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化生の群編
新たな行き先
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古屋敷を出て下山した雛祈は、駐車場に停めてあったリムジンに乗り込むと、シートに沈み込むように身を横たえた。ほんの数時間の間に起こった常識外の出来事の数々は、間違いなく雛祈の人生の中で一番の疲労をもたらしていた。
「なんなのよぉ、も~。今日は厄日だわ」
自分が管理する土地で無許可で活動する霊能者を懲らしめようとしただけで、まさかこのような結末になるとは、少し前までの雛祈では夢にも思っていなかっただろう。
ただの使用人と思っていた男に付いていってみれば、それが噂になっていた男で、おまけにその周りでは付喪神、精霊、女神、家神が普通に共同生活を送っていた。
命を投げ出す覚悟で訴えを突きつけてみれば、管理外の土地だったという始末。
最悪の絶叫マシーンにさんざん乗せられたような気分を味わった上に、ただの思い違いだったという赤っ恥も晒しては、雛祈も精魂尽き果ててしかるべきだった。
「もうイヤ……今日はお風呂入ってさっさと寝たい……」
「お嬢、とりあえずちゃんと座ってくれ。そのまま発進すると危ない」
運転席のドアをくぐった桜一郎が、ぐったりしたままでいる雛祈を嗜める。
「安全運転でお願い、桜一郎。家に着くまで起き上がりたくないわ……」
雛祈の返答に桜一郎は眉をひそめたが、それ以上口を出すことはしなかった。雛祈がそこまで疲れている理由は、桜一郎にも充分すぎるほど解っているからだ。
「うぐ~、ぬかったわ~。まさかあそこが佐権院の土地だったなんて……」
「お、お嬢様が土地の管理を任されるようになって、ま、まだ一年しか経っていないんですから、しょ、しょうがないと思いますけど……」
「慰めてくれてありがと、千冬。お父様から預かっているこの土地は確かに広いけど、今回のことは完全に私のミスよ。戦女神の前であんな大恥かいて……そのうえお咎めもなく普通にお茶までごちそうになって……あぁ~、いっそ一思いに雷を落としてくれた方がまだマシだったわよ~」
シートに顔を埋めて身悶える雛祈に、桜一郎も千冬も何と言っていいのか分からない。ひとまず雛祈の身に危険が及ぶことはなかったわけだが、祀凰寺家の者としても、一個人としても、面目は完膚なきまでに破壊され、精神的には満身創痍になっている。これ以上話しかけても傷を抉るだけだと思った二人は、互いに目配せし、帰宅するまではそっとしておこうとした。
その矢先、千冬が預かっていた雛祈のスマートフォンが、着信を告げるために鳴り響いた。着メロは『初代火点ライダー』のテーマである。
「うわっ! わっ!」
突然の着信に驚いた千冬はスマートフォンを取り落としそうになるが、何とか持ち直して耳元に当てた。
「は、はい。こ、こちら祀凰寺ですが……は、はい! こ、これはこれは……」
電話口の声を聞いて、ただでさえオドオドしている千冬の態度が、余計にしどろもどろになる。
「は、はい~、こ、こちらにおりますが……は、はい~、しょ、少々お待ちを~」
電話の相手が雛祈を指名したので、千冬はフルフルと震えながらスマートフォンを雛祈に差し出した。
「お、お嬢様、も、申し訳ありません。お、お電話が……」
「そんなの適当に受け答えしておいて。家に着くまで何もしたくないんだから」
「そ、それが~、その~……」
そうまで言っても千冬が電話を下げようとしなかったので、雛祈はかなり億劫に思いながらもスマートフォンを受け取った。
「もしもし、祀凰寺雛祈はただいま大変疲れております。御用の方は今から二十四時間以内は絶対に連絡してこないでください」
今は電話に出ることさえしたくないほど疲労困憊していた雛祈は、電話をかけてきた相手にこれ以上ないほどぶっきらぼうに言ってのけた。
