上 下
106 / 415
化生の群編

謎の使用人

しおりを挟む
 勝手知った庭を散策するような呑気さで歩み寄ってきた男に対して、雛祈ひなぎたちはまさに信じられないものを目の当たりにした時の顔になっていた。
 つい今し方、山に住む精霊の力で人が住むどころか行き来もできないと結論付けたところに、何の前触れもなく人が現れたのだ。驚かない方がおかしい。
 特に雛祈は自身が組み立てた仮定をあっさり崩されたので、驚きは他の二人の比ではない。
「もしかして迷ったとかですか? 良ければ麓まで送りますよ?」
 雛祈たちの受けた戦慄を他所に、男は三人に気楽な感じで話しかけてきた。
「っ! あ、あなたこそ、ここで何やってるの!?」
 話しかけられて我に帰った雛祈は、目の前にいる『ありえないはずの人間』に、まず尋ねた。
「えっ? ああ。昆虫採集ですよ」
「昆虫採集?」
 男の答えを聞いた雛祈は、あまりにもありきたりな目的に思わず繰り返してしまった。
 よく見れば、男は作業着に軍手、麦わら帽子を被り、右手には虫取り網を持ち、肩掛けした紐で小さなボックスを提げていた。いかにも昆虫を捕まえていますと言わんばかりの出で立ちだった。
「友達が今日あたりに行った方がすごくイイのが採れるって言ってくれたんで、いま一緒に―――あ、いや、一人で探していたんです」
「?」
 変に言いよどんだところは少し気になったが、ひとまず目の前の人物に危険性はないと判断し、雛祈は警戒を解いた。
「ところであなた、この山に古いお屋敷があるって聞いたんだけど、何か知ってる?」
「……あっ、ああ、そうか。皆さん『お客さん』だったんですね。それで山を登ってる途中だったんだ。でも登るなら反対側ですよ。こっちは急勾配すぎて僕も登るのがしんどい―――」
「ちょ、ちょっと待って! あなた、そのお屋敷に出入りしてるの?」
「出入りっていうか、僕そこに住んでますよ」
「……」
 雛祈は文字通り呆気にとられ、口を開いたまま硬直した。人を惑わす山の中で会うはずのない人間に出会い、その相手は例の古屋敷に住んでいると言ってのける。ここまで見事に予測を覆されると、これまで祀凰寺家しおうじけの後継者として鍛えられてきた雛祈の精神も、理解が追いつかずにショートしてしまいそうだった。
「オ、オホン! で、ではそのお屋敷に案内していただけますカシラ? 私たち、そこにちょっと用事がありまシテ……」
 雛祈は硬直してから0.5秒にも満たない時間で気を取り直した。それは祀凰寺家の人間として、崖っぷちではあったが面目プライドを保とうとした驚異の精神力による成果だった。とはいえ、まだ立ち直りきっていないのか、平静を装いきれていない。
(用事? 依頼じゃなくて? 本当に珍しいな)
「分かりました。こっちです」
 男は軽快に踵を返すと、出てきた藪を掻き分けて道なき道を進み始めた。その背を追って、雛祈たちも少し距離を取って山中を歩いていく。
桜一郎おういちろう、あなたから見て、あの男どう考える?」
「ん?」
 男の後に続いて歩く中、雛祈は男の耳に聞こえないほどの小声で桜一郎に話しかけた。
「立ち振る舞いや発している気を取ってみても、まったく驚異とは感じられない。正真正銘ただの一般人だ。さっきの話からすると、おそらく例の古屋敷の使用人……庭師か何か、か?」
「私もそう思う。警戒心がないどころか、あれはもうマヌケと呼ぶレベルよ。古屋敷に住んでるっていうモグリは、堂々と使用人まで雇って居直ってるなんて。まったく豪気なものね」
 もう少しで会うことになるであろう古屋敷の主に対して、雛祈はさも忌々しげに吐き捨てた。
「ただ……」
「? ただ、何?」
「あの男、かなり『鍛えられている』のではないか、とも思える」
「へっ?」
 そう評した桜一郎に、雛祈は間の抜けた声を漏らした。前を歩く、おそらく使用人と思われる男を見遣るが、雛祈には桜一郎の評価は分かりかねた。
「作業服を着ていて体格が分かりづらいが、細かな動きに武術を修練している者の特徴がある。おそらく……剣」
「んん!?」
 雛祈はもう一度、男の動きを注意深く観察した。雛祈もまた祀凰寺家の裏の仕事を一部任されるに際し、武術の鍛錬は幼い頃から積んでいる。その雛祈が見ても、山の傾斜をどちらかと言えば鈍くさい動きで登っていく男の様は、とても武術を嗜んでいる者のそれではなかった。しかし、年齢差では雛祈の数百倍を生きてきた桜一郎の評価である以上、安易に否定しきれるものでもない。
「わ、私も、そ、そんな気がしました。そ、その……ちょ、ちょっとだけ」
 話を聞いていた千冬ちふゆもまた、弱々しくも桜一郎の評価に賛同してきた。
「じゃあ何? あのトンチキ男、あんなだけど相当な使い手だって言うの?」
「いや、全く」
「はぁ!?」
 それまでとは打って変わった桜一郎の返答に、雛祈は小声で素っ頓狂な声を上げてしまった。
「何よそれ!? かなり鍛えられているのに強いわけじゃないっていうの!?」
「確かに『鍛えられてはいる』……と思う。ただ、あの男に武術の才覚がほとんど見受けられない。単純に戦ったなら十中八九……いや九分九厘お嬢が勝つ。自分や千冬なら目を瞑って小指で倒せる」
「~~~!!」
 雛祈は頭の中がこんがらがる思いだった。目の前を歩く男はどう見ても脅威となりえないはずなのに、得体が知れなさすぎて目の前に存在していることを疑いたくなる。宇宙人と遭遇した方がまだ素直に事実を受け入れられたかもしれない。せっかく異常事態に見舞われた困惑から回復しかかっていたのに、雛祈はさらに不可解な種を精神に蒔かれる羽目になり、それがまたも苛立ちを誘った。
(こうなったらモグリのど素人にこのイライラを全部ぶつけてやるわ! 覚悟してなさいよ~!)
 間近に迫る古屋敷の主との対面に、雛祈は怒りで肩を震わせていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

