小林結城は奇妙な縁を持っている

木林 裕四郎

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化生の群編

雛祈、困惑

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 ハッカの清涼感とラー油の辛味で悶絶寸前だった雛祈ひなぎは、結城ゆうきが発した『えんじゅ』という言葉を聞いてソファの方を反射的に見た。
 涙で視界が滲みまくっているが、結城が座っていたソファの上に、今は別の誰かが座っている。わずかに視界がクリアになった瞬間に見たそれは、雛祈を襲っていた清涼感と辛味を一撃で吹き飛ばしてしまう程の衝撃を与えた。
 桜色の振袖を纏った十歳前後の少女が、膝の上にクッキーの入ったボウルを載せてティーカップのお茶を飲んでいる。それだけならただ子どもがお茶とお茶菓子を楽しんでいるようにしか見えないが、雛祈の霊視はその子どもの正体を的確に見抜いていた。
(ざ……ざ……ざ……座敷童子ざしきわらし!? なんでこんなところでのんびりと美味しそうにお茶してるの!?)
 自分がなぜ部屋中を走り回っていたかという理由も忘れ、雛祈はお茶の合間にクッキーを口に運んでいる座敷童子に見入っていた。
 憑いた家に幸福をもたらし、その機嫌を損ねればたちまち不幸をもたらす家神、座敷童子。北は北海道から南は沖縄まで、座敷童子にカテゴライズされる存在は、神・妖怪の別なく日本各地に多くいる。気ままに家を変えることも、気に入った人間に付いていくことも珍しくないので、辺境の谷崎町たにさきちょうにいても特に不思議ではない。
 雛祈がハッカとラー油のダブルパンチも凌駕するほど驚いたのは、古屋敷に入ってからここまでの数十分間、座敷童子の気配など微塵も感じていなかったことだ。
 座敷童子は家に憑くので、ある程度の霊能者がその家に入れば、座敷童子の存在は簡単に感知できる。まして雛祈の霊能者としての実力は一流と呼べる域に達しているので、座敷童子の気配を見逃すなどありえなかった。たとえ驚天動地の出来事が重なって多少の混乱はあったとしても、それに気付かない雛祈ではない。
(一体いままでどこにいたの!? まさか今来た!? いえ、あの男は座敷童子の名前を口にしていた。既に見知っていた……名前を呼んでた!? 座敷童子の名前なんて、明らかになる方が珍しいのに!?)
媛寿えんじゅ、お客さんにイタズラしちゃダメだよ」
「だってゆうき、さいきんちっともびっくりしてくれない。えんじゅ、つまんない」
「でもさすがにお客さんには……あっ、ごめんなさい。久しぶりに人間のお客さんが来たもんだから、この子がちょっと悪ノリを……」
 結城が腰を低くして弁明する中、雛祈は座敷童子を見つめたまま固まっていた。走り回っていた途中で停まったため、涙目のまま口元を押さえ、まるで時間が止まってしまったような情景になっている。
(しかもあの姿! 最高位のチョウピラコには届いていないとしても、かなり上位の座敷童子! そんなのがここに!? 子ども以外の人間と親しげに!? そんなバカな!?)
 座敷童子には等級があり、美しい容姿であるほど能力も高いと言われている。その中でチョウピラコと呼ばれる座敷童子は色白の肌を持ち、とても美しい着物を身に纏っているという。
 媛寿と呼ばれた座敷童子もまた、艶のある黒髪と仕立ての良さそうな着物、道行く誰もが目を止めそうな愛らしさがある。雛祈の見立てでは、非常に力の強い座敷童子であることは明白だった。
 そして座敷童子は霊能者を除けば子どもにしか存在を認識されず、大人に懐くことは非常に少ない。結城が座敷童子と親しげにやり取りしている様子は、雛祈にとってはあたかも異次元を覗いているように見えていた。
 さらに座敷童子が現れたことで、雛祈はこの先の展開を針を通すほどの注意を払って運ばねばならなくなった。
(座敷童子がなんでこの男のところにいるのか知らないけど……こ、これはマズいわ。座敷童子の機嫌を損ねれば、最悪の場合死の不幸さえ招くおそれがある。そ、それこそ祀凰寺家しおうじけ滅亡なんてことも!? 冗談にもほどがあるわ! ギリシャの戦女神だけでも厄介なのに! なんでこんなのまでいるのよ! ここは何!? 魔窟だとでもいうの!?)
 媛寿に仕掛けられたイタズラの洗礼そっちのけで、雛祈の脳内は今後の方策を打ち出そうと、目まぐるしく回転していた。未だ固まったポーズのままで。
(そういえば女神アテナは電話をかけにいくと言っていたけれど、一体……)
 雛祈は今更ながら、電話をかけると言って退室したアテナのことが気になった。要求に対する返答を保留したままで、果たしてどこに連絡を取っているというのか。
