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化生の群編
多珂倉稔丸
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螺久道村の森から戻った雛祈は、一懇楼の部屋で険しい顔をしていた。
その視線の先には、座卓の上に置かれた金属トレーがある。トレーに載っているのは、保冷パックに入れられた、例の怪物の左腕だった。
単にそれだけ見れば、切断された人間の腕が置かれた猟奇的な場面にしか見えないが、腕の持ち主がどう見ても人間ではなかったことを、雛祈も、その従者たちも知っている。
まさに問題視しなければいけないのは、そこだった。保冷パックに入った腕は、人間のものにしか見えない。しかし、その持ち主は人間に見えず、しかも結界が反応しなかったことで、人間と判断するしかないという矛盾。
手持ちの装備で調べるだけ調べても、目の前にあるのは人間の腕としか思えなかった。だからこそ、それほど不可解な物を前に、雛祈は表情を硬くしていた。
「『腕を斬られて逃げ去った』、か。まるで自分の先祖のようだ」
急須で緑茶を淹れた桜一郎が、湯呑みを雛祈に差し出しながら言った。
原木本の先祖は、ある武士に橋の上で襲い掛かり、片腕を斬り落とされて敗走した過去を持つ。以来、原木本家は代々、鬼が本来持つ感情の昂ぶりに身を任せるのではなく、物事に対して冷静、慎重を以って当たるべし、と家訓が受け継がれてきた。
これによって原木本家は昂ぶりを力に換える能力が少し削がれたが、鬼でありながら思慮深く行動する性質が身に付いた。
森で遭遇した怪物が腕を落として去っていったのは、まさに桜一郎の先祖と酷似した状況であり、デジャビュのような感慨深いものがあったのだろう。
「じゃあ待っていればあいつがこの腕を取り返しに来るかしら?」
雛祈も長い付き合いなので、桜一郎の気持ちはそれとなく察していた。なので緑茶を啜りながら、少々洒落っ気を織り交ぜて返した。
「自分が思うに、アレからはそういった執念深さは感じなかった。極めて強い敵意は感じたが」
雛祈の配慮を受け止めつつ、桜一郎はいつもの通り、冷静に分析する。
「で、でも、あ、あれは一体なんだったんでしょう。ぜ、全然見たことない妖怪でしたよ?」
桜一郎の後ろに隠れるようにして、千冬も置かれた腕を覗き見た。
「妖怪、か。鬼の末裔でも見たことがない上に、正体も不明というなら、文字通り妖怪ってことになるわね」
軽い溜め息混じりに言って、雛祈は再び斬られた腕に視線を戻した。自分たちで調べられることは調べ終わり、何も情報が得られなかったのであれば、やはり佐権院に送って詳細な解析を依頼するべきなのかもしれない。
そう考えていた矢先だった。部屋の襖が勢いよく開かれた。
「やあやあ、雛祈ちゃん。久しぶりぃ、元気してるぅ?」
場違いな程に明るい調子で入ってきた珍客に、雛祈はさも迷惑そうな顔を向けた。
「稔丸……なんであなたがここに来てるの……」
「フフン。佐権院家と祀凰寺家が同時に動いてるって聞いたら、タダ事じゃないって思うのは当然じゃん。ひょっとしたら何か儲け話が出るかもしれないからね」
稔丸と呼ばれた男は、その口調よろしく浮き浮きとした様子でジャケットの襟を正した。
高級感のあるグレーのスーツとハット帽子を被り、派手なオレンジのワイシャツにノーネクタイという出で立ちは、見方によってはどこぞの裏社会の人間に見えてしまいそうである。胸ポケットに差したサングラスが、よりその手の雰囲気を強調している。
だが、こう見えてこの男、雛祈と同じく護国鎮守を預かる家系の一人だった。
名を多珂倉稔丸という。多珂倉家は代々、霊能力者としてはあまり強い力を持っていない。しかし、平安の頃より時代とともに積み重ね、磨いてきた独自の経済思想と財政管理によって、どこの家系よりも潤沢な財源を有していた。その経済力を駆使し、基本は他家のサポートや事後処理、表裏を問わず社会的な交渉を得意とする一族だった。
