小林結城は奇妙な縁を持っている

木林 裕四郎

文字の大きさ
上 下
128 / 418
化生の群編

多珂倉稔丸

しおりを挟む
 螺久道村らくどうむらの森から戻った雛祈ひなぎは、一懇楼いっこんろうの部屋で険しい顔をしていた。
 その視線の先には、座卓の上に置かれた金属トレーがある。トレーに載っているのは、保冷パックに入れられた、例の怪物の左腕だった。
 単にそれだけ見れば、切断された人間の腕が置かれた猟奇的な場面にしか見えないが、腕の持ち主がどう見ても人間ではなかったことを、雛祈も、その従者たちも知っている。
 まさに問題視しなければいけないのは、そこだった。保冷パックに入った腕は、人間のものにしか見えない。しかし、その持ち主は人間に見えず、しかも結界が反応しなかったことで、人間と判断するしかないという矛盾。
 手持ちの装備で調べるだけ調べても、目の前にあるのは人間の腕としか思えなかった。だからこそ、それほど不可解な物を前に、雛祈は表情を硬くしていた。
「『腕を斬られて逃げ去った』、か。まるで自分の先祖のようだ」
 急須で緑茶を淹れた桜一郎おういちろうが、湯呑みを雛祈に差し出しながら言った。
 原木本ばらきもとの先祖は、ある武士もののふに橋の上で襲い掛かり、片腕を斬り落とされて敗走した過去を持つ。以来、原木本家は代々、鬼が本来持つ感情の昂ぶりに身を任せるのではなく、物事に対して冷静、慎重を以って当たるべし、と家訓が受け継がれてきた。
 これによって原木本家は昂ぶりを力に換える能力が少し削がれたが、鬼でありながら思慮深く行動する性質が身に付いた。
 森で遭遇した怪物が腕を落として去っていったのは、まさに桜一郎の先祖と酷似した状況であり、デジャビュのような感慨深いものがあったのだろう。
「じゃあ待っていればあいつがこの腕を取り返しに来るかしら?」
 雛祈も長い付き合いなので、桜一郎の気持ちはそれとなく察していた。なので緑茶を啜りながら、少々洒落っ気を織り交ぜて返した。
「自分が思うに、アレからはそういった執念深さは感じなかった。極めて強い敵意は感じたが」
 雛祈の配慮を受け止めつつ、桜一郎はいつもの通り、冷静に分析する。
「で、でも、あ、あれは一体なんだったんでしょう。ぜ、全然見たことない妖怪でしたよ?」
 桜一郎の後ろに隠れるようにして、千冬ちふゆも置かれた腕を覗き見た。
「妖怪、か。鬼の末裔あなたたちでも見たことがない上に、正体も不明というなら、文字通り妖怪ってことになるわね」
 軽い溜め息混じりに言って、雛祈は再び斬られた腕に視線を戻した。自分たちで調べられることは調べ終わり、何も情報が得られなかったのであれば、やはり佐権院さげんいんに送って詳細な解析を依頼するべきなのかもしれない。
 そう考えていた矢先だった。部屋のふすまが勢いよく開かれた。
「やあやあ、雛祈ちゃん。久しぶりぃ、元気してるぅ?」
 場違いな程に明るい調子で入ってきた珍客に、雛祈はさも迷惑そうな顔を向けた。
稔丸ねんまる……なんであなたがここに来てるの……」
「フフン。佐権院家と祀凰寺家しおうじけが同時に動いてるって聞いたら、タダ事じゃないって思うのは当然じゃん。ひょっとしたら何か儲け話が出るかもしれないからね」
 稔丸と呼ばれた男は、その口調よろしく浮き浮きとした様子でジャケットの襟を正した。
 高級感のあるグレーのスーツとハット帽子を被り、派手なオレンジのワイシャツにノーネクタイという出で立ちは、見方によってはどこぞの裏社会の人間に見えてしまいそうである。胸ポケットに差したサングラスが、よりその手の雰囲気を強調している。
 だが、こう見えてこの男、雛祈と同じく護国鎮守を預かる家系の一人だった。
 名を多珂倉稔丸たかくらねんまるという。多珂倉家は代々、霊能力者としてはあまり強い力を持っていない。しかし、平安の頃より時代とともに積み重ね、磨いてきた独自の経済思想と財政管理によって、どこの家系よりも潤沢な財源を有していた。その経済力を駆使し、基本は他家のサポートや事後処理、表裏を問わず社会的な交渉を得意とする一族だった。
 どこからそれほどの資金を得ているのか怪しむ声もあるが、多珂倉家がバックアップに付けば大抵はスムーズに事が運ぶので、他の家系の者も深くは追求しないよう、暗黙の了解が取られていた。
 現在は若干二十七歳にして当主を継いだ稔丸が中心となり、多珂倉家や他家との遣り取りを仕切っている。雛祈にとって佐権院蓮吏れんりが霊能力と捜査の先達であるならば、稔丸は経済と交渉の先達となるのだが、その不謹慎なほどに明るい性格を、雛祈は昔から苦手としていた。
「残念ながら今回は儲け話になりそうもないわ。当てが外れたわね」
「そっかぁ。まっ、いっか。せっかく温泉付きの一懇楼に来たんなら、ボクものんびり心の洗濯としゃれ込もうか」
(洗濯するならその性格を綺麗さっぱり無かったことにしてほしいわ)
 古い付き合いではあっても、やはり稔丸の飛び抜けた明るさだけは受容できない。だが、下手をすれば道化にも見える稔丸であっても、その手腕は抜け目なく、油断も無いことを雛祈は知っている。
「でもその前に―――」
 稔丸はここまでの会話で一切触れていなかった、座卓の上に置かれたトレーに目を向けた。先程までの明け透けな態度とは打って変わり、その目は一瞬の隙も見逃さない真剣味が窺える。
「ソレ、どうしたの?」
「今コレについて悩んでいたところよ」
 雛祈は螺久道村に来るまでの経緯と、『腕』を入手することになった状況を稔丸に話した。ここまで足を運んだ以上、稔丸に下手な隠し事をしても無意味だと、雛祈には分かっていたからだ。
「ふ~ん、斑模様まだらもようの妖怪ね」
 話を聞き終わった稔丸は、何の気なしに桜一郎が淹れてくれた緑茶を啜っているが、あまり釈然としない様子だった。少し訝しむような目で、トレーの中の腕を見ている。
「妖怪といえるのかも怪しいわ。結界がまるで通じなかったんだから」
「『鬼』じゃなかった……んだよね?」
「断じて『鬼』じゃないわね。外見のまとまりがなさ過ぎるもの。その腕だって、ちょっと調べたけど人間そのものよ」
 湯呑みに口を付けながら、片手でひらひらとお手上げの仕草をしてみせる雛祈。それを見て稔丸も、件の怪物について疑問が深まったようだった。
「もしかして、これと関係ある、かな?」
 稔丸は眉をひそめつつ、ジャケットの内ポケットから一枚の紙を取り出した。その紙を目にした雛祈の体がわずかに強張った。緊張というよりは、見慣れないものを見たための驚きの反応だった。
「どうしたのよ、『ソレ』」
 紙は正方形のカードのような形状だった。掌にちょうど収まるサイズで、それ自体には何の変哲もない。雛祈が驚いたのは、紙に書かれた文字だった。正確な字体から外れた、かなり崩れた文字だったが、紙には『二十八』と書かれているように見える。
 他人が見れば、それだけで何を意味するのか解らないが、雛祈にはその意味するところが解っていた。
「総務省に届いてたんだけど、巡り巡って昨日ボクんトコに回ってきたんだ。こんな古い連絡方法、まだ知ってる人いたんだね」
 呆れたような顔をしながら、稔丸は指に挟んだ紙をひらひらと振った。
「あなたが螺久道村ここに来た理由って……」
「そっ。他の『二十八家にじゅうはっけ』の人たちも、なかなかすぐには動けないらしくってさ。それでボクが来たの。その過程で佐権院家と祀凰寺家が動いてることが分かったんだけどね」
「それで……送り主は誰?」
 まさか結城の元に届いた手紙同様、送り主が分からないというわけはあるまい、と雛祈は見越していた。『二十八家』に連絡を取ろうというなら、そんな曖昧なことをしては取り合ってもらえないのだから。
「螺久道村の村長、岸角碩左衛門きしかどせきざえもん。明日会いに行こうと思ってるんだけど、雛祈ちゃんはどうする?」
 稔丸の誘いに、雛祈は少し目を伏せて考えるような姿勢を見せたが、すぐに顔を正面に向けた。どうするかと言われて、次の行動は思案するまでもなく決まっていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

