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化生の群編

調査

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 森の奥には不思議と開かれた場所が存在していた。樹木が密集しておらず、日光が照明代わりとなり、背の低い雑草が生い茂る地面を煌々と照らしている。
 幻想的とも言える光景は、知らない者が見れば、深き森の奥にある神秘の広場と思うかもしれない。
 だが、雛祈ひなぎは知っている。そこは目で見えているほど神秘的でも、清廉でもない場所だということを。
 ほんの一週間前に起こった陰惨な事件の現場。表向きは八人の男女が互いを殺傷したという痛ましい事件とされているが、この事件の資料を見た佐権院蓮吏さげんいんれんり祀凰寺雛祈しおうじひなぎは、これがただの若者の暴走でないことを知っている。
 被害者たちの他にもう一人。現場にいたはずの九人目が未だに見つかっていない。
 まだ首謀者とは断定できなくとも、雛祈はその九人目こそが、今回の事件を解く上での重要人物と目していた。
 姿を消した九人目を追うため、事件現場に何かしらの手がかりが無いかと調査に来たが、雛祈は軽く溜め息を吐いた。
 特に何もない。
 事件は一週間前のことだ。もちろん当時の状況がそのまま残っているわけもない。
 事件が起こった痕跡もほとんど消えて、そこはただの森の一角でしかなかった。
 警察の方でもほとんど処理された案件だったので、規制線のKEEP OUTの文字が続くテープも見受けられない。
 真相を究明するならば、こんな判断材料がない場所に来ることもないのだが、それは通常の警察や探偵の場合での話。祀凰寺家しおうじけの次期当主として、これまで様々な鍛錬と研鑽を積んできた雛祈には、常人では見極められないものを見る力がある。
桜一郎おういちろう千冬ちふゆ、『塩』の準備を」
「分かった」
「わ、分かりました」
 雛祈から指示を受けた桜一郎は、背負っていたミリタリーリュックを下ろし、中から金属製の小さな容器を取り出した。掌より少し大きい程度の円柱状の容器を千冬にも渡し、二人は雛祈の前に立った。
「どの範囲に撒く?」
「そうね……」
 雛祈はポケットから一枚の写真を取り出し、目の前の景色と見比べた。事件当時の現場全体を写した写真は、時間帯と死体の有無という差異はあるが、雛祈の視界が捉えている場面とほぼ重なっていた。
「そのあたりにお願い」
 しばらく思案して、雛祈は数メートル先の地面を指差した。桜一郎と千冬は容器の蓋を開け、雛祈が示した場所に向けて中身を投射した。
 宙に舞ったのは真っ白い顆粒状の結晶、塩だった。もちろん市販の食塩ではない。九州北部沿岸の海水から精製した粗塩である。
 撒かれた塩が全て地面に降り注ぐと、雛祈は右手の人差し指と中指を立てて顔の前に掲げ、目を閉じて小さく文言を唱え始めた。
 一分とかからず文言を詠み上げた雛祈が目を開くと、それまでの景色には存在していなかった『色』が現れていた。
 桜一郎と千冬には見えていないが、地面の数箇所には人間大の黒い靄が揺らめき、それらより少し奥には極彩色の光が陽炎のように立ち昇っていた。
「やっぱり、思ったとおり」
 その光景を見た雛祈は、納得したと言わんばかりに頷いた。
「お嬢、ではここで?」
「そう、『蟲毒こどく』を応用した呪術的儀式が行われたのは確かなようね」
 殺人事件が起こった現場で発見した新事実に、雛祈は表情を険しくした。
 様々な毒蟲どくむしを一つの壷の中に入れ、互いに殺し合わせ、最強の毒蟲を決める。それが巫蟲ふこ、または蟲毒と呼ばれる呪術である。
 生き残ったその一体は、神霊として祀ることも、さらに強力な呪術の媒体として用いることも、あるいは純粋な毒素として使うこともできる。元は大陸で開発されたものが日本にも伝わり、オリジナルの蟲毒から『犬神いぬがみ』、『猫鬼びょうき』といった亜種も生まれるに至った。
 非常に応用が効き、知っていれば呪術師でなくとも執り行えるほどシンプルであったため、時の公儀によって禁止令が出されたことさえある。
 それは呪術への関心が薄れた現代においても同様で、蟲毒を行うことは、裏の法令において禁じられていた。