どこからそれほどの資金を得ているのか怪しむ声もあるが、多珂倉家がバックアップに付けば大抵はスムーズに事が運ぶので、他の家系の者も深くは追求しないよう、暗黙の了解が取られていた。
現在は若干二十七歳にして当主を継いだ稔丸が中心となり、多珂倉家や他家との遣り取りを仕切っている。雛祈にとって佐権院蓮吏が霊能力と捜査の先達であるならば、稔丸は経済と交渉の先達となるのだが、その不謹慎なほどに明るい性格を、雛祈は昔から苦手としていた。
「残念ながら今回は儲け話になりそうもないわ。当てが外れたわね」
「そっかぁ。まっ、いっか。せっかく温泉付きの一懇楼に来たんなら、ボクものんびり心の洗濯としゃれ込もうか」
(洗濯するならその性格を綺麗さっぱり無かったことにしてほしいわ)
古い付き合いではあっても、やはり稔丸の飛び抜けた明るさだけは受容できない。だが、下手をすれば道化にも見える稔丸であっても、その手腕は抜け目なく、油断も無いことを雛祈は知っている。
「でもその前に―――」
稔丸はここまでの会話で一切触れていなかった、座卓の上に置かれたトレーに目を向けた。先程までの明け透けな態度とは打って変わり、その目は一瞬の隙も見逃さない真剣味が窺える。
「ソレ、どうしたの?」
「今コレについて悩んでいたところよ」
雛祈は螺久道村に来るまでの経緯と、『腕』を入手することになった状況を稔丸に話した。ここまで足を運んだ以上、稔丸に下手な隠し事をしても無意味だと、雛祈には分かっていたからだ。
「ふ~ん、斑模様の妖怪ね」
話を聞き終わった稔丸は、何の気なしに桜一郎が淹れてくれた緑茶を啜っているが、あまり釈然としない様子だった。少し訝しむような目で、トレーの中の腕を見ている。
「妖怪といえるのかも怪しいわ。結界がまるで通じなかったんだから」
「『鬼』じゃなかった……んだよね?」
「断じて『鬼』じゃないわね。外見のまとまりがなさ過ぎるもの。その腕だって、ちょっと調べたけど人間そのものよ」
湯呑みに口を付けながら、片手でひらひらとお手上げの仕草をしてみせる雛祈。それを見て稔丸も、件の怪物について疑問が深まったようだった。
「もしかして、これと関係ある、かな?」
稔丸は眉をひそめつつ、ジャケットの内ポケットから一枚の紙を取り出した。その紙を目にした雛祈の体がわずかに強張った。緊張というよりは、見慣れないものを見たための驚きの反応だった。
「どうしたのよ、『ソレ』」
紙は正方形のカードのような形状だった。掌にちょうど収まるサイズで、それ自体には何の変哲もない。雛祈が驚いたのは、紙に書かれた文字だった。正確な字体から外れた、かなり崩れた文字だったが、紙には『二十八』と書かれているように見える。
他人が見れば、それだけで何を意味するのか解らないが、雛祈にはその意味するところが解っていた。
「総務省に届いてたんだけど、巡り巡って昨日ボクんトコに回ってきたんだ。こんな古い連絡方法、まだ知ってる人いたんだね」
呆れたような顔をしながら、稔丸は指に挟んだ紙をひらひらと振った。
「あなたが螺久道村に来た理由って……」
「そっ。他の『二十八家』の人たちも、なかなかすぐには動けないらしくってさ。それでボクが来たの。その過程で佐権院家と祀凰寺家が動いてることが分かったんだけどね」
「それで……送り主は誰?」
まさか結城の元に届いた手紙同様、送り主が分からないというわけはあるまい、と雛祈は見越していた。『二十八家』に連絡を取ろうというなら、そんな曖昧なことをしては取り合ってもらえないのだから。
「螺久道村の村長、岸角碩左衛門。明日会いに行こうと思ってるんだけど、雛祈ちゃんはどうする?」