「それはご苦労だったね、雛祈。だが私との会食をすっぽかした割には随分な物言いではないかな?」
「なっ! れ、蓮吏!?」
通話終了の表示をタッチするよりも早く聞こえてきた声に、雛祈はシートから飛び上がりそうになった。
「一体どこに行っているのかと思えば、小林くんのところに行っていたとは。アテナ様から事情は聞いたが、彼に活動を自重するように意見しに行ったって?」
「ぐっ!」
「あの古屋敷は私が管理している土地に含まれている。祀凰寺が口を出す必要はないと思うが?」
「あ、あなたこそ、何であんなとんでもない連中のこと黙ってたのよ!」
いま負ってきた痛いところを突かれ、苦し紛れに反論を試みる雛祈。それを察してか、電話口からは溜め息の気配が聞こえてきた。
「むしろ黙っていて当然と思うが? たとえ君でも同じようにしただろう? あれほどの神霊たちが、たった一人の人間と行動を共にしているなど、他家に知られればどうなるか」
「うっ! そ、それは……」
それを佐権院に言われて雛祈は言葉を詰まらせた。
もし古屋敷が佐権院の管理地ではなく、祀凰寺の土地にあったとしたらどうなるか。そしてあれほどの面々が集っていると知ったらどうするか。
他家に知られないよう、秘匿して静観するのが当然の措置だ。
護国鎮守を任ぜられた家系は佐権院、祀凰寺以外にもいくつもある。しかし、中には神州日本を守護するという意識が強すぎるために、他家よりパワーバランスで優位に立とうとする輩も少なからずいる。
もし古屋敷のことが明るみに出れば、そういった家系から武力独占を口実に、権威の失墜と利権の吸収を狙ってくるかもしれない。最大の切り札となり得る一方で、最悪の弱点にもなり得るのだ。
「一応分かっているとは思うが、知られてしまった以上、君にも黙っておいてもらう。いいかね?」
「わ、分かってるわよ。私だって他の家から変なちょっかいかけられたくないわ。祀凰寺家の者として、このことは黙っとく」
「結構。なかなか成長してきたんじゃないか、雛祈?」
「ふ、ふん! 私だっていつまでもお節介を焼かれてばかりじゃないわ」
佐権院家と祀凰寺家は管理している土地が近いこともあり、昔から交流する機会が多かった。現在佐権院家当主となっている佐権院蓮吏は、雛祈が幼少時から先達としてアドバイスを与えてきた、先輩後輩のような間柄だった。
「ところで私との会食をすっぽかした件についてなのだが……」
「ぐっ! わ、分かったわよ。今度は私が全部用意して埋め合わせるわ」
「いや、代わりに少々頼まれて欲しいことがあるんだ。私は別件で手が離せないのでね」
電話越しに伝えられた内容に、雛祈は眉根を寄せて唸った。
「では、よろしく」
佐権院との通話が切れた後、雛祈は今日一日を振り返り、会食を断るべきではなかったと激しく後悔してした。
雛祈たちが古屋敷を去って数時間後、結城たちは夕食を摂るため食卓を囲んでいた。
だが、もうすぐシロガネが夕食を運んでこようというのに、結城は何やら浮かない顔をしている。
「どうしました、ユウキ?」
「あっ、いえ。今日来たお客さんのことを考えてて……」
「おきゃくさん~?」
結城の様子が気になったアテナと媛寿が、少し身を乗り出して結城の顔を覗いてくる。
「大抵古屋敷に来るのって依頼をしに来る人だから、珍しかったな~って」
結城は天井に遠い目を向けながら、今日訪ねてきた黒髪の少女のことを思い出していた。年下であるのは分かったが、子ども扱いするほど幼くもない、何か年不相応の大人びた雰囲気を持っていた。驚いた表情や険しい表情ばかりしていたが、街を歩けばアイドルにスカウトされてもおかしくないくらい顔立ちも整っていた。
ただ、結城が考えていたのは雛祈の容姿についてではなく、古屋敷に来た目的だった。