 螺久道村らくどうむらで一週間前に起こった殺人事件。それは人間を蟲に見立てての蟲毒が行われたのだと、雛祈も佐権院も予想を立てていた。
「しかも八人を殺して九人目が生き残るっていう仕組みにして、数のハンデを克服し、それどころか強化している。上手く考えたものだわ」
 だんだんと見えてきた真相に、雛祈は感心したような素振りだが、目は犯人に対して一切賞賛などしていない。
 『八』という数字は古来から日本において、『非常に数が多い』という意味を持つ。八百万や八百八町というのは、それを踏まえて生まれた言葉である。
 元来の蟲毒は、多くの蟲を集める必要がある。この場合、『八人を殺害した』という事実を、『大勢を殺害した』という意味に置き換え、絶対数を補っただけでなく、それ以上の効果を生むように仕組まれている。
 雛祈もまた呪術に関する知識を持ち合わせているので、術式の技巧に感心さえ覚えたが、同時にこれほど恐ろしく、凄惨な儀式を考えた犯人への嫌悪感が湧いていた。
 あと残る問題は、
「そ、それで、その、きゅ、九人目の方は、ど、どこに行っちゃったのでしょう……」
 雛祈が問題視していたことを、代わりに千冬が口にした。
「事件が発覚したのは八人が殺害されてから約二日後。その間、九人目がここに留まっているとは思えん」
「桜一郎の言う通り。九人目は術によって力を得た後、どこかへ姿を消した。警察も周辺は調べたけど、特に何も発見されていない」
(でなければもっと大事になってるでしょうし、第一に蓮吏がとっくに動いてる。私に話が回ってくる前に。それにしても……)
 ここから捜索するべきは実際に現場にいた九人目の生存者、ということになる。螺久道村の周辺で何か事件が起こったという報告はない以上、九人目はおそらく村のどこかに隠れている。山林を含めたとしても、それほど範囲の広い土地ではないため、探し出すのも難しくはない。
 だが、雛祈はそれで楽観視してはいなかった。
 人間を使った蟲毒で、九人目は果たしてどんな力を得たのか。
 毒蟲ではなく霊長、すなわち人間を競い合わせる蟲毒は、確かに類を見ない強力な『しゅ』を造ることができるだろう。ただ、ここまで本格的に執り行って、九人目はどんな力を得て、どんなものに変化したか、前例がないために雛祈にも予想がつかなかった。
 それに加えて、結城が持っていた手紙に書かれていた『鬼』の件もある。
 仮に鬼の出現を危惧したのが、この蟲毒だったのだとしても、それはあり得なかった。
 蟲毒と鬼とはほとんど結びつかず、それによって純粋な鬼が誕生したという伝承もない。
 巷に出回った亜種に『猫鬼』というものはあるが、鬼という字は付いていても生粋の鬼ではなく、犬神とほぼ同格である。使役する術者がいなければ大きな脅威にならず、元来は悪性の強い霊とも言えない。
 しかし、雛祈にもハッキリした根拠はないが、手紙の文面にはかなり切迫している様子が滲んでいる気がしていた。それは猫鬼程度のものではなく、本物の鬼の出現を予感して書かれている、と。
「う~ん……」
 雛祈は額に手を当てて唸った。どうにも繋がらない要素があるせいで、真相が今ひとつ見えてこない。これまでいくつも事件を解決してきた雛祈だが、今回のようなパターンは初めてだった。
「お嬢、ひとまずその九人目を見つけてから、次のことを考えてみないか?」
「ん~、そうね」
 考え込んでいたところを桜一郎のアドバイスを受けて、雛祈は行動の指針を決めた。
 今はまだ情報が足りない。螺久道村で何が起こっているにせよ、まずは失踪中の九人目を見つけるのが一番の近道になる。
 蟲毒を用いて九人目はいったい何を得たのか。九人目が単独で画策したのか。はたまた黒幕がいるのか。あるいは村全体で何かを企てているのか。
 それらの疑問も九人目を見つければ明らかになる。
 まずは森の中で警察では見落とした物がないかを調べるため、雛祈はさらに奥まで歩を進めようとした。
「Sω4→(あ~、臭いの元はここか)」
 雛祈が歩き出そうとしていたところ、横の茂みを掻き分け出てくる者がいた。
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