稔丸の誘いに、雛祈は少し目を伏せて考えるような姿勢を見せたが、すぐに顔を正面に向けた。どうするかと言われて、次の行動は思案するまでもなく決まっていた。
その視線の先には、座卓の上に置かれた金属トレーがある。トレーに載っているのは、保冷パックに入れられた、例の怪物の左腕だった。
単にそれだけ見れば、切断された人間の腕が置かれた猟奇的な場面にしか見えないが、腕の持ち主がどう見ても人間ではなかったことを、雛祈も、その従者たちも知っている。
まさに問題視しなければいけないのは、そこだった。保冷パックに入った腕は、人間のものにしか見えない。しかし、その持ち主は人間に見えず、しかも結界が反応しなかったことで、人間と判断するしかないという矛盾。
手持ちの装備で調べるだけ調べても、目の前にあるのは人間の腕としか思えなかった。だからこそ、それほど不可解な物を前に、雛祈は表情を硬くしていた。
「『腕を斬られて逃げ去った』、か。まるで自分の先祖のようだ」
急須で緑茶を淹れた桜一郎が、湯呑みを雛祈に差し出しながら言った。
原木本の先祖は、ある武士に橋の上で襲い掛かり、片腕を斬り落とされて敗走した過去を持つ。以来、原木本家は代々、鬼が本来持つ感情の昂ぶりに身を任せるのではなく、物事に対して冷静、慎重を以って当たるべし、と家訓が受け継がれてきた。
これによって原木本家は昂ぶりを力に換える能力が少し削がれたが、鬼でありながら思慮深く行動する性質が身に付いた。
森で遭遇した怪物が腕を落として去っていったのは、まさに桜一郎の先祖と酷似した状況であり、デジャビュのような感慨深いものがあったのだろう。
「じゃあ待っていればあいつがこの腕を取り返しに来るかしら?」
雛祈も長い付き合いなので、桜一郎の気持ちはそれとなく察していた。なので緑茶を啜りながら、少々洒落っ気を織り交ぜて返した。
「自分が思うに、アレからはそういった執念深さは感じなかった。極めて強い敵意は感じたが」
雛祈の配慮を受け止めつつ、桜一郎はいつもの通り、冷静に分析する。
「で、でも、あ、あれは一体なんだったんでしょう。ぜ、全然見たことない妖怪でしたよ?」
桜一郎の後ろに隠れるようにして、千冬も置かれた腕を覗き見た。
「妖怪、か。鬼の末裔でも見たことがない上に、正体も不明というなら、文字通り妖怪ってことになるわね」
軽い溜め息混じりに言って、雛祈は再び斬られた腕に視線を戻した。自分たちで調べられることは調べ終わり、何も情報が得られなかったのであれば、やはり佐権院に送って詳細な解析を依頼するべきなのかもしれない。
そう考えていた矢先だった。部屋の襖が勢いよく開かれた。
「やあやあ、雛祈ちゃん。久しぶりぃ、元気してるぅ?」
場違いな程に明るい調子で入ってきた珍客に、雛祈はさも迷惑そうな顔を向けた。
「稔丸……なんであなたがここに来てるの……」
「フフン。佐権院家と祀凰寺家が同時に動いてるって聞いたら、タダ事じゃないって思うのは当然じゃん。ひょっとしたら何か儲け話が出るかもしれないからね」
稔丸と呼ばれた男は、その口調よろしく浮き浮きとした様子でジャケットの襟を正した。
高級感のあるグレーのスーツとハット帽子を被り、派手なオレンジのワイシャツにノーネクタイという出で立ちは、見方によってはどこぞの裏社会の人間に見えてしまいそうである。胸ポケットに差したサングラスが、よりその手の雰囲気を強調している。
だが、こう見えてこの男、雛祈と同じく護国鎮守を預かる家系の一人だった。
名を多珂倉稔丸という。多珂倉家は代々、霊能力者としてはあまり強い力を持っていない。しかし、平安の頃より時代とともに積み重ね、磨いてきた独自の経済思想と財政管理によって、どこの家系よりも潤沢な財源を有していた。その経済力を駆使し、基本は他家のサポートや事後処理、表裏を問わず社会的な交渉を得意とする一族だった。