古屋敷がある山は、結城たちを除けば依頼者しか受け入れることはない。結城と知己である九木でさえ、格別の用がなければ古屋敷に辿り着けはしない。
今回は結城が招く形となったので例外ではあるが、依頼ではなく自分たちの活動に対して意見をしに来るという客は今まで一人もいなかった。
「僕たちのやってることって、もしかしてやっちゃダメなことだったんでしょうか……」
結果的に雛祈の意見は通らなかったが、意見の内容は結城も聞き流せないものがあった。
古屋敷には何かしら困り事を抱えた依頼者がやって来る。そんな者たちの助けとなるべく、結城はをれを解決するために奔走する。それが自分にできる唯一のことであると信じて突き進んでいるが、あるいはそれ自体が誰かの迷惑となっているならば。
「聞いた通りここはサゲンインの土地だということです。そのサゲンインが特に何も言わなかったのですから気にする必要はありません」
「WΛ6↓GH3(何かしてりゃどうでもいいやっかみの一つや二つ来るもんだぜ。今日の客も、その類の人間だったんだろ?)」
「……そういうもんかな」
「SΣ2←GK1(神だの精霊だのが何かしたって、そういうのがあるんだ。人間なんてなおさらだ)」
「……」
アテナとマスクマンの助言を聞いて、少し解答に近付いた気がした結城だったが、まだ全て割り切れる答えを得たわけではなかった。
そもそもこの『依頼を受けてそれを解決する』という稼業を始めたのは、一つは成り行き、もう一つは自分に他にできることがなかったからという動機でしかない。
様々な仕事を転々とし、社会に適応できなかった結果、行き着いたものだった。それを押し通すというのは、人間社会に馴染めなかった自分を覆い隠し、他者への迷惑を省みないエゴを通していると言えなくもない。
それならば、もしも古屋敷が属する土地が佐権院家ではなく祀凰寺家だったなら、今日訪ねてきた雛祈という少女の意見に抗することができただろうか。
結城の心には、その可能性が小骨のように突き刺さり、絶えず細かな苦痛を与えられている気がしてならなかった。
「ユウキ」
「は、はい!」
いつも以上に凛としたアテナの声に、結城は反射的に背筋を伸ばした。こういう時のアテナは、非常に真剣な言葉を投げかけてくることを結城は知っている。
「あのシオウジヒナギという者の申し立てを聞き入れたとして、あなたはあなたを頼ってくるものを者を見捨てますか?」
「それは……」
言いよどんだ結城の脳裏を、これまで古屋敷を訪ねてきた依頼者たちの姿が通り過ぎた。
「たぶん、できないと思います」
「ならば、それで良いのです」
結城の答えを聞いて、アテナの表情から険が取れた。
「あなたの行いの結果が、決して悪しきものを生んだとは思いません。何者がどんな異義を申し立てたとしても、あなたが依頼者を見捨てなかったことは、間違いではなかった、と私は思います」
「そう、なんでしょうか」
「LΞ0→W7(少なくとも今日来た奴の話は見当違いだったんだ。気にすんなよ)」
アテナとマスクマンの励ましを受けるも、結城はまだ全てが割り切れたわけではなかった。
それを見て取ったアテナは、結城の額に掌を軽く置いた。
「?」
「まだ自身の行いに疑念があるならば、ユウキ、あなた自身の心と向き合い、そして見つめ続けなさい。その先にきっと答えはあります。私も付いて行きますから」
「えんじゅもいっしょー!」
「MΠ↑1(しかたがねぇからオレもな)」
「ワタシも、イク」
いつの間にか厨房から大皿を持って現れたシロガネも、アテナたちに続いて賛同する。
いま考えても出てこない答えは、いま得られるわけではない。それは意外な時に得られるものかもしれないし、ずっと先にあるものかもしれない。
自分の行いが正しいのか、間違っているのか、それはまだ判然としない。しかし、いま共にいてくれる皆とならば、答えに近付いていけると結城は思った。
「……ありがとう」