私は、忠告を致しましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私マリエスは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢ロマーヌ様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  ロマーヌ様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は常に最愛の方に護っていただいているので、貴方様には悪意があると気付けるのですよ。  ロマーヌ様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ?

【完結】わたしは大事な人の側に行きます〜この国が不幸になりますように〜

彩華(あやはな)
恋愛
 一つの密約を交わし聖女になったわたし。  わたしは婚約者である王太子殿下に婚約破棄された。  王太子はわたしの大事な人をー。  わたしは、大事な人の側にいきます。  そして、この国不幸になる事を祈ります。  *わたし、王太子殿下、ある方の視点になっています。敢えて表記しておりません。  *ダークな内容になっておりますので、ご注意ください。 ハピエンではありません。ですが、救済はいれました。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【完結】元婚約者であって家族ではありません。もう赤の他人なんですよ?

つくも茄子
ファンタジー
私、ヘスティア・スタンリー公爵令嬢は今日長年の婚約者であったヴィラン・ヤルコポル伯爵子息と婚約解消をいたしました。理由?相手の不貞行為です。婿入りの分際で愛人を連れ込もうとしたのですから当然です。幼馴染で家族同然だった相手に裏切られてショックだというのに相手は斜め上の思考回路。は!?自分が次期公爵?何の冗談です?家から出て行かない?ここは私の家です!貴男はもう赤の他人なんです! 文句があるなら法廷で決着をつけようではありませんか! 結果は当然、公爵家の圧勝。ヤルコポル伯爵家は御家断絶で一家離散。主犯のヴィランは怪しい研究施設でモルモットとしいて短い生涯を終える……はずでした。なのに何故か薬の副作用で強靭化してしまった。化け物のような『力』を手にしたヴィランは王都を襲い私達一家もそのまま儚く……にはならなかった。 目を覚ましたら幼い自分の姿が……。 何故か十二歳に巻き戻っていたのです。 最悪な未来を回避するためにヴィランとの婚約解消を!と拳を握りしめるものの婚約は継続。仕方なくヴィランの再教育を伯爵家に依頼する事に。 そこから新たな事実が出てくるのですが……本当に婚約は解消できるのでしょうか? 他サイトにも公開中。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

処理中です...