どこからそれほどの資金を得ているのか怪しむ声もあるが、多珂倉家がバックアップに付けば大抵はスムーズに事が運ぶので、他の家系の者も深くは追求しないよう、暗黙の了解が取られていた。
現在は若干二十七歳にして当主を継いだ稔丸が中心となり、多珂倉家や他家との遣り取りを仕切っている。雛祈にとって佐権院蓮吏が霊能力と捜査の先達であるならば、稔丸は経済と交渉の先達となるのだが、その不謹慎なほどに明るい性格を、雛祈は昔から苦手としていた。
「残念ながら今回は儲け話になりそうもないわ。当てが外れたわね」
「そっかぁ。まっ、いっか。せっかく温泉付きの一懇楼に来たんなら、ボクものんびり心の洗濯としゃれ込もうか」
(洗濯するならその性格を綺麗さっぱり無かったことにしてほしいわ)
古い付き合いではあっても、やはり稔丸の飛び抜けた明るさだけは受容できない。だが、下手をすれば道化にも見える稔丸であっても、その手腕は抜け目なく、油断も無いことを雛祈は知っている。
「でもその前に―――」
稔丸はここまでの会話で一切触れていなかった、座卓の上に置かれたトレーに目を向けた。先程までの明け透けな態度とは打って変わり、その目は一瞬の隙も見逃さない真剣味が窺える。
「ソレ、どうしたの?」
「今コレについて悩んでいたところよ」
雛祈は螺久道村に来るまでの経緯と、『腕』を入手することになった状況を稔丸に話した。ここまで足を運んだ以上、稔丸に下手な隠し事をしても無意味だと、雛祈には分かっていたからだ。
「ふ~ん、斑模様の妖怪ね」
話を聞き終わった稔丸は、何の気なしに桜一郎が淹れてくれた緑茶を啜っているが、あまり釈然としない様子だった。少し訝しむような目で、トレーの中の腕を見ている。
「妖怪といえるのかも怪しいわ。結界がまるで通じなかったんだから」
「『鬼』じゃなかった……んだよね?」
「断じて『鬼』じゃないわね。外見のまとまりがなさ過ぎるもの。その腕だって、ちょっと調べたけど人間そのものよ」
湯呑みに口を付けながら、片手でひらひらとお手上げの仕草をしてみせる雛祈。それを見て稔丸も、件の怪物について疑問が深まったようだった。
「もしかして、これと関係ある、かな?」
稔丸は眉をひそめつつ、ジャケットの内ポケットから一枚の紙を取り出した。その紙を目にした雛祈の体がわずかに強張った。緊張というよりは、見慣れないものを見たための驚きの反応だった。
「どうしたのよ、『ソレ』」
紙は正方形のカードのような形状だった。掌にちょうど収まるサイズで、それ自体には何の変哲もない。雛祈が驚いたのは、紙に書かれた文字だった。正確な字体から外れた、かなり崩れた文字だったが、紙には『二十八』と書かれているように見える。
他人が見れば、それだけで何を意味するのか解らないが、雛祈にはその意味するところが解っていた。
「総務省に届いてたんだけど、巡り巡って昨日ボクんトコに回ってきたんだ。こんな古い連絡方法、まだ知ってる人いたんだね」
呆れたような顔をしながら、稔丸は指に挟んだ紙をひらひらと振った。
「あなたが螺久道村に来た理由って……」
「そっ。他の『二十八家』の人たちも、なかなかすぐには動けないらしくってさ。それでボクが来たの。その過程で佐権院家と祀凰寺家が動いてることが分かったんだけどね」
「それで……送り主は誰?」
まさか結城の元に届いた手紙同様、送り主が分からないというわけはあるまい、と雛祈は見越していた。『二十八家』に連絡を取ろうというなら、そんな曖昧なことをしては取り合ってもらえないのだから。
「螺久道村の村長、岸角碩左衛門。明日会いに行こうと思ってるんだけど、雛祈ちゃんはどうする?」
稔丸の誘いに、雛祈は少し目を伏せて考えるような姿勢を見せたが、すぐに顔を正面に向けた。どうするかと言われて、次の行動は思案するまでもなく決まっていた。
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