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化生の群編

探索行

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 森に分け入ったマスクマンは、さりげなく周囲に目を配りながら、森の中心を目指して進んでいた。
 歩きながら考えていたのは、媛寿えんじゅたちが感じ取っていたように、森に立ち込める異質な気配についてだった。
(普通の森じゃないな。この気色の悪さは)
 マスクマンもまた、森に入る前からその気配に気付いていたが、入ってからはより強く不快感を感じるようになっていた。
 肌に粘りつくような泥の中を沈んでいっている、という気分。
 ただ、その感覚はもっと具体的な言葉で表すことができた。
 感情、だった。非常に強い負の感情が、森の木々の隙間を縫うように立ち込めていた。
 人間の持つ負の感情というのは、人間のみならず、神や精霊にとっても毒となる。悪鬼や邪神の類なら、それを力に換える者もいるだろうが、マスクマンはそちらには属していない。媛寿たちが森に対して嫌悪感を持ったのも、負の感情で満たされていたからだった。
 そして森の中には樹木がかなり生い茂っているが、だからこそマスクマンには余計に異様さが際立って思えた。だいぶ奥まで来ているはずだが、木の精に一体も会っていない。
 森や山には、多かれ少なかれ木の精が住み着いているものである。日本では木霊こだまという呼び名で、海外ではドライアドという妖精として語り継がれている。樹木をはじめとした植物、生命を持つ自然物の意思が顕現した存在であり、森林や山野に分け入れば必ずと言っていいほど出会う。見えるか見えないかは別の話になるが。
 そこはかなり古い森であるはずが、一向に木霊に遭遇していないことに、マスクマンは強烈な違和感を覚えていた。
(いない、ってわけじゃない)
 マスクマンは時折足を止め、木々の様子を観察しながら状況を思案する。何本かの樹木は高い樹齢を持ち、木霊として現れなければおかしいものもある。それが現れていないということは、別の要因で出てこられない状態だと考えられた。
(何かに抑えつけられている……いや、怯えているって感じか? この森に満ちている気に関係なく……)
 天地創造に携わった精霊の一柱であるとはいえ、今のマスクマンは基本的に雨と雲を司る者。精霊にはそれぞれの役割があり、特別なことがなければ干渉することもない。マスクマンとしても全ての精霊に通じているわけではなかったが、木霊が置かれている状況について、そう考察していた。
(ん?)
 先へ進んでいくうちに、マスクマンの嗅覚はわずかばかりの異臭を捉えた。それは犬科動物などの嗅覚に優れる生物でなければ、決して掴むことはできないほど微かなものだったが、感覚の鋭いマスクマンだからこそ感知できた。
(血のにおい、か。しかもこれは……人間の)
 真新しいものではなく、土埃や森の空気でかなり分かりにくくなっているが、それは紛れもなく人間の血液のにおいだった。そこでふと、マスクマンは先程の朱月あかつき夫妻が話していたことを思い出した。
(例の殺人事件があったっていう場所。この近くか)
 森の異様さに気を取られて忘れていた、八人の人間が死亡したという忌まわしい事件。マスクマンが感じ取った血のにおいも、劣化具合からして大体一週間前だったので、その現場が近いことは明白だった。
(ついでだ。そこも見て行っとくか)
 進んでいた方向から九十度進路を変えて、マスクマンは横の藪へと足を踏み入れていった。
 その様子を、昼間にもかかわらずギラつく両眼が、遠くからじっと見つめていた。
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