自然と感謝の言葉が漏れ、四人は『それでいい』と言うようにそれぞれ頷いた。
「では食事にしましょう。明日からまた忙しくなりますから。シロガネ、いいですよ」
「ハイ、これ」
アテナに促され、シロガネは持っていた大皿を食卓の中央に置いた。
鹿肉、野菜、海鮮、果物が種類別に区切られ、皿の縁からこぼれないギリギリまで盛り付けられている。色とりどりの食材をふんだんに使ったこのサルマガンディーという料理は、大航海時代の海賊たちの間でよく食べられていた。時々シロガネはその時代が懐かしくなるらしく、月に一、二回ほどサルマガンディーを作ることがあった。
「それじゃ、いただきます」
結城の声を合図に、皆が大皿の中身を突き始めた。
「ところでユウキ、エンジュ。例のオオクワガタという甲虫は採れたのですか?」
「ええ。媛寿が今日あたりだって言ってくれたんで、採りに行ってみたらたくさん採れました」
「じゅうごひきー!」
結城に続いて媛寿も元気よくアテナに答える。
「甲虫がそれほど高価に扱われるとは、古代ギリシャと比べて時代も変わりましたね。しかし例のラクドウという村に近いうちに出立するのでしょう? なら明日にでも店に卸すのが良いのではありませんか?」
「そうですね。準備して二日以内には出発したいですし」
食事をする結城たちの傍ら、居間のテーブルの上には次なる依頼が認められた手紙が置かれていた。
「はふ~」
祀凰寺雛祈の住む邸宅の一室。桜一郎の自室としてあてがわれた部屋のベッドに、千冬はうっすらと汗をかきながら身を預けた。その横にはベッドのサイドボードに置かれたショットグラスを取り、中身を煽っている桜一郎がいる。
「桜一郎さん、私にも私にも」
そう言いながら千冬は自身の口元を指で指し示す。その意図を察した桜一郎は、サイドボードからボトルを取ってグラスに注ぎ足し、中身を口に含んで千冬の頭を引き寄せた。
「ング……ング……」
口移しで流し込まれるかなりアルコール度数の強い酒を、物ともせずに嚥下していく千冬。
「ぷっはー! おーいしー!」
桜一郎の口内の酒を飲み干した千冬は、ベッドに体を投げ出して両腕を伸ばした。
「お前、こういう時と戦う時だけは普段の雰囲気がまるで無いな」
「私だって鬼ですから、感情が昂ぶるとこうなりますよ。姉様たちだってそうですし」
「天坂の者たちはそういうところでも原木本以上か」
常に気弱そうな態度の千冬が、人が変わったように明るく饒舌になっている様に、桜一郎は少し辟易に似たものを感じていた。同じく祀凰寺家に仕え、二百年ほどの付き合いになるが、時折欲望が顔を出すのか、夜な夜な部屋を訪ねられることがあった。事に今日は命の危険を感じる状況に遭ったため、千冬はいつも以上に興奮を覚えていた。
「ところで桜一郎さん。今日会ったあの人のこと、どう思いました?」
「あの小林結城という男のことか?」
「はい」
桜一郎は千冬から一旦視線を外し、少し考えてから口を開いた。
「ただの人間として見るならば、特に評価するところは無い。お嬢が言っていたように、単なるお人よしだ。が、別の視点で見るならば違うように思う」
「やっぱり。桜一郎さんもそう思ったんですね」
「あの時は余裕がなかったが、いま冷静になってみれば、な。人ではないものを惹きつけてしまう人間が稀にいる。あの男もその類なのだろう」
「だからあんなスゴい方々が集まっちゃったんでしょうか?」
「それだけで説明がつくことではないがな、あの面子は。それよりもそろそろ眠ろう。いくら自分たちが鬼でも、少しは眠っておかなければ明日に響く」
明日から待ち受けている任務に備え、桜一郎は掛け布団の端を手に取ろうとした。
「その前にもう一回だけ」
掛け布団を引き寄せようとした桜一郎の手を、千冬が制して止めた。
「……十九回くらいしたと思うんだが?」
「もう一回。もう一回だけですから」
