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化生の群編

朱月

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「ゲホッ! ゲホッ! 本当に、ゴホッ! すみませんで、ゴホッ! した、ゲッホ! ちょっと、ゴホッ! 考え事、ゲホッ! してて、ゲッホ!」
 川面に頭から突っ込んで逆さまになっていたところを救い出された結城ゆうきだったが、水を吸い込んでしまったせいで、息も絶え絶えに咳き込みながら謝罪していた。
「いえ、こっちもちょっと気を抜いちゃってて……まさかあそこから人が出てくるとは思ってなくて」
 軽トラックの助手席から飛び出した女性もまた、申し訳なさそうに頭を下げていた。
「まっ、怪我がなくて良かったよ。お互いのためにもな」
 軽トラックを運転していた男は抑揚なく言うが、結城が無事で安堵していることだけは分かった。
 結城を助けたのは、軽トラックに乗っていた二人組の男女だった。
 一人は背中まである髪を一つ結びにし、左肩から垂らした細身の女性だった。少し下がり気味の目元をした柔和な面貌をしており、あまり押しの強い方ではないらしく、結城に対してしきりに謝っている。
 もう一人は刈り込んだ短髪に厳しい表情をした屈強な男だった。こちらは一目見て岩のような印象を受けるが、雰囲気までは硬いわけではなく、結城のことを本気で心配しているようだった。
 全くの対照的に見える二人だったが、どちらも作業着に長靴、軍手と帽子を備え、いかにも畑仕事の帰りという風体だった。
「お二人は、ゴッホ! この村の方なんですか?」
 ようやく呼吸が落ち着いてきた結城は、黙っているのもなんだと思ったので、目の前の二人について質問した。今の自分の立場が少々恥ずかしいので、それを誤魔化すつもりでもあったが。
「ええ。私たち、生まれも育ちもこの螺久道村ですよ。あなたは……」
「あっ、僕は、オホン! 小林結城っていいます。この近くの温泉宿に泊まってて、ちょっと周りを散策してたら、さっきのようなことになっちゃって……はは」
 思い出すとやはり恥ずかしいので、結城は照れ隠しに笑ってみる。未だに上半身はびしょ濡れなので、あまり効果があるものではない。
「あんた、観光客か?」
「えっ? ああ、はい。そんなところです」
 男が少し訝しんだ様子だったが、まさか『鬼退治にきました』とははっきり言えず、結城はとりあえず怪しくない程度の答えを返した。
「今この村に来ても、あまり良いことありませんよ? 一週間前にあんな事件があったものだから……」
「あんな事件?」
「ご存じなかったんですか?」
 女性は一週間前、螺久道村らくどうむらの外れの森で起こった殺人事件のあらましを話した。結城は雛祈たちに謎の手紙を受け取って来訪したことは話したが、雛祈ひなぎたちがなぜ螺久道村に来ているのかは聞いていなかった。なので例の事件について、ここで初めて耳にすることになった。
「へぇ~、そんな恐いことが……」
「あんな事件が起こってまだ一週間だから、近隣でも気味悪がって来る人がめっきり減って」
「物好きだな、あんた」
「いえ、ホントにそんなことがあったなんて知らなくて。いや~、ビックリしたな~」
 実際に知らなかったために驚いたのは本当だが、結城はその事件が手紙の内容に関係があるのかもしれないと、おぼろげながら感じていた。
(『鬼』の仕業……かな? いや、まさかね)
 もしかしたら手紙にあった『鬼』が事件を起こしたかと想像したが、結城はその考えを早々に打ち消した。もしそうなら、もっと大事になっている上に、警察も単なる事件として処理しているわけがない。
 結城も様々な依頼に遭ってきたので、それぐらいの判断はつくようになっていた。
「ところでお二人のご関係って一緒にお仕事されてるとか、ですか?」
 事件についての想像を打ち切った結城は、さっきから気になっていたことに話題を変えた。
 結城を助けた二人組の男女は、その格好と軽トラックで移動していたところから、畑仕事か何かをしているのは結城にも分かったが、二人がどういう関係なのかまでは分からなかった。年齢は結城と比べると随分若いようだが、見た目がまるで似ていないので兄妹というわけではなさそうだ。なので仕事仲間だろうとは睨んでいたが、
「いえ、私たち結婚してるんです」
 返ってきた答えは、結城の予想を大幅に飛び越えていた。
「え……えぇー!」
 答えを理解するための逡巡を経て、結城は心から驚きの声を上げた。
「と……ご、ごめんなさい。お二人とも、おいくつですか?」
 ひとしきり驚いた後、結城は二人の年齢を尋ねた。
「あっ、自己紹介まだでしたね。私は朱月灯恵あかつきともえ、十八歳です」
「俺は朱月成磨あかつきせいま。二十歳だ」
 今度は結城は口をあんぐりと開け、声もなく驚いた。
「えっと……いつ頃ご結婚されたんですか?」
「二年前だ」
 成磨と名乗った男が答えた。結城はもう息を吐くことも忘れ、目を丸くするばかりである。
 証言通りであるならば、目の前の二人は法令で定められている結婚可能な年齢に達して間もなく結婚したことになる。昨今の結婚する平均年齢を鑑みれば、間違いなく早婚だった。
「この辺では珍しくないですよ? 螺久道村は大抵結婚できる年齢になったら、お見合いだったり、好きな人同士で結婚するのが普通ですから」
「ソ、ソウナンデスカ~」
 その事実を聞いて、結城は思わずカクカクした物言いになってしまった。
 結城とて男である以上、異性との恋愛や結婚に憧れないわけではない。しかし、学生時代からここまで、女性にモテたことは皆無だった。飛びぬけて不細工ではないが、殊更美男とも言えない。どちらかと言えば平均より少し下という微妙な容姿であるがために、格別に女性ウケが良いわけではなかった。
 一度、見かねたアテナが縁結びをしたことがあったが、なぜかムキムキ現役の女子プロレスラーと当たってしまい、えらい目に遭ったことがあってしまった。そういった経緯もあり、結城は自身の女縁の無さに辟易していた。
 故に小林結城、二十五歳。未だ童貞である。
 その結城からすれば、まさかそんな年齢で結婚している朱月夫妻は、まるで後光が差しているようにさえ錯覚していた。よく見れば、二人ともそれなりの美男美女でお似合いである。
 妬みこそしないものの、羨ましさが湧くのは確かなので、結城は朱月夫妻に分からない程度に軽くしょんぼりした。そんな結城の背中を、今は普通の人間には見えない状態になっている四人が軽くポンポンと叩いた。励まされているのはありがたいが、それはそれでチョット傷付くなぁと思う結城であった。

