見回してみるが、やはり見つからない。その場所が土着の神を祀る神社のようなものだとするならば、あるはずの物がない。
 鳥居がどこにも見当たらない。社はそれほど大きくないとはいえ、造りは素人目に見ても非常に立派だった。それが鳥居を作っていないとはどういうことなのか。
 その場の空気の清涼さに反して、結城は得体の知れない雰囲気を感じ、一歩後ずさった。
 すぐに振り返ってこの場を離れるつもりでいた結城だったが、急に視界が歪み、平衡感覚も失ってしまった。景色が反転したと思った時には、すでに体は地面に横たわっていた。
(どうし…て……いったい……なに…が……)
 状況が理解できない結城は、収縮していく意識の中で、自身に何が起こったのか探ろうとする。分かるのは後頭部にへばり付く鈍い痛みだけだった。昏倒する前、そこに強い衝撃を受けたことを思い出した。
「!」
 倒れた結城の顔を覗き込もうと、傍らに立つ者がいた。陽の逆行に当てられてなお、身に付けている装束の白さが目立つその人物に、結城は心当たりがあった。森の入り口で結城たちを襲撃した、般若面の怪人だった。右手には棒状の物が握られ、結城はそれで殴打されたのだと確信した。
「う……ぐっ……」
 しかし状況を理解した時にはすでに遅く、結城はかろうじて留めていた意識さえも失った。
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