拝み倒してくる千冬に軽く溜め息を漏らし、桜一郎は千冬の上に覆い被さった。その間、佐権院家の当主から受けた、雛祈が次に向かう目的地のことをふと思った。
(螺久道村、か)
「なんなのよぉ、も~。今日は厄日だわ」
自分が管理する土地で無許可で活動する霊能者を懲らしめようとしただけで、まさかこのような結末になるとは、少し前までの雛祈では夢にも思っていなかっただろう。
ただの使用人と思っていた男に付いていってみれば、それが噂になっていた男で、おまけにその周りでは付喪神、精霊、女神、家神が普通に共同生活を送っていた。
命を投げ出す覚悟で訴えを突きつけてみれば、管理外の土地だったという始末。
最悪の絶叫マシーンにさんざん乗せられたような気分を味わった上に、ただの思い違いだったという赤っ恥も晒しては、雛祈も精魂尽き果ててしかるべきだった。
「もうイヤ……今日はお風呂入ってさっさと寝たい……」
「お嬢、とりあえずちゃんと座ってくれ。そのまま発進すると危ない」
運転席のドアをくぐった桜一郎が、ぐったりしたままでいる雛祈を嗜める。
「安全運転でお願い、桜一郎。家に着くまで起き上がりたくないわ……」
雛祈の返答に桜一郎は眉をひそめたが、それ以上口を出すことはしなかった。雛祈がそこまで疲れている理由は、桜一郎にも充分すぎるほど解っているからだ。
「うぐ~、ぬかったわ~。まさかあそこが佐権院の土地だったなんて……」
「お、お嬢様が土地の管理を任されるようになって、ま、まだ一年しか経っていないんですから、しょ、しょうがないと思いますけど……」
「慰めてくれてありがと、千冬。お父様から預かっているこの土地は確かに広いけど、今回のことは完全に私のミスよ。戦女神の前であんな大恥かいて……そのうえお咎めもなく普通にお茶までごちそうになって……あぁ~、いっそ一思いに雷を落としてくれた方がまだマシだったわよ~」
シートに顔を埋めて身悶える雛祈に、桜一郎も千冬も何と言っていいのか分からない。ひとまず雛祈の身に危険が及ぶことはなかったわけだが、祀凰寺家の者としても、一個人としても、面目は完膚なきまでに破壊され、精神的には満身創痍になっている。これ以上話しかけても傷を抉るだけだと思った二人は、互いに目配せし、帰宅するまではそっとしておこうとした。
その矢先、千冬が預かっていた雛祈のスマートフォンが、着信を告げるために鳴り響いた。着メロは『初代火点ライダー』のテーマである。
「うわっ! わっ!」
突然の着信に驚いた千冬はスマートフォンを取り落としそうになるが、何とか持ち直して耳元に当てた。
「は、はい。こ、こちら祀凰寺ですが……は、はい! こ、これはこれは……」
電話口の声を聞いて、ただでさえオドオドしている千冬の態度が、余計にしどろもどろになる。
「は、はい~、こ、こちらにおりますが……は、はい~、しょ、少々お待ちを~」
電話の相手が雛祈を指名したので、千冬はフルフルと震えながらスマートフォンを雛祈に差し出した。
「お、お嬢様、も、申し訳ありません。お、お電話が……」
「そんなの適当に受け答えしておいて。家に着くまで何もしたくないんだから」
「そ、それが~、その~……」
そうまで言っても千冬が電話を下げようとしなかったので、雛祈はかなり億劫に思いながらもスマートフォンを受け取った。
「もしもし、祀凰寺雛祈はただいま大変疲れております。御用の方は今から二十四時間以内は絶対に連絡してこないでください」
今は電話に出ることさえしたくないほど疲労困憊していた雛祈は、電話をかけてきた相手にこれ以上ないほどぶっきらぼうに言ってのけた。
「それはご苦労だったね、雛祈。だが私との会食をすっぽかした割には随分な物言いではないかな?」
「なっ! れ、蓮吏!?」
通話終了の表示をタッチするよりも早く聞こえてきた声に、雛祈はシートから飛び上がりそうになった。