 しばらく朱月夫妻と雑談した結城だったが、これ以上引き止めても悪いと思い、お開きにすることにした。夏に近い季節もあってか、その頃には結城の服もほとんど乾いていた。
「一駅先の榊場町さかきばちょうに病院があるので、もし具合が悪くなったらそこを訪ねてください」
「分かりました。ありがとうございます」
「あんたも、もう余所見してんなよ」
「そ、それについては本当に申し訳ありませんでした」
「あんな事があった村をブラついてないで、さっさと帰った方がいいぞ」
「成磨っ! ごめんなさい、小林さん。お気を悪くしないで下さい」
「いえ、こちらこそ。何も知らないで来ちゃって」
「でも成磨の言う通り、今はこの村を見て回るのは止した方がいいのかもしれません。あんな事件があって、村の上役たちが少しピリピリしてますから」
「……そうですか」
「それじゃ、良い旅を」
「じゃあな」
 そう言い残し、朱月夫妻は軽トラックに乗ってあぜ道を行ってしまった。結城は軽トラックが見えなくなるまで手を振っていた。
「殺人事件……ですか」
 辺りに人がいなくなってから、アテナが結城の横に姿を現した。続いて媛寿えんじゅ、マスクマン、シロガネも現れてくる。
「でも話を聞いてると、本当にただの事件だったみたいですよ? 警察もあっさり処理したって」
「一週間前に起こった、と言っていましたね? あの手紙が送られてきたのはその二日後です。何か符合するような気がするのですが……」
 結城は特に関係ないと思ったが、アテナはそうは思っていないらしい。帰路を進みながら、半目で何事かを考えている。アイスチーズケーキのことすらも失念していた。
「あっ」
 不意に結城は足を止め、舗装された道から横に伸びた土の道に目をやった。
「もしかして、ここかな?」
 生い茂る森に向かって伸びている道は、さながら人間を飲み込もうと開かれた怪物の口のように不気味だった。先ほどの会話で指し示された現場の方向から考えると、その森こそが例の殺人事件の起こった場所だと、結城は直感した。
「ゆうき、ゆうき」
 いつのまにか肩までよじ登っていた媛寿が、結城の服の襟を引っ張った。
「なんかここ、ヤ」
 何かを感じ取ったのか、媛寿は森の前に留まっていることを拒んだ。そう言ってくる媛寿はかなり珍しいと思ったが、それほどまでの何かがあるのかと、結城も背筋に冷たいものを感じてきた。
「確かに……何がとは言えませんが、ただの森ではないようですね」
 アテナも森に目を向けるが、その表情は気味の悪いなものを見たように翳っている。
「死相が、出てる」
 シロガネもまた、ガーターベルトに挟んでいたナイフを一本取り出し、その磨かれた刃を見ながら言った。
 ここまで意見が重なるのであれば、この森は相当に得体の知れないものを抱えているのではないか。風で葉音を掻き立てる森が、結城もいよいよ不気味な場所に見えてきた。
「MΛ5→。YΣ4↓(ならオレがちょっと行ってくる。お前ら、先に宿に帰ってろ)」
「マスクマン!?」
 結城の前に、マスクマンがすたすたと歩み出てきた。森を単独で調べてくる、というらしい。
「だ、大丈夫? 一人で行って」
「Aω1↓S。WΠ3←H(オレは一応精霊だぞ? 森が恐くてやってられっかよ。まっ、何か見つかったら後で聞かせてやるよ)」
「そ、そう。気を付けてね」
「OΩ(おう)」
 陽が高くても暗く感じる、森の奥へ続く道を、マスクマンは散歩でもするような足取りで歩いていった。
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