(ま、まさか本当に縁故のある神々を呼び集めている!? 要求に何も答えなかったのも、いま祀凰寺家を一気に潰してしまえば、全て無かったことにできるから!? い、いえ、そんなはずないわ。女神アテナは戦いの神であれ、その真意は都市防衛と戦乱の沈静化。無闇に争いを振りまくような真似はしない。正義にもとるようなことは決して……しないとも限らない)
 雛祈はアテナの逸話について、いくつか思い当たることがあった。トロイア戦争、アラクネやメデューサの変身。女神アテナが自身の都合や思惑で騒動を起こした事例は無いわけではない。
(慈悲深いと称えられている一方で、奔放さと誇り高さに突き動かされて行動することもある女神。も、もし私の要求が女神に挑戦と受け取られていたら!? 要求の一部に女神の誇りに泥を塗る内容が含まれていたら!?)
 考えれば考えるほど、雛祈は電話から戻ってきた時のアテナの動きが怖くなってきた。
 そして、仮にアテナの問題をクリアしたとしても、もう一つ重大な壁が立ち塞がっている。
(女神アテナが納得したとしても、この座敷童子が納得するとは限らない。私の要求が気に入らないものと判断されたら、別のベクトルで祀凰寺家が危機にさらされてしまう! 食中毒で一族滅亡!? それとも大火事で消失!? あぁ~、座敷童子を敵に回して起こることなんて予測できない!)
 雛祈が精神の中で苦悶している中、媛寿はといえばせしめたクッキーとお茶を満面の笑みで楽しんでいた。普段は無邪気な子どものようでいて、怒らせれば一族郎党を全滅にまで追い込むこともある家神。富むも落ちるも座敷童子の気分次第というだけに、下手な干渉は滅びを招く。
 それを知っているからこそ、いまソファの上で飲食に舌鼓を打つ少女姿の神が、雛祈には爆弾の起爆装置を解除する二本の導線にも見えていた。
 結城とお付きの二人が雛祈の対処に困っていると、廊下側のドアが開かれ、電話をかけに行っていたアテナが戻ってきた。室内を一通り見渡すと状況を理解したのか、アテナは現状を作り出した張本人に目を向けた。
「エンジュ、初めて訪れたお客人にイタズラをしてはいけません」
「ゆうきがびっくりしてくれないんだもん。えんじゅ、つまんない」
「だとしても、初対面の者には加減をしてあげなさい」
「む~」
「……仕方ありません。私がギリシャから持ってきたとっておきのイタズラ道具があります。今度あなたに貸し与えましょう」
「ほんと!? あてなさま?」
「女神に二言などありません」
「わーい!」
 何やら不穏当な発言を聞いて多少不安になった結城だったが、今はそれよりも固まったまま動かない雛祈をどうするかが先決だった。
「ところで、その者はなぜ可笑しな格好で固まっているのですか?」
「媛寿がイタズラして走り回ってたらこうなっちゃって。なんとかできませんか、アテナ様?」
「フム……」
 結城に請われて数瞬考えるような素振りを見せたアテナは、すたすたと固まっている雛祈に近寄っていった。そして雛祈の額に折り曲げた中指をかざし、親指を引っ掛けて弾いた。
 デコピンである。それもかなり力が抜けている、指で撫でる程度の。
「ぽっ!?」
 アテナのデコピンを受けて、雛祈の体は糸の切れた人形のようにくず折れた。
 床に落ちる前に、アテナが雛祈の両脇に手を入れ、転倒を防いだ。
「お嬢に何を―――」
「案ずることはありません。ほんの少し脳を揺さぶりました。今は『落ちている』状態です」
 武器を構えようとした桜一郎おういちろうを制すると、アテナは雛祈を床にゆっくり座らせ、
「ヌンっ!」
 その両肩に手を置いて一気に揺さぶった。
「はっ!?」
 意識を回復した雛祈は室内をきょろきょろと見回す。正面にアテナ。少し奥に結城。両側に桜一郎と千冬という配置で見つめられていた。
「わ、わらひはどうひて?」
 まだハッカとラー油の影響が残っているのか、うまく舌が回っていない。
「……シロガネ、いますか?」
 雛祈がまともに喋れないのでは、ここからの話し合いも進めることはできないので、アテナはまずそれを解消することにした。
「アテナ様、呼んだ?」
 壁のドアから顔を出したシロガネは、いくらか赤い飛沫を浴びていた。
「この者に水を差し上げてください。エンジュのイタズラのせいで口の中が大変なことになっています」
「分かった」
 アテナからの注文を受け取ると、シロガネはさっとドアの向こうに引っ込んだ。それを見届け、アテナは雛祈に向き直った。
「まずは口を潤しなさい。話の続きはその後です」
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