「一体どこに行っているのかと思えば、小林くんのところに行っていたとは。アテナ様から事情は聞いたが、彼に活動を自重するように意見しに行ったって?」
「ぐっ!」
「あの古屋敷は私が管理している土地に含まれている。祀凰寺が口を出す必要はないと思うが?」
「あ、あなたこそ、何であんなとんでもない連中のこと黙ってたのよ!」
いま負ってきた痛いところを突かれ、苦し紛れに反論を試みる雛祈。それを察してか、電話口からは溜め息の気配が聞こえてきた。
「むしろ黙っていて当然と思うが? たとえ君でも同じようにしただろう? あれほどの神霊たちが、たった一人の人間と行動を共にしているなど、他家に知られればどうなるか」
「うっ! そ、それは……」
それを佐権院に言われて雛祈は言葉を詰まらせた。
もし古屋敷が佐権院の管理地ではなく、祀凰寺の土地にあったとしたらどうなるか。そしてあれほどの面々が集っていると知ったらどうするか。
他家に知られないよう、秘匿して静観するのが当然の措置だ。
護国鎮守を任ぜられた家系は佐権院、祀凰寺以外にもいくつもある。しかし、中には神州日本を守護するという意識が強すぎるために、他家よりパワーバランスで優位に立とうとする輩も少なからずいる。
もし古屋敷のことが明るみに出れば、そういった家系から武力独占を口実に、権威の失墜と利権の吸収を狙ってくるかもしれない。最大の切り札となり得る一方で、最悪の弱点にもなり得るのだ。
「一応分かっているとは思うが、知られてしまった以上、君にも黙っておいてもらう。いいかね?」
「わ、分かってるわよ。私だって他の家から変なちょっかいかけられたくないわ。祀凰寺家の者として、このことは黙っとく」
「結構。なかなか成長してきたんじゃないか、雛祈?」
「ふ、ふん! 私だっていつまでもお節介を焼かれてばかりじゃないわ」
佐権院家と祀凰寺家は管理している土地が近いこともあり、昔から交流する機会が多かった。現在佐権院家当主となっている佐権院蓮吏は、雛祈が幼少時から先達としてアドバイスを与えてきた、先輩後輩のような間柄だった。
「ところで私との会食をすっぽかした件についてなのだが……」
「ぐっ! わ、分かったわよ。今度は私が全部用意して埋め合わせるわ」
「いや、代わりに少々頼まれて欲しいことがあるんだ。私は別件で手が離せないのでね」
電話越しに伝えられた内容に、雛祈は眉根を寄せて唸った。
「では、よろしく」
佐権院との通話が切れた後、雛祈は今日一日を振り返り、会食を断るべきではなかったと激しく後悔してした。
雛祈たちが古屋敷を去って数時間後、結城たちは夕食を摂るため食卓を囲んでいた。
だが、もうすぐシロガネが夕食を運んでこようというのに、結城は何やら浮かない顔をしている。
「どうしました、ユウキ?」
「あっ、いえ。今日来たお客さんのことを考えてて……」
「おきゃくさん~?」
結城の様子が気になったアテナと媛寿が、少し身を乗り出して結城の顔を覗いてくる。
「大抵古屋敷に来るのって依頼をしに来る人だから、珍しかったな~って」
結城は天井に遠い目を向けながら、今日訪ねてきた黒髪の少女のことを思い出していた。年下であるのは分かったが、子ども扱いするほど幼くもない、何か年不相応の大人びた雰囲気を持っていた。驚いた表情や険しい表情ばかりしていたが、街を歩けばアイドルにスカウトされてもおかしくないくらい顔立ちも整っていた。
ただ、結城が考えていたのは雛祈の容姿についてではなく、古屋敷に来た目的だった。
古屋敷がある山は、結城たちを除けば依頼者しか受け入れることはない。結城と知己である九木でさえ、格別の用がなければ古屋敷に辿り着けはしない。
今回は結城が招く形となったので例外ではあるが、依頼ではなく自分たちの活動に対して意見をしに来るという客は今まで一人もいなかった。
「僕たちのやってることって、もしかしてやっちゃダメなことだったんでしょうか……」