荒雲勇男と英雄の娘たち

木林 裕四郎
ファンタジー
荒雲勇男は一日の終わりに眠りにつくと、なぜか見たこともない荒野のど真ん中。そこで大蛇の首と戦う少女エーラと出逢ったことをきっかけに、勇男による英雄たちの後始末紀行が幕を開けるのだった。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

桃姫様 MOMOHIME-SAMA ~桃太郎の娘は神仏融合体となり、関ヶ原の戦場にて花ひらく~

羅心
ファンタジー
 鬼ヶ島にて、犬、猿、雉の犠牲もありながら死闘の末に鬼退治を果たした桃太郎。  島中の鬼を全滅させて村に帰った桃太郎は、娘を授かり桃姫と名付けた。  桃姫10歳の誕生日、村で祭りが行われている夜、鬼の軍勢による襲撃が発生した。  首領の名は「温羅巌鬼(うらがんき)」、かつて鬼ヶ島の鬼達を率いた首領「温羅」の息子であった。  人に似た鬼「鬼人(きじん)」の暴虐に対して村は為す術なく、桃太郎も巌鬼との戦いにより、その命を落とした。 「俺と同じ地獄を見てこい」巌鬼にそう言われ、破壊された村にただ一人残された桃姫。 「地獄では生きていけない」桃姫は自刃することを決めるが、その時、銀髪の麗人が現れた。  雪女にも似た妖しい美貌を湛えた彼女は、桃姫の喉元に押し当てられた刃を白い手で握りながらこう言う。 「私の名は雉猿狗(ちえこ)、御館様との約束を果たすため、天界より現世に顕現いたしました」  呆然とする桃姫に雉猿狗は弥勒菩薩のような慈悲深い笑みを浮かべて言った。 「桃姫様。あなた様が強い女性に育つその日まで、私があなた様を必ずや護り抜きます」  かくして桃太郎の娘〈桃姫様〉と三獣の化身〈雉猿狗〉の日ノ本を巡る鬼退治の旅路が幕を開けたのであった。 【第一幕 乱心 Heart of Maddening】  桃太郎による鬼退治の前日譚から始まり、10歳の桃姫が暮らす村が鬼の軍勢に破壊され、お供の雉猿狗と共に村を旅立つ。 【第二幕 斬心 Heart of Slashing】  雉猿狗と共に日ノ本を旅して出会いと別れ、苦難を経験しながら奥州の伊達領に入り、16歳の女武者として成長していく。 【第三幕 覚心 Heart of Awakening】  桃太郎の娘としての使命に目覚めた17歳の桃姫は神仏融合体となり、闇に染まる関ヶ原の戦場を救い清める決戦にその身を投じる。 【第四幕 伝心 Heart of Telling】  村を復興する19歳になった桃姫が晴明と道満、そして明智光秀の千年天下を打ち砕くため、仲間と結集して再び剣を手に取る。  ※水曜日のカンパネラ『桃太郎』をシリーズ全体のイメージ音楽として執筆しております。

とある元令嬢の選択

こうじ
ファンタジー
アメリアは1年前まで公爵令嬢であり王太子の婚約者だった。しかし、ある日を境に一変した。今の彼女は小さな村で暮らすただの平民だ。そして、それは彼女が自ら下した選択であり結果だった。彼女は言う『今が1番幸せ』だ、と。何故貴族としての幸せよりも平民としての暮らしを決断したのか。そこには彼女しかわからない悩みがあった……。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

性転のへきれき

廣瀬純一
ファンタジー
高校生の男女の入れ替わり

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

処理中です...