結果的に雛祈の意見は通らなかったが、意見の内容は結城も聞き流せないものがあった。
古屋敷には何かしら困り事を抱えた依頼者がやって来る。そんな者たちの助けとなるべく、結城はをれを解決するために奔走する。それが自分にできる唯一のことであると信じて突き進んでいるが、あるいはそれ自体が誰かの迷惑となっているならば。
「聞いた通りここはサゲンインの土地だということです。そのサゲンインが特に何も言わなかったのですから気にする必要はありません」
「WΛ6↓GH3(何かしてりゃどうでもいいやっかみの一つや二つ来るもんだぜ。今日の客も、その類の人間だったんだろ?)」
「……そういうもんかな」
「SΣ2←GK1(神だの精霊だのが何かしたって、そういうのがあるんだ。人間なんてなおさらだ)」
「……」
アテナとマスクマンの助言を聞いて、少し解答に近付いた気がした結城だったが、まだ全て割り切れる答えを得たわけではなかった。
そもそもこの『依頼を受けてそれを解決する』という稼業を始めたのは、一つは成り行き、もう一つは自分に他にできることがなかったからという動機でしかない。
様々な仕事を転々とし、社会に適応できなかった結果、行き着いたものだった。それを押し通すというのは、人間社会に馴染めなかった自分を覆い隠し、他者への迷惑を省みないエゴを通していると言えなくもない。
それならば、もしも古屋敷が属する土地が佐権院家ではなく祀凰寺家だったなら、今日訪ねてきた雛祈という少女の意見に抗することができただろうか。
結城の心には、その可能性が小骨のように突き刺さり、絶えず細かな苦痛を与えられている気がしてならなかった。
「ユウキ」
「は、はい!」
いつも以上に凛としたアテナの声に、結城は反射的に背筋を伸ばした。こういう時のアテナは、非常に真剣な言葉を投げかけてくることを結城は知っている。
「あのシオウジヒナギという者の申し立てを聞き入れたとして、あなたはあなたを頼ってくるものを者を見捨てますか?」
「それは……」
言いよどんだ結城の脳裏を、これまで古屋敷を訪ねてきた依頼者たちの姿が通り過ぎた。
「たぶん、できないと思います」
「ならば、それで良いのです」
結城の答えを聞いて、アテナの表情から険が取れた。
「あなたの行いの結果が、決して悪しきものを生んだとは思いません。何者がどんな異義を申し立てたとしても、あなたが依頼者を見捨てなかったことは、間違いではなかった、と私は思います」
「そう、なんでしょうか」
「LΞ0→W7(少なくとも今日来た奴の話は見当違いだったんだ。気にすんなよ)」
アテナとマスクマンの励ましを受けるも、結城はまだ全てが割り切れたわけではなかった。
それを見て取ったアテナは、結城の額に掌を軽く置いた。
「?」
「まだ自身の行いに疑念があるならば、ユウキ、あなた自身の心と向き合い、そして見つめ続けなさい。その先にきっと答えはあります。私も付いて行きますから」
「えんじゅもいっしょー!」
「MΠ↑1(しかたがねぇからオレもな)」
「ワタシも、イク」
いつの間にか厨房から大皿を持って現れたシロガネも、アテナたちに続いて賛同する。
いま考えても出てこない答えは、いま得られるわけではない。それは意外な時に得られるものかもしれないし、ずっと先にあるものかもしれない。
自分の行いが正しいのか、間違っているのか、それはまだ判然としない。しかし、いま共にいてくれる皆とならば、答えに近付いていけると結城は思った。
「……ありがとう」
自然と感謝の言葉が漏れ、四人は『それでいい』と言うようにそれぞれ頷いた。
「では食事にしましょう。明日からまた忙しくなりますから。シロガネ、いいですよ」
「ハイ、これ」
アテナに促され、シロガネは持っていた大皿を食卓の中央に置いた。
鹿肉、野菜、海鮮、果物が種類別に区切られ、皿の縁からこぼれないギリギリまで盛り付けられている。色とりどりの食材をふんだんに使ったこのサルマガンディーという料理は、大航海時代の海賊たちの間でよく食べられていた。時々シロガネはその時代が懐かしくなるらしく、月に一、二回ほどサルマガンディーを作ることがあった。
「それじゃ、いただきます」
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「ところでユウキ、エンジュ。例のオオクワガタという甲虫は採れたのですか?」
「ええ。媛寿が今日あたりだって言ってくれたんで、採りに行ってみたらたくさん採れました」
「じゅうごひきー!」
結城に続いて媛寿も元気よくアテナに答える。
「甲虫がそれほど高価に扱われるとは、古代ギリシャと比べて時代も変わりましたね。しかし例のラクドウという村に近いうちに出立するのでしょう? なら明日にでも店に卸すのが良いのではありませんか?」
「そうですね。準備して二日以内には出発したいですし」
食事をする結城たちの傍ら、居間のテーブルの上には次なる依頼が認められた手紙が置かれていた。
「はふ~」
祀凰寺雛祈の住む邸宅の一室。桜一郎の自室としてあてがわれた部屋のベッドに、千冬はうっすらと汗をかきながら身を預けた。その横にはベッドのサイドボードに置かれたショットグラスを取り、中身を煽っている桜一郎がいる。
「桜一郎さん、私にも私にも」
そう言いながら千冬は自身の口元を指で指し示す。その意図を察した桜一郎は、サイドボードからボトルを取ってグラスに注ぎ足し、中身を口に含んで千冬の頭を引き寄せた。
「ング……ング……」
口移しで流し込まれるかなりアルコール度数の強い酒を、物ともせずに嚥下していく千冬。
「ぷっはー! おーいしー!」
桜一郎の口内の酒を飲み干した千冬は、ベッドに体を投げ出して両腕を伸ばした。
「お前、こういう時と戦う時だけは普段の雰囲気がまるで無いな」
「私だって鬼ですから、感情が昂ぶるとこうなりますよ。姉様たちだってそうですし」
「天坂の者たちはそういうところでも原木本以上か」
常に気弱そうな態度の千冬が、人が変わったように明るく饒舌になっている様に、桜一郎は少し辟易に似たものを感じていた。同じく祀凰寺家に仕え、二百年ほどの付き合いになるが、時折欲望が顔を出すのか、夜な夜な部屋を訪ねられることがあった。事に今日は命の危険を感じる状況に遭ったため、千冬はいつも以上に興奮を覚えていた。
「ところで桜一郎さん。今日会ったあの人のこと、どう思いました?」
「あの小林結城という男のことか?」
「はい」
桜一郎は千冬から一旦視線を外し、少し考えてから口を開いた。
「ただの人間として見るならば、特に評価するところは無い。お嬢が言っていたように、単なるお人よしだ。が、別の視点で見るならば違うように思う」
「やっぱり。桜一郎さんもそう思ったんですね」
「あの時は余裕がなかったが、いま冷静になってみれば、な。人ではないものを惹きつけてしまう人間が稀にいる。あの男もその類なのだろう」
「だからあんなスゴい方々が集まっちゃったんでしょうか?」
「それだけで説明がつくことではないがな、あの面子は。それよりもそろそろ眠ろう。いくら自分たちが鬼でも、少しは眠っておかなければ明日に響く」
明日から待ち受けている任務に備え、桜一郎は掛け布団の端を手に取ろうとした。
「その前にもう一回だけ」
掛け布団を引き寄せようとした桜一郎の手を、千冬が制して止めた。
「……十九回くらいしたと思うんだが?」
「もう一回。もう一回だけですから」
拝み倒してくる千冬に軽く溜め息を漏らし、桜一郎は千冬の上に覆い被さった。その間、佐権院家の当主から受けた、雛祈が次に向かう目的地のことをふと思った。
(螺久道村、か)
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